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ネージュ編
2 その少女、殴りプリーストにつき
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体感時間、10分くらい、でも多分実時間3分くらい。
少女は俺の胸に頭を預けて泣いていた。
どうしよう、背中とかさすってあげた方がいいんだろうか。でも初対面の女の子にそんなことをしていいものか。危ねえヤツとか思われるんじゃないだろうか。
でも、まず俺が初対面の女の子にいきなり胸で泣かれてるんだけども。
彼女の額が当たってる場所が、ちょっと温かい。
でも涙はハンカチが吸い取ってるらしくて、ブレザーの胸が湿ったような感じはなかった。
「うっ……ぐすっ……す、すみません。見ず知らずの方にお恥ずかしいところをお見せしてしまって」
たっぷり泣いてから彼女は赤くなった目で俺を見上げ、近すぎる距離に驚いたのか慌てて後ずさった。
「いや、いいよ。さっきのやりとり見ちゃったし」
「ああ、そうなんですね……」
サーシャは俺の顔をじっと見て、急に顔を赤らめた。
「ほんとに……恥ずかしいところばかりお見せしてしまって。親切にしてくださってありがとうございます。――それで、恥かきついでにひとつお願いがあるんですが」
女の子らしく整った眉を下げ、もじもじとしながらサーシャが俺の袖を掴む。
な、なんだろう、破壊力がいろんな意味で高いな、この子。
ただでさえかなりの美少女なのに、赤くなった顔で袖を掴まれて見上げられたら、変な気持ちになってしまう。
内心そんなことを思っていても俺の顔には出にくいらしくて、返事を待つサーシャはとどめのように小首を傾げた。それに脊髄反射で俺は頷く。
「俺にできることなら。――あんまりできることはないけど」
「私の話を、聞いてくれませんか? 聞いてくれるだけでいいんです。ただ、悲しくて、この気持ちを誰かに聞いて欲しくて」
「わかった、それくらいなら」
「ありがとうございます」
ほっとしたように彼女は微笑んだ。その笑顔は控えめで、凄く可憐だ。
本当にこんな女の子が、ドラゴンをひとりで倒すんだろうか……。
俺たちは街の広場にある噴水の縁に腰掛けた。周囲を人が通っていくけど、別にそうして話す人自体は珍しくないようで、注目されてはいない。
「さっき、私がアーノルドさんのパーティーから解雇されたのはご覧になってたんですよね? だいたいどの辺から見てましたか?」
「『サーシャ、俺のパーティーから抜けてくれ』ってところからだね」
「最初からですか……」
ふう、とサーシャがため息をつく。
なんだか覗き見したようで申し訳ないけど、こっちの世界に転移してきた瞬間目の前で起きたことだから、俺には避けようがなかった。あんなデカい声でやりとりしてたら、嫌でも見てしまうだろうし。
「アーノルドさんは、2年前に私が冒険者として活動を始めたときからパーティーに入れてくれて、初心者の私に何もかも教えてくれた人でした。教会から勇者の称号を受けていても驕ったところがなくて、本当はとても面倒見のいい人なんです」
「でもさっき、『俺が目立たない』とか酷いことを言ってた気がするけど」
「仕方ないんです。勇者は人の崇敬によって力が増す特殊な職業なので。『勇者アーノルドは凄い』『頼りになる』と思われると、いろんな能力に補正が掛かります。……だから、私が一緒にいると、逆に足手まといになってしまって……ぐすっ……」
勇者にそんな事情があったのか。確かに崇敬が力になるなら、身近に美少女ドラゴンキラーがいたら注目が分散してしまって得策ではないな。
「でも、プリーストなら君が戦わなくてもパーティーの役に立つんじゃ?」
「ええ、上位聖魔法まで使えるようになったので重傷の治癒もできますし、各種の能力を上げる魔法も覚えました。でも、私とんでもない欠点があって」
そこで彼女はもう一度深いため息をつく。その様子から、相当「とんでもない欠点」を彼女が気にしているんだと俺にもわかった。
「筋力、魔力、敏捷力――そういった全ての能力をアップできる補助魔法が、何故か自分にしか掛からないんです」
「…………………………えっ?」
