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100 焼きたてパンを持ってくる男

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 翌日は移動の予備日だったので、カモミールの予定では仕事は休みだった。
 予定通りに帰ってこられたので仕事をしても良かったのだが、カモミールは昨日のガストンの手紙が気になっていた。それを相談できる相手は、やはりタマラしかいない。

 出かける前に、工房の様子が気になって覗いてみる。まだ時間が早いのでテオがいるだけで、それにも妙に懐かしい気持ちになった。

「よう、お帰り」

 カモミールに気づいたテオが軽く手を上げてくる。テオの様子は、カモミールが買い物に行った時と10日間王都に行ってきたのとで違いがない。

「ただいま。テオ、調子はどう? お腹すいたりしてない?」
「魔力は使ってねえからなあ。たまにキャリーからパン一切れ貰ったり、隣のエノラが差し入れしてくれたりしたぞ」

 魔力を使わなくても、どうやら口寂しくなるのを憶えてしまったらしい。
 お弁当のパンを一切れ奪われ、キャリーが氷のように冷たい声でテオに説教をするところまで瞬時に想像できた。

「キャリーさんに怒られなかった?」
「いや、あいつの方からくれたんだぞ? 俺はずっと作業だろ? キャリーは書類仕事したり石けん作ったりしてたけど、昼飯時にあいつがひとりで食ってるところをじーっと見てたら『気まずいんでやめてください』って言いながらくれた」

 テオにはその気はなくても、結果的に食べ物をゆすっているように見えたのだろう。この顔だけはいい精霊が間近でじっと食べるのを見ていたら、それは圧力に屈しても仕方ない。

「そりゃそうよ。ひとりで食べてるところじっと見られたら確かに嫌だわ」
「そんなもんなのか」
「ヴァージルだったら屈しない気もするけど、多分私でもその状況だったらテオに分けちゃうわね。――それにしても、テオって眠る必要もないのよね? 私がいない間に凄いことになってるじゃない」

 カモミールがレシピを書き出したのは行きの船中だったので、テオにできたことは既にできている白粉を容器に詰めたり、雲母を粉にすること、それと化粧水などに大量に使う蒸留水を作ることくらいなのだが、王都に行く前はたくさんあった白粉の空き容器がほとんどない。そしてガラス瓶は増えている。中身は蒸留水だろう。
 おそらく、白粉の方は中身を詰めて、工房に置いておいても邪魔なのでクリスティンに納品してしまったのだろう。後でそちらも覗いて、評判を聞きたいところだ。

「レシピ書いたか? 持ってきておけよ。カモミールは今日休みなんだよな? 化粧水山ほど作って置いてやるぜ。もう蒸留水の置き場がねえ」
「そんな理由で! ま、まあいいわ。ちょっと待っててね」

 一度カモミールは自室に戻り、レシピを全て記した紙束とマシューへの土産の鉱石を持って工房に戻った。マシューは決まった日以外にもキャリーへの講義などのために来ることがあるので、会ったらいつでも渡せるようにと思ったのだ。

「おっ、カモミール、それはどこで見つけたんだ?」

 早速テオがマシューへの土産に食いついている。名前もわからない鉱石だが、テオまで興味を示すとなると当たりなのだろう。

「これは、王都の商店街の狭い道に並んでるお店で見つけたの。見たことないし面白い感じだから、マシュー先生へお土産にするのにちょうどいいかなーって思って。重さも割とあるし、使い道がなければ何かの重しにしてもいいし」
「ははあ、使い道、使い道ねえ……確かに使い道はそうそうねえな」

 使い道はそうないけれど興味はある。それは一体どういう素材なのだろう。カモミールの好奇心がうずうずとしてくる。

「テオはこれがなんなのか知ってるのよね?」
「ああ、前にも見たことある。でもまあ、言わないでおくぜ。おまえには多分不要の物だ」
「私に不要のもの――ってことは、大錬金術に関連する物なのね。ううう、気になるけど知ったら手放せなくなりそう。使わないってわかってるのに」
「そういうことだ、だから何かは言わないでおく」

 テオの言うことは一理ある。彼に見せなければ「ただの珍しい鉱石」で終わっていたのだから、そのままマシューに渡すのがいいだろう。
 カモミールはため息をついて、その鉱石を棚に置いた。

「じゃあ、私はちょっとタマラのところに寄ってからクリスティンの様子を見てくるわ」
「おう」

 テオは早速カモミールの置いたレシピに手を伸ばして読み始めている。あの様子なら、夜になる頃には洒落にならないほど化粧水が量産されていそうだ。

 カモミールは昨日の手紙を手にタマラの家へ向かった。タマラはすぐに出て来て、カモミールを中に入れてくれる。既に身支度には一分の隙もない、いつものタマラだ。

「いらっしゃい、昨日帰ってきたばかりなのに今日来てくれるなんて何かあったの? あ、私お仕事しながらでもいい?」
「うん、忙しいのにごめんね。ちょっとタマラに聞いて欲しいことがあって」
「もうヴァージルと喧嘩した?」
「んもう! そういうのじゃないわよ! 昨日帰ったら、私がいない間に下宿先にガストンが来てたんだって。それで、この手紙を置いていったそうなの」
「ガストンが、ミリーの下宿先に? おかしなこともあるもんね」

 タマラはカモミールが渡した手紙を手にして無言で読み始めた。そして、すぐに読み終わると微妙な顔になる。

「悪い物でも食べたのかしらねえ……そういえば、さっきガストンが来て、焼きたてパンを置いていったのよ」
「わけがわからない」
「私が王都に行ったのも知ってたみたい。まだパンは買ってないだろう、って言って置いていったんだけど、あいつがそんな気の利くことをするっていうのが気持ち悪いのよね!」

 散々な言われようだが、確かにガストンとタマラは長い付き合いなのに、カモミールが一緒に暮らしていた間に彼はそんなことをしたことがない。
 タマラが風邪を引いて寝込んだときも、看病に行って世話を焼いたのはカモミールだった。ガストンは「見舞い」ではなく「診察」に来ただけだった。

「謎が深まっただけだった」
「そうね、心境の変化はあったんだろうと思うけど、私に対しても何か言う奴じゃないし。パンはそのまま貰ったけどね」

 タマラも納得いかないようだったが、ここでガストンのことを推測だけで考えてもどうしようもない。
 カモミールは気持ちを切り替えてクリスティンに向かうことにし、タマラもそれについて行くことになった。仕事中ではあったが、やはりヴィアローズの評判がどうなっているかを知りたいらしい。

 しかし、クリスティンに行った途端、ふたりはまたもやおかしな顔をする羽目になった。

 店長のカリーナに訊いたところ、カールセンでのお披露目会も全く新しい商品のおかげで大成功だったらしい。それまで約2ヶ月ではあるがミラヴィアの供給がなかったせいもあり、ミラヴィアの後継ブランドであるヴィアローズの売れ行きは爆発的だそうだ。

 そして、それを買っていった人の中にガストンがいたという。しかも、彼は香水と石けん以外の商品を一通り買っていったそうだ。ヴィアローズだけではなく、店員に聞いて評判のいい化粧品はあらかた買ったそうで、接客したミナはその買い方をおかしく思ったという。

「誰かへのプレゼントというわけでもなさそうでした。使い方はじっくり訊いて行かれてましたけど。それと作り方も訊かれましたね。うちは取り扱っているだけなので、作り方は全くわかりませんと答えておきました」

 ミナは自分が患者としてガストンの診察を受けたことがあったので、その男性客がロクサーヌの息子であるガストンだと気づいたらしい。

「ガストン、何やってるのかしら……化粧品を作ることには全く興味がないって前に言ってたし、錬金術の仕事と認めないとまで言われたのに」

 微妙にカモミールは苛々とし始めた。前に家を追い出されたときに言われた言葉は今でも忘れられない。
 そのガストンが、化粧品を買い、しかも作り方を訊いたというのだから腹が立つ。
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