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第一章 学園クリスマス

挿話7 藤枝繭香のもどかしい憤り

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「なんだこれは! いったいお前は、私のことをなんだと思ってるんだ!」

 あっこれ繭香のぶんね、と軽いノリで手渡された封筒の中身を見て、思わず大声で怒鳴ってしまった。

(くっ! ……あまり感情を高ぶらせないようにと、主治医にもたびたび注意されているのに……!)

 自分では軽く後悔の念に駆られたのに、怒鳴られた相手はキョトンとした表情で私の顔を見る。

「なにって……繭香だと思ってるけど?」

 その的外れな答えと、悪びれないいつもの笑顔に、体に悪いとは思いつつも、また叫んでしまう。

「そういう意味じゃない! プレゼントに貰って嬉しい写真が、確かこの封筒の中には入っているはずだろ……? それがどうして……私にはこんな写真なんだと聞いてるんだ!」

 封筒からひっぱり出した写真をビシッと目の前に突きつけてやったら、貴人はやっぱりニッコリと笑った。

「ああ……だって繭香は琴美のことが大好きで、俺のことも好きだから……自然とそうなっちゃうだろ?」

 まだ『HEAVEN』が発足して間もない頃、貴人に肩を抱かれて赤面している琴美の写真。
 ――いったい私にこれをどうしろと?

「バカかお前は!」

 力の限りに叫んで、写真を真ん中から二つに破り、琴美のほうだけポケットにしまうと、貴人のほうは念には念を入れて小さくビリビリに破ってやった。

「ひどいな繭香……」

 全然困っているふうには見えない笑顔に向かって、最早ただのゴミに成り果てた紙片を投げつける。
 ハラハラと空から落ちてくる雪に混じって、写真の欠片も貴人の足元に降り積もった。

「確かに琴美は私の友だが……私は別にお前のことは好きではない! 昔から大嫌いだと言っているだろう!」
「はいはい」

 笑いながらのおざなりな返事に、ますます腹が立つ。
 どんな時でも全然崩れないその笑顔を、なんとか壊してしまいたくて、私はスマホを取り出した。

「……琴美か? 今年の『HEAVEN』の活動はこのクリスマスパーティーで終わりだと言ってたが前言撤回だ。大晦日の夜、十一時に神宮に集合! 会長から大事な話があるそうだ! じゃあな」
「ち、ちょっと繭香――?」

 携帯の向こうで琴美が慌てて何を言いかけたが、聞かないままに電話を切った。
 どんなもんだという思いで顔を見上げたら、貴人がちょっと困った顔をしていたので、ほんの少し溜飲を下げる。

「勝手に予定を立てるのはいいけど……俺の計画にしちゃうの? で? ……大事な話って、俺は何を話したらいいわけ?」

 まるで子供の悪戯を大きな心で赦してやるような対応に、再び怒りの炎を再燃させながら、私は敢然と貴人に人差し指を突きつけた。

「しらんふりして、このままなかったことにしようとしているお前の片想いの告白に決まっているだろう! 敵に塩を送るような真似ばっかりしているんじゃない!」
「繭香!」

 貴人が珍しく顔色を変えて私の口を塞ぎに飛びついてきた。

 私の携帯が確かに切れていることと、周りに誰もいないことを気にしている様子が、いつもの余裕だらけの貴人とは全然異なっていて面白い。
 いい気味だ。

(ふん。馬鹿者が!)

 口を塞がれているため、声には出せない思いを心の中だけで呟き、貴人には目で訴える。

「どっちが馬鹿だよ……お互いさまだろ……?」

 私を見下ろす貴人の顔が、一瞬だけ、それはそれは優しくなって、私はぎゅっと胸が苦しくなった。
 とっくに見切りをつけて、もう葬り去ってしまおうと思っている感情が甦ってきて、慌ててブルブルと何度も首を横に振る。

(私のことはいいのだ! 放っておけ!)

 睨みあうように戦わせる視線を、自分のほうから外してしまったら負けになりそうで、私は必死に貴人の顔を見返した。

 クリスマスのロマンティックなムードを、恋人たちもそうでない者たちも楽しそうに満喫する中。
 私だけは緊迫した戦いの最中にいた。
 どうしても、もう負けるわけにはいかなかった。
 

 
 貴人にとって琴美が特別だなんて――そんなことは、私が彼女の存在を貴人に教えてやったすぐの頃からわかっていた。

「繭香……ほら、あの子がいた!」

 もともとは私が、気になっていつも見ていた女の子。
 群集の中で空ばっかり見上げている琴美を、私が見つけるより先に貴人が見つけるようになるまでには、そんなに時間はかからなかった。

「学年トップスリーなんだってさ、すごいね……!」

 学校も休みがちで、貴人以外には友人もいない私に代わって、貴人はどこからともなく琴美の情報を調べてきては、私にも耳打ちしてくれる。

「五組の早坂君とつきあってるのか……うーん残念……」

 いつもと同じ軽口のつもりで言ったのだろうが、その顔がかなり本気なことに私は気がついていた。

 鋼のような笑顔の奥に隠された貴人の本心なんて、私以外にはわかる人もいないだろうから、きっと私だけしか知らない真実。

 誰からも好かれて、学園の王子様とも呼ばれる貴人が、いつか誰かを本気で好きになったら、あっという間に両思いになるのだろうと、私は常々思っていた。
 ――でも現実はそうはならなかった。

 琴美は貴人ではなく、いつも喧嘩ばかりしている諒の隣にいるほうを選んだ。
 その選択に、私は少なからず責任を感じている。

(琴美だって貴人には惹かれていたはずなのに……故意にか無意識にか私のことを気にして……きっと始めっから貴人の事は選択肢から外している……!)

