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129 出会いの記憶

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『ロクサーヌさんと一緒に化粧品を作ってる弟子って、君のこと?』

 それは、ミラヴィアをロクサーヌと共に作り上げ、ほんの少しした頃のこと。
 初めてひとりでクリスティンに納品に来たカモミールに、同じ年頃の少年が話し掛けてきた。

 蛍石の色をした目は優しげで、ふわふわとした金髪と華奢な体格のせいで彼は少し少女めいて見えた。

『そうよ。私はカモミールっていうの。あなた、化粧品に興味があるの?』
『うん、君と先生が作る化粧品に凄く興味があるんだ。話を聞いてもいい?』

 笑顔でそんなことを言われて、純粋に嬉しかった。ミラヴィアが話題になりつつあることにカモミールも手応えを感じていたし、男性にも興味を持って貰えたというのは知名度が上がっている証拠だろう。

 お使いの途中ではあったが、少年が聞き上手だったのでカモミールは浮かれて彼にいろいろなことを話した。
 ロクサーヌとふたりで化粧品を作っているが、自分の発案で作った品物もあること。
 幼い頃ロクサーヌに治療をして貰ってから錬金術師に憧れ、15歳になってようやく弟子入りできたこと。
 カールセンに来てから半年ほどだが、ボルフ村の出身であること。

『へええ、凄いね。カモミールはとっても頑張ってるんだ。偉いなあ。僕は手先は器用だけど、到底そんな事はできそうにないや』

 人懐こく笑う少年が羨ましそうに自分を見るので、カモミールは思わず彼の手を取った。何故か、彼がとても寂しそうにしているように感じたのだ。

『そんなことない! ……まあ、錬金術はできる人とできない人がいるのは確かだし、私は魔力無しだから錬金術らしい錬金術はできないの。手先は――自慢できるほど器用でもないしね。
 そうだ、手先が器用なんだったら、他の人にお化粧を施す側になってみたら? 手先が器用で上手に絵を描ける人はお化粧も上手なんですって!』
『僕が、他の人にお化粧を施す……うん、なるほど、それもありかな。ありがとう、君のおかげで次の目標ができたよ。
 カモミールの発想は面白いね。もっといろんな事を話したいなあ。僕たち、友達になれる?』

 少年の顔がパッと輝いたのが嬉しくて、カモミールも笑顔で頷いていた。カールセンに来てから、歳の離れた友人や仕事で知り合った人はいるが、純粋に歳が近い友達はいなかったから。
 それに、彼はとても優しく話を聞いてくれた。カモミールの話にいちいち相槌を打ち、気になることは更に尋ねたり、そうして話をしていることが心地よかった。

『もちろんよ! 仲のいい人は私をミリーって呼ぶの。あなたも今日からミリーって呼んで。そういえば、あなたの名前は?』
『ええと……君の友達との思い出で、一番印象に残ってるのはどういうことかな? できれば……小さい頃の話がいいな』

 少年の目がすうっと紫色の光を帯びる。その目を見つめたまま、カモミールは「名前を聞いたのに何故別のことを話すの?」と問い返すこともできず、彼に促されるままに言葉を紡ぐ。

『7歳の時なんだけど、夏に川で舟遊びをしたの。その時に身を乗り出しすぎて川に落ちて、溺れてとっても怖かった。舟にはお兄ちゃんとエドナとジルバードが一緒に乗っていて、ジルが私を助けようと一生懸命手を伸ばしてくれて……』
『溺れちゃったの? それは怖かったよね。ジルバードはその時何歳?』
は8歳。私のひとつ上よ』
『そっかあ。うん、ちょうどいいよ。じゃあ――僕の名前はヴァー。君のひとつ歳上の幼馴染み。ミリーより少し遅れて村から出て来たんだ。こういうことにしよう』
『わかった……ヴァージル』
『ミリーはいい子だね。ロクサーヌさんの弟子であるだけじゃなくて、将来有望だし。君と友達の方が、この先いろいろやりやすくなる』
『何を?』
『ううん、こっちの話。ミリー、僕と今話したことは忘れて。このまま家へ帰ったら眠るんだ。目が覚めたら僕は今日会ったばかりの知らない人じゃなくて、君とは幼馴染みでこの街の中で一番長い付き合いの友達だよ』

