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5 知らない日常

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 夕焼けに照らされた『うてな』へ踏み入った瞬間に、私の服は紺地に朝顔柄の浴衣に変わった。
 母がとりあえず近くのスーパーで買ってきた服に、退院時は着替えていたはずなのに不思議だ。
 髪も、私が自分でアップにした夏祭りの日のものに変わっていた。

 そこに佇んでいた私と同じように浴衣姿の椿ちゃんが、何気なくこちらをふり返って私を見て、まるで信じられないものを見たとばかりに、涙に濡れた瞳を大きく開く。

「和奏……あなた何してるの? 夏祭りに行ったんじゃないの?」

 その顔を見れただけで、その声を聴けただけで、胸が熱くなって涙腺が緩む自分を必死に励まして、私は椿ちゃんに笑ってみせた。

「うん。今から行くから、椿ちゃんを迎えに来たんだよ……」

 椿ちゃんは少し困ったように、眉を寄せた。

「百合から事情は聞いたでしょ? 『燈籠祭り』に行く許可は、お父さまからもらえなかったの……今日も私は外出禁止」
「それなのに、お屋敷を抜け出して、またここで泣いてるんだね」
「それは! しょうがないでしょ……ここは私の秘密の場所なんだから……思いっきり泣いてすっきりしたら、すぐに家へ帰るわよ……お父さまに見つからないうちに……」

 椿ちゃんの家である『成宮』のお屋敷と、髪振神社があるこの山は、かなり離れているのに――とは指摘しなかった。
 あんなに建物は広いのに、なぜか窮屈に感じるあのお屋敷で、椿ちゃんが思いっきり泣ける場所もないのなら、ここは彼女にとって確かに大切な場所なのだ。
 私はそう思う。
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