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1章

9  隠されたもの

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 涙を隠すように、ルディオの胸に顔を埋めた。

「遅くなってすまない」

 耳元で、低く優しい声が響く。
 小さく震える肩を落ち着かせるように、彼の大きな手がシェラの背中をゆっくりと撫でた。

「大丈夫か?」

 顔を上げると、宝石のように輝く緑の瞳が眼前にあった。心配そうに、シェラの顔を覗き込んでくる。

「っ……はい」

 掠れた声で答えると、彼は安心したように口もとを綻ばせた。右手をシェラの頬に添えて、目尻からこぼれた涙を親指の腹で拭う。
 温かな手の感触に、自然と安堵の吐息がもれた。

 少しして、後ろから低く唸るような声で呼ばれる。

「シェラ」

 冷たすぎるその声音に、びくりと身体を震わせた。
 シェラの行動は、バルトハイルに対する拒絶を意味する。あの男のもとへ戻る気はないと、はっきりと意志を示したのだ。
 そんなシェラを目にして、強欲な王が黙っているはずがない。

 恐る恐る振り返ろうとしたが、途中で動きを止めることになった。
 シェラの後頭部に手を回し、ルディオが自らの胸に押し込めるように抱き寄せたのだ。まるで、バルトハイルを見るなとでもいうように。

「……おまえ、戻らないつもりか?」

 怒気を含んだ声で、バルトハイルが問いかける。
 しかし、その質問に答えたのは、シェラを腕の中へと閉じ込めた人だった。

「シェラは私の妻になりましたので、あなたのもとへお返しする気はありませんよ」
「昨日会ったばかりの他人と婚姻を結ぶなど、正気じゃない!」

 声を張り上げて言ったバルトハイルの言葉に、ルディオはくすりと笑う。
 それからスッと笑みを消し、目の前の男を睨みつけるように、切れ長の瞳が細められた。

「他人だなんて、失礼だな。彼女とは、同じベッドで一晩をともにした仲ですよ?」
「なっ……!?」

 続く言葉を失ったかのように、中途半端に口を開けたまま驚いた表情で二人を見る。

 たしかに、昨晩はルディオと同じベッドで寝た。本当にただ隣で寝ただけなのだが、あの言い方では、兄が勘違いするのも仕方がないだろう。

「……シェラ、本当なのか?」

 少しだけ動揺を含んだ問いに、ルディオの腕の中でこくりと首を縦に振る。
 嘘はついていない。
 ここは納得させるためにも、彼の誘導に乗ることにした。

 会ったばかりの男と、簡単に寝るような女だと軽蔑されるかもしれないが、今さらあの男にどう思われようと関係ない。体裁を気にするような仲ではないのだ。

 しばらく沈黙が続いて、今度は感情をなくしたかのような、抑揚のない声でバルトハイルが言った。

「……好きにしろ」

 シェラの頭を抱く、ルディオの腕の力が緩まったのを感じ、ゆっくりと振り返る。
 兄の顔に表情はなかった。いつもと同じ冷酷さを滲ませて、深い青色の瞳がシェラを見つめていた。

 そのままバルトハイルは二人の横を通り過ぎ、離宮の外へと出て行く。
 王のあとにヴェータの騎士たちも続いた。

「ルディオ王太子、予定通り午後から会議を行う。それでいいな?」
「ええ」

 もともと本日の午後から平和条約の締結に向けて、両国の主要人物を揃えての会議が開かれる予定だった。会議の前にバルトハイルへの面会を要求し、婚姻について伝えるつもりだったのだが、向こうから離宮を訪れたことによりそれは必要なくなった。
 よって、もとの予定通りの日程で進めるのだろう。

 昨日シェラがを成功させていれば、今ごろルディオは拘束されていたはずだ。バルトハイルの思惑では、今日の会議は開かれる予定すらなかったのかもしれない。
 苦々しい声で告げた言葉尻からも、午後の会議が本意でないことがわかる。

 石畳の上を歩く靴音が、だんたんと遠くなっていく。ヴェータ側の者たちが、主城へと戻っていったようだ。


「一難は去ったようだね」

 隣で成り行きを見守っていたハランシュカが言った。
 それに答えるように、シェラから一歩距離をとったルディオが、溜め息を吐く。

「道草を食っている場合ではなかったな。間に合ったようでよかったが」
「すみません、またご迷惑を……」
「君が謝る必要はない。どのみち、この後バルトハイル王には伝える予定だったんだ。それが少し早まっただけだろう」

 たしかに彼の言う通りではある。
 しかし、まさか王自身が出向いてくるとは思っていなかった。それはハランシュカも同じだったようで、シェラの心情を代弁するかのように、腕を組みながらあきれた声をこぼす。

「あの王が直接やってくるとはねぇ。さすがにこれは予想外だ」
「とりあえずは納得したようだから、あとは午後の会議次第だな」

 会話を続けながら、ルディオとハランシュカは離宮の奥へと歩き出す。二人の後にシェラとルーゼも続いた。

「ところで殿下、道草とは?」

 後ろからルーゼが問いかける。

「まあ、待て。落ち着いてからにしよう」
「もったいぶるわね」

 二人のやりとりに、なぜかハランシュカがくすくすと笑っている。

「やっぱり女性を連れて行くべきだったねぇ。男しかいないものだから、無駄に時間がかかってしまったよ」
「そうだな、失敗した」
「?」

 会話の内容を理解できていない女性陣を差し置いて、男二人は後悔を口にする。しかし、どこか楽しげなその様子に、次々と頭の中で疑問符が並んでいった。

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