「5人掛かりでドラゴンを倒そうとして能力加護の魔法を掛けたんですけど、自分にしか効果がなくて、気がついたらひとりでドラゴンを倒してました。それからも、勇者パーティーとしてアーノルドさんの名を上げようと頑張ってきたんですが、結果として私の名声ばかりが上がってしまうことになってたんですね。私、それに全然気付いてなくて」
……なんてこった。それは確かに大問題だ。補助魔法とは、と根源的なところに疑問を生じてしまう。
「本来は、他の人にも掛かる魔法なんだよね?」
「はい、もちろんです。多分、私が未熟なせいで……アーノルドさんにも、ギャレンさんにも、メリンダさんにもレヴィさんにも迷惑を掛けて……。あんな、私なんかに土下座までさせてしまって……。みなさん、ずっとずっと私の事を気に掛けてくれた優しい人たちなのに! 私の、私のせいで!」
そうか、この世界にも最上級の謝罪として土下座って存在してるんだな。さっきのあれはやっぱり土下座だったのか。完全に日本の文化だと思ってたんだが。
そんな馬鹿げたことを俺が思っているうちに、隣のサーシャはまた声を殺して泣き始めた。
ぐしゃぐしゃになったハンカチをぎゅっと顔に当てて、辛そうに肩を震わせている。
「あのさ――」
あまりにその細い肩が儚げで、俺は迷いながらも手を伸ばしていた。
心臓が口から出るかと思うくらい緊張しながら、思い切って彼女を抱きしめる。腕の中の彼女がビクリと体を固くしたのが伝わってきた。
「泣いていいよ。そんな我慢してないで、悲しかったら思いっきり泣きなよ。こうしてたら他の人から顔は見えないからさ、君が泣いててもアーノルドさんたちに迷惑掛かったりしないと思う」
「あ、ありが、と……うわぁーん!!」
今度こそサーシャは号泣し始めた。制服のワイシャツが涙で濡れていくのがわかる。
俺は無言で、そんな彼女の背中を撫で続けていた。
通りすがりの人が時々こちらを何事かと見ていくけど、カップルの喧嘩にでも見えるのか、ちょっと見ただけですぐ興味を失ったように去って行く。それに俺は安堵していた。
彼女が落ち着くのに掛かった時間は多分5分くらい。思い切り泣いて気が済んだのか、彼女はぐすっと鼻をすすると、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。そして、突然はっとしたように目を丸くする。
「今更で失礼ですが、あなたは何者ですか? あなたから、神様の気配がします」
「えっ!?」
確かにさっきまで「女神の部屋」にいて、女神と話していたけど!
「そんなことわかるの?」
「はい、私は一応高位のプリーストですから。私の奉じる女神テトゥーコの微かな気配を感じ取れるのです」
「テトゥーコ」
やっぱりあの女神の部屋、テトゥーコの部屋なのか……。
「もしかして、あなたはこの世界の方ではないのでは?」
菫色の目が俺をじっと見つめている。俺は女神テトゥーコのことを考え、その前に起きたことを考え、最後に知らない場所にいる自分のことを考えた。
「俺の話も、聞いてもらっていいかな」
「ええ、もちろんです」
「俺さ、君が言う通りこの世界の人間じゃないんだ。元の世界で、死ぬはずじゃなかったところで死んだみたいで、その、多分テトゥーコっていう女神のところで、別の世界で生きて欲しいって言われて」
喋りながら、段々胸が苦しくなってくる。
俺はここにいるのに、死んだことになってる。よくわからないけど、もしかしたら辻褄合わせに俺の死体なんかも神様の手で作られてたかもしれない。
「ここで、生きてるのに、親も友達も俺が死んだと思ってる。信号でスマホなんか見てなかったら、無事だったかもしれないのに! 俺が不注意だったせいで、多分親も泣かせて、いろんな人を悲しませて」
急に今まで麻痺していた感情が生々しく息を吹き返した。
喉が、詰まる。重たい塊が胸につかえていて、息が苦しい。
「うっ……」
両手で顔を覆って俺は声を詰まらせた。じわりと涙が浮かんでくる。
――その時、細い腕が俺の頭を抱き寄せた。
「泣いていいんですよ。悲しかったら思いっきり泣いていい。――そう言ってくれたのはあなたですよ。私だったら、とても悲しいです。お父さんやお母さんや、いろんな人にお別れも言えずに急に別の世界で生きろなんて言われたら、訳がわからなくて、寂しくて、絶対泣いちゃいます。だから」
つい先程まで自分も泣いていたくせに、サーシャが俺に掛ける声はとても優しかった。
