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6章

30話 末路

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 翌日セレナは熱を出した。
 ハスールに来て、まだたったの二日間だが、その間に起きたことを考えると無理もないだろう。

 シュニーは土下座せんとばかりに謝っていた。
 寒空の下、あの格好で一時間近く外にいたのだ。風邪をひいてもおかしくはない。
 念のため医者にも診てもらったが、風邪ではなくストレスと疲労から来たものだろうと言われた。

 それから丸一日寝て熱は下がった。
 その翌日は大事をとって部屋で過ごし、一夜明けて本日やっと外出の許可が下りたのである。

 セレナが寝ている間に、シュニーは全てを終わらせていた。
 会談の結果については昨日彼から聞いたが、その内容にセレナはなんとも言えない苦い顔をするしかなかった。



   ✳︎



『メルセド王、今回貴国との交渉をする上で、私は国王陛下より全権を任されている。私の発言は、アレストリア国王陛下の言葉だと思って聞いてほしい』

 そう告げたのは、普段とはだいぶ雰囲気の違うシュニーだ。
 用意された会談の場でシュニーは一人椅子に座り、目の前に並ぶハスール側の重鎮を相手にしていた。その中には国王であるメルセド王とゲイル王太子、また国の中枢を担う重役たちが揃っていて、その数はちょうど10人といったところだ。

 ハスール側は最初、さすがに第三王子一人で会談に臨むとは思っていなかった。誰かしらの補佐を連れてくると思っていたのだ。もしくは第三王子より立場の上である王太子が主導し、シュニーは補佐としてやってくるのではないかと考えていた。
 そのため一人で現れた第三王子と、その開幕の言葉に、ハスール側は眉を寄せることになったのだ。こんな若造一人に何ができるのだと。

『あの……シュニー王子殿下、アレストリア側は貴方お一人ですか?』

 重役の一人がそう聞いてしまったのも無理はない。

『私一人で十分だろう?』

 今日のシュニーは、アレストリアの王族が公式行事に参加する際に着る正装をしていた。夜会服よりも厳かなそれは上下ともに紺色で、詰襟タイプの襟元から裾にかけてと、袖口の部分に豪華な金色の装飾が施されている。
 胸元には紅いルビーを中心に、その周りをダイヤモンドと金であしらった、大きなブローチが輝いていた。これはアレストリアの王族が、その証として身に付けるものだ。本来はこれに黒いマントを羽織るのだが、さすがに今日は付けていない。
 普段はどちらかと言うと柔らかい印象のシュニーだが、今日はその雰囲気と衣装により高貴な風格を漂わせ、近寄り難さを感じる。
 食えない笑顔で答えた、その表情も然りだ。

 彼の言葉にハスール側の面々は押し黙る。
 それを見届けて、シュニーは会議を進行するべく続けた。

『今回交渉の場としてこの場を設けてもらってはいるが、こちら側は既に意思を固めている。その理由は昨夜の惨劇を思い出してもらえれば分かると思う』

 その言葉に重苦しい空気が漂う。
 メルセド王は憔悴仕切った顔をさらに青くさせ、額から玉のような汗が滴っていた。
 周りに座る重役達も内容は聞かされているのだろう、その顔は暗い。

『メルセド王、貴殿の娘達の蛮行は決して赦されるものではない。セレナは私の婚約者であり、将来妻となる大切な女性だ。その彼女を傷つけ、心を踏みにじり、侮辱したことは何においても赦すことはできない』

 絶望にも似た表情で、王はシュニーを見た。

『よって、アレストリアは今後、軍事面において貴国と関わることは一切ない。自分の国は自分たちで守られよ』

 場の空気が凍る。
 交渉すら許されないその結果に、何人かの重役達が顔を顰めた。

『お待ちください、殿下。それは横暴すぎませんか?』
『何故?』

 アレストリアにとってハスールとの軍事同盟など、取るに足らないものだ。協力関係を結んだところで、利があるのは主にハスール側となる。
 それでももし、相手側が誠意を以って接してくるのであれば、アレストリアは同盟を結ぶことも視野に入れていた。
 しかし、昨夜の有り様だ。
 あのようなことをされて、ハスール側の希望に沿うなどあるものか。これは決して、シュニーの私情から来るものではない。
 今回会談をするにあたり、事前に父である国王と、王太子であるルディオと話し合い、意見を纏めていた。
 何も問題がなければ同盟を取り付けても構わない。しかし、シュニーから見て目に余るものがあれば、問答無用で棄却するようにと取り決めていたのだ。
 その判断はシュニーに任されていた。彼はまだ21歳と若いが、その才気は父と兄も認めている。

