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第四章  夏の嵐

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「はあ、何やってんだろ私……って言うか一体何をどうしたいんだやろ」

 美琴は人目も気にせず……確かに美琴自身はそうなのだが実際若い女の子が一人で、しかも人目にも拘らず滂沱の涙を流しながら歩く姿はしか道行く者達にとってある意味ホラーまたはシュールに映った事だろう。

 そんな美琴へ何回かナンパ目的の青年達はチャンスだとばかりに声を掛けてきた。

 彼氏とでも喧嘩若しくは別れ話でもあったのだろうと邪推する者達にしてみれば美琴は恰好な獲物であり、上手くすればそのまま近場のホテルへ連れ込めると算段し画策を試みたのだが当の美琴の耳にはほんの少しも届く事はなく、涙を流し虚ろな表情でとぼとぼと一人歩いているのである。
 その様子に最初は盛っていた男達も『おい、もしかしたらヤバい薬でもやってんじゃね』などと言い始めれば『俺厄介毎はパス~』と言って一人二人と美琴より自然と離れていった。

 そうして美琴は何時の間にか海〇館を出て近くにある海の見えるウッドデッキスペースへと来ていた。

 まあここはカップル達が海上に浮かぶ夕日や夜空を見る大阪港のダイヤ〇ンドスポットと言われ、ロマンチックな時間を過ごすにはもってこいな場所である。
 時間も丁度夕暮れ時で美琴の周りにはちらほらと何組かのカップルが平日にも拘らず見かけられた。
 当然その中でぼっちなのは美琴ただ一人な訳で……。

 凪いだ海を静かに見つめながら美琴は一人思いを巡らしていた。



 柾兄が好きなのに、柾兄しか好きじゃないのに何で?
 どうして何回か一緒に出掛けただけの龍太郎なんかにどうしてこんなに――――。

 美琴の心の中では轟々と大きな音を立てて嵐となって蠢いていた。
 幼い頃よりずっと好きだった従兄の柾。
 美琴にとって柾は誰よりも大切で愛しい存在。
 そして美琴の柾への抱く想いは今も昔も、そしてこの先永遠に変わる事のない純粋で一途な想いだった筈。

 なのにだっ、突如柾の帰国と共に現れた龍太郎にファーストキスを奪われ、最初はなんて野蛮な奴と美琴は認識したものだったのだがしかしそれ以降の龍太郎は違った。
 いや、性格的にはあまり変わりはないと美琴は思っている。
 だが龍太郎は時には吃驚するくらい紳士的で大人な男だと思わせる半面、そうゴージャスなデートを仕掛けてきたかと思えば美琴の年齢に合わせたカジュアルな、映画を見たりカフェでお茶をし、たまにはウィンドウショッピングへと誘うのだ。

 それもただのウィンドウショッピングだけじゃあない。

 河原町通りにあるにある大きな本屋へ連れて来ては美琴に今現在必要な参考書をドンピシャでチョイスするだけでなく、プレゼントだと言って高額にも拘らず買ってくれたりする。
 龍太郎の気前の良さに流石の美琴も驚愕しさり気なく断ろうと試みるのだけれども……。

『腹が減ったな。じゃあカフェで美琴がご馳走してくれればいいだろう』

 と満面の眩い、それこそ龍太郎の武器でもあるスパダリイケメンスマイル……然も色気駄々洩れ状態の笑みを湛えた状態で乞われれば普通の女子……いやいや恋愛に疎い美琴でさえも断る事は出来ず、結局店内に併設されたカフェでご馳走をする事で手打ちとなった。

 そして二人の食べたものは当然の事ながらハヤシライスとコーヒー、そしてデザートは言うまでもなく某作家の代表作に因んだ檸〇だ。

 丸〇のカフェでも代表的なメニューは何時もながらにその味は裏切らない。
 何時もここへ来ると本を買う買わないどちらにしても美琴はここでこのメニューを好んで食べていた。

 そう、何時もと変わらない昔ながらの味。

 ただ何時からなのかはわからない。
 真凜とでもなく、龍太郎と何度かこうして一緒にお茶をしたり食事をする事がだんだん嫌でなくなってきている自身を美琴は何となく不思議に思っていた。
 
 そうして二ヶ月が経過する頃には嫌だ嫌だと嫌だ口では言いつつも、何処か口角の緩むのを隠せずまたそんな自身の変化についさっきまで美琴は全く気付かなかったのである。

 幾ら恋愛経験値0レベルだからと言っても、いや、だからこそなのである。

 今まで恋愛らしい恋愛をしてこなかった故の結果なのだ。

 異性と碌に付き合う事もなく成長した美琴だからこそ、海〇館で唐突に気づいてしまった美琴の心の中にある芽生えた二つの感情に大いに戸惑い、そして途轍もない罪悪感と恐れに苛まれるのと同時に気づいてしまった感情へ対処出来ない状態となる。

 そんな美琴が出来たのは兎に角逃げる――――の言ってしか思い浮かばなかった。
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