 ヴァージルの手で頭を撫でられ、ぼんやりとしたままカモミールは頷いた。彼の言葉に異を唱えることもできない。思考は完全に操られていた。

『それじゃ、また明日ね、ミリー』

 少年が手を振ったので鏡写しのように手を振り、カモミールはふらふらとシンク家へ戻った。そして、急激な眠気に襲われて少年に言われた通りに眠りに落ちた。

 翌日になったらが引っ越しの挨拶に来ていて、カモミールはロクサーヌに彼を紹介した。
 カモミールが錬金術師に憧れていたことをよく知っているヴァージルは化粧品にも興味を持っていて、化粧の技術を学んで人にお化粧をしてあげられるようになりたいと熱心に語った。彼の意気込みを良しと見たロクサーヌは、カモミールの幼馴染みであるヴァージルを信用してクリスティンに推薦することを約束してくれた。

『あのクリスティンで働けるかもしれないなんて、凄く幸運だよ! 全部ミリーのおかげだね』
『まだよ、クリスティンは基本的に女性しか採らないの。ロクサーヌ先生の推薦とヴァージルの熱意があっても、採用して貰えるか分からないわ』
『心配してくれるの? ありがとう。――ねえ、ミリー。君は僕にいろんな感情をくれるね。楽しい気持ちも温かい気持ちも。……誰かに心配して貰ったのは、いつ振りかなあ』

 口元は笑顔のままで髪の毛を指に巻き付かせているヴァージルは、楽しげな口振りとは裏腹に目が暗かった。

『ヴァージル、あなたは、寂しいのね? どうして? 村で何かあった?』
『村で、かあ……父さんも母さんも死んじゃったってことにしておいた方がいいかな? だから僕は幼馴染みで大好きなミリーがいるカールセンに来た。うん、この方が自然かも。ねえミリー、僕とずっと一緒にいてくれる?』
『友達だもの、当たり前よ。あなたが寂しいときは私が側にいるわ。だから、泣かないで、ねえ。あなたが泣いてると私も胸が痛い』

 カモミールの前ではヴァージルがぽろぽろと涙をこぼしていた。

『君みたいに素直で優しい子を巻き込んでごめん……。いつか、真実に気づいたらいくら恨んでも構わない。でも、どうかそれまでは君の側にいさせて。僕は君を守るよ、大事な幼馴染み、大好きなミリー。ああ……今回は何年続けられるだろう。願わくば、このままずっと……』

 ヴァージルの声を聞いているうちに、また急激に眠気が襲ってきた。
 そして、目が覚めたときには前のやりとりは全て忘れている。

 こうしたことが、何度もあった。
 ヴァージルはカモミールに偽の記憶を植え付けていたのだ。そして、彼女がヴァージルに恋心を自覚する度に、酷く辛そうな顔で記憶を封じてきた。
 そしてまた、「友達同士」の日常が始まる――。


 ヴァージル、私に魔法を掛けていたのはあなたなの?

 夢の中をたゆたいながら、カモミールは深層に閉じ込められていた記憶を全て思い出していた。
 もう、言い訳もしようがない。

 カモミールに魔法を使っていたのはヴァージルだ。認識を誤魔化し、記憶をすり替え、自分に都合がいい記憶を植え付けて、彼はカモミールの側にいた。
 嘘で塗り固められた地面から芽吹いて育った自分たちの感情は、果たしてなんなのだろう。

 恋人同士なら、恋が冷めたときには急激に距離が離れることもある。
 友人同士なら、余程の事がない限りは近くにいられる。
 だから、ヴァージルは「友達で居続ける」ことをずっと選んできたのだ。カモミールの恋心を何度も封じながら。彼の持つ何らかの目的のために。

 それに気づいてしまったカモミールの目覚めは最悪だった。
 頭はガンガンと痛いし、気持ちは落ち込みの極致だ。エドナの結婚の話を聞いて、きっと自分も、なんて考えていた昨日が信じられなかった。