「こうしてますから、無理しないで」
サーシャの着ている革鎧は胸のところが凄く固かったけれど、会ったばかりの女の子の胸に顔を埋めたままで、俺は数年ぶりに声を上げて泣いた。
少女は俺の胸に頭を預けて泣いていた。
どうしよう、背中とかさすってあげた方がいいんだろうか。でも初対面の女の子にそんなことをしていいものか。危ねえヤツとか思われるんじゃないだろうか。
でも、まず俺が初対面の女の子にいきなり胸で泣かれてるんだけども。
彼女の額が当たってる場所が、ちょっと温かい。
でも涙はハンカチが吸い取ってるらしくて、ブレザーの胸が湿ったような感じはなかった。
「うっ……ぐすっ……す、すみません。見ず知らずの方にお恥ずかしいところをお見せしてしまって」
たっぷり泣いてから彼女は赤くなった目で俺を見上げ、近すぎる距離に驚いたのか慌てて後ずさった。
「いや、いいよ。さっきのやりとり見ちゃったし」
「ああ、そうなんですね……」
サーシャは俺の顔をじっと見て、急に顔を赤らめた。
「ほんとに……恥ずかしいところばかりお見せしてしまって。親切にしてくださってありがとうございます。――それで、恥かきついでにひとつお願いがあるんですが」
女の子らしく整った眉を下げ、もじもじとしながらサーシャが俺の袖を掴む。
な、なんだろう、破壊力がいろんな意味で高いな、この子。
ただでさえかなりの美少女なのに、赤くなった顔で袖を掴まれて見上げられたら、変な気持ちになってしまう。
内心そんなことを思っていても俺の顔には出にくいらしくて、返事を待つサーシャはとどめのように小首を傾げた。それに脊髄反射で俺は頷く。
「俺にできることなら。――あんまりできることはないけど」
「私の話を、聞いてくれませんか? 聞いてくれるだけでいいんです。ただ、悲しくて、この気持ちを誰かに聞いて欲しくて」
「わかった、それくらいなら」
「ありがとうございます」
ほっとしたように彼女は微笑んだ。その笑顔は控えめで、凄く可憐だ。
本当にこんな女の子が、ドラゴンをひとりで倒すんだろうか……。
俺たちは街の広場にある噴水の縁に腰掛けた。周囲を人が通っていくけど、別にそうして話す人自体は珍しくないようで、注目されてはいない。
「さっき、私がアーノルドさんのパーティーから解雇されたのはご覧になってたんですよね? だいたいどの辺から見てましたか?」
「『サーシャ、俺のパーティーから抜けてくれ』ってところからだね」
「最初からですか……」
ふう、とサーシャがため息をつく。
なんだか覗き見したようで申し訳ないけど、こっちの世界に転移してきた瞬間目の前で起きたことだから、俺には避けようがなかった。あんなデカい声でやりとりしてたら、嫌でも見てしまうだろうし。
「アーノルドさんは、2年前に私が冒険者として活動を始めたときからパーティーに入れてくれて、初心者の私に何もかも教えてくれた人でした。教会から勇者の称号を受けていても驕ったところがなくて、本当はとても面倒見のいい人なんです」
「でもさっき、『俺が目立たない』とか酷いことを言ってた気がするけど」
「仕方ないんです。勇者は人の崇敬によって力が増す特殊な職業なので。『勇者アーノルドは凄い』『頼りになる』と思われると、いろんな能力に補正が掛かります。……だから、私が一緒にいると、逆に足手まといになってしまって……ぐすっ……」
勇者にそんな事情があったのか。確かに崇敬が力になるなら、身近に美少女ドラゴンキラーがいたら注目が分散してしまって得策ではないな。
「でも、プリーストなら君が戦わなくてもパーティーの役に立つんじゃ?」
「ええ、上位聖魔法まで使えるようになったので重傷の治癒もできますし、各種の能力を上げる魔法も覚えました。でも、私とんでもない欠点があって」
そこで彼女はもう一度深いため息をつく。その様子から、相当「とんでもない欠点」を彼女が気にしているんだと俺にもわかった。
「筋力、魔力、敏捷力――そういった全ての能力をアップできる補助魔法が、何故か自分にしか掛からないんです」
「…………………………えっ?」
「5人掛かりでドラゴンを倒そうとして能力加護の魔法を掛けたんですけど、自分にしか効果がなくて、気がついたらひとりでドラゴンを倒してました。それからも、勇者パーティーとしてアーノルドさんの名を上げようと頑張ってきたんですが、結果として私の名声ばかりが上がってしまうことになってたんですね。私、それに全然気付いてなくて」
