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第一章

プロローグ

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 ヴィリーはひたすら扉を叩いていた。できるだけ激しく、部屋の中にもしっかり音が聞こえるように。けれど、いくら叩いても部屋の中からは物音一つ聞こえてこない。

 ――――やはり、いないのだろうか。

 叩くのを止め、コツンとおでこを扉につける。

「アルマ……」

 切ない呼びかけに返ってくる声はない。落胆とともに右手が疼き始める。それもそのはず。ヴィリーが硬い扉を叩き始めてからゆうに三十分以上が経っていた。おでこを離し、ヴィリーはジンジンする右手を左手で労わるように包み込んだ。そして、開かずの扉を切なげに見つめる。
 いきなり扉が開いて、「いらっしゃいヴィリー!」と笑顔で迎え入れてくれるアルマの姿を想像する。胸が締め付けられた。やはり、諦められそうにない。

「こっちですこっち!」

 ヴィリーの妄想を壊すように、階下から女の甲高い声が聞こえてきたかと思うと複数の階段を駆け上る音が聞こえてきた。
 ヴィリーはぎょっとして階段の方を見た。

 二人の男が現れた。彼らが何者かはすぐにわかった。どちらも警備隊の服を着ていたからだ。
 彼らの後ろから恰幅のいい中年の女が顔を出し、ヴィリーを指さして叫んだ。

「あの男よ!」

 その言葉を合図に警備隊がヴィリーに飛びかかった。ヴィリーは抵抗する間もなく拘束された。武術の心得など皆無のヴィリーにはどうしようもなかった。

 数十分後、駐在所に連行されたヴィリーは大人しく事情聴取を受けていた。通報を受けた警備隊のテオが拍子抜けする程に。

 通報内容では悪質なストーカーだという話だったのだが、どうもそうは見えない。もちろん、警備隊相手にそう見せかけているだけの可能性は十二分にあるのだが……。

 ヴィリーの話によると例の部屋の持ち主————アルマとは二年前からの付き合いだという。二人の仲は順調で、結婚の話も上がっていたらしい。実際にそんな話が出ていたかどうかは調べなければわからないが、少なくともヴィリーが見せてくれたアルマとの絵姿を見る限り二人が付き合っていたというのは間違いないだろう。今の二人の関係性についてはわからないが。

 テオはちらりとヴィリーの顔を見た。先程までは帽子を被っていたせいでどんな容貌をしているのかわからなかったが、今はよくわかる。ヴィリーは男の自分から見ても整っている顔をしている。背も高いしスタイルもそこそこ。王都でも通用する風貌だ。だからといってそれを鼻にかける性格でもない。稼ぎはあまりないようだが、それでもそこそこモテるだろう。

 それに比べて、視線を手元の絵姿に落とす。
 アルマはよく言えば素朴な、悪く言えば地味な風貌だ。もちろん、これはあくまで絵姿から得ただけの印象。実際に会ってみればまた印象は変わるだろう。もしかしたら、愛嬌たっぷりで、器量良しの、魅力的な女性なのかもしれない。

 ただ、テオとしては目の前の男がアルマをストーカーしているというのはピンとこなかった。むしろ、ヴィリーに気がある女性がアルマに危害を加えたという方がしっくりくる。それか、結婚を前にしてアルマが及び腰になって逃げだしたとか……。
 とにかく、男女の仲というのは他人が思うよりも複雑なものだ。特に結婚間近のカップルにトラブルは付き物。
 テオは改めてヴィリーに視線を向けた。

「それで、どうしてあんなことを? 」
「俺は……ただアルマに会いに行っただけです」
「あんなに激しく扉を叩いて? いくら付き合っている相手の家だとはいえ、一人暮らしをしている女性の家を何度も訪ね、あのように扉を叩いていたら不審者として通報されても仕方ないと思いますが?」

 言われてから気づいたのかヴィリーの顔色が青ざめる。そして、がくっと頭を垂れた。

「すみません。でも、心配でたまらなかったんです」
「心配? 何かあったんですか?」
「はい。実は……一ヶ月程前からアルマと連絡がとれなくなったんです」
「一ヶ月前から?」