 有無を言わせぬシュニーの態度に、ハスール側の重役達は苦虫を噛み潰したような顔をするしかできなかった。王と王太子は、ただ机の上をじっと見つめていた。
 反論がないことを確認すると、シュニーは続ける。

『食料支援の面においては、この後の交渉次第とさせて頂く』

 その言葉に、あからさまに安堵の態度が見て取れた。
 ハスールはよほど食料事情が芳しくないらしい。軍事同盟は結べずとも、食料面においてアレストリアの援助を受けられるのであれば、この場を設けた意味があるのだろう。

『さて、此処からはと言う言葉を借りて、貴殿らの誠意を拝見したい』

 皆の視線がシュニーに注がれる。
 この王子は今度は一体何を言い出すんだと、その目つきが語っている。
 場の空気が張り詰めて行くのを感じた。

『メルセド王。貴殿が昨夜の蛮行を赦免すると言うのであれば、アレストリアは今後一切貴国との関係を断つこととする』

 王が息をのむ。
 それはつまり、マリージュと双子がセレナに対して行っていた行為を、今まで通り見逃すと言うのであれば、容赦はしないと言うことだ。
 口を開くのもままならない王の代わりに、王太子であるゲイルが答えた。

『それは妹たちの処遇次第で、支援の是非が決まると言うことですか?』

 シュニーが無言で頷くと、今度は視線がメルセド王に注がれた。
 王は今までマリージュと双子がセレナに何をしても、それを黙認してきた。それは全て可愛さ故にだ。その愛情をなぜセレナにも注げなかったのかと思う。

 会談が始まる前、王と王太子は昨夜のことについてシュニーに謝罪してきた。しかし、謝る相手が違うだろうと言ったシュニーに対して、王は難しい顔をしたのだ。彼らはセレナ本人に謝罪する気はなかったらしい。
 ましてやあれ程のことをしておきながら、マリージュと双子は謝罪どころかお咎めなしである。しばらくは部屋で軟禁状態にして反省させると言っていたが、彼女たちが反省している姿など目に浮かぶ筈もなかった。

 父親として、そして一国の王として、この男が彼女たちを断罪しないのであれば、国に責任を取ってもらう他ない。

『結論は明日の朝まで待つ事にする。良い返事を期待していますよ、メルセド王』

 そう一方的に言い残し、シュニーはその場を後にした。
 到底対等とは言えない会議の内容に、ハスール側は憤りを感じたが、誰も言い返せる者は居なかった。
 その中で王は全身を震わせながら、その場で項垂れていた。

 国を取るか娘を取るか、せいぜい悩むといい。
 シュニーは己の内に湧き出る黒い感情に蓋をして、セレナの待つ部屋へと戻るのだった。



   ✳︎



 翌朝、再び会議室に呼ばれたシュニーはメルセド王の決断を聞かされたらしい。
 会談の当日、熱で寝込んでいたセレナは、翌朝にシュニーが再び会議室に行って戻ってきてから、事の次第を聞いた。

 それによると父であるメルセド王は、娘を切り捨てることにしたらしい。当然と言えば当然である。
 王太子さえいれば、国として立ち行かなくなることはないのだから。

 異母姉たちの処遇に、セレナは何も言えず頷くことしかできなかった。

 第一王女であるマリージュは、セレナが予定していた『ヴェータに嫁ぐ』という大役に就くことになった。
 アレストリアとの軍事同盟を締結できなかったハスールは、当初の予定どおり王女を嫁がせて対抗策にするようだ。ヴェータは未だに花嫁候補を集めており、都合も良いらしい。
 双子の方は修道院に入れられることになった。
 この二人はマリージュに感化されてセレナを苛めていた節があるため、マリージュから離し修道院に入れ更生させる。ただし更生出来たとして、王族としての生活には戻さないと言っていた。そのまま修道院で働くか、降嫁させるかはその時に決めるとのこと。

