キミの秘密も愛してる

シェリンカ

文字の大きさ
上 下
34 / 43
第九章 新しい毎日

1.約束を胸に

しおりを挟む
「いったいどうしたんだよ! 何があった!?」
 フェリーターミナル中に響き渡るような大声で叫びながら、貴子が私の体をユラユラと揺さぶる。

 すっかり取り乱した貴子を制止するために、花菜が間に割って入った。
「貴ちゃん! 貴ちゃん落ち着いて! ……ね?」
 
 貴子はハッとして私の両肩にかけていた手を放した。
 
 私は両手に提げていた荷物を地面に置いて、てのひらでぐいっと自分の顔を拭う。
「ただいま」
 
 息をのんだように私を見つめる二人に、微笑みかける。
 なんとか笑顔が作れたらしいことが、ホッとしたような二人の表情からわかった。
 
「真実ちゃん……」
 私につられたように、目に涙を浮かべていた花菜が、優しく微笑んで私を抱きしめた。
 
 難しい顔をして私の様子をうかがっていた貴子も、それ以上はもう何も言わず、私の頭の上にそっと手を乗せてくれる。
 
 だから無理やりにじゃなく本当に涙が止まった。
 もう泣かずにすんだ。
 悲しい別れも辛い思いも含めて、海君とのことを泣かずに話せるような気がした。



 
「別れたぁ!?」
 らしくもなく素っ頓狂な声を上げて、貴子は私の顔を心底驚いたようにのぞきこむ。
 
 ためらいもなく頷いた私に、フーッとため息を吹きかけると、乗り出していた体の重心をうしろに移して、椅子の背もたれにドカッと大きな音を立てて勢いよくもたれ掛かった。
 
 フェリーターミナルを出てすぐの喫茶店。
 窓際のテーブルの席に着いても私に何も尋ねてこない貴子と花菜に、私は自分から話を切り出した。
 
 ――海君とサヨナラしたこと。
 
 一瞬沈黙した後に、二人は目を見開いて驚く。
 当然といえば当然の反応だった。
 
「なんでそうなるんだよ!」
 貴子の怒鳴り声は別に私を責めているわけではない。
 ただあまりにも予想外の出来事に、やり場のない憤りを感じているだけだ。
 
「まさか……?」
 その怒りの中に、一瞬自分のやったことに対する後悔の念が見て取れて、私は慌てて口を開いた。
 
「違うよ! 別に、貴子のお膳立てが気に入らなかったとかそんなんじゃないから……」
 
 貴子は頭を抱えようとしていた手でサラサラの長い髪をかき上げると、眼鏡の奥の鋭い目を私に向けた。
「じゃあなんなんだよ?」
 
 尋ねられると言葉に詰まってしまう。
 だって、なんと言ったらいいんだろう。
 
(最初から海君がそう決めてたから? ずっと一緒にいるつもりはなかったから? 私が海君に秘密を問い正したから?)
 
 何を言っても、貴子にわかってもらえそうな気がしなかった。
 
「ええっとね……」
 それだけ言って俯いたままの私の肩を、花菜がフォローするようにそっと叩く。
 
「今はいいじゃない……真実ちゃんがもっと落ち着いたら、きっと話してくれるわよ……ね?」
 心のままを代弁されたような気がして、私は急いで顔を上げた。
 
「うん。いつかきっと話す。話せると思う……!」
 私の言葉に、貴子はもう一度フーッと息をついて、頭を軽く横に振りながら、腕組みした。
 
「わかった。真実にはもう何も言わないよ。私の計画を台なしににしてくれたツケは、いつか絶対、あいつに払ってもらうから!」
 強い口調で宣言された言葉に、私はため息混じりの声が出た。
 
「海君は……もう私のところには来ないよ……」
 
 あんなにキッパリと彼は言い切った。
 一度も私をふり返りもしなかった。
 それらは全て海君の意志の強さを表しているし、決意の固さを示している。
 
 今までもずっとそうだったように彼の決心は揺らぎはしない。
 どんなことがあっても変わりはしない。
 
 だけど、貴子はどこか遠いところを見るように、視線を窓の外の空に向けた。
 
「そんなことはないよ」
 彼女独特のあの覇気のある声ではなく、静かな確信をこめて呟くような声に、私は思わず貴子の顔を見つめた。
 
「貴子?」
 訝しく呼びかけても、貴子は反応しなかった。
 
「そんなはずは絶対ない」
 まるで自分だけが知っている何かに目を向けるかのように、空を見上げたままもう一度呟くから、
(ひょっとして、何かあるの……?)
 という思いが頭をかすめる。
 
