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ネージュ編

19 風魔法使いソニア

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 燻製を作っている途中でサーシャが蜜蜂亭で買ってきてくれた軽食は食べたけども、出来上がって試食が終わった頃には午後の結構いい時間になってしまっていた。
 これから何かをしようとするには、ちょっと厳しい時間だな。
 麦粥の試作は明日にするか。

「ジョー、さっきのベーコン売ってくれないか」

 ギルドを出ようとしたらエリクさんに真顔で肩を掴まれた。えええええ……。
 どうしよう、少しならいいか? でもそれをOKするとこちらの様子に聞き耳を立てている他の人たちがなだれ込んでくるのは間違いない。

「ええと……。実はこれを食材に使った料理を作ってクエリーさんとレベッカさんに食べてもらって、店で扱わないかという提案をする予定なんですが、それの試作や諸々が終わった時点で残っていればお分けするということでもいいでしょうか」

 ちょっと卑怯な逃げを打つ。もし麦粥が商売化するなら、この量のベーコンは残らないし、また保存してある猪肉でベーコンを仕込むことになる。

「それを使って料理だと? そのまま食ってもこんなにうまいのに!? しかも遣り手のレベッカが噛んでるのか! それは外すわけないな、楽しみにしてるよ、ジョー!」

 逆に凄い笑顔で背中を叩かれた。……なんかハードルが上がった気がするぞ。
 レベッカさんといえば蜜蜂亭にリンゴジュースを買いに行ったときに見かけたかもしれないけど、店主っぽい女性はとても穏やかそうで、クエリーさんが言う「がめつい」とかエリクさんの言う「遣り手」とかそんなイメージはあまりない。

 穏やかそうに見えて実は凄い人とかそういうパターンかな。
 サーシャみたいに。

 
 その後の時間はサーシャの提案で、建てている途中のはずの家を見に行くことにした。
 発注してから10日も経ってないし、石造りって時間が掛かりそうだからそんなに進んでは……と思ってたのに、ほとんどできてた!
 屋根は木だけれど、それ以外の壁と床は石造りだ。こんなに早く形になるものなのか!

「お疲れ様です。これ差し入れです」
「おっ!? すまねえな!」

 途中で買ってきた焼菓子をどんと出すと、大工ギルドの人にはとても驚かれた。
 自分の家を建ててるところを見にいくときは差し入れ持参、とかこっちの世界にはない文化なのか。
 うちは俺が小3のときに建てた家だから、夏休みなんかはよく冷たい飲み物を買って差し入れに持って行ったことを覚えている。

 夏の熱い空気の中で、業務用のでっかい扇風機を回しながら汗だくで作業をしていた棟梁を見て、大変な仕事だと幼心に思ったものだ。
 そう、あのときも生ぬるい風が吹いていて――あれ? なんでここだけ不自然に風が吹いてるんだ?

「風が……?」
「おう、石材の繋ぎにするモルタルを乾かすのにな。風魔法を使わないと乾燥に1ヶ月はかかるんだ」

 棟梁の言葉に、俺は目の前に建つ簡素な石造りの家を改めて眺めた。 

 石を組み上げて作ってある家の、石と石の間の接着にはなんとセメントが使われていた。いや、棟梁が言うにはモルタルか。俺にはその違いがわからないけど。
 驚いちゃったけど、そりゃそうだよな……。
 ただ石を組んだだけじゃ崩れるもんな。
 ログハウスだったら、丸太に切り込みを入れて組むことで接着剤を使わずにくみ上げることができるけども、石にあんな切り込みを入れることは難しいだろうし。

 家の周りをサーシャと一緒に一周しようとしたら、ちょうど俺たちの死角になっていた場所に、椅子に座ったひとりの女性がいた。
 杖を構えていて、彼女の杖から風が吹き出しているので、風魔法を使っているのはこの人で間違いないようだ。

「お疲れ様です。これ、良かったらどうぞ」

 少し余分に買っておいた菓子を差し出すと、女性は驚いた様子で魔法を止めた。

「あら、ありがとう。――あなた、もしかしてこの家の施主?」
「はい、正確には俺と彼女が、ですが」
「ふーん、若いのに凄いわね。じゃあ、いただきます。ご好意に甘えて休憩にさせていただくわね」

 風魔法使いの女性は華やかな笑顔を浮かべると、杖を椅子に立てかけて菓子を食べ始めた。
 彼女は一般的な冒険者と違って動きやすさを優先した服装ではなかった。派手な赤毛を巻いて垂らした、妙に存在感のある女性だ。
 俺のことを若いと言うけども、彼女もそれほど年上には見えない。うちの兄と同じくらいに見えるから20歳前後かな? いや、女性は化粧があるから年齢は推測が外れることが多いらしいけど。

「風魔法使いの方が常にいるんですか」

 サーシャが少し驚いた様子で女性に尋ねていた。
 うん、それはちょっと俺も驚いた。

「家の場合はね。私も大工ギルドから依頼を受けてる形で、必ずここにいるわけじゃないのよ。ほら、完成まで半月と1ヶ月じゃ、依頼を回せる数も変わってくるじゃない? 風魔法使いを雇ってでも早く仕上げた方が、結果的にギルドは儲かるってことなのよね」
「ああ、なるほど。――棟梁、ちょっと試したいことがあるんですが、一度この家を空間魔法でしまってみてもいいでしょうか?」
「構わねえが、何をするつもりだい?」