 決して貴人本人には言わないが、そのことを私はずっと申し訳なく思っていた。
 
 

 確かに私は子供の頃からずっと貴人のことが好きだった。
 貴人以外には、接する相手もいなかったのだから、それはもう、恋愛感情というよりも家族愛とか依存心とかに近い感情なのかもしれない。

 ともあれ、自分でもちゃんと自覚があるほどには、私は今も貴人のことが好きだ。
 でも貴人は、私のことをそういう意味では好きではない。
 そのことだって、私にはもうずっと前からよくわかっている。

 報われることなんて絶対にないとわかってて、それでもずっとずっと貴人の傍にいて貴人を想っていた私。
 ――その存在が、きっと貴人の初めての恋を邪魔したのだ。

 お互い意地っ張りなためなかなか上手く恋人同士になれない琴美と諒を、ニコニコ笑いながらあと押ししてあげる貴人の姿を見ていると、心底腹が立つ。

(お前の本心は、そうじゃないだろ!)と思わず叫びそうになる。

 それでもずっと我慢に我慢を重ねてきたが、もう限界だ。
 私が琴美に全てをぶちまけてしまう前に、どうか貴人が自分の口で伝えてほしい。

 それで傷つく人間のこと。
 変わってしまうかもしれない関係のこと。
 琴美の気持ち。
 何もかもに気をまわしていたら、貴人はいつまでたったって何もできない。

 他人のことにばかり一生懸命で、自分のことはあと回しどころか、全然表に出さないままで、全部全部押し殺して我慢していなければならない。

「私はそんなのは嫌なんだ……!」

 思いがちゃんと言葉になったことで、初めて気がついた。
 いつの間にか貴人が私の口を塞いでいた手を放していた。

「繭香が気にすることはないのに……ほんとに優しいんだから……」

 大きな手で、今度はくしゃっと頭を撫でられるから、首に巻いていたマフラーの中に、私は顔を半分ほどまで埋める。

「優しくなんかない……罪滅ぼしだ……」

「何の?」とは聞かないで、また私の頭を撫でてくれる貴人のほうが、私なんかの何倍も優しい。
 そんなことは、十年以上前からわかっている。
 だけど――。

「じゃあ……俺が告白する前に、繭香にもしてもらおうかな?」
「――――――!」

 ちょっと笑い含みに言われた言葉に驚いて、私はハッと貴人の顔を見上げた。

 いつもどおりの笑顔には、私だけにしかわからない程度、ほんの少し毒が含まれているように見えた。

「しらんふりしてなかったことにしようとしてる……それって、繭香だって同じだろ?」
「あのな!」

(自分に告白しろとけしかける人間がどこにいる! それも結果が目に見えているのに! ……ハッキリとふってやるとでも言いたいのか?)

 憤る私に向かって、貴人はニッコリと微笑む。
 花が綻ぶようなその笑顔には、今度は一点の曇りもなかった。

「繭香がフラれたら俺が慰めてあげるから……だから俺がダメだったら、繭香が慰めてくれる?」

(自分をフッた本人に慰めてもらって……そいつがフラれたら私が慰めてやる……? なんなんだそれは! ややこしい!)

 憤然と睨み返したら、どんな人間だって少しは怯む私の視線を真正面から受け止めて、貴人はまた笑った。

「いいだろ?」

 仕方がない。
 昔から貴人にだけは私の睨みが通用しないのだ。
 神経が図太いのか。
 どこかが壊れているのか。
 私が貴人を好きだからなのか。
 ――やっぱり大物なのか。

(きっと……全部だな……)

 諦めの境地で私はため息をつきながら頷いた。

「わかった。私も大晦日の夜にケジメをつける! どうせすぐに年が改まる……今年の恥はかき捨てだ!」
「恥って……かき捨てって……ハハハハッ」

 貴人がついにお腹を抱えて大爆笑し始めた。
 こうなった貴人は、てんで役にたたない。

「なんだ? 芳村? どうした……?」

 さっきまで自分のことにばかり夢中だった人間たちが、貴人の周りに集まり始めた。

「なんでも……なんでもないんだけど……ハハハハッ!」

 私は静かにその人垣から離れながら、もう一度ポケットからスマホを取り出した。

「もしもし? 夏姫か? 実はな……」

『HEAVEN』のメンバー全員に、くまなく連絡をしておかなければ。
 私と貴人の「恥のかき捨て」が終わったあとには、どうせ十二人全員で遊ぶに決まっているのだから。

「いいか! 十一時に集合だからな! 玲二にも伝えておけ!」

 伝達事項だけ伝えたら、さっさと通話を切る。

(次は美千瑠……電話が通じないようだったら、剛毅にかければいいか……)

 忙しく連絡をとり続ける私は、本当は熱に浮かされたような気持ちで、その上とてつもなく緊張していた。
 売り言葉に買い言葉とはいえ、もうすぐついに長年の想いに終止符を打つのかと思うと、どうしようもなく気持ちが高ぶっていた。

(まあいい。私だけではない! きっとあいつだって、平気な顔で笑いながらも、心の中では私と変わらないぐらい焦ってるんだ!)

 それほど貴人を追いこめただけでも、今回の私の犠牲には大きな意味がある。
 私が被る痛手も大きいが、自分自身のことはてんでおざなりな貴人を、変えるきっかけになるかもしれない。

(よし! もういい! やれるだけのことはやってやる! 後悔も反省も、あとは全部そのあとだ!)

 決意を込めて私は携帯を握り締めた。
 そして睨むように夜空を見上げた。
 
 ――決戦の時は……そう! 大晦日!
 
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