……なんてこった。それは確かに大問題だ。補助魔法とは、と根源的なところに疑問を生じてしまう。
「本来は、他の人にも掛かる魔法なんだよね?」
「はい、もちろんです。多分、私が未熟なせいで……アーノルドさんにも、ギャレンさんにも、メリンダさんにもレヴィさんにも迷惑を掛けて……。あんな、私なんかに土下座までさせてしまって……。みなさん、ずっとずっと私の事を気に掛けてくれた優しい人たちなのに! 私の、私のせいで!」
そうか、この世界にも最上級の謝罪として土下座って存在してるんだな。さっきのあれはやっぱり土下座だったのか。完全に日本の文化だと思ってたんだが。
そんな馬鹿げたことを俺が思っているうちに、隣のサーシャはまた声を殺して泣き始めた。
ぐしゃぐしゃになったハンカチをぎゅっと顔に当てて、辛そうに肩を震わせている。
「あのさ――」
あまりにその細い肩が儚げで、俺は迷いながらも手を伸ばしていた。
心臓が口から出るかと思うくらい緊張しながら、思い切って彼女を抱きしめる。腕の中の彼女がビクリと体を固くしたのが伝わってきた。
「泣いていいよ。そんな我慢してないで、悲しかったら思いっきり泣きなよ。こうしてたら他の人から顔は見えないからさ、君が泣いててもアーノルドさんたちに迷惑掛かったりしないと思う」
「あ、ありが、と……うわぁーん!!」
今度こそサーシャは号泣し始めた。制服のワイシャツが涙で濡れていくのがわかる。
俺は無言で、そんな彼女の背中を撫で続けていた。
通りすがりの人が時々こちらを何事かと見ていくけど、カップルの喧嘩にでも見えるのか、ちょっと見ただけですぐ興味を失ったように去って行く。それに俺は安堵していた。
彼女が落ち着くのに掛かった時間は多分5分くらい。思い切り泣いて気が済んだのか、彼女はぐすっと鼻をすすると、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。そして、突然はっとしたように目を丸くする。
「今更で失礼ですが、あなたは何者ですか? あなたから、神様の気配がします」
「えっ!?」
確かにさっきまで「女神の部屋」にいて、女神と話していたけど!
「そんなことわかるの?」
「はい、私は一応高位のプリーストですから。私の奉じる女神テトゥーコの微かな気配を感じ取れるのです」
「テトゥーコ」
やっぱりあの女神の部屋、テトゥーコの部屋なのか……。
「もしかして、あなたはこの世界の方ではないのでは?」
菫色の目が俺をじっと見つめている。俺は女神テトゥーコのことを考え、その前に起きたことを考え、最後に知らない場所にいる自分のことを考えた。
「俺の話も、聞いてもらっていいかな」
「ええ、もちろんです」
「俺さ、君が言う通りこの世界の人間じゃないんだ。元の世界で、死ぬはずじゃなかったところで死んだみたいで、その、多分テトゥーコっていう女神のところで、別の世界で生きて欲しいって言われて」
喋りながら、段々胸が苦しくなってくる。
俺はここにいるのに、死んだことになってる。よくわからないけど、もしかしたら辻褄合わせに俺の死体なんかも神様の手で作られてたかもしれない。
「ここで、生きてるのに、親も友達も俺が死んだと思ってる。信号でスマホなんか見てなかったら、無事だったかもしれないのに! 俺が不注意だったせいで、多分親も泣かせて、いろんな人を悲しませて」
急に今まで麻痺していた感情が生々しく息を吹き返した。
喉が、詰まる。重たい塊が胸につかえていて、息が苦しい。
「うっ……」
両手で顔を覆って俺は声を詰まらせた。じわりと涙が浮かんでくる。
――その時、細い腕が俺の頭を抱き寄せた。
「泣いていいんですよ。悲しかったら思いっきり泣いていい。――そう言ってくれたのはあなたですよ。私だったら、とても悲しいです。お父さんやお母さんや、いろんな人にお別れも言えずに急に別の世界で生きろなんて言われたら、訳がわからなくて、寂しくて、絶対泣いちゃいます。だから」
つい先程まで自分も泣いていたくせに、サーシャが俺に掛ける声はとても優しかった。
「こうしてますから、無理しないで」
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