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1章

8  わたしを縛る糸 ②

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 急いで着替え、離宮の入り口へと向かう。
 駆けつけた先には、数名のヴェータ国の騎士を連れたバルトハイルが、険しい顔つきで立っていた。

 シェラを目に留めると、不機嫌さを顔に滲ませて言う。

「ここで何をしている? 自分の立場を忘れたのか?」

 底冷えするような、深い青い瞳に貫かれる。

「まさか朝になっても戻ってこないとはな」
「わたくしは……」

 非難するような言葉に、反論しようと口を開きかけたが、低い声がそれを遮る。

「シェラ。おまえの立場はなんだ?」
「……この国の、王女です」

 威圧的な態度に身体が竦みそうになる。
 周りで様子を窺っていたアレストリアの騎士たちにも動揺が見えた。

「自分が何者か理解しているのなら、早くこちらに来い」

 己が何者かなど、とっくに理解している。
 ヴェータの王女であり、バルトハイルの妹。

 そして――廃棄寸前の、聖女だ。

 そうだ。
 私は昨日、棄てられたのだ。
 一度棄てたものを拾い返すなど、この男のすることではない。どうせ今度は、誰にも見えないところで処分される。

 ひとつ深く息を吸って、吐き出した。
 突然の訪問者によって動揺していた頭が冴えていく。
 まっすぐに兄を見据えて、ゆっくりと口を開いた。

「わたくしは、戻りません」
「……あの男に懐柔されたか?」
「いいえ、これはわたくしの意思です」

 たしかに、懐柔されたと言われたら間違いではないのかもしれない。
 それでも最終的にルディオのもとにいると決めたのは、自分の意思だ。彼は生きる道を提案してくれただけで、強制はしていない。
 目の前にいる、この男と違って。

 初めてとも言える反抗を見せたシェラの態度に、冷え切った青い瞳を細めて、バルトハイルは黙りこむ。
 それからしばらく沈黙が続き、今度は口端をつり上げながら鼻で笑った。

「ならば、無理やりにでも連れて行くだけだ」

 バルトハイルが右手を振ると、離宮の入り口に控えていたヴェータの騎士が動き出す。

 彼らの動きにいち早く反応したのは、シェラの後ろにいたルーゼだった。彼女は壁を作るようにシェラの前に身を乗り出すと、腰に携えている剣の柄へと手をかける。
 ルーゼの行動を合図とばかりに、周りで様子を窺っていたアレストリアの騎士たちも臨戦態勢に入った。

 じりじりと双方の距離が縮まって行く。
 殺気さえ漂いかねない状況だが、剣を抜く者はまだいない。
 ここで刃を見せてしまえば、その時点で両国の関係に亀裂が生じる。下手をしたら、戦争を開始するきっかけになってしまうかもしれない。

 次の指示を待つ、ヴェータの騎士たちの視線がバルトハイルに注がれる。

 その時だった。

 ゆっくりと開かれた王の口から言葉が紡がれようとした瞬間、緊迫した空気を裂くように、低くもよく通る男性の声が割って入った。

「これはこれはバルトハイル王。離宮まで出向いていただくなんて、私に何か用ですか?」

 その場にいた者の視線が、声の主へと向けられる。
 開け放たれたままの離宮の入り口に、深緑色の外出着をまとったルディオがいた。昨日とは違い、長い金色の髪を肩口で緩くまとめ、横に流している。
 その隣には、同じく外出着姿のハランシュカが並んで立っていた。

「……ルディオ王太子」
「なにやら物騒な空気が漂っていますが、どうされました?」

 場の空気とは正反対な、悠長な声で問いかける。
 バルトハイルは振り向きながら、不機嫌な声で答えた。

「妹を迎えにきた。これは返してもらう」

 周りにいた騎士たちを下がらせ、王自らシェラのもとへと歩き出す。
 しかし、次にルディオが発した言葉によって、ピタリとその場で足を止めた。

「それは困りますね。私の妻を連れていかれては」
「……は?」

 ぽかんと口を開けたまま、バルトハイルは再び振り返る。彼の視線の先にいる人物は、にこにこと微笑を湛えていた。

「――いま、なんと言った?」
「私の、妻を、連れていかれては困ります。バルトハイル王」
「……つまらない冗談はやめてくれ」
「冗談ではありません。ほら、この通り、シェラは先ほど私の妻になりました」

 ハランシュカから一枚の紙を受け取り、そのままバルトハイルの前まで歩いてくる。

「これは写しですが、今朝正式に受理されています」

 ルディオが手に持った紙を手渡すと、受け取ったままの姿勢で、バルトハイルが固まった。
 その紙には、二人の婚姻が成立したことを表す文言が記されていた。

 青い瞳を大きく見開いたまま、書類を持ったバルトハイルの腕が小刻みに震えだす。
 
「ふざけるな! 自分たちが何をしたか分かっているのか!? これは国家間の問題でもあるんだぞ!?」
「ええ、十分に理解していますよ」

 激情のままに怒鳴り声をあげたバルトハイルに対して、ルディオは冷静に答える。

「バルトハイル王。我々は今回、貴国との平和条約の締結のために、この地まで赴きました」

 わざわざ、の部分を強調して言ったルディオの言葉に、バルトハイルはぴくりと片眉を吊り上げる。

「私と彼女の婚姻は、二国が手を取り合って平和を目指す、その象徴になると思いませんか?」

 平和条約の締結という表向きの理由からすれば、二人の婚姻は喜ばしいことだ。
 ヴェータとしても、それを理由にアレストリアの王太子を呼び出したのだから、反対する意味はないだろう。
 暗に含まれた言葉の本質を、バルトハイルが気づかないわけがない。

 ギリッと奥歯を噛みしめ、顔を歪ませる。

「それとこの婚姻は別の話だ。こんなもの、僕の権限でいくらでも破棄できる」

 言うが早いか、書類を真っ二つに破ると、床へと投げ捨てた。
 どうやっても二人の婚姻は認められないのだろう。
 当たり前だ。
 バルトハイルが求めているのは、アレストリアとの良好な関係ではなく、支配なのだから。

「シェラ、行くぞ」

 話は終わったとばかりに、再びシェラの方へと歩き出す。
 徐々に近づいてくるバルトハイルに、鼓動がどくどくと嫌な音を立てて加速していく。

 やはり、この男には逆らえない。
 反抗したところで、すぐに握り潰されるのだ。今までも、ずっとそうだった。

 無意識に、足がバルトハイルの方へと歩きだす。
 長いあいだ、散々染みこまされてきたこの身体は、己の意思とは反対に動いてしまう。

 ――いやなのに。戻りたくなんて、ないのに。

 悔しさから滲んだ涙で視界が歪んだ瞬間、優しい声で名前を呼ばれた。

「シェラ」

 はっと我に返り、声の主を見る。

「おいで」

 鮮やかな緑色の瞳が、まっすぐシェラを見ていた。

 バルトハイルによって縛られていた見えない糸が、スルスルと音を立てて解けていく。
 歩き出していた己の足は、そのまま兄の横を通り過ぎ、奥にいたルディオのもとへと駆けだした。

 彼は近づいてきたシェラの腕を取り、その広い胸へと抱き寄せる。
 心臓を縛り上げていた最後の糸が、断ち切れる音が聞こえた気がした。

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