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第四章 交流会
5.好きな人の幸せ
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自転車を押して歩く諒と並ぶのもドキドキするし、ちょっと離れるのもなんだか不自然だ。
これまでいったいどれくらいの距離で接していたのかが思い出せず、途方に暮れる私に向かって、諒は唐突に問いかける。
「で? 俺たちはなんの係になったんだよ?」
「は?」
思わず間の抜けた返事を返したら、大きなため息をつかれた。
「『は?』じゃないだろ『は?』じゃ……交流会の準備ではなんの係を受け持つことになったのかって聞いてるんだよ……!」
「ああ……」
昨日自覚したばっかりの恋心で、ドキドキしたり切なくなったり。
私にとって今日という日は『HEAVEN』の行事なんてそっちのけの大忙しだったけれど、当然ながら諒にとってはそうではない。
いつもどおりに、ただ方向が同じだから一緒に帰る私と交わす会話となれば、今は何をさて置き、交流会についての話題になるのは当然だ。
シューッと風船が縮んでいくように、気持ちが萎えていく自分を感じた。
「私は……夏姫と美千瑠ちゃんと一緒に、全校生徒の出欠の確認と名簿作りよ……諒は可憐さんの手伝いだって……」
一定のスピードで歩き続けていた諒の足が、ピタリと止まった。
自然と置き去りにする形になってしまった諒をふり返って、私は首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
じっと見ていた私の顔から目を逸らして、再び歩き始めた諒になんて言ったらいいのかわからない。
一瞬心に浮かんだ「なに? 私と一緒じゃなくて残念だった?」なんてふざけたセリフ。
これまでだったらからかうように言えたが、今はとても口に出来ない。
なんだかぎこちない雰囲気のまま、らしくもなく黙りこんで歩き続ける自分がもどかしかった。
(なんか嫌だな……こんなの……)
相手のあげ足を取ろうとやっきになって、文句を言い合って。
でもその言葉の裏では、いつだってお互いを好敵手として認めあっていた。
――これまでの自分と諒の、ちょっと変わった信頼関係を再確認する。
諒の言葉は、決して優しくはなかったし、ひどい言い方ばかりだったけれど、私がそれに傷つけられたことはない。
一度もない。
それはやっぱり私が、口で言うほど諒のことを嫌っていなかったからなんだろうなと思う。
(じゃあ諒は……?)
心に浮かんだ疑問に、自分で首を横に振る。
(『お前バカか?』って呆れた顔が、残念ながら一番私に見せた回数が多い気がするのよね……って言うか、ほとんどそればっかり? ダメだ……恋愛感情に発展しようがない……)
トボトボと歩を進める私の横で、また諒が歩くのを止めた。
振り返って、もう一度「今度は何?」と聞こうとしたら、口を開く前にもの凄い形相で諒がこちらに突進して来た。
距離の取り方をさんざん悩んでいた私を蹴散らすかのように、私の顔のすぐ目の前に顔を近づけて、体のわりに大きな手で私の口を塞ぐ。
「………………!!」
口に出せなかった悲鳴に答えるかのように頷かれ、小声で耳元で囁かれた。
「いいから。黙って、ちょっとこっち来い」
自転車を置き去りに、道の横の建物の陰に走りこむ諒に、腕を引かれるまま、私も懸命に走った。
すぐ目の前で見た諒の顔にも。
口を塞いだ手にも。
今引かれている腕にも。
ドキドキと高鳴る心臓が今にも口から飛び出して来そうだった。
建物の陰に潜んで、道路の向こうに視線を向ける横顔に問いかける。
「……どうしたのよ?」
至近距離で肩を寄せ合っていることにどうしようもなく緊張している自分を悟られないように、精一杯いつもどおりを装って言ったら、自分でもビックリするぐらい不機嫌そうな声になってしまった。
案の定。
諒はちょっとイラついた視線を私に向ける。
「見ればわかるだろ。あれだよ。あれ」
細く尖った顎で示された先には、茶色い巻き髪を背中に垂らした華奢なうしろ姿が見えた。
「あ、可憐さん……」
呟く私に諒はこっくりと頷いた。
しかしそのあとの言葉が何もない。
(だったら別に隠れる必要なんてないじゃない。一緒に帰ればいいでしょ? ……それとも何? 私と二人で帰ってるところなんて見られたくないとか? 誤解されたくないとか?)
