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悪役令嬢は現実と対峙する
しおりを挟む目を開くと、目の前には見知った顔があった。驚いてビクリと身体が揺れる。
「悠里兄ちゃん大丈夫?」
「あ、ああ」
「珍しいな。悠里兄ちゃんがぼうっとするなんて」
「ちょっと考え事をしていたんだ。すまないな」
ユーリは硬い笑顔を浮かべながら一つ下の弟の頭をくしゃりと撫でた。それを見ていた他の弟妹達が騒ぎ立てる。
「ずるいー! 私も」
「俺もー!」
悠里は苦笑しながらも、全員の頭を順番に撫でた。最後の一人を撫で終わり、己の掌をじっと見つめる。――――懐かしく感じるのは何故だろうか。
そんな悠里の戸惑いに気づいたのか、悠里の隣を陣取っている一つ下の弟が心配そうに声をかけた。
「本当に大丈夫?」
「ああ。ただ……なんでみんな俺に頭撫でられたがるのかなって不思議に思っただけだ」
「なんだ、そんなことか。それは、単純に俺達が悠里兄ちゃんのことが好きだからだよ」
「そう、か」
そうそうと頷く、一つ下の弟。かと思えば、すぐに何かを思い出したような顔になり悠里を見た。
「そういえば!」
「ど、どうした?」
ずいっ!と一つ下の弟が真剣な顔を悠里に近づける。
「悠里兄ちゃんまた告白されたんだって? しかも、今度の相手はモデルの子らしいじゃん」
「な、なんのことだ?」
素で困惑している悠里を見て一つ下の弟はこれはダメだと首を横に振った。
「出たよ。ほんと悠里兄ちゃんて恋愛に興味無いよなー! なんで?」
「なんでと、俺に聞かれても……俺にもわからないと言うしか……」
「もったいない。悠里兄ちゃんなら選り取り見取りだろうに」
そう言われることはよくある。けれど、こればかりは仕方ない。悠里にだってよくわからないのだから。――――やはり、俺は何処か欠落しているのだろう。
悠里は苦笑して誤魔化した。一つ下の弟は呆れた顔を止め、真面目な顔で悠里をちらりと見る。
「ちなみに、家族のことは、好き?」
「それは、もちろん」
「なら、いいや!」
そう言って嬉しそうに笑う、一つ下の弟。悠里はホッと息を漏らした。
――――俺には恋愛の好きはわからないけど、家族への好きはわかる。そして、家族はこんな俺でもいいと受け入れてくれている。それだけで充分だ。
みゃー
ぴたりと悠里の動きが止まる。
「いま、ネコの声が……」
「え?」
いつの間にか悠里の足元に黒猫が座っている。黒猫はじっと悠里のことを見つめていた。無意識に悠里は黒猫に向かって手を伸ばす。
「悠里兄ちゃん待って! その猫なんかおかしいって。触っちゃダメだ!」
伸ばした手が止まる。
その時、悠里に話しかけるように黒猫がもう一度みゃーと鳴いた。
――――ネコが俺を呼んでいる。
「悪い。俺、行かないと」
悠里はそう言ってネコを抱き抱えた。戸惑った様子の弟妹達に片手を上げる。――――偽物だとしても、お前達の顔をもう一度見れてよかった。
二人を中心に闇が広がり、世界が暗転する。
そして、再び目を開けた時、ユーリは薄暗闇の中で一人立っていた。どうやら立ったまま意識を飛ばしていたらしい。
目を凝らして周りを見渡せば、ユーリの近くでアンネとレオンが、少し離れたところで他のメンバーが倒れているのが見えた。血の気が引く。
「アンネ! レオン! 皆っ!」
ユーリの声に反応するように皆身動ぎし、呻き声が上がった。どうやら、皆生きてはいるようだ。
一安心した瞬間、「みゃー」とすぐ傍でネコの鳴き声が聞こえた。
驚いて下を見ると、足元にネコがいた。
「ネコのおかげだな」
返事をするようにネコが「みゃっ」と鳴く。心なしか胸を張っているような気もする。こんな時だというのについ顔がにやけた。
「ふ、ふふふ。おまえか、おまえが魔王様の依代だったのか」
にやけていたのはユーリだけではなかったらしい。
先程多くの命を奪った男が恍惚とした表情を浮かべ、ユーリに近づこうとする。思わずユーリは後ずさった。――――気持ち悪い。
ユーリの顔が変質者と出くわした時と同様の顔になる。
それでも、男の浮かれた足取りは止らない。ユーリとの距離をどんどん縮めていき、ふと足を止めた。
「? なぜ正気を保っているんだ? まだ同化していないのか? そういうものなのか?」
「何を言っている?」
「もしかして……まだ捧げモノが足りないのか?」
首を捻り考え事をする男。その間に、アンネやレオン達は起き上がっている。ユーリが安全圏まで離れるようにアイコンタクトを飛ばす。レオンは心得ているように静かに皆を下がらせた。
だが、アンネだけはユーリの側を離れようとしなかった。そのアンネに向かって、男が襲い掛かる。
ユーリは慌てて二人の間に身体を滑り込ませ、暗器で男の攻撃をいなした。
しかし、相手も相当の手練。いなされた暗器はそのまま手放し、すぐさま別の暗器を取り出して次の一手に移る。
――――間に合わない!
