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3章
15 すれ違いの先に
しおりを挟む「……はぁ」
ここ数日で吐き出し尽くしただろう溜め息を追加する。
溜め息の数だけ幸せが逃げるなんてことを聞くが、この調子ではスーリアの幸せなどとっくに残ってはいないかもしれない。
「どうした? 最近らしくないな」
隣に座るロイが、心配そうに様子を窺ってくる。
スーリアの心模様とは反対に、この木陰に差し込む日差しはとても穏やかだ。木の葉の間からもれた淡い光が、彼の黒い髪に吸い込まれるように消えていく。
あの黒髪に一度でいいから触れてみたいと、もう何度思ったことか。
「乙女にはいろいろあるのよ」
「それは失礼した」
「……素直に引くのね」
冗談を言ったつもりだったが、彼はスーリアを気遣ったのか深くは聞いてこなかった。
もちろんこの溜め息の原因は、気づいてしまった気持ちと、数日後に控えている夜会のせいだ。
「俺は……そういうのに疎いから、変なことを言って君を傷つけたくない」
ロイの言葉に心臓が跳ねる。
スーリアの方を向きながらも視線を逸らして言うさまが、彼の自信のなさを表しているように見えた。
出会った頃から彼は律儀で優しい性格をしていたと思うが、最近はその頃よりも増してスーリアを気遣ってくれる。
その優しさが、逆に胸に痛かった。
優しくされればされるほど、落ちていく自分がいたから。
「大丈夫よ、そんなにやわじゃないから」
「確かに君は強いな。そういうところが――」
途中まで言いかけて、彼は言葉をのみ込んだ。
どうしたのかと顔を覗き込むと、また視線を逸らされる。
「そういうところが?」
「……女らしくないよな」
「失礼ね!」
先ほどの言葉はなんだったのか。
女らしくないと好きな人に言われたら、さすがのスーリアでも多少は傷つく。
胸にぐさりと刺が突き刺さったような感覚を覚えたが、自分でも女らしさなど持ち合わせていないと自覚していたので、目をつむることにした。
それに、今の方が彼らしいと思ってしまったのも事実だ。
「すまん。今のは……口がすべった」
「そう思ってたことは、否定しないのね」
気まずそうに頭をかきながら、彼は息を吐く。
それから、小さな声でもう一度謝った。
そんな姿を見ても好きだと感じてしまう辺り、重症だな、と思う。
この気持ちを伝えることはできない。
けれど、どうしても気になっていたことがあったので、スーリアは思い切って質問をしてみる。
「ロイ、あなたはよくここで私と話をしているけれど、お付き合いしている人はいないの?」
「いないが」
「それじゃあ、好きな人は?」
「…………さあな」
いるんだな。この様子では片想いか。
嘘をつかないあたり、本当に律儀な性格をしている。
直球で聞いてしまったが、自分には回りくどいやり方は合わないのでゆるしてほしい。彼に想い人がいると分かれば、気持ちの整理もつけやすい。
もし今度の夜会で良い相手が見つかれば、この逢瀬は終わりにしなければならない。
たとえ見つからなかったとしても、彼に好きな人がいるのであればもうやめるべきだ。
近づく別れを思うと、目頭が熱くなる。
涙なんか流したら、また、らしくないと言われてしまうだろうか。
目尻にたまる涙を堪えていると、不審に思ったロイが顔を覗き込んでくる。
――今は、離れていてほしいのに
「スーリア? どうし――」
雫がひとすじ頬を伝う。
彼が、息をのんだのが分かった。
「ご、ごめんなさいっ……なんでもないの! これはさっき食べたシシトウが辛くて――」
涙を見られたことに気が動転する。
苦しい言い訳がこぼれたスーリアの口を、彼が塞いだ。
その、薄くてきれいな形をした、唇で。
「っ――」
触れたところから一瞬だけ熱を感じるも、彼はすぐに離れていった。
何が起きたのか理解できずに茫然とロイを見ていると、彼は慌てた様子でスーリアから距離をとる。
「す、すまない! 今のはっ……その、つい……!」
いったい、何をされたのか。
あれはどう考えても……キス、としか呼べない。
――キス? なんで、ロイが私にキスを?
思考はどんどん混乱していく。彼の行動の意味が分からない。
キスをする理由なんて、ひとつしか思いつかない。
でも、そんなはずはないのだ。
こんなにも地味で、可愛げがなくて、女性らしい服装やしぐさなど皆無な自分が、彼に想われるなんて。
きっと普段は明るく振る舞うスーリアの涙を見て、彼も動揺してしまったのだろう。自分が泣かせたと勘違いして、つい不本意な行動に走ってしまったのかもしれない。
きっとそうだ。
口元を手で押さえて固まるスーリアを、どうしたらいいのか分からないと言った様子で、ロイが見ている。
彼は悪くない。
そんなに困った顔をしないでほしい。
私は、大丈夫だから。
「スーリア、俺はっ……」
彼の右手が近づいてくる。
だめ。今触れられたら、私は――
早く何か言わなければと、焦る思考で言葉を紡いだ。
「ごめんなさいっ……わたし――」
その声にロイはびくりと体を震わせて、スーリアに触れる寸前で手を止める。
ゆっくりと上を向くと、泣きそうな顔をした彼と目が合った。
「……っ……悪かった。今のは、忘れてくれ」
震える声で告げて、彼は立ち上がる。
それからぎゅっと拳を握りしめて、早足で植木の間に消えていった。
彼が去り際に見せた顔が頭から離れない。
その表情の理由を、探してはいけない気がした。
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