説明がないものだから自分で想像するうちに、だんだん腹が立ってくる。
と同時に悲しくなる。
なんとも複雑な気持ち。
(いいわよ……邪魔だっていうんなら、私は一人で帰るから……)
クルリと踵を返そうとした私の肩を、諒は両手でガシッと掴んだ。
「どこ行くんだよ! じっとしてろ!」
「だって……!」
反論しかけた瞬間に、私を止めた諒のほうが一歩前に踏み出したので、私もつられたようにそちらをふり返った。
歩道を歩いている可憐さんの横に、白い車がスーッと止まったところだった。
「あ! あれって!」
運転席から降りてきたのは、スラッと背の高い男の人。
可憐さんに何かを言っているようだが、ここからではよく聞こえない。
可憐さんは男の人に背を向けて、そのまままた歩きだそうとする。
男の人は何かを賢明に話す。
可憐さんは聞く耳持たない。
そのくり返し――。
「えーっと……」
これまでの状況と、自分が知っている可憐さんの情報を総動員して、私は今の状況を分析した。
(あれって可憐さんの彼氏さんだよね? ……話をしようとしてるけど、可憐さんは話したくないと……それはたぶんこの間の浮気現場(?)目撃のせい……)
考えている間にも、二人は問答を続けながら車からどんどん離れていく。
と、道を渡った先に何かを見つけた可憐さんが、彼氏さんをふり切るようにして道路に飛び出した。
「可憐!」
「可憐さん!」
私と諒は驚いて、思わず叫んで一歩を踏みだしたけれど心配はいらなかった。
道路にはちょうど車は走っておらず、可憐さんは難なく、あっという間に道路の反対側にたどり着いた。
「び、びっくりした……!」
諒の呟きは確かに私の思いと同じだったのに、やっぱりチクリと心のどこかが痛まずにはいられなかった。
(可憐さんがあの人とは別れるって言ってるんだから、別に諒が追いかけていってもいいんじゃない?)
自虐めいた言葉を出そうかどうしようかと迷う私の目の前で、みるみる諒の顔つきが変わる。
「あいつ……!」
見れば可憐さんは、道路の向こうで一人の人物に駆け寄ったところだった。
おそらくはその人を反対の歩道に見つけたから道を横切ったのだろう。
嬉しそうに笑いながら可憐さんに応待しているのは、ちょっと変わった濃紺の学生服姿の男の子。
(あ、あれって今度交流会をやる宝泉学園の制服だ……!)
そう思い当たってから私は慌てて、ギリッと悔しそうに奥歯を噛みしめる諒をふり返った。
「そうだな。きっとあっちの交流会の責任者の相川とかいう奴だろうな」
何も言ってないのに私の考えたことを正確に読み取った諒に、私はこっくりと頷いた。
「今日は実際に会って打ち合わせだから、相川君と待ち合わせしてるの」といそいそと『HEAVEN』を出て行った可憐さんの嬉しそうな様子を思い出す。
「ええっと……」
諒に何と声をかけたらいいのかわからない私と、それっきり口を噤んでしまった諒と、棒を飲んだかのように立ち竦む彼氏さんをそのままに、可憐さんは相川君と一緒に歩きだす。
(ど、どうしよう……どうしたらいい?)
