旦那様に嫌われたい

宵ヰ

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4 卑怯者

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その身に余る幸福は

そののちに甘い毒となって

貴方を殺すのだ





…ッ、また、またやってしまった。

目の前に広がる
本、本、本、本。

細かく指示の書かれたノート。

開かれたままのパソコン。


時計が指すのは午前5時。


あの日から、上司である彼女に言葉通り1から指導を受けている。
怒られることも、上手くできないことも沢山あって。時に、挫けそうになるけれど。
彼女は飴と鞭の使い方が上手い女性なのだ。
見事に手のひらで転がされる日々。
それでも、私には幸せで。
毎日が楽しくて仕方がない。





彼が来る前に
朝食を作らなければ

櫻は毎日夫の為に三食を作っていた。
1人で食べることの方が多いというのに。
健気なのだなと。

私には難しい愛情表現の仕方に戸惑う。

「よし、できた。」
1人で、朝食を食べすぐに部屋に篭もる。
彼が起きてくると、私は仮面を被らなければならない。

『夫に恋をする妻』という仮面を。
私は、彼に頼るつもりは無い。

『好きで結婚した訳では無い』と。
彼は確かに言ったのだ。
それは、当たり前のように言われたもので。
多分今までも、言っていたのだろう。
けれど、それは。

櫻への、侮辱。
櫻は『女らしく』生きれる人だから
例え大好きな夫にそう言われても
泣いたり、怒ったりしながらも
最後には彼を許す筈だ。

だけど。私は。
許せないと思ってしまう。
これはきっと私のエゴで。
『女らしく』できない欠陥品だと言われた私の。

だから
早く早く自立して、別れなければ。
絆されたりする前に。


けれど

今の自分が無力だということも
知っているからこそ。





「湊くん~、おはよ~。」

私の存在を櫻の中から消して
バレないように
決して彼が私の存在に気付かぬように。

私が、彼に踏み込まれないために。
今日も私は『女らしい』櫻になる。









「おはよう」

「結構秘書の仕事が板についてきたんじゃない?」

上司の彼女に褒められ嬉しくなる。
まだまだ未熟で
彼女のスマートな仕事や、気配りの
足元にも及ばないけれど。
少しずつ出来ることが増えている実感があり
秘書としての仕事にやりがいを感じる日が多くなった。



「だけど!」

「働きすぎ!ということで今日は飲みに行くわよ。」


そういう彼女に連れられ電車に乗る。
混み始めた車内でふと右を見ると


女の子がいた。
とても可愛い女の子が。

泣いている。
恐怖で顔が歪んでいる。


無意識に、体が動く。
男の人の手首を捻りあげ
女の子を背中に隠し、言う。

「何をしているのですか。」
無力な女の子に対して
助けを呼べない彼女に
何をしているの。

「何を、しているんです?」
怒りを押し殺し、問う。

「何を言ってるんだ。」
「私はしていないッ!」

「では、なぜ彼女は泣いているのでしょうか。」

「私は知らないッ。」


曇りのない蒼眼に見つめられた男は口吃る。



「ッそもそも、そんな格好でいるのが悪いんだッ!」

「そんなに嫌なら、『女らしい格好』なんてしなければいいッ!」

「俺は悪くないッ!」



いつもは暖かい色の碧の瞳が、甘い声が。
色を無くす。

「貴方が、悪いです。」

「どんな理由があろうとも、貴方が言ったことは女性に対する侮辱です。」

「どんな格好をするかは個人の自由であり、それを否定することは絶対に許されません。」

「謝罪してください。」


「ッ、誰がッ。」

「謝罪を、してください。」
全ての『女らしく』生きている女性に。









「驚いたわ。」

「はい?」

「あなた、怒るのね。」

「変わったな、とは思ったけれど。いつもニコニコしていて。できるだけ争いとかを避けてるみたいだから。」

「怒ることなんて、無いんじゃないかと思っていたの。」




今日のことは、自分でもとても驚いていて。
今まであんなに怒ったことは無かった。
『諦め』を知ってしまったから。
自分の怒りや、悲しみを表に出すことが難しくなった。
けれど、あの男性が言ったこと。
『女らしくしなければいい』という事。
それは私の地雷だった。

この世界は平等で
向こうの世界のように『女らしさ』を強要されたりはしない。
それでも、全てが平等な訳では無く。
意識的に『女らしく』というものはあって。
仕事や人生がそれによって左右されることも。
性別という壁に苦しんでいる人がいることも。
生きにくいと思う人がいることも。
事実で。

その度に思ってしまうのだ。
向こうの世界の生きにくさから
逃げてきた私は。

『卑怯』なのでは、と。




苦しい。
私は本当にここにいていいのだろうか。
本当は向こうの世界でもっと努力するべきだったのではないか。



私は。


私は、一体いつまで。
『女らしい』ことに囚われて生きていくのだろうか。




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