この感情を何て呼ぼうか

逢坂美穂

文字の大きさ
上 下
26 / 59
3.the second day. -2日目-

***

しおりを挟む

********

 身体が軽い。
 ゆらゆらと揺れて、まるで水の中にいるみたい。
 本当は水なんて大嫌いだけど、こんな風にいられるならもっと好きになろうかな。
 いや、やっぱり生まれ変わったら好きになることにしようかな。
 そう思いながら莉依子が目を開けると、下の世界が透けて見えていた。ぎょっとして飛び跳ねそうになったのを堪え、冷静に目を凝らす。納得した。雲に乗っているのだ。

(……絶対夢だ、これ)

 頭や首筋を掻きながらぼんやりとそれを自覚するものの、どうしたら目覚めるのかがわからない。
 いっそのこと落ちてみたら起きるだろうか。試してみるのは少し怖いけれど、ほかに方法が思い付かない。

『よ、よし』
『こら、りーこ!あぶない!どこかにしっかりつかまってないとおちちゃうよ』

 身を乗り出そうとしたその時、鈴の鳴るような可愛らしい声がそう遠くない距離から聞こえてきた。
 途端に莉依子の身体は固まる。聴き覚えがありすぎた。

(この声、知ってる)
(でも、まさかそんなことって。でも夢だから何でもアリ……?)

 声のする方向へギリギリと顔を動かすと、予想通りの人物がいた。

『……龍ちゃん』

 思わず顔が緩んで、笑みがこぼれてしまう。
 今目の前に居るのは、まだ幼稚園に通っていた頃の龍だ。
 他のお友達よりも目がちょっと大きくて、まつ毛もちょっと長くて。「かっこいいやきゅうせんしゅになりたい」が口癖だった彼は、自分の外見が「おとこらしくないからいやだ」とよく泣いていた。
 実はくせっ毛である髪が耳のところでくりんとカールしてしまう事を、この頃から気にしていたっけ。
 そんな幼い姿の龍が、隣にいる。

『りーこ、きいてる?そこはあぶないの。きをつけてっていってるでしょ』

 可愛らしい外見以上に男らしい表情を浮かべた龍は、今まさに雲から下りようとしていた莉依子の腕を掴むと自分の隣に座らせた。
 そしてあの頃みたいに小さな手で頭を撫でてくれる。莉依子は嬉しくて仕方なくなると同時に、懐かしさでまた目のあたりが熱くなってきた。
 何かが落ちそうになるのを誤魔化すように手で目を擦って、莉依子は龍へと笑いかける。

『りゅ……龍ちゃんは大丈夫?怖くないの?』

 龍は、高いところが苦手なのだ。 
 今も莉依子の頭を撫でていた小さな手の動きが止まり、カタカタと微かに震えている。反対の手はズボンの裾をぎゅうと掴んで力を入れているのがよくわかった。

『だいじょうぶだもん。りゅう、おとこのこだから』

 言ってるそばから涙目になっている、幼い龍。
 この姿の龍が莉依子にとっての最初の記憶かもしれない。
 お友達と喧嘩したり、かけっこで1位になれなかったり。負けず嫌いの龍は、「おとこのこだもん」と自分に言い聞かせるように宙を睨んで涙をこらえていた。
 20歳になった龍を思い出す。邪魔をするなと莉依子に釘を刺して勉強をする龍と今ここにいる龍は、やはり同じものを持っている。

(この顔はすごく懐かしいけど、こう見るとあんまり変わってないんだね、龍ちゃん)

 莉依子は笑って龍に話しかけた。

『ねえ龍ちゃん、お空見ようよ』

 怖くなくなるから、なんてことを言ったら絶対に言うことを聞かないのは莉依子にはわかっていた。だから意識を変えさせる。雲の上で伏せるような体勢でいるから、真下が見えてしまうんだ。
 莉依子は龍の返事を待たずごろんと仰向けになった。
 上を見ていればいい。怖いことは何もないし、問題もない。
 しばらく莉依子を見つめたまま迷ったようにしていた龍が、それに続く。

『……おそらみえるね』

 心底ほっとしたような可愛らしい声に、莉依子はまた目尻に何かが浮かんできた。

『そうだね龍ちゃん。すごく青いね』
『えのぐでいちばんだいすきないろだよ。おそらとうみのいろ』
『そうだったね。……龍ちゃん、もう怖くない?』
『さいしょっからこわくないってば。りゅう、おとこのこだもん』
『あ、ごめんね、そうだったね。ねえ龍ちゃん、さっきよりもずっとずっと気持ちがいいね』
『うん』

 龍が目を瞑ると、長いまつげの影が肌に落ちる。
 可愛い、可愛い龍。
 ふたりだけの時間が多かった頃は、莉依子だけが知っている姿もたくさんあった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

壁の薄いアパートで、隣の部屋から喘ぎ声がする

サドラ
恋愛
最近付き合い始めた彼女とアパートにいる主人公。しかし、隣の部屋からの喘ぎ声が壁が薄いせいで聞こえてくる。そのせいで欲情が刺激された両者はー

夜食屋ふくろう

森園ことり
ライト文芸
森のはずれで喫茶店『梟(ふくろう)』を営む双子の紅と祭。祖父のお店を受け継いだものの、立地が悪くて潰れかけている。そこで二人は、深夜にお客の家に赴いて夜食を作る『夜食屋ふくろう』をはじめることにした。眠れずに夜食を注文したお客たちの身の上話に耳を傾けながら、おいしい夜食を作る双子たち。また、紅は一年前に姿を消した幼なじみの昴流の身を案じていた……。 (※この作品はエブリスタにも投稿しています)

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

お料理好きな福留くん

八木愛里
ライト文芸
会計事務所勤務のアラサー女子の私は、日頃の不摂生がピークに達して倒れてしまう。 そんなときに助けてくれたのは会社の後輩の福留くんだった。 ご飯はコンビニで済ませてしまう私に、福留くんは料理を教えてくれるという。 好意に甘えて料理を伝授してもらうことになった。 料理好きな後輩、福留くんと私の料理奮闘記。(仄かに恋愛) 1話2500〜3500文字程度。 「*」マークの話の最下部には参考にレシピを付けています。 表紙は楠 結衣さまからいただきました!

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...