かける言葉も行なうべき行動も思い浮かばない私は、身動きしない諒と一緒にその場所から、見えなくなっていく可憐さんをただ見送るだけだった。
「で? なんで琴美が落ちこんでるんだ?」
昼休みの中庭。
校庭を臨む芝生に腰を下ろして、お弁当を広げたまま深いため息をくり返す私に向かって、繭香が問いかける。
「なんでって……そりゃああんなこと言われちゃったら、私もそうするべきなのかななんて考えちゃうじゃない……」
繭香と、彼女と並んで隣に座っていた佳世ちゃんが、顔を見合わせて首を捻った。
「ええっと……よくわからないんだけど……?」
「全然わからん!」
口調こそ違え、二人の言わんとしていることはまったく同じだったので、私は自分でもあまり思い出したくはない昨日の顛末を、二人も含め、私の肩に頭を乗っけてスヤスヤと眠っているうららに話して聞かせることになった。
昨日、相川君と一緒にいなくなってしまった可憐さんを呆然と見送ったあと、我に返ったかのように諒が呟いた第一声が、「ちくしょう可憐の奴! ちゃんと話しろって言ったのに! これじゃどんどんややこしくなるだろう!」 だった。
ショックとか悲しいとかいう感情よりも、明らかに怒りの色が濃い発言にちょっとビックリする。
「そう言えばずっとそんなこと言ってるわよね……なんで?」
可憐さんを好きな諒にしてみたら、このまま彼女が恋人と別れてくれたほうが好都合だろうに、諒の頭にはまったくそんな思いはないようだ。
言葉を選ぶこともなく単刀直入に問いかけた私に、諒はちょっと焦ったようなそぶりを見せた。
「なんでって……そんなの可憐が勝手に誤解してるからに決まってるだろ!」
まるで当事者ででもあるかのように、堂々と言い切られて思わずしげしげと顔を見返してしまう。
「な、なんだよ……」
今度は逆に諒のほうが私に問いかけてくる。
「別に……ただ、ずいぶん自身満々なんだなって思って……絶対に誤解だって信じてるの?」
「当たり前だ!」
それこそ確信を得ているかのように、諒がこの上なく真剣な顔をして叫んだ。
その真摯な表情に、不覚にも鼓動がドキドキと早くなった。
「あんなに幸せそうに、いつもいつもノロケ話ばっかり聞かされてたんだぞ。ダメになるなんて許さない! だいたい浮気なんてする甲斐性、あいつにあるわけないだろ……あんなに惚れてんのに……」
一部よくわからないセリフが混じっているような気もするが、そちらに意識が集中できない。
私に真っ直ぐに目を向けて、真剣に話し続ける諒の顔から目が離せない。
(そうなのよ……『勝浦諒なんて大嫌い!』って思ってたあの頃から、私、諒の顔だけは好みのど真ん中だったのよ……)
そんな自分を情けなく思っているものだから、頭のどこか上っ面だけでしか物事を考えられない状況の私に向かって、諒は真剣に語り続ける。
「このままずっと一緒にいるんだろうって! あいつらだったらきっとそうするんだろうって、俺は信じてるんだからな! こんなことぐらいでダメになるなんて嫌だ!」
でもいくら魂を吸い取られていても、きっぱりと言い切る諒の決意の強さだけは伝わった。
心ここにあらずの状態の私にだって伝わった。
(そうか……自分の想いはあと回しにしてでも、可憐さんの幸せを願うんだね……!そんなにそんなに大好きなんだね!)
