上 下
6 / 42
第一章 十年ぶりの母の帰宅と驚愕の真実

しおりを挟む
 家が隣同士なのだから帰ってから渡せばいいのに、アウレディオは毎日、カラになった弁当箱をわざわざエミリアの仕事場近くの大聖堂の前まで持ってくる。
 いつも決まった時間にアウレディオが佇むその場所は、今では夕方のリンデンの街の、ちょっとした名所になりつつあった。

 大聖堂の石段の前で、何をするでもなく広場や街の様子を眺めているアウレディオは、確かにエミリアの目から見ても絵になる。

 スラリと長い手足。
 ごく普通のシャツとズボンを着ているのに、とても仕立てがよく見えてしまう姿勢のよさ。
 どことなく漂う気品。
 憂いを帯びた横顔。

 エミリアの幼馴染でお隣さんの少年は、全てを精密に計算されたかのように整った容姿をしている上に、とても人の目を惹く独特の雰囲気があった。

 心持ち壁にもたれかかるようにして立つアウレディオの姿を、夕焼けの中で一目見た女の子は、決まってもう一度見たいと願い、足しげく毎日その時間、その場所に足を運ぶ。

 噂が噂を呼んで、夕方の大聖堂前に集まる女の子たちの数は、いまや日曜日の礼拝にも負けない数に膨らみつつあった。

 そんなアウレディオの待ちあわせ相手として、エミリアはいつも、突き刺さるような非難の視線を一身に浴びていた。

 しかし、他の人に対するのと同じように、エミリアに対しても、アウレディオの態度はあまりにも素っ気ない。
 その上、思い余ってエミリアに危害を加えようとした女の子を、アウレディオが情け容赦なく、街の役人に突きだしたこともあった。
 その対応に恐れをなしたのか、今では誰もアウレディオの前で、エミリアに文句は言わなくなった。

 しかしそれほどのことをしても、『今日のアウレディオ様』を一目見たい女の子の数が、いっこうに減らないばかりか増えるいっぽうなのが、エミリアには信じられない現実である。

 そのアウレディオが、いつになくエミリアの仕事場までやってきた。

 それ自体でもかなりの驚きだったが、エミリアにもっと大きな衝撃を与えたのは、いつもとはあまりにも違いすぎる、アウレディオの様子だった。

 きつく真一文字に結ばれていることの多い唇が、わずかにだが口角を上げて、微笑みのようなものを作っている。
 庭いじりを仕事としているため、ほとんど一日中外にいるわりには色白の頬は、走ってきたからなのかほんのりと赤く染まって艶っぽい。
 淡い金髪の前髪の下で、見え隠れしている大きな蒼い瞳は、隠しきれない喜びにキラキラと輝いていた。

『どんな時でも眉ひとつ動かさない』と形容されることの多いアウレディオの変貌ぶりに、エミリアは思わずドキリとした。

 聖堂の前からアウレディオを追いかけてきた女の子の一群も、思いがけず一番間近で対峙することになったマチルダとミゼットも、つられて思わず部屋にやってきたアマンダ夫人も、みんな固唾を飲んでアウレディオの次の行動を見守っている。

 窓の近くにエミリアの姿を見つけたアウレディオは、真っ直ぐに歩み寄ってきた。

 妙な迫力と気迫のこもった力強い歩みに、エミリアは思わず逃げ腰になる。

 気持ちは懸命に逃げようとしているのだが、アウレディオの深く澄んだ蒼い瞳に魂を絡めとられてしまったかのように、体のほうはエミリアのいうことをきかない。

「な……何? ……どうしたの?」

 やっとの思いで絞りだした声を無視して、アウレディオはエミリアにグググッと顔を近づけた。

「きゃああああ!」

 案の定、背後で沸き起こる悲鳴の山などには、まるでおかまいなし。

「……リリーナが帰って来たんだろう?」

 何年ぶりかで間近に見たアウレディオの端正な顔に目を奪われていて、エミリアははじめ、何のことを言われたのかよくわからなかった。

「え?」

 しかししばらくして、ようやく言葉の意味を理解すると、ついさっきまでドキドキと脈打っていた心臓が、あっという間に静まっていく。

「よく……わかったね……」

 エミリアの声が微妙に低くなったことには、気がついているのかいないのか。
 アウレディオは少し目を細めて、はにかむような表情を見せる。

「当たり前だ。エミリアのオムレツと、リリーナのオムレツじゃ、全然違う」

(ふーん、そうですか……)

 高揚するアウレディオとは裏腹に、どんどん萎えていくエミリアの気持ち。

「きゃああああ!」

 垣間見せた思いがけない表情のせいで、背後ではまたも悲鳴の嵐が沸き起こった。

(リリーナって……普通、幼馴染の母親を名前で呼ぶ? そりゃあ確かに、うちのお母さんは『おばさん』なんて呼び方、まるで似あわないけど……でも「全然違う」はさすがに失礼よね。仮にも今までずっとお弁当作ってくれてた人に対して……そりゃあお母さんのオムレツはふわふわで、私じゃとてもああは作れないけど……それでもお父さんは、おいしいよって言ってくれてるんだから……!)

 考えるうちにだんだんと、何に対してだかはっきりとはわからない怒りが、ふつふつとこみ上げて来る。

 そんなエミリアに向かってアウレディオは、よりいっそう瞳を輝かせながら、思いがけない一言を投げかけた。

「今日は一緒に帰ろう。そのままお前の家に行ってもいいか?」

「ぎゃああああ!」

 背後で三度沸き起こる悲鳴。
 しかも今までので最大。

 突き刺さるような視線に命の危険を感じながら、エミリアはこっくりと頷いた。

「い……いいんじゃない……」

 心の中では盛大に、本日二回目の脱力を感じずにはいられなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

処理中です...