Bastard & Master

幾月柑凪

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Bastard & Master 【18】

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【18】





 クリステルはハウスの中で死んだように眠り続けていた。

 壮絶な戦いのあったロッソの森のすぐ側に、彼らのためにハウスを設けてくれたのは、ラインハルトの従者、ダニエルであった。










 命からがら退却を始めた王弟アルバートを、ラインハルトたちは無事に発見した。

「おお! ラインハルトよ! 援軍を寄越してくれたか!」
 たった今まで恐怖に顔を歪めて、パニックに陥っていたアルバートだったが、ラインハルトと合流するなり強気になったのか、従者であるダニエルの力と、ラインハルト率いる精鋭に期待した。

「いいえ、殿下」
 しかしラインハルトは、首を横に振った。
「あの魔人は、精霊王だそうです。それを操れるのは、この世で最強の術師のみ……。私の術師でも、敵う相手ではございません」

 わかっているはずであろう……と、ラインハルトは、アルバートの側で小さくなっている術師を睨み付けた。
 アルバートの術師は、怯えて、更に小さくなった。



「仕掛けてはならない相手だと、先日、ご忠告申し上げたはずでございます。なぜ、踏み止まって下さらなかったのか……私は残念でなりません」
 ラインハルトの冷ややかな物言いに、内心で彼に一目置いているアルバートは、見捨てられたような恐怖心を感じた。

「わ……私は、どうすればよい?」
 縋るように、長身のラインハルトを見上げる。

「今すぐ、白旗を揚げて退却なさいませ。私はここに居残って、後始末を致します」

 後始末、という言葉に、アルバートはまたしがみ付く。
「始末とは、何だ?」

 まだ、ラインハルトが戦ってくれるのではないかと期待している顔だった。
 このボンクラは、それでもラインハルトより十歳も年上であった。

 あのまま捨て置けばよかった……!

 ラインハルトはとうとう、聞こえよがしに舌打ちをした。



「彼らの怒りを静めるのです! 一方的に仕掛けて、怒りを買ったのはどなたです? このまま、フッサールに攻め込まれたら、あなたは帰る場所さえ失う事になりますよ」

 ひぃ……と、アルバートとその一行は首を竦めた。

「急がれた方がよろしいかと……。死にたくはないでしょう……?」

 ラインハルトに冷たい声で脅されて、王弟の一行は大慌てで逃げ去って行った。



 ラインハルトは兵に命じて白旗を掲げる。

 まもなく、精霊王は姿を消し──
 ロッソの森は、何事もなかったかのように、元の姿でそこにあった。










 兵を待機させ、ラインハルトはダニエルを伴って森の中へ足を踏み入れる。

 そこで、あの男に出会った。

 ラインハルトにとって恩人である男に生き写しの表情で、彼の落胤は、大事そうにクリステルを抱きかかえて座り込んでいた。
 少し離れた所で、スピリッツ・マスターらしき少女が、途方にくれたように佇んでいる。



「あんた……」
 落胤が、彼らに気付いて呟いた。

「ジュリアス・ラインハルトと申します」
 ラインハルトが名乗ると、男は頷いた。
「知ってる……俺はレオン。あっちはネリー」

「レオン、その人……フッサールの……」
 ネリーが警戒したような声で言う。



 ラインハルトは我に返った。

 そうだ……
 彼らにとっては、私もまた、アルバートと同じ



 ラインハルトは一瞬躊躇したが、しかし、レオンは首を横に振った。

「この人は、あいつらとは違う。クリステルから、そう聞いている」

 クリステル殿が……
 ラインハルトは胸が締め付けられるような感覚に、苦しい吐息をつく。



「クリステル殿はご無事か?」
 歩み寄りながら問うと、レオンは小さく頷いた。

「一度はちゃんと戻って来てくれた……。でも、気を失ってしまった」
 レオンは言いながら、クリステルの金色の髪をそっと撫でる。

「ダニエル……」
 ラインハルトの声にダニエルは頷いて、レオンとクリステルの側に寄り、屈み込んだ。

「スピリッツ・マスターのダニエルと申します。診せていただけますか?」
 レオンは頷いた。



「あなたが……この方を救ったのですね」
 クリステルに手をかざしながら、ダニエルがそっと訊いた。

「え……?」
 レオンの問うような眼差しに、ダニエルは苦しげな微笑みを返した。

「あのまま放っておけば、この方も無事では済まなかった。それがわかっていながら、しかし私には近付く事も出来なかった。本当に……よく連れ戻して下さいました」
 ダニエルの言葉に、レオンはどこか安堵したような表情でクリステルに視線を戻す。