 なんとも微妙な数字だ。テオは眉間に皺を寄せ黙り込んだ。代わりに今までテオの隣で黙って聞いていた後輩ヘルマンが口を開く。

「もしかして、派手に彼女と喧嘩したとか? たとえば、結婚式の準備についてとか」
 図星だったのかヴィリーの表情が強張る。
「それはっ、でも、そんなことくらいで」
 やはり、としたり顔でヘルマンが首を横に振る。
「いやいや。彼女にとっては『そんなことくらい』じゃありませんよ。女性にとって結婚式は一生に一度の晴れ舞台なんですから。正直、それが原因で避けられているのだとしたら今は距離を置いた方がいいと思います。でないと、「やっぱり結婚はしないわ!」とか言われちゃいますよ! ちなみにこれは俺の実体験からの助言です」

 真面目な顔でヴィリーを諭すヘルマン。ヴィリーは青ざめたままで口を閉ざした。
 けれど、しばらくしてヴィリーは首を横に振る。

「いや、それでもやっぱりアルマが僕を避けるなんておかしいです。絶対何かあったはずです。いつもなら喧嘩した次の日にはアルマから謝ってくるのに……アルマはぎすぎすした雰囲気が苦手だから。それに、ここ数日バイトも無断欠勤をしているらしいんです。アルマは今まで一度もそんなことをしたことないのにっ!」

 ここにきて新たに出た情報にテオだけでなくヘルマンも顔を顰めた。ヴィリーを避けているだけならともかく、バイトを無断欠勤しているというのは確かに引っかかる。
 テオが口を開いた。

「アルマさんのバイト先を教えてもらえますか。我々も確認してみます」

 バイト先がヴィリーに教えていないだけの可能性もある。アルマがヴィリーを避けているのなら特に。
 けれど、ヴィリーは興奮した状態で立ち上がりテオに顔を近づけた。

「アルマを探してくれるんですね! 見つけたら僕に一番に知らせてください!」
「っ落ち着いてください。まだ、探すとは言っていません。まずは、事件性があるかどうかの確認をとらないと」
「は? そんな悠長なことを言っていてアルマに何かあったらどうするんですか! あなた達が責任をとってくれるんですか?!」

 さきほどまでの大人しいイメージから一変し、鬼気迫る勢いだ。婚約者が行方不明になっているのならそれも当たり前のことかもしれないが、だからといってヴィリーの言う通りにすることはできない。警備隊には警備隊のやり方があるのだ。テオとヴィリーは黙って数秒間見つめあった。痺れを切らしたヘルマンが立ち上がろうとしたのをテオが止める。

 テオは落ち着くように再度ヴィリーに声をかけた。ヴィリーはしぶしぶ椅子に腰かける。ヴィリーが落ち着きを取り戻したのを確認してからテオはある提案を口にした。

「そこまで心配なのであれば、に依頼してみてはどうでしょう?」
「彼?」

 ヘルマンはすぐに思いついたのか「ああ!」と声を上げた。

「確かに! ならいつでも手が空いているし!」

 なかなか失礼な発言だが、この場には注意する人は誰もいない。もし、彼がこの場にいたら文句の一つくらい言ったかもしれないが……いや、事実なので言いたくても言えなかっただろうが。
 ヴィリーは藁にも縋る思いでその『彼』について尋ねた。

「彼、ダニエルは『探偵』なんです」
「探偵?」
「そう。辺境ここでは聞き馴染みないでしょうが王都ではダニエルのような『探偵』は珍しくありません。彼らの仕事は私達の仕事と似ているようで非なるもの。我々のようなしがらみが無い分、臨機応変に対応してくれます。ヴィリーさんの切なる依頼も彼ならきっと請け負ってくれるはずです。ですから、ぜひ、訪ねてみてください。ダニエル探偵事務所を」

 そう言ってにっこり笑ったテオの顔は何となく胡散臭く見えた。が、他に方法もないヴィリーは頷くしかなかった。
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