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第7話 ツキ La luno
しおりを挟む満月の夜に、坂の多い田舎町を散歩している。
飼猫に勝手に前を歩かせ、わたしは早くこの町と縁を切りたいなあと思いながらゆっくりついていく。
階段、坂道、階段、細道。
山の斜面に、こんな通路が網のようにつくられてあり、住民は、近所を訪ねるにも、中心街ヘ行くにも、のぼりとくだりをくりかえさねばいけない。
しかし日中は、この細い坂道に、いろんな国のことばが響くのだ。
たとえば、英語、フランス語、スペイン語。あるいはひときわ大きな声の中国語……。
彼ら、海のむこうから観光にきた人たちは、この不便で退屈な土地のなにを、よいものと勘ちがいして訪れたのか。
住民が毎年減っているせいだろう、わたしがいまいるような、町の中心部からすこし離れた地域では、夜道に人の気配はなく、月光だけがさあさあと音を立てて降るよう。
おや、猫が立ちどまった。
家と家にはさまれたごくせまい道の入口で、なにかの匂をかいでいる。
鳥の死骸でもあるのだろうか?
暗がりの奥に入っていかないよう猫を抱きあげようとしたら、するり、猫はわたしの手を逃れ、細道を小走りに駆けていく。
わたしはあわてて後を追った。
あのなまけ者にまだ長く走る意欲があったのか。
すこし驚きつつ、わたしも走る。
両脇の家々から不審者と見られないか恐れたけれど、そもそもどの家にも明かりがついていない。
道が明るいのは、上から降る月の光に照らされているためだった。
角がまるくなった石段を上がり、苔がこびりついたお墓のそばを通ってちょっとくだる。
すぐにまた上がって、放置されたブラウン管テレビや洗濯機をよけて奥へ、奥ヘ。
その先に、コンクリートの低い塀だけを残し家屋は撤去された、空地があった。
そしてそこで猫とわたしは――
――なにこれ?
なぞの物体に出くわしたのだった。
それは半球状で、表面が白く、見た目は半分に割ったピンポン玉、ただしわたしが全身を伏せて乗れるくらい、大きかった。
うちの猫は、その半球体の匂をかいだ。そして前足でかりかりとひっかいた。
すると球がぽうと鈍く光った。それから地面にゆっくり沈みかけ、なにかにさえぎられたようにまた戻った。
光を弱く明滅させている球の様子を見るうちに、もしかしたら、これは月ではなかろうか、と思いつく。
月なら真上にあるでしょう? ええ、たしかに。だからこれは「次の月」なのだ。
いまの月が欠け、空から退場してから姿を現すはずの、次の番の月が、浮かれたのかまちがえたのか知らないが、先走って出てきてしまったのだろう。
そして、しまったとあわてたものの、一度出てしまうとたぶん後ろに引っこめないのだ。こまったあげくこんな場所にこっそり隠れている。
まあ、まったく身を隠せていないけれども。
わたしの考えを口にして、そうなんでしょう、と問いかけると、月らしき球は光を消して沈もうとした。当然沈めずにまた浮きあがる。
もっと小さくはなれないの? と訊いても黙っている。なれないらしい。
今宵は満月で、次の月の出番までまだまだ日数がかかるのに、どうするつもりなのか。
昼間、悪ガキたちに見つかりでもしたら、つつかれ叩かれ、あげくの果ては割られてしまうだろう。
あるいは写真に撮られ、どじな月を見つけた、とSNSでさらし者にされるかもしれない。田舎の子どもはとくに残酷なのだ。
このまま放って帰るのもかわいそうだが、どうしよう。
迷っていると、わたしの飼猫が目を細め、くわーとあくびをするように口を開けた。
大きく、大きく、開いたその口は、目の前の月を――すっぽりするん! 地面にもぐっていた部分ごと、まるまる一呑みにしてしまった。
ぺろりと舌を出して口を舐め、ついでに前足を上げて舐めては、自分の顔をなではじめる猫。
驚いたわたしは、猫を抱きあげその口もとを見つめる。
お腹もさわって調べたけれど、別に膨れてもいない。
ひとまず安堵、猫の鼻先を指でちょんとつついて言う。
――出番が来たらちゃんと出してあげるのよ。
猫はちらりと目を光ひからせ、でもいつもと変わらぬ声で、ニャアと鳴いた。
地面に下ろしてあげると、猫は飼主を放ってさっさと細い坂道を帰りはじめた。
わたしはその後をまたぶらぶらついて歩きながら考える。
――今夜のような出来事は、この町の猫たちには珍しくないのかもしれないな。
月だの星だの、うっかり者ものたちをちょくちょく呑みこんでは、その平和なお腹のなかにしばらく滞在させてあげているのかも。
うちの猫といい町の猫といい、わたしがお腹をなでてあげるたび、ぐるうぐるぐる、とふしぎな音を出していたけれど、あれははたして猫が出した音なのか、お腹の月が出した音なのか。
いま空から足もとを明るく照らしてくれている月も、この手がお腹ごしになでてあげたことがあるのだろうか。
もしそうだとしたら――この町は意外と、退屈な場所ではないのかもしれない。
Fino
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