 シュニーとしては生温いと思う部分もあったが、娘を可愛がっていた王としては落とし所だろう。
 何よりセレナ自身が処罰を望んでいたわけではないので、それを決着として食料支援をすることで合意した。
 ある程度の内容はその場で取り決めて、後は専門の者を後日派遣すると言うことで、今回の会談は終了したのだ。

 セレナは実は会談の詳しい内容は聞いていない。
 軍事同盟については諸事情で棄却したが、食料支援については行うことになったと言われたくらいだ。
 異母姉たちについてはさすがに目に余る行為だったので、今回はそれぞれ罰が与えられたらしい。あの父がどうして今さら処罰を決めたのか、セレナは首をかしげたが、シュニーは曖昧に笑ってそれ以上は教えてくれなかった。

 セレナは今まで自分の環境を何度も嘆き悲しみはしたが、父や異母姉たちを憎んだことはなかった。それがなぜなのかは自分でも分からない。ただ、当たり前の現実として諦めていたのかもしれない。
 その所為か、異母姉たちの処遇を聞いても複雑な心境だった。ただ、これ以上もう関わらないでくれたらいい、それだけを願う。


 その日はシュニーと二人、部屋でのんびりと過ごし、翌日外出許可の下りたセレナは、母であるエルナの墓を訪れた。

 小さな白いお墓の前で、彼と二人で祈る。
 産んでくれたことに感謝を伝え、次の新緑の季節に結婚することを報告した。
 来年、セレナは17歳になる。それは母がセレナを産んだ歳だ。何の因果か、母が生きた17年と言う歳月を経て、セレナは大好きな人と一緒になる。

 母は喜んでくれるだろうか。それとも――

 思い浮かんだ考えが顔に出ていたのか、隣に立つ彼が、そっとセレナの肩を抱いてくれた。
 大丈夫、小さく呟かれたその言葉に勇気をもらう。
 どうか母が喜んでくれていますように。
 そう願った。

 墓地を後にした二人は、無理のない程度に王都観光を楽しんだ。
 シュニーとはずっと手を繋いで歩いた。
 三日前の夜会の日を境に、彼との距離がさらに縮まった気がする。今まで超えないようにしていた一線を超えてしまったというのが正しいか。
 結婚式まであと四カ月。
 今でさえ距離の近い二人が結婚したらどうなってしまうのか。楽しみなような怖いような。それでも待っているだろう幸せを想像して、心は温かくなるのだった。



 一夜明けて、本日はアレストリアへと帰国する。
 セレナにとってこれを帰国と言うのはおかしなものであったが、彼女の帰る場所はもうハスールではないのだ。

 帰りの馬車へと移動し、そこに居た人物に思わず抱きついた。

「ケーラ!」

 ケーラは小さなトランクを二つ地面に置いて、馬車の前でセレナ達が来るのを待っていたようだ。
 シュニーは事前に、ケーラからアレストリア行きを決めたと連絡を受けていた。独り身で身軽なケーラはそのまま出発の日までに身支度を終え、家を引き払い、セレナ達に同行することになった。
 しばらくはセレナの祖母として王城で生活してもらい、環境が整い次第そちらに移るという。

 馬車に乗り込む直前に、マルクが別れの挨拶をしに来た。別れ、と言っても一時のだが。彼も両親を連れてアレストリアへの移住を決めたのだ。
 さすがにケーラのように身一つで国を渡ることはできないため、準備が整い次第騎士団を退職し、両親とともに国を出ることになる。

 セレナは向こうでの再会を楽しみに、マルクと別れた。


 馬車の窓から、遠ざかる王城を見上げる。
 このハスールに来た数日間でいろいろな出来事があった。
 楽しこと、嬉しいこと、つらいこと、悲しいこと。
 その全てが必要なことだったのだと、今なら分かる。いい事ばかりではなかったが、来て良かったと心から思う。

「シュニー様、連れてきてくださり、ありがとうございました」

 丁寧にお礼を述べると、向かいに座る彼が口元を綻ばせ、優しい声で返してくれる。

「どういたしまして」

 そのやり取りを、セレナの隣に座るケーラが、そっと見守っていた。

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