 ヴァージルが自分を愛していなかったら、どれだけ良かっただろう。それなら、何の呵責もなく彼を責めて切り捨てることができた。自分の心は血を流すだろうが。
 けれど、カモミールはヴァージルの真実の言葉を聞いてしまった。

「僕は、君を愛してる。本当に身勝手な願いだとはわかってるけど、僕の手を取って欲しい。ずっとミリーと一緒にいたい」
「幸せになるのが怖いってずっと思ってきた。幸せになったら、その幸せが失われたときに余計に辛いから」

 王都の劇場で彼から聞いた言葉は、いまでもカモミールの耳に残っている。あれが嘘であるものか。
 気づいてしまえば、本当に身勝手な願いだ。自分の手でカモミールの想いを封じ、恋人になるのを避けてきたのに、彼は「カモミールと一緒に幸せになりたい」と願ってしまった。
 その先に、最悪の決別が待っているかもしれないのに。

「みりーちゃん……?」

 一緒のベッドで寝ていたエリカがうっすらと目を開け、寝ぼけた声でカモミールを呼ぶ。
 昨夜は――夕食の時に衝撃的なことが起きたせいで、その後の記憶がおぼろげだ。
 どうやって風呂に入ったのか、居間ではなく女の子部屋でエリカと一緒に寝ることになったのは何故か、全然憶えていない。

 少し体を起こして見てみれば、3つのベッドは全てくっつけられていて、チェルシーとリンもエリカにくっつくようにして寝ていた。カモミールは一番窓側――つまりは壁にくっつく場所にいる。

「ミリーちゃん、大丈夫? 昨日の夜、真っ青になっちゃって、ふらふらしてたから私たちが一緒にお風呂に入って、このお部屋に連れてきたの」

 目をこすりながらエリカが心配そうにカモミールに尋ね、昨夜のことを説明してくれた。 意識はあったはずだが、あまりにも心ここにあらずだったのだろう。寝間着に着替えた憶えすらなかった。

「ありがとう、エリカ……でも、大丈夫じゃない……」

 体温の高いエリカを抱きしめて、カモミールは涙をこぼした。今なら、素直に弱音も吐ける。ここにはヴァージルを知る人はいないのだから。


 昨日収穫したハーブを荷馬車に積み、カモミールは御者台の兄の真後ろに座った。座っている場所は荷台の部分である。
 昨夜のカモミールの様子を目の当たりにしたイアンは、妹を案じているのか言葉少なだ。

「ねえ、お兄ちゃん。もしもお姉ちゃんが――自分の妻が、ずっととても大事なことを隠したまま自分と結婚して側にいたとしたら、どうする?」
「突拍子もないことを聞くな……うーん、『大事なこと』の性質にもよる。例えば、俺の前にシェリーが誰かと付き合ってたのを隠してた、とかなら今の俺たちにはあまり関係ないと思えるかな」
「そうね、例えば――シェリーお姉ちゃんだと思っていた人がシェリーお姉ちゃんじゃなくて、全然別の人がお兄ちゃんの記憶を弄ってなりすましていたとしたら?」
「いや、どんな状況だよ、それは。俺とシェリーは幼馴染みだし、そんなの間違いようもない」
「だから、そこをね、魔法で記憶を弄られてたらどうする?」
「……それが、昨日のヴァージルの話か」

 やはり兄は気づいてしまった。カモミールは荷台で膝を抱えて何も言えずに俯いた。ちらりとカモミールを見た兄は、肺の奥から全ての空気を吐きだしてしまっているのではないかという長いため息をつく。

「これはあくまでも俺の話だぞ? とりあえず、話し合う。なんでそんな事をしたのかって。
 お互いの愛が嘘ならそこでおしまいだ。でも、嘘をついてても気持ちが本当だったら……悩ましいな。だから、話を聞くしかない。俺の場合は、だぞ。おまえはおまえが納得できるやり方を探せ」
「……そうだね」

 ヴァージルはカモミールの家族の記憶までは弄っていない。イアンも彼に会ったことがあるのに、彼が村の出身でないことをちゃんと理解していた。
 カモミールが実家に帰省したら、自分の嘘がばれる可能性は大いにあるはずだ。けれどヴァージルはカモミールを止めはしなかった。

 それが何を意味するのか、今のカモミールには全く分からない。
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