涙が浮かんで来そうなくらいの思いで感動して、そうして自分もそうするべきじゃないのかと、私は思ったのだった。
「だから私も、自分の想いよりも諒の幸せを願わなくちゃって思うんだよね……」
しみじみと呟く私を見て、繭香はギュッと眉根を寄せて難しい顔をした。
佳世ちゃんは困ったように、小首を傾げて小さく笑う。
「あのね琴美ちゃん……それって……」
瞬間、私の肩の上で眠っているとばかり思っていたうららが体を起こし、スッと佳世ちゃんの唇に細い人差し指を当てた。
「ダメ。佳代……琴美が自分で気がつかないと意味がない……」
慌てて佳世ちゃんが口をつぐんだ途端、うららはまた私の肩の上に頭を乗っけてスヤスヤと寝息をたてる。
とても寝たフリとは思えないその熟睡っぷりに、私は驚いた。
「なに今の? 寝言? どういう意味?」
繭香と佳世ちゃんはもう一度顔を見合わせ、何事かを確認しあっている。
しばらくしてから繭香のほうが私に向き直り、きっぱりと言い切った。
「気にするな。琴美はもう自分の思うようにやればいい」
激励されているのか突き放されているのか。
どちらとも取れる口調に私はちょっとむくれる。
「なによそれ……相談にぐらい乗ってくれたっていいじゃない……」
「いや。どうせ人の話のほとんどは聞いてなくて、妄想だけでつっ走るんだから、壁にぶち当たるまでそのまま行けばいい。どうにも行き詰まったら相談してくれ。じゃ」
軽く手を上げて立ち上がる繭香と共に、佳世ちゃんまで立ち上がる。
「ごめんね琴美ちゃん……でも本当にこればっかりは誰かの口から聞くよりも、自分で気がついたほうが良いと思う……その方がきっと、ずっとずっと嬉しいと思う」
「こら!」
余計なことを言うなとばかりに目を剥いた繭香に肩を竦めてみせ、佳世ちゃんは繭香と並んで私に背を向け歩きだす。
「ちょ、ちょっと? 私だけ話が全然見えないんですけど?」
私はと言えば、二人を追いかけて立ち上がろうにも、うららに寄り掛かられているので、そうすることもできない。
いつも重さなんて全然感じないうららの華奢すぎる体が、急にずしりと私に体重をかけてきたような気がした。
「うらら?」
呼びかけてみても返ってくるのは規則正しい寝息の返事だけ。
でも、まあいいかとその場に残ることを決意した途端、小さな小さな声が私に語りかけた。
「頑張れ頑張れ」
昨日と同じ、まったく抑揚の感じられない一本調子な声援が、私にまた勇気をくれる。
「うん。頑張る」
うららの薄い色の髪の頭が、私の肩の上でかすかに頷いたような気がした。
これまでいったいどれくらいの距離で接していたのかが思い出せず、途方に暮れる私に向かって、諒は唐突に問いかける。
「で? 俺たちはなんの係になったんだよ?」
「は?」
思わず間の抜けた返事を返したら、大きなため息をつかれた。
「『は?』じゃないだろ『は?』じゃ……交流会の準備ではなんの係を受け持つことになったのかって聞いてるんだよ……!」
「ああ……」
昨日自覚したばっかりの恋心で、ドキドキしたり切なくなったり。
私にとって今日という日は『HEAVEN』の行事なんてそっちのけの大忙しだったけれど、当然ながら諒にとってはそうではない。
いつもどおりに、ただ方向が同じだから一緒に帰る私と交わす会話となれば、今は何をさて置き、交流会についての話題になるのは当然だ。
シューッと風船が縮んでいくように、気持ちが萎えていく自分を感じた。
「私は……夏姫と美千瑠ちゃんと一緒に、全校生徒の出欠の確認と名簿作りよ……諒は可憐さんの手伝いだって……」
一定のスピードで歩き続けていた諒の足が、ピタリと止まった。
自然と置き去りにする形になってしまった諒をふり返って、私は首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
じっと見ていた私の顔から目を逸らして、再び歩き始めた諒になんて言ったらいいのかわからない。
一瞬心に浮かんだ「なに? 私と一緒じゃなくて残念だった?」なんてふざけたセリフ。
これまでだったらからかうように言えたが、今はとても口に出来ない。
なんだかぎこちない雰囲気のまま、らしくもなく黙りこんで歩き続ける自分がもどかしかった。
(なんか嫌だな……こんなの……)
相手のあげ足を取ろうとやっきになって、文句を言い合って。
でもその言葉の裏では、いつだってお互いを好敵手として認めあっていた。
――これまでの自分と諒の、ちょっと変わった信頼関係を再確認する。
諒の言葉は、決して優しくはなかったし、ひどい言い方ばかりだったけれど、私がそれに傷つけられたことはない。
一度もない。
それはやっぱり私が、口で言うほど諒のことを嫌っていなかったからなんだろうなと思う。
(じゃあ諒は……?)
