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6 遠い距離(湊side)
しおりを挟む櫻では無い、と思ったのは一瞬のことで。
そこに居たのは
『湊くん』といつものように
名前を呼ぶ彼女。
気のせいだったのか。
何かの夢だったのか。
幻を見たのか。
それからも俺の前では、櫻は櫻のままで。
けれど
彼女を取り巻く環境は少しずつ変化していった。
最初は、姉の言葉。
次に、彼女に暴力を振るわれた秘書。
最後に、秘書課や他の課の社員。
多くの人が『彼女は変わった。』と言う。
他人である彼らが、俺の知らない櫻を話す。
「今までの被害者に謝罪をして回り
仕事を真面目にこなしている」
「気配りができる」
「常に周りを見て行動し
話を聞く姿は好感が持てる。」
そして口を揃えて言うのだ。
『今の彼女は、とても好きだと。』
彼女は、俺の妻なのに
自分勝手な独占欲が。心を蝕む。
『副社長、これ』
そう見せられたのは
1つのネットに上げられた動画
映るのは彼女だった。
「貴方が、悪いです。」
「どんな理由があろうとも、貴方が言ったことは女性に対する侮辱です。」
「どんな格好をするかは個人の自由であり、それを否定することは絶対に許されません。」
「謝罪してください。」
「ッ、誰がッ。」
「謝罪を、してください。」
見たこともないような冷たい瞳をした彼女
誰かを守るために吐く鋭い言葉
苦しそうに自らの言葉を反芻する表情
完全に知らない女性だった
なのにそれは
まるで
歯車が噛み合うように
すとんと心に落ちてきた。
自分の中の何かが変わったのは、半年前。
『私、嫌われたいんです。夫に。』
姉と話す彼女の声が、頭に響く。
確かにその口から紡がれる言葉は
確かに意志をもち
決して、幻聴などではなかった。
そんなことあってたまるか。
そんなことあってたまるか。
そんなことあってたまるか。
そんなことあってたまるか。
俺が、彼女を嫌いになる事などあるものか。
あの笑顔が他の男に向けられるなんて。
手放してたまるものか。
そして男は気づく
一種の身勝手な独占欲が
不愉快な苛立ちが募る苦しさが
誰にも渡したくないと年甲斐にも無く思うこれが
『恋』だということに。
1度落ちた恋を手放すことは難しい。
彼女を見る度に愛しさが積もるのだから。
秘書として彼女パーティーに連れていったのも
桜色のドレスを贈ったのも
琥珀色のピアスを彼女の耳に付けたのも
人前で「櫻」とあえてよんだのも
全部俺の我儘だった。
1人の女に溺れていると、他人にいわれようと
どうでもよかった。
「大丈夫です。」
と言う彼女は今にも泣きそうで。
すぐにでも抱きしめてあげたいのに
『泣いてもいいのだ』と頭を撫でてやりたいのに
『好きだ』と思いを伝えられればいいのに
できない距離が、苦しかった。
ずっと、ずっと、誰にでも壁を作ってきた。
どんなに親しくしようが
心の内は見せぬように。
弱さを隠すように。
それがたとえ脆い物だとしても。
なのに、彼女はそれ以上に脆くて
触れれば壊れてしまいそうなくせに
何かを抱えて苦しんでいるくせに
誰にもその弱さを悟らせない。
それが酷く歪で
見ているこちらが目を逸らしたくなるほど。
俺を、頼ってくれればいいのに。
溢れ出した願いが止まらなくなった。
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