19 / 30
ホットケーキミックスとビスケット
しおりを挟む悠の前にあるボウルに、夏生が横から牛乳を注ぐ。それを悠が捏ねている間に、夏生がしみじみと呟いた。
「ホットケーキミックス、本当に便利だよね。ベーキングパウダーも砂糖も全部入ってるし。あとは水分足すだけっていうのが楽。はい、纏まったら台の上に生地を置いて」
再び夏生と悠が場所を入れ替わった。夏生が大きな手でぎゅっと生地を押す。
「この生地に小麦粉を振りかけて、麺棒で伸ばします。なかったら、手のひらで押してもいいよ。大体2センチくらいの厚みになったら、包丁で適当に切り分けよう。スコーン用の抜き型があれば一番見栄えがいいけど、まず普通の家にあれはないだろうしね」
夏生は手のひらで押して適度な厚みにした生地を包丁で三角形に切り分けていく。ここで真四角じゃなくて三角というところが夏生らしいなと横で悠は思っていた。
きっと理彩にやらせると、妙に大きめの四角に切ったりするだろう。従姉は食に関していささか雑だ。
「オーブンは200度で15分くらい。生地を作り始めてからそれほど時間が掛からないから、余熱を先にし始めていてもいいよ。
オーブンも頃合いだから、切り分けた生地を並べよう。生地同士を近くに置きすぎると、膨らんでくっつくから気をつけて」
天板の上にクッキングシートを敷いて、夏生が生地を並べる。悠はその間夏生の手元をじーっと見ていた。クッキングシート一枚を切り取るのでもきっちり正確で、思わず見入ってしまうのだ。
「これで、後は焼き上がりを待つだけ。それじゃ、少し待ってね」
夏生の言葉でカメラが一旦止まる。
公開される動画ではここで画面が暗転して、15分後というテロップが流れるはずだ。
そして撮影が再開した15分後にはピーピーというオーブンの終了音がして、ミトンをはめた夏生が天板を取り出した。そこには、綺麗なきつね色に焼き上がってふっくらと膨らんだビスケットが並んでいる。
「はい、お待ちかねの試食タイム……と言いたいところだけど、まだ熱くて食べられないし、実は昨日作っておいたものがあるから、ハルくんにはそれを食べてもらおうか」
「……今の、焼いてる時間は無駄じゃなかったのか?」
「一応ちゃんと作らないと。焼き時間の確認もあるしね」
夏生が皿に並べた「昨日作っておいた」ビスケットは、今焼き上がったものと全然違いが見当たらない。レシピをきちんと再現すると同じものが出来るという証明のように悠には見えた。
悠は皿の上の三角のビスケットを取り上げて、じっと見つめた後で「いただきます」と呟いて口に入れた。さくりという歯応えの後に、内側が少ししっとりしているのがわかる。
しかし、いつものような笑顔は出せない。微妙に戸惑った顔をして、悠はビスケットを食べ続けながら夏生を見上げた。
「……ホットケーキの味だな」
「そりゃあ、味の部分は何も弄ってないからね……」
「いつもあんたが作るクッキーの方がうまい」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、今日はそういう企画じゃないからね。ホットケーキミックスで手軽に作るビスケット、ってコンセプトだから」
「そうか」
パクパクと食べながらも、悠の眉が微妙に下がった。
これは、いつも夏生が作る料理に比べるとあまりに既製品の味だった。別に悪い事ではないのだが、意外感がない。どうやら自分はいつの間にか口が肥えてしまったらしい。
手に持ったビスケットを食べ終わると、悠はカメラの方に向き直って、真顔で言った。
「普通にホットケーキの味だ。悪くない」
「悪くないってそんな……高見沢さんじゃないんだから」
夏生が苦笑している。きっとここは視聴者も苦笑するところだろう。ある意味強烈な高見沢の個性は、ヘビーユーザーには理解されている。
「……という訳で、ハルくんの感想はごく当たり前のものかもね。でも手軽に作れて、保存が利くから重宝するよ。
そして、これが作れるようになると、粉から計量して作る本格的なビスケットも簡単に作れるようになるんだ。そっちのレシピはもう少ししたら公開予定だよ。お茶のお供にぴったりだから、是非作って試して欲しいな。バターを使うときはフードプロセッサーがあると凄く簡単に作れるようになるしね」
夏生がまとめに入る。彼の言葉とこの笑顔で、一体何人の人間がホットケーキミックスを捏ね始めるのだろうと悠は思わず考える。
「それじゃ、今日もクレインマジック公式チャンネルを見てくれてありがとう! See you!」
「またな」
手を振る夏生と、棒立ちの悠が対照的だ。動画ではここでふたりの姿がフェードアウトしていく予定になっている。それはオリジナルレシピ動画のテンプレートだ。
近所のスーパーでは、クレインマジックの動画を必ずチェックして使われた食材などを「ピックアップ!」というポップを付けて売り出しているらしい。クレインマジックの近所ならではの売り出し方だ。
この辺りでは商店街もスーパーも、クレインマジックの面々にとても好意的なのだ。
新しい試みと既存の業務とで忙しい日々を送る中、一通のメールがクレインマジックを揺るがした。
10
お気に入りに追加
341
あなたにおすすめの小説
小児科医、姪を引き取ることになりました。
sao miyui
キャラ文芸
おひさまこどもクリニックで働く小児科医の深沢太陽はある日事故死してしまった妹夫婦の小学1年生の娘日菜を引き取る事になった。
慣れない子育てだけど必死に向き合う太陽となかなか心を開こうとしない日菜の毎日の奮闘を描いたハートフルストーリー。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
こちら夢守市役所あやかしよろず相談課
木原あざみ
キャラ文芸
異動先はまさかのあやかしよろず相談課!? 変人ばかりの職場で始まるほっこりお役所コメディ
✳︎✳︎
三崎はな。夢守市役所に入庁して三年目。はじめての異動先は「旧館のもじゃおさん」と呼ばれる変人が在籍しているよろず相談課。一度配属されたら最後、二度と異動はないと噂されている夢守市役所の墓場でした。 けれど、このよろず相談課、本当の名称は●●よろず相談課で――。それっていったいどういうこと? みたいな話です。
第7回キャラ文芸大賞奨励賞ありがとうございました。
re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ
俊也
ライト文芸
実際の歴史では日本本土空襲・原爆投下・沖縄戦・特攻隊などと様々な悲劇と犠牲者を生んだ太平洋戦争(大東亜戦争)
しかし、タイムスリップとかチート新兵器とか、そういう要素なしでもう少しその悲劇を防ぐか薄めるかして、尚且つある程度自主的に戦後の日本が変わっていく道はないか…アメリカ等連合国に対し「勝ちすぎず、程よく負けて和平する」ルートはあったのでは?
そういう思いで書きました。
歴史時代小説大賞に参戦。
ご支援ありがとうございましたm(_ _)m
また同時に「新訳 零戦戦記」も参戦しております。
こちらも宜しければお願い致します。
他の作品も
お手隙の時にお気に入り登録、時々の閲覧いただければ幸いです。m(_ _)m
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる