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1 錬金医と「小さな錬金術」師

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「ここはもうおまえの家じゃない。出て行け」

 目の下に色濃い隈を作った灰色の髪の男が、淡々と少女に告げる。
 出て行けという言葉を投げつけられた少女は、はしばみ色の大きな目を限界かという程まで見開いていて、男の言葉に対する驚愕で出ない言葉を表情で訴えていた。

 あんず色の髪を二本のお下げにした少女がそばかすの浮いた頬に涙の跡をつけたままで暗い色のスカートを握りしめて立ち尽くしていると、男はどんどん家の中から荷物を運び出してきた。玄関から出たところに衣装箱や小物などを積み上げ始めるに至って、少女は顔色を蒼白にして声を絞り出した。

「なん……で? 確かにこの家の持ち主は今ではガストンかもしれないけど、先生の葬儀が終わったところじゃない。私だって厚かましくこの家に居座ったりしないよ? 荷物は自分でまとめてできるだけ早く出て行くから――」
「カモミール、おまえの意見は聞いていない」

 顔色の悪い痩せ型の男は、冷たい眼光で少女――カモミールの言葉を遮った。手を止めてカモミールに目を向けるガストンの表情はかたくなで、他人の意見を聞き入れる余地は全くないらしい。

「母がおまえを弟子にしてから、ずっと私は我慢を続けてきた。優れた錬金術師だった母が、錬金医の立場よりも、化粧品作りなどにうつつを抜かす様は耐えがたかった。ロクサーヌ・シンクには錬金術師としてもっと成し遂げられる偉業があったはずなのに。
 弟子という名目で他人のおまえがこの家に当たり前に住むことも、母がおまえを実の娘のように扱う様もどれもこれも馬鹿げたことにしか思えなかった」

 ドン、と音を立てて木箱が地面に置かれる。ガストンはカモミールを置き去りにしたまま再度家に戻り、カモミールの持ち物をどんどん家の外に並べていった。

「やめてよ! 大事なものもあるんだから! ねえ、自分でやるから! 今日中に出て行くから!」
「違う。――私がおまえを追い出したいのだ」

 ガストンの腕に縋り付こうとして振り払われ、カモミールは地面にへたり込んだ。元々表情の豊かな男だとは思っていなかったが、今のガストンは全くの無表情の中に静かな怒りをまとっているように見える。

「追い出したい、って……」

 突然の事態で混乱と恐怖がカモミールを襲った。歯の根が合わない。カモミールがカタカタと奥歯を鳴らしながら掠れた声で問いかけると、一見丁寧に木箱を積み上げたガストンはカモミールを見下ろしてきた。

「私は奪われた物を取り返すだけだ。母を、そして私の権利の数々を。……おまえにはずっと奪われ続けてきた。錬金術の師としてのロクサーヌ・シンクも、私の親としてのロクサーヌ・シンクも! 化粧品だと? そんな物を作るのは錬金術師の仕事と私は認めない!」

 ガストンの言葉は最後には悲痛にも聞こえる叫び声になっていて、カモミールは唐突に彼の心情を理解した。常に冷静だった兄弟子が自分に初めてぶつけてきた激情で、自分が彼から何を奪っていたのかを知った。

 ロクサーヌ・シンク――つい先日亡くなったカモミールの師は、この時代において優れた錬金術師のひとりだった。彼女に救われ、憧れてカモミールはロクサーヌの弟子になった。
 ロクサーヌは自分のひとり息子であるガストンに錬金医としての知識を余すところなく受け継がせ、カモミールには錬金医としてではなく、身近な品々を作り「小さな錬金術」と呼ばれる生活錬金術師の道を歩ませた。

 カモミールはガストンのことを頼りになる兄弟子だと思っていた。年が一回り以上離れていていつも冷静なガストンは、彼女が何かを尋ねてもあからさまに嫌な顔をしたりせず、根気よく教えてくれた。
 歩む道が違っても同じ師を持ち、その師を心から慕っている真面目な人物であることをわかっていたからこそ、彼のこの暴挙はカモミールの心を抉る。

 カモミールが震えて座り込んでいる間に、周辺に住む人々が騒ぎを知って顔を覗かせ始める。皆一様に驚いた顔をして、冷静な錬金医として知られているガストンの行動に困惑を隠せない様子だ。

「ちょっとー! 何やってるのよガストン! はぁっ!? なんなのこの荷物は! ミリー泣かしてどうするつもりよ!」
「タマラ……」

 大声を張り上げながらガストンとカモミールの間に割り入ってきたのは、美しいが妙に大柄の女性だった。巻いた黒髪を横に流し、肩の近くまで開いた白いフリルの付いたブラウスに、翻る真っ赤なスカートが場違いなほど鮮やかだ。
 彼女は泣いているカモミールの傍らに屈み込むと、ハンカチを取り出して目元を拭ってくれた。ガストンから庇うようにタマラはカモミールを優しく抱きしめると、キッとガストンを睨み付ける。

「……母はもういない。その娘は母の弟子であって私の家族ではない。だから追い出した。それだけだ」
「ふっざけんじゃないわよ! 妹弟子でしょ!? 家族も同然に何年も暮らしてきたじゃない! あんたそんな冷たい性格してなかったわよね、何があったのよ!」
「私は元々こういう性格だ。今まで奪われ続けた分、奪い返したまでだ。わかったような口をきくな、ロバート」
「その名前で呼ぶなって言ってんだろォ、この老け顔若白髪ァ!」

 地の底から響くような低い声でタマラが唸る。長い睫毛が縁取る目が一気に鋭くなって、周囲の空気は一段と重くなった。

「タ、タマラ……落ち着いて、ねえ」

 タマラの腕の中にいるカモミールの方が宥めなければならない状態だ。ガストンとタマラの間にはビリビリとした空気が漂っている。

「ミリー!」

 そのビリビリとした空気を切り裂いて、青年の声が響く。全力疾走してきたらしい青年はタマラとカモミールにぶつかる勢いで止まると、カモミールの顔を両手で挟み込んで上向かせた。

「ああ、もう……こんなに泣いて。もう大丈夫だからね。僕が来たからもうミリーを泣かせたりしないよ」 

 優しくカモミールに微笑みかけ、青年はさりげなくタマラの腕からカモミールを奪う。思ってもみなかった人物の登場に、更にカモミールは困惑した。

「え、ヴァージル? なんでここにいるの?」

 駆けつけてきた幼馴染みの青年は、今は仕事中のはずだ。すぐ側に住んでいて騒ぎが聞こえてやってきたタマラならともかく、彼がここにいるのはおかしい。

「シンク先生の家で大騒ぎになってるって知らせてくれた人がいたんだ。だから仕事は抜けてきた。必死に走ってきたよ」

 彼の働く店はこの領都カールセンで一番の目抜き通りであるプラタナス通りにある、オーナーの名前から「クリスティン」と名付けられた化粧品や小物を扱う店だ。
 ここまで走ってもそれなりに時間がかかるはずなのだが、ヴァージルは肩を上下させて息を乱してはいるものの、額に汗ひとつかいていない。この幼馴染みはいろいろ規格外なので、飽和状態のカモミールはそんなものかと流す以外になかった。

「それで、これはどういう状況かな?」

 カモミールの物とおぼしき荷物がシンク家の前に積み上げられているのを見て、ヴァージルがタマラを見上げて尋ねた。小首を傾げる仕草が、中性的な容姿によく似合う。
 ヴァージルは成人男性の平均的な身長だが、タマラはそれよりも頭半分以上は背が高い。ふわふわとした金髪の青年を見下ろして、タマラはため息をついた。つい先程までは息苦しいほどの緊張感が漂っていたが、ほややんとしたヴァージルがいると気が抜ける。

「見ての通りよ。ガストンがミリーを家から追い出したの。一方的に、ミリーの話も私の話も聞こうとせずにね」

 タマラともカモミールとも話すつもりがないらしいガストンは、黙々と荷物を運び続けていた。一番大きな木箱の上に、カモミールが気に入って持ち歩いているバッグを載せると、そのままドアを閉めて家の中に消えていった。

「うーん、なんとなく状況はわかった気がするよ。ミリーの荷物はこれで全部ってことかな。どう?」
「……多分」

 ヴァージルの問いかけにカモミールは曖昧にしか答えることができなかった。タマラは肩をすくめ、家に籠もったガストンのことを考えて口を開く。

「あいつ、几帳面だしこういうことは徹底してやるから、家の中にミリーの私物が残ってるってことはないわね。……仕方ない、そんなに量はないから一旦うちに運びましょ。ねえ、暇な人いたら手伝ってちょうだい!」

 タマラが声を掛けると、騒ぎを見守っていた中から数人の男女がカモミールの元にやってきた。全て、ご近所付き合いのあった知人である。

「ミリーちゃん、大変だったねえ」
「ガストン先生があんなに怒ってるのは初めて見たよ」
「それにしたって、ロクサーヌ先生の葬儀が終わったばかりでこれはないだろうに……」
「構わないでおやりよ。ガストン先生にも先生なりの理由があるんだろうから」

 ガストンを責める声、一部同情する声、そしてカモミールをいたわる声。誰もが心配そうな表情で、カモミールの肩や背中を優しく撫でていく。

 ガストンに思わぬ冷たい突き放し方をされた後でそれらの手の感触は温かく、カモミールはヴァージルに抱き留められたままでまた声を上げて泣いた。
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