 小さな望みなんか見出してしまうと、もう大丈夫と思った胸の痛みがまたぶり返してきて、ズキズキと痛かった。



 
 貴子と花菜と一緒に自分のアパートの前まで帰ったら、またひどく胸が痛んだ。
 
 毎朝海君が私を待っていた場所。
 夕方にはいつも「また明日」と小さな約束を残して帰って行った場所。
 
 ここにはもう、彼のいた形跡なんてなにもない。
 目を閉じれば今でも瞼の裏には焼きついているけれど、その面影だって、きっと時の流れと共に薄れていく。
 どんどん薄くなって、ついには消えてしまう。
 ――それはなんて、悲しいことなんだろう。
 
「真実?」
 立ち止まって考えこんでしまった私を、貴子がふり返って呼んだ。
 
「大丈夫か?」
 優しい問いかけに、私は笑顔で答える。
 
 少なくとも、貴子が尋ねた意味では大丈夫だった。
 あまりにも思い出が密集しているこの場所は、私にとって決して辛い場所ではない。
 むしろ大切な場所だ。
 
 どこにいても何をしていても結局は海君を思い出すんだろうけど、それは私にとってはむしろ嬉しいことだった。
 
 思い出だらけの通学路も。
 私の部屋も。
 この街も――何もかもが今はただ愛しかった。
 
 まったく辛くないと言ったら、それは嘘だ。
 でも私は実際、自分の記憶の中の思い出以外には、海君に関するものを何も持っていない。
 
 だからもともと、その小さな記憶の欠片を拾い集めて、宝物のように大切にするしかない。
 彼が本当に私の隣にいたんだということは、私の記憶でしか証明できない。
 
 ふと自分の右手を見つめてみた。
 海君が、「心の中でずっと繋いでいよう」と言ってくれた手。
 
 絶対に嘘は吐かない海君とした約束だから、心の中で繋いでいるこの手を放すことは、決してない。
 そう確かに信じていられることが、これから先私にとってどれだけ救いになってくれるだろう。
 
 きっと海君はわかってた。
 私の弱さも、彼とサヨナラしたあとのどうしようもない寂しさも、最初から全部わかってて、だからあんな約束をしたんだ。
 
 私のこれからの時間も丸ごと全部彼に繋がっていると思えるように、どんな時でも一人になったんじゃないと思えるように、最後の約束をくれたんだ。   
 
 
 優しい人。
 誰よりも私のことをわかってくれた人。
 
 もう二度と会えなくてもいい。
 無理をしなければ、私と離れたどこかの場所でこれからもきっと生きていてくれる。
 
 それだけでいい。
 
 この同じ世界にいてくれる、それだけでいい。

 
「真実?」
 もう一度呼びかけた貴子に、私は心から笑って答えることができた。
 
「大丈夫だよ。私は大丈夫……」
 いつもより一際優しい目をした花菜が黙って頷いてくれる。
 
 つられたように貴子も頷いた。
 だから私は――。
 
「じゃあ、また明日」
 いつも海君がそうしていたように、にっこり笑って手を振ることができた。
 
 彼が思い出させてくれた笑顔が、今もまだ私の中にちゃんと残っていることに感謝しながら――。



 
 海君が隣にいない夏休み。
 私はたくさんのアルバイトをして、学校の図書室にも毎日通った。
 
 いつでも何かをしていたかった。
 誰かと一緒にいて、やることがあって忙しくて、それが何より嬉しかった。
 
 海君と手を繋いでゆっくりと歩いた街を、一人きりで歩くことが辛くて、私は自転車を買った。
 車ほどは速くなく、気が向いた時には好きな場所で停まることもできる。
 そんな自転車は、今の私の気分にピッタリだった。
 
 思い出すとふと立ち止まりたくなるから。
 
 川沿いの土手の道を。
 歩道橋のある交差点を。
 よく行ったコンビニを。
 目にすると大好きな背中を探したくなるから。
 
 決してそこには、彼がもう現われることはないと、頭ではわかっていても、確かめずにいられないから。
 
 未練がましくて、ほんの少しの希望も捨てられない、そんなどうしようもない自分は決して嫌いではなかった。
 うしろ向きにめそめそ泣いてばかりいるよりは、とっても自然に前を向いて歩いている気がした。
 
 今は無理はいらない。
 海君は私にとって、そんなに小さな存在ではなかった。
 失って生きていけるのかと思ったくらい、大きな存在だった。
 だから――。
 
(もう一度会いたい!)
 そう願ってしまうのは、どうしたって当然なんだ。
 
 青空の下を微笑み混じりに自転車をこぎながら、自分のことを自分でそんなふうに分析できる私は、ちっとも悲劇のヒロインなんかじゃなかった。
 かえって以前よりも、ずっと現実的だと思った。
 
