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4章
38 不思議な口付け
しおりを挟む緩やかな日差しが差し込む。
春の匂いを乗せた風が、ふわふわと髪を揺らした。
可愛らしい花々が咲き始めたアレストリアの庭園は、春の色に染まっている。
その中ほどにある大きめのガゼボにシェラはいた。
時刻は午前中。
持ち込んだ本を半分ほどまで読み進んだころ、膝上からもぞもぞと動く気配を感じる。
本を閉じ横に置くと、緑色の瞳がぼんやりとした様子で、シェラを見ていた。
「…………どういう……状況だ?」
「覚えてらっしゃいませんか?」
戸惑いの表情を浮かべ、ルディオは首を振る。
「わたくしの肩で船を漕いでいらしたので、横になるかと提案したら、返事もせずにこの状態に」
昨晩、彼は部屋に戻ってこなかった。
自室にいない夜は、あの白い建物で過ごしているのだ。
呪いが発動するとほとんど眠れず、翌日は寝不足気味になるらしい。
今日の午前中は特に予定もなかったため、比較的気温が高くなったこともあり庭園にやってきていた。
ガゼボに備え付けられている長椅子に腰を落ち着ける。
ゆっくりとした時間が流れ始めたところで、ルディオがシェラの肩に凭れてきた。
庭園に来るまえ、仮眠をとったらどうかと提案したのだが、せっかくの二人で過ごせる時間だからと彼は拒否した。しかし、やはり寝不足には勝てなかったようだ。
暖かい日差しと、心地の良いそよ風に眠気を誘われたのだろう。
そのまま崩れるようにして、シェラの膝を枕にして眠り始めたのだ。
状況が理解できたのか、ルディオは慌てて起き上がる。
「すっすまない!」
隣で謝罪を述べる彼の頬が、わずかに赤く染まっていた。
その普段と違う様子に、思わずくすくすと笑ってしまう。
「重たかっただろう? 起こしてくれてよかったのだが……」
「いえ、気になりませんでした。それに、だいぶ気持ちよさそうに寝ていらしたので、起こすのは申し訳なく」
ルディオはさらに頬の色を濃くして、恥ずかしそうに右手で顔を覆った。
「君の言う通り、部屋で大人しく仮眠をとるんだった……どれくらい寝ていた?」
「一時間ほどですかね」
「一時間もか……本当に申し訳ない」
「疲れているでしょうから、気になさらないでください。むしろわたくしは、役得だと思っていますので」
彼の気の抜けた寝顔を見られるのは、きっと自分だけだろう。そんなおいしい状況を、みすみす手放すはずがない。
それに彼が庭園に出ることを提案したのは、シェラのためだ。
気軽に話せる者も少なく、友達もいないシェラは、普段はだいたい自室で過ごしている。どうしても引きこもりがちになってしまうため、休日は積極的に外へ連れだそうとしてくれるのだ。
「そう言われると返す言葉もないな……」
「気が済まないのでしたら、キスひとつでゆるして差し上げます」
「それは……私の方が役得になってしまうのだが」
苦笑しながらも、彼の顔が近づいてくる。
そのまま二人吸い寄せられるように唇を重ねた。
彼とのキスが好きだ。とても不思議な感覚になる。
初めてのときは緊張と興奮で気づかなかったのだが、酩酊状態のときのような、ふわふわとした気分になるのだ。
彼の温かい吐息が全身を巡り、満たされていくような、そんな感覚。
不思議だと思いつつも、キスとはこういうものなのだと納得することにした。
短い触れあいを済ませ、顔を離した彼は、急に神妙な顔つきでシェラを見る。
「せっかくの二人きりの時間なんだが……君に、伝えなくてはいけないことがある」
続きを促すように彼の顔を見上げた。
「バルトハイル王から書簡が届いた。私たちの式に合わせて、アレストリアに一か月ほど滞在したいらしい」
「一か月もですか?」
「ああ。結婚式と、その一週間後に行われる予定の結婚披露宴式典、両方に出席するようだ。観光も含めて、長めの滞在をしたいと書かれていた」
結婚式は、王族やその親戚、または王家にゆかりのある比較的身分の高い貴族のみで行われる。
それとは別に、国民に対して将来王妃となる者をお披露目するための、結婚披露宴式典と言うものが開かれるらしい。これは王太子の婚姻時にのみ開催されるもので、国を挙げて大きな式典が催されるのだ。
「レニエッタ王妃も連れてくるらしい。一応、新婚旅行という名目になっていたな」
聞きたくなかった名前が、彼の口から紡がれる。全身の血の流れが止まってしまったかのように、指の先から冷たくなっていった。
レニエッタが王妃の座についたのは、ちょうど一年ほど前だ。たしかに、まだ新婚旅行と言っても間違いではない時期だろう。
「無下に断ることもできないから、受け入れるしかないが、最大限の警戒はしておくつもりだ」
シェラの立場を考えると、バルトハイルの訪問を拒否することは難しいだろう。
ましてや相手はヴェータの王だ。
この婚姻には、二国間の関係改善の意味も含まれている。そのヴェータの王が、わざわざ足を運ぶと言っているのだから、断る理由はない。
「わかりました。教えてくださり、ありがとうございます」
レニエッタが一緒に来るということは、正直何が起きてもおかしくはない。
彼女については、シェラの方でできる限りの警戒をするしかないのだ。
不安な心を押し込めるように笑顔を浮かべたところで、聞きなれない声が耳に届いた。
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