添い寝屋浅葱

加藤伊織

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玲一編

心配をする人たち

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「出なくていい。そのまま寝てろ。明日も一日寝てろ。カップ麺でもお粥でも何でもいいから適当に食べればいい。ちゃんとしようとするな。面倒だったら風呂にも入らなくていい。別に死にはしないからな。
 月曜になってもまだ動けなかったら会社は休め。原田が駆け込んだっていう病院を教えてやる。今時初診に予約を取らなくていい心療内科は貴重らしいぞ」
「やっぱり病院か……」
「悪化してから行くよりましだと思えよ。だが、まあ、寝ただけで良くなるようなら原田ほどじゃない。いいか、とにかく寝ろ。これは命令だからな」
「命令……わかった。何もしないで寝るよ」

 心細かった気持ちがいくらか楽になって、玲一は通話を終わらせた。
 今日も明日も寝ていよう。何もすることはないし、命令ならば仕方ない。ちょっと井上の言い方がおかしくて笑いが漏れた。笑えたことでなんとなく大丈夫だという気にもなった。彼が命令などという言葉を使ったのは、玲一から判断を奪うためだろう。

 炊飯釜で粥を炊くために米をセットして、もう一度ベッドに戻る。自分の温もりが残っている布団に戻るとほっとするし、目を瞑ればまだ眠れそうな気がした。


 あらゆる判断を放り投げて目覚ましも掛けずに眠れるだけ眠ると、翌日目を覚ましたときには昨日は何だったのかと思うくらいに回復していた。動けることに玲一は安心して、昨日残した粥を食べてからシャワーを浴びた。熱いシャワーを浴びると、わだかまっていたいろいろなものが一緒に流れていくようですっきりとする。
 髪を乾かしているときに着信が入って慌てたが、電話の相手は井上だった。

「生きてるか」
「生きてるよ。お陰様で」
「大分ましな声になったじゃないか。安心した。すぐ食べられるものを買ってきてやったから、あと5分くらいでそっちに着くぞ」
「えっスノボ切り上げて来てくれたの!?」
「家には入らないから安心しろ。じゃあ、一度切る」
「うわぁ……」

 スノボ命の井上がそれを切り上げたという事実に目が回りそうだ。ありがたさよりも申し訳なさが先に立ってしまう。
 生乾きの髪のままで急いで服を着て、一昨日の夜に脱いだ靴が散らばっていた玄関を玲一が少し片付けたタイミングでちょうどチャイムが鳴った。

「心配掛けて本当にごめん……」

 申し訳なさに長身を縮めるようにしてドアを開けた玲一に、井上はスーパーのロゴが印刷された袋を差し出した。中を覗き込めば冷凍食品がみっしりと詰まっている。パスタやお好み焼きなど、レンジで温めればそのまま食べられるものばかりだ。玲一が会社でよく飲んでいる野菜ジュースが一緒に入っているところに、彼の細かさが垣間見えていた。

「気にするな。俺のスノボは毎週だが、お前が寝込むのは滅多にないことだからな。……しかし、思ったよりもまともで安心した」
「井上くんの命令が効いたからね。凄く寝たし、さっき起きたら動けるようになってた。ちょっと前は眠れなかったから、それだけでまだいいよ。――3歩進んで2歩下がった感じだけど」
「一気に3歩歩こうとするからそうなるんだ。歩くのは1歩ずつだ。3歩進んで2歩下がってがっかりするより、1歩だけ進んだ方がきっと気が楽だぞ」
「自己管理の鬼に言われると反論できない!」
「好きなことを思う存分できるのは、健康あってのものだからな。病気になったら仕事ができなくなって、仕事ができなくなったら趣味も満足にできなくなると思ったら、最優先は健康だろう」
「君のそういうきっぱりしたところ、凄く羨ましいよ」

 井上は理論立てて考えたことを感情との矛盾なく実行できている。言われてみればシンプルな理由だが、彼のように「仕事と同じくらい好き」と言える趣味が玲一には思い浮かばない。
 仕事ばかりが生活の中心になってしまうのが当たり前で、井上を羨ましく思った。


「俺――私は医師ではないのでどうするのがいいとは言えませんが、無理はしないほうがいいと思います。むしろ病院へ行ってください」

 いつものように浅葱に添い寝を頼んだ水曜日。
 土曜日に動けなかったということをぽつりと漏らしたら、一瞬の沈黙の後で少し強ばらせた顔を浅葱は玲一に向けてきた。それに併せて怒ったようなむすりとした口調でそう言われて、彼の接客業らしいポーカーフェイスを見慣れつつあった玲一は目を丸くした。

 驚くのと一緒に、彼が普段は俺と言うんだなという事に気付いて、思わず口元が緩む。

「もしも今週末も同じようなことになったら、本当に観念して友人に病院を紹介してもらうよ。
 えーと、なんて言うんだっけ、陽転反応? 具合が良くなるときに一時的にぐっと悪くなるだろう、あれじゃないかと思ったよ。初めてここに来る前は眠れなかったからね。土曜日だけ具合が悪かったけど、今週はむしろ元気なくらいだし、前よりはいいと思えるようになったのは、3時間でもここでぐっすり眠れるからなんだ」

 玲一としては、「土曜日は一旦落ち込んだが、それを除けば前よりは大分良くなった」と伝えたかったのだ。本当に言いたかったのは悪かったことではなく良くなったことなのに、伝え方が少し悪かったのかもしれない。

「では、眠ってください。無理にでも」

 ぱふり、と浅葱が玲一用に置かれた羽根枕を叩いた。表情は険しいままで、早く寝ろと訴えかけてくる。

「怒らせちゃったかな……愚痴っぽい客でごめんね。こんな話聞きたくないよね」
「……怒ってます。愚痴っぽいからじゃなく、あなたが自分を大事にしていないからです」

 言葉だけは丁寧だが、言い方はぶっきらぼうだ。けれど彼の怒りは心配からくるものなのだとわかって、じわりと胸に温かいものが広がっていく。

「笑ってないで寝てください」

 浅葱に言われて、嬉しさが顔に出ていたことに気付く。両手で頬をつまんでから、布団に入ってつい愚痴をこぼしてしまう。どうも自分は浅葱に酷く甘えているようだ。
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