「どんな具合だ?」
 ラインハルトが後ろから覗き込む。

「ええ……気を失っているだけで、外傷等はありません。しかし、酷く衰弱していらっしゃいます」



 ダニエルは立ち上がると、杖を掲げ、左手は胸の前で印を結んだ。

「我が名はダニエル……。万物に宿りし精霊たちよ。我が呼びかけに応え、我の助けとなれ。カデューシアスの加護をここに与えよ」

 レオンも、一度聞いた事のある呼びかけだった。
 怪我人や病人に医療を施す時に使う術だと、クリステルから聞いている。

 ダニエルの杖の宝石から、あの時と同じように水が滴り落ちた。
 レオンの傷を、クリステルはその聖水で消毒してくれたのだった。

 しかしダニエルは、その水をレオンに示した。

「生きる糧となる命の水です……。彼女に、飲ませて差し上げて下さい」

 ダニエルの言った意味を、レオンは理解した。
 そっと、クリステルを地面に横たえると、レオンは杖から滴る水を両手で受け、それを自分の口に含んだ。

 背後で、ラインハルトが息を呑んだのがわかった。



 レオンはクリステルの側に屈み込むと、その細い頤に手をかけ、形の良い唇にそっと触れた。
 祈りを込めて、命の水を送り込んだ。










 ロッソの森の側にハウスを設け、クリステルの回復を待った。
 しばらく時間がかかるだろうと思われた。
 ラインハルトは兵たちを国へ帰し、ダニエルと二人で彼らの元に居残った。



「ご機嫌斜めですね」
 傍らで、ダニエルが訊いた。

 ラインハルトは、ちらりと彼を横目に見る。



 二人は馬に跨って荒野を進んでいた。
 王弟アルバートの襲撃により、置き去りになってしまったクリステルたちの旅の荷物を取りに行った帰りであった。



 主の力が途絶えたハウスは、その機能を失い、大地に荷物が無造作に転がっているような状態で二人に発見された。
 運良く、雨も降らず、盗賊に荒らされる事もなく、荷物はクリステルがハウスを出た時のまま、そこにあった。
 彼女が作って、誰も手を付けることのなかった朝食は、辺りの獣たちのお腹に納まったらしく、食器は空になっていた。

 それらを乗ってきた馬に荷造りしている間も、ラインハルトは言葉少なく、ダニエルは主人が何を考えているか知っていながら、自分から説明する事を避けた。

 いつもなら、口にしなくとも察する男が、何も言おうとしない──

 それがまた、ラインハルトを無口にさせていた。



「ダニエル……」
 ラインハルトが、口火を切った。
「私は……また、子供じみた事を訊くかもしれない」

「何なりと」
 何と答えるか、ダニエルはもう決めていた。

「なぜ、彼だったのだ?」



 命の水──

 それをクリステルに施すために、ダニエルはレオンを指名した。
 ラインハルトの気持ちを知っていながら、彼の目の前で。
 そうする事に、何か意味があったのか。



 ダニエルは深呼吸するように、大きく息をついた。

「壮絶な戦いでした……。クリステル様は、命を落とされていたかも知れません」

 ラインハルトが弾かれたようにダニエルを見る。

「私は……ジュリアス様にお詫びを申し上げねばなりません。私の力では、あの時、あの方をお助けする事が出来なかった。命の危険をわかっていながら、私の力ではどうする事も……。私は……あの方を見捨てるつもりでした」
 ダニエルの目元が潤み、声が震えていた。
 ラインハルトは声もなく、その横顔を凝視する。



「すべての精霊王を一度に召喚する……。そんな大技、過去の文献にも例がありません。クリステル様は、ご自分の命と引き換えにするおつもりだったのだと思います。運良く死なずに済んだとしても、あの方の精神は壊れてしまわれただろうと……」
「そんな……まさか……」
 ラインハルトの呟きに、ダニエルは頭を振る。
「ええ。まさかと言いたくなりました。正気の沙汰じゃない……と。私は、あの方のお命を、すでに諦めておりました」



 夕刻が近付いていた。
 風が、昼間より涼やかに、二人の頬を撫でて行く。



「しかし、あの方は生きていた。精神世界で消え行く運命だったあの方を、生きて連れ戻したのが……レオン様でした」

 ラインハルトは思い出していた。

 森の中で会ったレオンは、この世ならざる者の如く、気圧されるほど気高い表情で、クリステルを抱きかかえていた。
 切ないほどに大事そうに──

「私は、奇跡を見たのだと思いました。あの時のレオン様なら、クリステル様のお命を必ずや繋いで下さるだろうと……命の水を彼に託したのです」



 ラインハルトは、もはや何も訊く事はなかった。

 自分の知らない所で、クリステルとレオンと、そしてダニエルの、壮絶な想いが交錯していたのだ。



 恋に落ちた平凡な男の想いなど、今は語る術もない……。



 ただ、クリステルが生きているという事実を、神に感謝した。





                                        つづく
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