心に浮かんだ疑問に、自分で首を横に振る。
(『お前バカか?』って呆れた顔が、残念ながら一番私に見せた回数が多い気がするのよね……って言うか、ほとんどそればっかり? ダメだ……恋愛感情に発展しようがない……)
トボトボと歩を進める私の横で、また諒が歩くのを止めた。
振り返って、もう一度「今度は何?」と聞こうとしたら、口を開く前にもの凄い形相で諒がこちらに突進して来た。
距離の取り方をさんざん悩んでいた私を蹴散らすかのように、私の顔のすぐ目の前に顔を近づけて、体のわりに大きな手で私の口を塞ぐ。
「………………!!」
口に出せなかった悲鳴に答えるかのように頷かれ、小声で耳元で囁かれた。
「いいから。黙って、ちょっとこっち来い」
自転車を置き去りに、道の横の建物の陰に走りこむ諒に、腕を引かれるまま、私も懸命に走った。
すぐ目の前で見た諒の顔にも。
口を塞いだ手にも。
今引かれている腕にも。
ドキドキと高鳴る心臓が今にも口から飛び出して来そうだった。
建物の陰に潜んで、道路の向こうに視線を向ける横顔に問いかける。
「……どうしたのよ?」
至近距離で肩を寄せ合っていることにどうしようもなく緊張している自分を悟られないように、精一杯いつもどおりを装って言ったら、自分でもビックリするぐらい不機嫌そうな声になってしまった。
案の定。
諒はちょっとイラついた視線を私に向ける。
「見ればわかるだろ。あれだよ。あれ」
細く尖った顎で示された先には、茶色い巻き髪を背中に垂らした華奢なうしろ姿が見えた。
「あ、可憐さん……」
呟く私に諒はこっくりと頷いた。
しかしそのあとの言葉が何もない。
(だったら別に隠れる必要なんてないじゃない。一緒に帰ればいいでしょ? ……それとも何? 私と二人で帰ってるところなんて見られたくないとか? 誤解されたくないとか?)
説明がないものだから自分で想像するうちに、だんだん腹が立ってくる。
と同時に悲しくなる。
なんとも複雑な気持ち。
(いいわよ……邪魔だっていうんなら、私は一人で帰るから……)
クルリと踵を返そうとした私の肩を、諒は両手でガシッと掴んだ。
「どこ行くんだよ! じっとしてろ!」
「だって……!」
反論しかけた瞬間に、私を止めた諒のほうが一歩前に踏み出したので、私もつられたようにそちらをふり返った。
歩道を歩いている可憐さんの横に、白い車がスーッと止まったところだった。
「あ! あれって!」
運転席から降りてきたのは、スラッと背の高い男の人。
可憐さんに何かを言っているようだが、ここからではよく聞こえない。
可憐さんは男の人に背を向けて、そのまままた歩きだそうとする。
男の人は何かを賢明に話す。
可憐さんは聞く耳持たない。
そのくり返し――。
「えーっと……」
これまでの状況と、自分が知っている可憐さんの情報を総動員して、私は今の状況を分析した。
(あれって可憐さんの彼氏さんだよね? ……話をしようとしてるけど、可憐さんは話したくないと……それはたぶんこの間の浮気現場(?)目撃のせい……)
考えている間にも、二人は問答を続けながら車からどんどん離れていく。
と、道を渡った先に何かを見つけた可憐さんが、彼氏さんをふり切るようにして道路に飛び出した。
「可憐!」
「可憐さん!」
私と諒は驚いて、思わず叫んで一歩を踏みだしたけれど心配はいらなかった。
道路にはちょうど車は走っておらず、可憐さんは難なく、あっという間に道路の反対側にたどり着いた。
「び、びっくりした……!」
諒の呟きは確かに私の思いと同じだったのに、やっぱりチクリと心のどこかが痛まずにはいられなかった。
(可憐さんがあの人とは別れるって言ってるんだから、別に諒が追いかけていってもいいんじゃない?)