直感したユーリは己の腕一本を犠牲にして、攻撃に出るつもりだった。
しかし、その瞬間ネコが男に向かって跳躍した。
「ネコっ!」
ユーリが手を伸ばすが間に合わない。
ネコに対して無警戒だった男は、驚くだけで避けることすらできなかった。
「なっ」
ネコが男の胸元を前足でトンッと触れた瞬間、男の意識は刈り取られた。そのままバタンと倒れる。
「え?」
ユーリは驚き、男に近づくと確認の為触れた。
「死んでる……」
「みっ、みゃっ」
男の下からひょっこり顔を出したネコ。こんな時じゃなければ満面の笑みを浮かべて抱きかかえたことだろう。しかし、今は困惑が勝っている。
「ネコ……おまえ」
「ユーリ! 離れろ!」
グイッと強引に身体を後ろに引っ張られ、何かに背中をぶつけた。
気づけば、ユーリはレオンの腕の中にいた。
アンネは杖を構え、ユーリ達の斜め前に立っている。他のメンバーも後ろでいつでも戦闘態勢に入れるように構えている。
「皆……大丈夫そうだな」
「っアホかおまえは! もっと危機感を覚えろ! 今危機的状況だったのはおまえだろうが!」
耳元で叫ばれ、思わずユーリは目を閉じた。
文句を言おうとしたが、レオンが今にも泣きだしそうな顔をしていることに気づいて口を閉じる。
「お願いだからっ、もっと自分のことを大切にしてくれ」
ぎゅうっと抱きしめられる。ユーリの首筋にレオンの顔が埋まった。
「くるしっ」
「? ちょっ! 私のユーリに何をしているんですか?!」
アンネはレオンを押しのけ、勢いのままユーリにタックルする。若干息が詰まったが何とか抱きとめることができた。
「無事でよかった。お願いだから無茶はしないで」
ユーリの胸元に顔をうずめるアンネ。アンネにとってユーリは唯一の同郷だという自覚はある。
「悪い……」
ユーリはアンネをそっと抱きしめ返そうとした。
「そこまでだ。今は他にやるべきことがある」
鋭い声で制止をかけ、二人を引き離すレオン。アンネは一瞬舌打ちをした後、ユーリから離れた。
ふとレオンが剣を向けてる先を見る。その先にいたのはネコだった。
ユーリが慌ててレオンを止めようとするが、アンネに止められる。どうしてと顔を向ける。
アンネの視線はネコを捉えたままだ。
「ずっと、おかしいと思っていたのよ。ネコなんてこの世界にはいないはずなのに……可愛い見た目にすっかり騙されていたわ」
「アンネ? いったい何を言って」
戸惑うユーリにアンネが叱咤する。
「ユーリ! 現実から目を背けないで! ユーリだって本当は気づいているんでしょ?! ネコがこの世界にとっての異物だってこと! 私達と同じように」
アンネの指摘にユーリの顔から感情が抜け落ちた。
そう……ユーリは気づいていた。
ネコが本来この世界に存在しないことも。この世界にとっては異物だということも。
でも、そうだとは認めなくなかった。
ネコが、自分達が、この世界にとって異物だとは思いたくなかったから。
アンネは不思議と受け入れているようだが、ユーリには受け入れることができない。
ユーリにとって前世は前世、今世は今世。前世の家族は悠里の大切な家族であり、ラインハルトやニコラスはユーリの大切な家族だ。
乙女ゲームのユーリ・シュミーデルと『私』は性格も何もかも違うかもしれないが、それがどうしたというのだ。
この世界のユーリ・シュミーデルは『私』だ。
だから、ネコも異物ではない。ネコは『ネコ』だ。
ユーリにとってはただの可愛いペットでしかない。それでいいじゃないか。
そう思っているのにユーリは口を開けないでいる。気づいてしまったから。ネコがこの世界に存在する理由に。
ネコは自分に切っ先を向けているレオンでもなく、杖を構えているアンネでもなく、ユーリだけをじっと見つめていた。
まるで、全てをわかっているように。いや、きっと全てをネコは知っていたのだろう。
ユーリは止めようとするレオンやアンネを制してネコに近づいた。
「ネコ。おいで」
「みゃー」
膝をつきユーリが両手を伸ばすと、ネコはとことこと歩きユーリの手に頭をこすりつける。
その様子にレオンとアンネが動揺する。二人に見えない位置でユーリは苦笑した。
「おまえ、最初からこのつもりで私の前に現れたんだな」
「み、みゃー」
気まずげに頭を下げるネコ。どうやら、しっかり人間の言葉も理解しているらしい。
仕方ないなーとユーリはネコを抱き上げ撫でる。気持ちよさそうに目を閉じるネコ。
しばらくの間ネコを堪能した後、ユーリは深い息を吐きだし、声を張り上げた。
「皆、ここからすぐに離れてくれ! ネコが魔王を抑えてくれている間に私が倒すから!」
そう言っている間にもネコの四肢からはもやのような闇が漏れ出ている。ネコの身体がぷるぷると震えている。いったいいつから我慢していたのか。堪らずユーリは声を張り上げた。
「お願いだから! 早く!」
ユーリの気持ちが通じたのか、バタバタと足音が聞こえる。気配が遠のいていく。
ユーリはネコを抱き寄せ、囁いた。
「大丈夫だ。私が本気を出せばすぐに終わる。すぐに逝かせてやるからな」
「みゃー」
申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに鳴くネコ。ユーリはそっとネコを離して立ち上がった。剣を鞘から抜き、己が今使える全力の補助魔法をかける。対人間なら塵すら残さずに消し炭にしてしまうような闇魔法だ。ユーリしか使えない固有魔法。
己の危機を感知しているのかネコの身体がぶわりと大きく膨らむ。
「み、みみみみみ」
ネコはブルブルと震え、何かに耐えている。
ユーリはぐっと下唇を噛んだ。――――魔王相手だって遅れを取らない。絶対にこの一太刀で倒してみせる。だから、ネコもう少しだけ耐えてくれ。
「ふっ」
ユーリが意を決して、剣を振り上げたその瞬間
「ダメー!!!!!!!!」
横から強烈な衝撃が襲ってきた。
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