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第三章 文化祭

3.恋のキューピット大作戦

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「違う! 違う! ちっがーう!!」

 体育館の舞台に上がっての立ち稽古の真っ最中。
 ようやく形になりつつある劇の雰囲気をぶち壊しにするような声が、もう何度目か、私たち『HEAVEN』の『白雪姫』の劇の練習を中断させる。

 叫んでいるのは、脚本と演出を一手に引き受けた貴人ではない。
 主演女優の夏姫――その人である。

「そうじゃないのよ! 白雪姫ってのは、絶対にこんなキャラじゃないのよ!」

 主役である自分の役柄がどうにも納得いかないらしく、頭をガシガシとかきむしりながら、今日何度目かわからないセリフを必死で叫ぶ。

「ねえ……白雪姫ってもっと可愛らしくて女の子女の子した姫でしょ? 小人と一緒に畑で鍬をふるったり、訪ねて来た継母を素手で撃退するような姫じゃないわよね?」

 夏姫の戸惑いと困惑はもっともだった。
 劇の台本と言って貴人がみんなに手渡した冊子には、こと細かにセリフが書いてあるわけではない。
 その場面に誰がいるのかの人物名と、話の流れだけが大まかに記してある。
 ページのほとんどに「セリフと動きは個人の判断で」とか「その場の雰囲気で」とか書かれており、出演者の解釈次第でどうとでもなる内容だ。
 書かれたとおりに自由にやった結果、思った方向とはどんどんかけ離れていくようで、夏姫のイライラは募り続けている。

「ねえ……小人がもっと優しく守ってくれたら、私の姫だってもっと可愛らしくなるんじゃない?」

 七人の小人に扮した私たちに向かって、夏姫は仁王立ちで腕組みをしながらそんなことを言った。

(いや……そのポーズからして『可愛らしい』にはほど遠いから……)

 面と向かって突っこむ勇気がなく、さり気なく目を逸らす私とは真逆に、隣にいた順平君は素直な声を上げた。

「だってさあ……例え森の中で熊に襲われたって、腕の立つ殺し屋が家に忍びこんできたって、絶対俺らより夏姫のほうが強いぜ?」

(こ、この正直者!)

 夏姫はちょっと目尻の上がった勝気そうな瞳を、ずらりと横一列に並んだ私たちに順番に注いだ。

「確かに……私の白雪姫より頼りになりそうな小人なんていないわね……」

 七人の小人の役になっているのは、右から順に美千瑠ちゃん、可憐さん、順平君、私、うらら、智史君、諒。
 繭香を除いて身長の低いほうから七人を選んであるので、私たちに囲まれると、ただでさえ等身が高くて背が高く見える夏姫は、なおさら大きく見える。
 しかも小人の七人はほとんどが文化部系なので、順平君の言うとおり、よく日に焼けた夏姫が一番腕っぷしが強く見えるのは確かだった。

「しかも王子まで……体だけ大きくって赤面症の内気王子だし……」

 舞台袖で、ドキドキする胸を押さえながら出番を待っている玲二君に目を向けて、夏姫は大きな大きなため息をついた。

「ねえ貴人……やっぱり……」
「ダメだよ。キャスト変更も脚本変更も受けつけない。夏姫が主役を降りたら、その時点で俺との約束もなしだから……!」

 舞台正面に置いたパイプ椅子に深々と座り腕を組んで、まさに『監督』というようなポーズで私たちの稽古を黙って見ていた貴人は、夏姫の不満をニッコリ笑いながら一刀両断にした。

「うっ……」

 貴人ととりつけた、来年の夏陸上部に参加するいう約束だけは、どうやら夏姫にとってどうしても譲れないものらしい。
 気分を変えようとするかのようにブンブンと肩を回して、再び私たちに向き直った。

「しょうがない……もう一度、最初からやるわよ……!」
「う、うん……」

 慌てて所定の位置に移動しながらも、こんな調子で本当に文化祭にまにあうのかと、不安にならずにはいられない私だった。
 
 


 『白雪姫』の劇をやるに際して、貴人は設定をいじったり、特に話の筋を変えたりはしないと言った。
「同じ役でも、誰がやるかによって自然と違ってくるものだからね」という言い分は確かに正しいが、夏姫が気にしているとおり、話がだんだん原作からズレていっているのは確かである。

 物語の序盤で、剛毅扮する猟師に姫が殺されようとする場面でも、当の姫が恐がっている様子はない。
 それどころか猟師を返り討ちにしそうな貫禄である。

 繭香扮する継母が姿を変えて訪問しても、妙に落ち着いてどうどうとしている夏姫の姫は、とてもそんな変装に騙されそうには見えない。
 あっさりと継母の企みを看破してしまいそうだ。