自虐めいた言葉を出そうかどうしようかと迷う私の目の前で、みるみる諒の顔つきが変わる。
「あいつ……!」
見れば可憐さんは、道路の向こうで一人の人物に駆け寄ったところだった。
おそらくはその人を反対の歩道に見つけたから道を横切ったのだろう。
嬉しそうに笑いながら可憐さんに応待しているのは、ちょっと変わった濃紺の学生服姿の男の子。
(あ、あれって今度交流会をやる宝泉学園の制服だ……!)
そう思い当たってから私は慌てて、ギリッと悔しそうに奥歯を噛みしめる諒をふり返った。
「そうだな。きっとあっちの交流会の責任者の相川とかいう奴だろうな」
何も言ってないのに私の考えたことを正確に読み取った諒に、私はこっくりと頷いた。
「今日は実際に会って打ち合わせだから、相川君と待ち合わせしてるの」といそいそと『HEAVEN』を出て行った可憐さんの嬉しそうな様子を思い出す。
「ええっと……」
諒に何と声をかけたらいいのかわからない私と、それっきり口を噤んでしまった諒と、棒を飲んだかのように立ち竦む彼氏さんをそのままに、可憐さんは相川君と一緒に歩きだす。
(ど、どうしよう……どうしたらいい?)
かける言葉も行なうべき行動も思い浮かばない私は、身動きしない諒と一緒にその場所から、見えなくなっていく可憐さんをただ見送るだけだった。
「で? なんで琴美が落ちこんでるんだ?」
昼休みの中庭。
校庭を臨む芝生に腰を下ろして、お弁当を広げたまま深いため息をくり返す私に向かって、繭香が問いかける。
「なんでって……そりゃああんなこと言われちゃったら、私もそうするべきなのかななんて考えちゃうじゃない……」
繭香と、彼女と並んで隣に座っていた佳世ちゃんが、顔を見合わせて首を捻った。
「ええっと……よくわからないんだけど……?」
「全然わからん!」
口調こそ違え、二人の言わんとしていることはまったく同じだったので、私は自分でもあまり思い出したくはない昨日の顛末を、二人も含め、私の肩に頭を乗っけてスヤスヤと眠っているうららに話して聞かせることになった。
昨日、相川君と一緒にいなくなってしまった可憐さんを呆然と見送ったあと、我に返ったかのように諒が呟いた第一声が、「ちくしょう可憐の奴! ちゃんと話しろって言ったのに! これじゃどんどんややこしくなるだろう!」 だった。
ショックとか悲しいとかいう感情よりも、明らかに怒りの色が濃い発言にちょっとビックリする。
「そう言えばずっとそんなこと言ってるわよね……なんで?」
可憐さんを好きな諒にしてみたら、このまま彼女が恋人と別れてくれたほうが好都合だろうに、諒の頭にはまったくそんな思いはないようだ。
言葉を選ぶこともなく単刀直入に問いかけた私に、諒はちょっと焦ったようなそぶりを見せた。
「なんでって……そんなの可憐が勝手に誤解してるからに決まってるだろ!」
まるで当事者ででもあるかのように、堂々と言い切られて思わずしげしげと顔を見返してしまう。
「な、なんだよ……」
今度は逆に諒のほうが私に問いかけてくる。
「別に……ただ、ずいぶん自身満々なんだなって思って……絶対に誤解だって信じてるの?」
「当たり前だ!」
それこそ確信を得ているかのように、諒がこの上なく真剣な顔をして叫んだ。
その真摯な表情に、不覚にも鼓動がドキドキと早くなった。
「あんなに幸せそうに、いつもいつもノロケ話ばっかり聞かされてたんだぞ。ダメになるなんて許さない! だいたい浮気なんてする甲斐性、あいつにあるわけないだろ……あんなに惚れてんのに……」
一部よくわからないセリフが混じっているような気もするが、そちらに意識が集中できない。
私に真っ直ぐに目を向けて、真剣に話し続ける諒の顔から目が離せない。
(そうなのよ……『勝浦諒なんて大嫌い!』って思ってたあの頃から、私、諒の顔だけは好みのど真ん中だったのよ……)
そんな自分を情けなく思っているものだから、頭のどこか上っ面だけでしか物事を考えられない状況の私に向かって、諒は真剣に語り続ける。
「このままずっと一緒にいるんだろうって! あいつらだったらきっとそうするんだろうって、俺は信じてるんだからな! こんなことぐらいでダメになるなんて嫌だ!」
でもいくら魂を吸い取られていても、きっぱりと言い切る諒の決意の強さだけは伝わった。
心ここにあらずの状態の私にだって伝わった。
(そうか……自分の想いはあと回しにしてでも、可憐さんの幸せを願うんだね……!そんなにそんなに大好きなんだね!)