 焼菓子を飲み込んで棟梁が返事をする。
 俺が試したいのは、空間魔法の時間経過で家の完成が早まらないかということだ。

「空間魔法で、任意の物だけ時間を進められるというのがありまして」
「ほう、そりゃ便利だな。……だが、うーん、まあやってみな」

 なんだろう、ちょっと含みがある言い方が気になるな。
 俺は見えないファスナーを引く動作で、まだ屋根を張っている途中の家を魔法収納空間に入れた。そして「1ヶ月経過しろ」と念じてから取り出す。

「あれ、乾いてない……」
「やっぱりなあ。そんなことだろうと思ったよ」

 乾燥に1ヶ月と聞いたから試してみたんだけども、家は収納空間に入れる前のままだった。

「空間魔法、しかも無詠唱!?」

 風魔法使いの女性が物凄く驚いている。まあ、この反応は慣れた。
 俺はそっちは気にせず、棟梁と家を触りながら話を進めた。

「1ヶ月経過させて乾かすことができれば、一気に時間短縮になると思ったんですが」
「ははは、そううまく行かねえよ。空間魔法ってのは、中に入れたものの時間の流れが止まるんだったな?」
「はい。俺はレベルが上がったので時間の流れを変えられますが」
「時間の流れだけ速めても無駄ってこった。要は、乾燥した空気がそこに必要なのさ。だからこうして風魔法まで使って風を回してるんだ。魔法収納空間の中は風もなけりゃ熱もねえだろう?」
「そうか! 確かに塩で肉を脱水するのとは訳が違いますね!」

 目から鱗が落ちるとはまさにこのことだ。空間魔法の時間経過も万能じゃない。
 奥が深いな、建築も。
 
「ついでに言っとくと、風魔法で完成を早めるのは基本料金の中に入ってるから、代金は気にすることねえぜ」
「水魔法で水分を抜くというのはどうです?」
「ありゃかなり調節が難しい。ちょっとでも水分を抜きすぎると逆に崩れやがる。かなり熟達した水魔法使いが必要だが、そういう奴らはだいたい冒険者になっててな。風魔法が一番安定してるってこった」
「奥が深い! ……あれ? もしかして、そこの風魔法使いの人は冒険者じゃないんですか?」
「わ、私!?」

 俺が突然話を振ったことに驚いたのか、赤髪の女性が立ち上がる。
 なんだろう? いやに慌ててるな。

「あー、そのー、そうね、私は冒険者ギルドには所属してないわ。水魔法使いと連携して製氷したり、こうして乾燥の仕事とかをフリーで請け負ってるの。外で魔物と戦ったりするの、性に合わないのよ。怖いし」

 髪の毛を指に巻き付けたり解いたりしながら、女性が俺の問いかけに答える。
 そうか、風魔法使いは冒険者にならなくてもいろんな仕事があるんだな。
 メリンダさんだったら氷はひとりで作れたけど、氷を作るよりも2属性魔法使いとして冒険者の方が活躍できるだろうし。

 待てよ、それなら――。

「フリーでってことなら、俺が仕事をお願いしてもいいんでしょうか?」
「ええええっ!? 私に!? い、いいわよ、大丈夫」

 実は、ベーコンをソミュール液から出した後、水分を取ってから乾燥させて次の工程に進みたいのだ。
 メリンダさんだったら頼めばやってくれると思うけど、アーノルドさんたちの都合もあるし、あまり甘えすぎるのは良くない。
 だから、そういった仕事を請け負ってくれる風魔法使いが確保できるのは俺にとって大変ありがたいんだけども。

「サーシャ、こういう仕事だと1時間当たり、300マギルとかでどうだろう?」
「そうですね、決して安くはないし、高すぎるということもないと思いますよ。風魔法としては一番最初に使えるようになる魔法ですし、危険もないですから。それでも魔法使いじゃないとできないお仕事ですし」
「そうか、よかった。あの、個人的に乾燥をお願いしたい物があって、何回か依頼することになるかと思いますが、1時間300マギルで仕事を引き受けてもらえないでしょうか」

 俺の言葉の後半は女性に向けてのものだ。
   
「300マギル!? こ、これはチャンスよ、ソニア。がっしり捕まえないと……」
「何か言いました?」

 ごにょごにょという女性の声と、その後に妙に鋭さのあるサーシャの声。
 女性はパッと笑って椅子から立ち上がり、神殿にサーシャが着ていったのよりも丈の短いスカートを摘まんで礼をした。

「改めて初めまして。私はソニア・クエリー。生まれは商家だけど、街の中で風魔法使いの仕事をしてるわ。よろしくね」
「初めまして、ジョー・ミマヤです」
「サーシャ・アリアスです」

 そういえば、サーシャの姓って初めて聞いたな。
 ……っていうか、商家の出でクエリー?

「もしかして、『黒檀の飾り箱』のクエリーさんのお嬢さんですか?」

 俺が気になったことをサーシャが先に聞いてくれた。
 黒檀の飾り箱というのは、昨日サーシャと一緒に行ったクエリーさんの店の名前だ。クエリーがどのくらいありふれた姓なのか俺はわからないけど、「商家でクエリー」となるとかなり限られるだろう。

「あら、ご存じ? でもそっちは叔父なの。あの叔父の子供だったら私ももっと若かったわね、ふふふ」

 艶やかに笑うソニアさんはいかにもお姉さんっぽい。
 知人の親戚となると、安心感がある。
 というか。

 乳。

 でかいな……。

 胸元が開き気味の服を着て正面に立たれると、どうしても目がそこに行ってしまうのは男の悲しい性か。
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