「違うってば! こうじゃなーい!」

 夏姫の叫びを笑いながら見ている貴人は、すでに肩を揺すって大笑いを始めている。

「いいんだよ。夏姫は夏姫らしく姫を演じれば……それで……!」

 そのため、一見良いことを言ってそうな言葉にも実に信憑性がない。

「もういいっ! 今日は終りにするっ!」

 夏姫が怒って舞台から降り、体育館を出て行ってしまうまで、結局私たちは何も為す術がなかった。

「なあ貴人……」

 涙を拭き拭きようやく笑うのを止めた貴人に、今日はとうとう出番のなかった玲二君が歩み寄る。

「怒ってるようにしか見えないだろうけど……あれって結構困ってるんだよ、夏姫は……できるならもうちょっと、助けてあげてもらえないかな……?」

 貴人はふっと真顔になって、真っ直ぐに玲二君を見つめた。

「それはきっと俺の仕事じゃないと思うよ……どう?」

 逆に尋ねられて玲二君はとまどったような顔をしている。

「どうって……」
「誰が見たって怒っているようにしか見えない夏姫の様子を、『困ってるんだ』と言い切ってしまえるんだね、玲二……助けてあげられるのはきっと俺じゃないと思うよ……どう?」

 途端に玲二君は顔から火が出そうなくらいに真っ赤になった。

「ど、どうって……」

 いつも以上に動揺して、立派なスポーツマン体型にそぐわずうろうろし始めながら口ごもってしまう。

(あれれ? ひょっとして……?)

 ピンと来たのはどうやら私だけではなかったようだ。
 可憐さんと美千瑠ちゃんは何事かを囁きあっているし、繭香はさも嬉しそうに大きな瞳を爛々と輝かせて玲二君を見ている。

「玲二……もし良かったら私が占って……」

 滅多に良い結果が出る事のない繭香の占いによって、玲二君がショックを受ける前に、私は急いで救済に出た。

「とりあえず夏姫を追いかけてみよう! ね、そうしよう玲二君!」

 王子のマント代わりにと、玲二君が首に巻いていた長い布を引っ張りながら叫ぶと、背後で諒が小声で呟いた。

「出た……! これぞ余計なお節介……」
「なんですって?」

 一発ゴツンと殴っておきたいところだけど、今は無理だ。
 ぐずぐずしてたら玲二君が繭香につかまってしまう。

「とにかく……今は行くわよ玲二君! ……諒! あとで見てなさいよ!」

 バタバタバタと体育シューズの音を響かせて走り去る私の背中を見送りながら、

「人のことには敏感なくせに、なんだって自分のこととなるとあんなに鈍感なんだ……? ……あーあ……なんかまた疲れてきた……」

 諒が呟いた言葉は、息せききって走る私の耳には届かなかった。
 
 


「夏姫!」

 姫のスカート代わりに腰に巻いていた長い布を取って、すでに部活用の短パン姿になってしまっていた夏姫は、軽い準備運動をしながら、グラウンドまで追いかけてきた私と玲二君をふり返った。

「何?」

 別に悪気があってぶっきらぼうに答えているわけではないと、私も玲二君もわかっているから気にしないが、知らない人だったら話をする気もなくなってしまいそうなくらい、夏姫の返答はつれない。

「何って……」

 特に今言いたいことがあったわけではなく、繭香の呪いまがいの占いから玲二君を救い出すためだけに夏姫を追ってきた私は、一瞬返答に困った。

「やっぱりもうちょっと……劇の練習したほうがよくない……?」

 苦し紛れに言葉を搾り出すと、夏姫はぷいっと顔を背けた。

「時間の無駄よ。どうせやるたびに違う内容になるんだし、どんどんもとの話からは遠ざかって行くんだし……もう、本番さえちゃんとやればいいって気がする!」

 それはもっともだと納得する自分の気持ちを奮い立たせて、私は言い募った。

「でもほら……まだ練習してない部分だってあるでしょ? 王子が登場してからの場面とか……?」

 ふり向いて見てみたら、急に話を振られた玲二君が青くなっていた。
 赤くなったり青くなったり、彼は実に心理状態がわかりやすい。
 考えていることが顔に書いてあるといつもみんなに言われる私は、ついつい親近感が湧いた。

「やっぱりちょっとくらいは練習しとかないと……ね?」

 助け舟を出すように、玲二君の気持ちを代弁したつもりだったのに、彼は青い顔のまま、ブルブルと首を横に振っている。

(え? 何? 違うの?)

