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第四章 夏の嵐
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しおりを挟むその頃柾は特別室のベッドの上だった。
顔色も優れずぐったりと痩せこけた頬と青白い身体の柾の傍にいるのは七海だ。
朝比奈の家にいる間の柾は作られたもの。
何故なら顔色の悪さを美琴に隠す為に柾は七海によって化粧で誤魔化しているのだ。
身に着ける洋服も痩せた体型を誤魔化す様なものばかりをチョイスしていた。
癌は既に肺にまで転移をしている故に呼吸をするのも最近では酸素が必要不可欠となりつつあるのにも関わらず、何故か柾はそれを頑なに拒否している。
愛おしい美琴の前では何時までも元気な自分でいたい――――それが柾の切なる願いであり、現時点で柾たるものを支えている彼の矜持なのかもしれない。
だが不思議な事に柾は美琴の前だけでは辛い筈の呼吸苦を一切訴えないし、また七海と龍太郎から見ても癌に侵されている様相には見えないのである。
ただ美琴と言う柾の唯一の存在の姿がなくなれば話は別だ。
柾の自室には在宅用の酸素とマスクが常備され、それだけじゃあない。
幾つもの点滴と点滴スタンドや吸引機にモニター、AEDこそは置いてはいないがちょっとした処置の出来る環境へと整えられている。
柾の急変に対応が出来る様に周平が整えたのは言うまでもない。
そして勿論柾の帰国後より美琴にこちらの家には出入りをさせてはいない。
でも決して彼女を言葉で拒絶をした訳じゃあない。
そう、七海と言う存在が美琴を柾のいる家へと来させない為のストッパー役となしていたからである。
だから美琴は今現在柾の身体の状態には何も気付いてはいないと言うか、柾とその周りの人間達によって気づかせては貰えていない。
七海がストッパー役ならば龍太郎の役割は柾の代役と言ったところだろうか。
ただ龍太郎が本気で代役に徹しているのかは甚だ謎――――である。
それに関しては依頼した柾自身、龍太郎の意図を完全に把握出来ている様で把握出来ていない部分があるのかもしれない。
しかし柾は揺蕩う浅い微睡みの中で思う。
龍太郎の美琴を見つめる眼差しは自分と同じ……いやそれ以上なのだと。
それは先の短い身にしてみれば寧ろ有難いのかもしれない。
だがそれはむしあくまでも愛する者の行く末を案じれば――――だっっ!!
今も尚現在進行形で柾はまだこの世に生きて愛する者と出来るだけ共に生きたいと、切望する俗物なのである。
親友の心遣いとその心は素直にとても嬉しいものだけれどもだっ、まだまだ柾自身それを手放しで喜ぶには己を律してはいないし、まただ己が死を受け入れてはいないのだ。
この世は何と不条理なモノなのだろう。
たった一つ――――そう、美琴の心だけを柾は常に欲していただけなのに、そうして待ちに待ったゴールは目の前だったと言うのに、今はもうその光輝いていたゴールを見る事は出来ない。
その余りの切なさや悲しさで柾自身もう涙すら出てこない。
「柾……起きたの?」
そっと七海は柾を覗き込む。
「あぁ少し夢を見て……いたよ」
「ふふ、また美琴ちゃんの夢?」
「ん、あぁ美琴と……龍太郎の夢、かな……」
「そう……」
七海は何も聞かない。
あの事件で七海は反省と後悔をしていた。
最初から望みのない恋だとわかっていたのに、芝居だと理解していた筈なのについ柾の愛する存在を前にしてみれば抑えていた恋心が暴走し、本物の柾の婚約者気取りで舞い上がった末の愚かな行為へと及んでしまった。
反省した七海はそれ以降己を強く律し出来るだけ柾のサポート役へと徹する事にしたのである。
それが当然報われない恋心だとしてもだっ、七海の抱いた柾への想いは本物だから、この恋を見事昇華させる為にも七海は想いへ蓋をする事なく、その想いのまま柾の願いを成就する事だけを願うのみである。
でも七海は時折思うのだ。
七海は報われないと知りつつも柾の病を知り、そして彼の最期を看取る幸せを手に入れたのだが、柾の最愛の存在である美琴は彼の重過ぎる愛故に真実を知らされる事なくまた彼の死を看取る事が果たして許されるのかと――――。
美琴の立場を思えばそれは美琴にとって果たして幸せなのだろうかと。
永遠の愛を受け取れない七海は柾の傍近くにいる事が出来るだけでなくこの限られた時間を共有する幸せは何物にも代えられない。
だが美琴は――――美琴自身にとって何れ必ず訪れる柾との別れに彼女の心は耐えられるのか、美琴を知れば知る程七海にとって柾の行動は理解出来る反面理解し難いものを感じられてならない。
そう七海は美琴の立場を自身に置き換えて考えてみればこれ以上辛い別れはないだろうと思う。
しかし目の前の柾へそれを問いかける勇気を七海は言い出せない。
一言美琴の事を思えば彼女へ真実を告げればいいだけなのかもしれない。
でもそれをしないのは真実を知った美琴にこの場所を奪われるだけでなく、柾の信頼を裏切った結果彼に失望され、最期に与えられた柾を看取る幸せすらも奪われるのかもしれないのである。
いや、まだそれは何も決まった未来ではない。
あくまでも七海にとっての最悪なシナリオに過ぎない。
そう未来はまだ何も決められてはいない。
だからこそ七海は困惑し続ける。
医師として、また人間としての正しい判断に踏み切れないまま、時間は刻一刻と無情に過ぎていくのであった。
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