(もしも偶然にバッタリ会ったりしたら……海君はどんな顔するのかな?)
 懸命に自転車のペダルをこぎながら、そんなことを考る。
 
 笑いながら想像できるのは、やっぱりそれが現実にはなりえないと、自分でわかっているからだ。
 
(だけど忘れない。いつだって想ってる……)
 想いの強さを表現するかのように、どんどん自転車のスピードをあげて、風を切って走るのが気持ち良かった。



 
「真実……なんだか前より元気になった?」
 愛梨に問いかけられて、思わず笑みが零れる。
 
 彼女と同じコンビニでバイトをするようになって、お昼休みは二人で屋外でお弁当を広げるようになった。
 作っていくのはもちろん私。
 
 だけど、一人でいるよりは二人でいるほうが断然嬉しくて、私は毎朝の二人ぶんのお弁当作りも全然嫌じゃなかった。
 
 朝と夜は同じアパートに住む貴子と。
 昼はバイト先で愛梨と。
 それか学校で一緒になった誰かと。
 いつも誰かが私の傍にいてくれた。
 
 労わるように私を見つめるたくさんの視線に、
(気を使わせてしまってるな)
 とちょっぴり申し訳なく思う。
 
 あのフェリーで帰ってきた日以来、貴子と花菜は、海君の名前を口にしない。
 それは、私よりちょっと遅れて帰省先の実家からこの街に戻ってきた愛梨も同じだった。
 
 愛梨はいつの間にか、私と海君がサヨナラしたことを知っていた。
 きっと貴子か花菜から先に聞いたんだろうけど、ひさしぶりに会った時も、ただ黙って私を抱きしめただけだった。
 それ以降も改めて何かを尋ねるようなことはない。
 
(ありがとう……)
 三人の優しさに私は甘えるばかりで、何も返せてなどいない。
 だけどそんなことはおかまいなしに、みんなは私を優しく包みこんでくれる。
 
 だから私は笑えるのかもしれない。
 優しい人たちに囲まれているおかげで、今日も笑っていられるのかもしれない。
 
 そう思うと、
(笑うことが出来るってことは、とてもとても幸せなことだったんだね)
 改めてそう感じた。
 
 眩しいくらいの青空を見上げて、大好きな人の面影に向かって、また笑いかけた。
(そうなんだね……海君)
 
 そんな私を、隣に座る愛梨も負けないくらいの笑顔で見つめていた。
「なんなら、新しい出会いを私が作ってあげようか?」
 
 その余計なお節介には、ちょっと咎めるような視線で返事する。
 
「冗談よー、冗談!」
 愛梨は大きな声で笑いながら、私の背中を叩いた。
 
「そんなことしたら怒られちゃう……」
 意味深な発言に私は首を傾げた。
 すると愛梨は、パチリと片目を瞑ってみせる。
 
「なんでもない……気にしないで!」
 言葉とは裏腹になんだか嬉しそうな、自分だけが知っている事実に一人満足しているような、思わせぶりなその笑顔が気になった。
 
 口に出して尋ねる代わりに、私は心の中でいろんな可能性を考えてみる。
 
 けれどどんなに前向きに考えてみても、愛梨の喜びそうな展開を想像してみても、私が本当に望んでいる結論には、とうていたどり着きそうにない。
 
(それだけは……きっと無理だもんな……『海君にもう一度会いたい』なんて……)
 
 腰かけていたベンチの厚めの座面を、指が痛くなるほどにギュッと握りしめて、瞬間、揺らいでいきそうな気持ちを私は必死に保った。
 
(いつかは……思い出しても心から笑えるようになる)
 
 呪文のように、自分を勇気づけるように、何度もくり返す。
 大好きな夏の空を見上げながら、何度も何度もくり返してみる。
 
(大丈夫。いつだって繋いでる。この手は彼と繋いでる)
 海君が最後にかけてくれた魔法を有効にするように――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

12年目の恋物語

真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。 だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。 すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。 2人が結ばれるまでの物語。 第一部「12年目の恋物語」完結 第二部「13年目のやさしい願い」完結 第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中 ※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

亡くなった王太子妃

沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。 侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。 王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。 なぜなら彼女は死んでしまったのだから。

きみの愛なら疑わない

秋葉なな
恋愛
花嫁が消えたバージンロードで虚ろな顔したあなたに私はどう償えばいいのでしょう 花嫁の共犯者 × 結婚式で花嫁に逃げられた男 「僕を愛さない女に興味はないよ」 「私はあなたの前から消えたりしない」

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~

蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。 なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?! アイドル顔負けのルックス 庶務課 蜂谷あすか(24) × 社内人気NO.1のイケメンエリート 企画部エース 天野翔(31) 「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」 女子社員から妬まれるのは面倒。 イケメンには関わりたくないのに。 「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」 イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって 人を思いやれる優しい人。 そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。 「私、…役に立ちました?」 それなら…もっと……。 「褒めて下さい」 もっともっと、彼に認められたい。 「もっと、褒めて下さ…っん!」 首の後ろを掬いあげられるように掴まれて 重ねた唇は煙草の匂いがした。 「なぁ。褒めて欲しい?」 それは甘いキスの誘惑…。

処理中です...