 訝しく思う私の顔を、それまで背を向けながら柔軟を続けていた夏姫がふり返った。
 その表情は、気のせいばかりではなく本当に、かなり怒っているように見えた。

「それこそ、練習の必要ないわ。いくら練習したって上手くいきっこないもの!」

 言うが早いか、クルリと背を向けてさっさと走って行ってしまう身軽な背中。

「夏姫!」

 さらに言い募ろうとする私を、玲二君がそっと制止した。

「いいよ琴美……今はいくら言ったって意地になるだけだ……」
「そうなの……?」

 やっぱり玲二君はかなり夏姫のことを理解している気がする。

(それってやっぱり……そういうこと?)

 思った事を口に出さずにはいられない私は、思い切って本人に問い質してみることにした。
 


 
「玲二君って……夏姫が好きなの?」

 グラウンドの隅に置かれたベンチに並んで座り、販売機で買ったジュースを片手に、部活に励む夏姫の姿を見ながら、私は単刀直入に玲二君に切り出した。

 彼は口にしかけていたジュースをブッと吹き出して、かわいそうなくらいに赤くなった。

「そ、そ、そんなことはないよ」
「ごめん。そう言われても、もうとても信じられそうにない……」

 真正直に答えた私の言葉を聞いて、玲二君はガックリと肩を落とした。

「いや、謝らなくってもいいよ……俺も別に秘密にしてるわけじゃないし……」
「そうなの?」
「うん。ただまったく気付いてもらえないだけだから……」
「まったく?」
「そう……まったく……」

 言いながらしゅんと肩を落としていく姿がかわいそうで、それ以上はなんだか聞きづらい。

 夏姫とその手の話はしたことがないが、はたして玲二君のことをどう思っているのかと、自分の頭の中だけで考えてみる。

(体だけ大きくって頼りないって、いつも叱ってばっかりの気がするなあ……)

 あまり相手に気を遣わず、言いたい事を言ってしまう夏姫だが、玲二君には特にそれが顕著な気がする。

(でも……『私が玲二だったら、もっとこうするのに!』って悔しがってるところを見ると、もともとの能力の高さは買ってるのかも? それが上手く発揮されないことにイライラしてるわけで……)

 パチンと答えが出た。

(うん。これは望みがないわけじゃないわね。きっと玲二君の努力次第だわ!)

 すっくとベンチから立ち上がった私を、玲二君が驚いたように見上げた。

「な、なんだよ……急に……?」
「大丈夫! 私にまかせておいて!」

 どーんと胸を叩く私の姿を、見つめる玲二君の目は途端に不安に揺れ始める。

「いや……特にどうにかしたいってことはないんだけど……」

 迷子のように頼りなげな視線に、ちょっと夏姫の気持ちがわかるような気がする。
 玲二君は背だって高いし、サッカー部では不動のストライカーだし、もっと自信を持ってプレイすれば、プロになるのも夢じゃないなんて言われているらしい。
 なのに弱気な性格が災いして、学校生活じゃほとんど目立たないし、試合中でも競り合いになったらちょっと引いてしまうところがあるのだ。

(あれ? ちょっと待って……私が知ってるこの情報って、ほとんど夏姫から聞いたものじゃない……)

 ピンと何かが心に響いた気がした。

(いける気がする! 私の腕次第では!)

「こ、琴美……なんか企んでそうな凄い顔してるけど……」

 本当に人の様子を観察することにおいては、玲二君は一流だ。

「俺は別に、今のままでも……」

 おろおろと意思表明されてしまう前に、私はガバッと玲二君を真正面から見据えた。

「後夜祭のダンス! 夏姫が他の人と踊ってもいい?」
「…………!」

 瞬間息をのんだ玲二君に素早く頷いて、先に言葉を継ぐ。

「OK。私が協力するわ!」
「お、おい……」

 遠回しに断られる前に、体育館に向かって走り出す。

(やっぱり誰かに協力してもらわなくっちゃ……私が気付くくらいだから、きっと他のみんなだって気付いてるはずだもんね)

 さて誰がいいのだろうと思案する頭の中に、諒の呟きが甦る。

『出た……! これぞ余計なお節介……』

 ムッとして、その声を頭からふり払った。

(絶対あいつにだけは知られないようにしなくちゃ!)

「おおーい琴美! 待てってば!」

 決意を込めて力強く走り続ける私には、玲二君の悲愴な叫びも聞こえてはいなかった。
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