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第二章  はじまりは春

21  美琴Side

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 今まで夜の21時を過ぎて外を歩く事は余りなかった。

 五年前より私の門限は19時とパパと柾兄の二人で決めてしまった日以来かな。
 おまけに門限を決めた柾兄はあっと言う間に海の向こう側へ行ってしまったし、でもだからと言って決められた門限はなくなる訳ではなく、その点はパパが何時も目を光らせていた。

 そんな私が21時以降外へ出る時は何時もパパが一緒の時。
 何故かこれだけは美咲伯母さんとでもお許しは出なかったなあ。

 美咲伯母さん曰く『周平君も柾も過保護過ぎ~』って苦笑いしていたけれど実際そうだよね。
 中学は兎も角流石に高校へ行く頃になってもそれは当たり前のルールで、真凜や他の子達とのパジャマパーティーも……実現せず。

 修学旅行なんかごねるパパを説き伏せるのはめっちゃ大変で、高校の時は一週間も行くなんて言えば泣き出しちゃうし、最後には到頭とうとう担任の先生までパパを説得させるのに態々わざわざ病院にまで来てもらっていたっけ。

 今思えばそれも案外いい思い出だったりして……。

 でもこれからはもうパパにも柾兄だって何も言わせないっっ。
 当然の事ながら片岡さんなんてアウト・オブ・眼中だって言うのっっ。
 
 兎に角暫くは何とか真凜の所へ泊まらせて貰って、今までした事がないけれど生きていく為にもまずバイトを幾つか探して掛け持ちでお金を貯めて、うんちゃんと学生アパートを借りられるくらいの貯金はあるから大丈夫――――っと。

 そうして私はこれから先の未来予想図と失恋による胸の、心へぐっさりと刺さりっぱなしのぐっさりと、当分の間は抜けそうもない痛みを抱えたまま真凜がいるだろう学生マンションへと歩いて行けば――――っっ⁉


「な、なんで貴方がここにいるんですかっっ」


 まだ夜は寒い四月の中旬。
 それにも拘らず私は長袖とは言え、小さな小花の散りばめられたワンピース一枚。
 当然の事ながら上着は着てはいない。
 一応ストッキングは履いてはいたけれどもそれはとても薄手のもの。
 部屋で過ごす分にはそれらは決して問題ないけれどまさかね、うんまさかこう言う展開になるなんて一体誰が考え付くと言うのだろうか。

 流石に靴は何時までも下履きと言う訳にはいかないから、玄関で咄嗟に掴んだ履き慣れ少しだけ草臥れ掛けたスニーカー。
 帰ってきた時に仕舞い忘れたのがラッキー。
 だがそれでもだっ、あー数時間前の私に言う事があったなら――――。

『今夜は家出をするからちゃんと厚手のものを着ておくんだよ』

 って言ってやりたいっっ。
 
 まあ残念ながら数時間前の私は自分に会うなんて事はなく、結果こうしてまだ寒い春の夜の京都の街の中をがたがたと身体を震わせながら歩いている訳である。
 でもまあ向かう途中で市バスに乗っての移動も入れてざっと小一時間の距離なのだ。

 目的地は言わずと知れた真凜のマンション。

 この角を曲がって50mも歩けば着く――――って⁉

 その目的地のマンションの前には見覚えのある黒い車が一台止まっていた。
 見覚えのあるその車……あーもしかしなくてもこのマンションに住んでいる誰かの彼氏の車なのかもしれない。

 そうそう幾らなんでも考え過ぎでしょっっ。
 大体私がここへ来るなんて……抑々そもそもそもそもアイツだとすれば真凜のマンションなんて知っている訳がない筈。
 知っていたらはっきり言って逆に怖い。
 だからこれはアイツじゃあなく全く私に関係ない誰かの車なの――――っっ⁉

 かちゃり

 相手も近づいてくる人物がわかったのか、私がマンション前に着くと同時に運転席のドアが開けば、私の想像の斜め上を遥かに飛び越えた人物が悠然と立ち上がり私を見つめているっっ。

 それは傍にある外灯の明かりからでも十分わかるもの。

 ふんわりとした明るい茶色の髪に漆黒の瞳を持つ甘いマスクのイケメン。
 フルオーダーとまでは言わないかもしれないけれども、パパ達が身に着ける服の光沢とよく似ているすっきりとした濃紺のスーツ姿。
 
 あーこういう人が服に着られてはいないって言うんだよなぁ……なんて呑気にも感想なんか思いついたりする私ってどうなん。
 うん、今はそんな事よりも――――。

「なんで貴方が、片岡さんがここにいるんですか?」

 そう片岡龍太郎……パパと柾兄がほぼほぼ一方的に決めた私の未来の夫だと言う。
 私にしてみれば最早この人は宇宙人にも等しい存在。

 確かに柾兄とは正反対なイケメンなのだろうけれどもっ、私は断じて認めてはいないしそしてこれからも絶対に認めないっっ。
 なのにこの片岡さんははっとする程妖艶な笑みを湛え――――。

「待ち兼ねたよ俺の美琴……」

 いやいやいやいや何調子に乗って『』って何時から私があんたのモノになったって言うんっっ⁉

 そもそも結婚云々はパパと柾兄が勝手にやらかした事であって、私には一切関係ない問題と言うか、大体何なん、その駄々洩れの色気ってっっ。
 本来色気云々って女性だけのものじゃあないん⁉
 もしかして男の人にも色気……うーん柾兄からはここまでのもんは感じひんかったし、パパだって……いやいやパパはパパなんだもん。

 えーっと今私は一体に何を……今は色気なんか取り敢えずどうでもいいっっ。
 
「兎に角片岡さんは勝手に先回りなんかしないで下さいって、大体貴方は私にとって赤の他人様でしょう。その赤の他人様が態々親子喧嘩と言うか、従兄妹喧嘩ってなんかややこしいけれどもっ、これだけは言っておきます!!」
「何を?」

 うーんその大人の余裕って言う表情と態度が何とも腹立たしいっっ。

「朝比奈の人間以外の人が勝手にしゃしゃり出てこないで下さいっっ」

 そう、これが一番しっくりくる言い回しよね。
 まあ家族問題に他人が立ち入る事自体、更に物事がややこしくなってしまうんだもんっていう訳で私はすっぱりと言い切り、これで気持ちよく真凜のマンションの中へと入っていこうとしたんだ。

「――――俺は他人じゃあない」

 そう言って赤の他人の片岡さんが通り過ぎようとした私の腕をやや強引に掴んできた⁉

 嘘っっ⁉

「ちょっ、何をしてっっ⁉」
「煩い口は黙らせるに限……」


 一瞬の出来事だった。

 私は腕を掴まれたと同時に片岡さんへと引き寄せられ、有無を言わさず彼の強い腕の檻へと囚われる。
 囚われた瞬間勿論私は精一杯抵抗したっっ。
 でも知らなかったんだ。

 男女の力の差ってこんなにもあるって事を……。

 そしてどんなに抵抗しようとも大人の男の前で小娘は抵抗虚しく、それも思いっきり慣れた仕草で私は顎を掬われそのまま――――文句を言いたい言葉と一緒に彼の唇へと呑み込まれてしまった。

 *もう少しで第二章終わります。
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