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第二章  はじまりは春

22  美琴Side

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「ふぁ……んっっ」
「ふ、変な声」

 ちゅっと大きなリップ音と共に唇は解放されたけれど、身体はまだ解放されずに片岡さんの腕の中。
 そして私の心はいまだ現実を認識して出来ていないと言うよりもっ、是が非ともここは認識をしたくないと言う方が正しい!!

 でも私を抱く腕の主はそんな私の心情なんて全くわかってはいないのだろう。

 それとも何ですかっっ。
 遠い海の向こうではこんなやり取りは日常茶飯事であって、こんなキスなんてものは軽い挨拶とでも言いたいんでしょうか?

 それに今っ、私を拘束しているこの現状も所謂ハグって言う奴なんでしょうかね!!

 でも残念ながら片岡さん、貴方はそうであっても私は何処までも純粋培養の日本人なんだって言うんだよっっ。

 キスもハグもまーったく慣れちゃあいない日本人なんだって言うのっっ。
 そ、そそそれにキス――――。

「は、初めてだったのに……酷いっっ!!」

 つい漏れ出た言葉は勿論恨み節。

 乙女の、私のファーストキスがこんな形で、しかも初めての相手がしか想い続けた柾兄じゃなくてほぼほぼ何も知らない赤の他人さんだったなんて……ひ、酷い、これって余りにも酷過ぎるっっ。

 私はキッと片岡さんを恨みを込めて睨めつける。

「ふーん、初めて……ね、まあ今はそうしておこうか。取り敢えず帰るぞ美琴」

 何か含みのある笑みと物言いの片岡さんだった。
 でも私にしてみれば現状は好転どころか何も解決なんかしていないのに、何故か問題ばかり増えていく。
 正直に言って一昨日からもだけれどもたった今キスまで……ファーストキスを奪った片岡さんなんか顔を見ているだけでも腹立たしいし、出来る事ならば今直ぐ殴ってやりたいっっ。

 第一ほんの小一時間前に私は家出をしたんだよっっ。
 なのになんでこんな奴と一緒に帰る気なんて毛頭ないしっ、兎にも角にも先ずはこの頑丈な檻からの脱出が先決であって……でも悲しいかな、どう身体をよじらせても全く歯が立たない。

「うぎゃっっ⁉」

 おまけになんなんっっ⁉
 逃げられへん私の首元へ自分の顔を埋めてくるなんて暴挙に出てくるやなんてっっ⁉
 何もかも初めてばかりの体験に私は思わず上げた声は到底乙女らしかぬもので、その声を聴いた片岡さんはどうやらツボに嵌ったらしくくつくつと喉の奥で笑っていたりする。

 全く何処までも腹立たしい奴!!

「ふはっ、俺、今まで勝手に抱き着いてきた女達からでも、こんな気の抜けた声を出されると言うシチュエーションは流石に生まれて初めてだわ。まあ……それこそ俺の美琴だな。これはこれでこの先も色々愉しめそうだ」
「なっ、だ、誰がこの先誰とって……うわっっ⁉」

 柾兄クラスのイケメンがっ、グイっと私の顔のほんの近く……きっと5㎝も離れてはいない。
 これぞ大人の……お互いの吐息すらもわかる距離って奴を片岡さんは突如私へぶっこんできたっっ。

 そして今まで彼氏いない歴=年齢の、恋愛経験0レベルの私が到底敵う筈もなく〰〰〰〰。

「俺はもうお前とは他人じゃあない。書類上では既に片岡姓を抜き朝比奈になっているんだよ。美琴との婚姻届けにもサインは済ませている。勿論承認欄もな。後はお前のサイン一つで今夜にでも俺達は正式な夫婦になれるんだよ」
「嘘……」
「嘘じゃない。仕事上暫くは片岡姓を名乗ってはいるが、それも時機を見て朝比奈を名乗ろうと思っている」
「信じ……られへん」


 そう、全く信じられへんて言うか絶対に信じたくなんかないっっ。
 でもなんで?
 なんで私の知らへんところで話がどんどん進んでいるん?

 目の前で私が混乱しているのがわかったのだろう。
 片岡さんは優しげな、じわじわと熱で溶けそうな砂糖菓子の様に甘く蕩ける様な表情でそっと耳元で囁いた。

「今は信じられないかもしれない。だが俺を選んで後悔はさせない。それにな……さっきの七海の態度も問題だったと俺は思っている」
「え?」

 思わず私は顔を上げればお互いの鼻先がそっと触れ合い、私は慌てて身体を仰け反らせようと試みるも結果は推して知るべし。
 片岡さんの慌てて頑丈な檻からは抜け出せようもなく、私の心臓はこれ以上ないくらいドキドキと煩く打ち続けていく。

 こんな人全然好きやないのになんで……?
 
 それと同時に片岡さんは私と七海さんのやり取りを見ていた事についても、めっちゃ吃驚してしまったのは言うまでもない。
 パパだけでなく柾兄までもが七海さんの肩を持つような、実際にはそうは言われては……いない。
 でも言葉にしなくても何となくわかってしまうやん。

 それはまるで行き成り真っ暗なところで一人ぼっちにされた孤独感からこの人は、片岡さんは私を見つけてくれたんだろうか。
 
 そして私は一体この先どうなってしまうんやろう。

 片岡さんの頑丈で温かい腕の中で私はふと……そんな事を考えていた。
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