涙が浮かんで来そうなくらいの思いで感動して、そうして自分もそうするべきじゃないのかと、私は思ったのだった。
「だから私も、自分の想いよりも諒の幸せを願わなくちゃって思うんだよね……」
しみじみと呟く私を見て、繭香はギュッと眉根を寄せて難しい顔をした。
佳世ちゃんは困ったように、小首を傾げて小さく笑う。
「あのね琴美ちゃん……それって……」
瞬間、私の肩の上で眠っているとばかり思っていたうららが体を起こし、スッと佳世ちゃんの唇に細い人差し指を当てた。
「ダメ。佳代……琴美が自分で気がつかないと意味がない……」
慌てて佳世ちゃんが口をつぐんだ途端、うららはまた私の肩の上に頭を乗っけてスヤスヤと寝息をたてる。
とても寝たフリとは思えないその熟睡っぷりに、私は驚いた。
「なに今の? 寝言? どういう意味?」
繭香と佳世ちゃんはもう一度顔を見合わせ、何事かを確認しあっている。
しばらくしてから繭香のほうが私に向き直り、きっぱりと言い切った。
「気にするな。琴美はもう自分の思うようにやればいい」
激励されているのか突き放されているのか。
どちらとも取れる口調に私はちょっとむくれる。
「なによそれ……相談にぐらい乗ってくれたっていいじゃない……」
「いや。どうせ人の話のほとんどは聞いてなくて、妄想だけでつっ走るんだから、壁にぶち当たるまでそのまま行けばいい。どうにも行き詰まったら相談してくれ。じゃ」
軽く手を上げて立ち上がる繭香と共に、佳世ちゃんまで立ち上がる。
「ごめんね琴美ちゃん……でも本当にこればっかりは誰かの口から聞くよりも、自分で気がついたほうが良いと思う……その方がきっと、ずっとずっと嬉しいと思う」
「こら!」
余計なことを言うなとばかりに目を剥いた繭香に肩を竦めてみせ、佳世ちゃんは繭香と並んで私に背を向け歩きだす。
「ちょ、ちょっと? 私だけ話が全然見えないんですけど?」
私はと言えば、二人を追いかけて立ち上がろうにも、うららに寄り掛かられているので、そうすることもできない。
いつも重さなんて全然感じないうららの華奢すぎる体が、急にずしりと私に体重をかけてきたような気がした。
「うらら?」
呼びかけてみても返ってくるのは規則正しい寝息の返事だけ。
でも、まあいいかとその場に残ることを決意した途端、小さな小さな声が私に語りかけた。
「頑張れ頑張れ」
昨日と同じ、まったく抑揚の感じられない一本調子な声援が、私にまた勇気をくれる。
「うん。頑張る」
うららの薄い色の髪の頭が、私の肩の上でかすかに頷いたような気がした。
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