出戻り皇妃と壊れた皇帝

黒崎

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出戻り皇妃は異世界に戻る

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 ――ぱんぱん、と腰を打ち付ける音。密室に響く淫らな水音。興奮と熱気がこもる部屋。
 はぁっ、と男の熱い吐息が女の耳をくすぐる。
 男は女の身体を貪り続けている。
 柔らかい体を貪る。貪欲に喰らい続ける。空いたものを埋めるように。飢えた欲を満たすように。
 女の嬌声が、男の欲をゾクリと煽る。薄く開いた女の唇を厚い舌先がなぞり、軽く食む。
 甘く啼く女の声に、男は満足そうに喉を鳴らす。
 漏れる声を男の唇が塞ぐ。ゆっくりと舌で口内を舐り、歯の裏さえも擽るように嬲る。
 ぴくぴくと反応する女の身体に目を細め、男の瞳に愉悦の色が輝く。
 女の長い髪は交わる間に乱れており、どれほど長い事愛されていたのかを想像させる。
 その身体を、その存在を確かめるように弄まさぐりながら、男は光悦とした笑みを浮かべる。
「お前は私のものだろう……やっと……やっとだ」
「もう……陛下、だめっ…ああっ」
 絶頂する度に身体を仰け反らせる。 達した女の身体に、所有印たる赤い花を散らしていく。軽く吸い付き、しっかりと付いた痕を、男の指がなぞり上げる。
 僅かな理性が残る女の瞳に、ぎらぎらと瞳を輝かせた男の貌が映る。
 獣欲に染まりながらも、美しい姿の獣は笑う。
 嬉々として女の体を舐ねぶり、快楽の波に堕としていく。
 捕らえた身体を真っ先に穢した。
 天に帰った筈の天女を、もう二度と帰らせないために。
 地上に落ちた鳥の羽を捥ぐように。
 柔い女の身体に、男は顔を沈めながら呟く。
 「何故、なぜ今なんだ……だが、お前が戻ってきてくれて、俺は幸せだ」
 低く切なげな男の声に、ふと喜びの色が混じる。
「ああ、俺だけのものだ、お前は。誰にも渡すものか…」
 光悦とした声音から、どろりと暗く低い声音へと変化する。
 クックッと喉を鳴らす姿は、美しい虎を思わせた。
「もう逃がさない、もう二度とお前を離さない――俺の宝石リュカ」
 
 お前を逃がさないよう、もっと堕としてしまえば、お前はここに居てくれるか?

 耳元をくすぐる男の声は、酷く物憂げで――何処か哀しげに聞こえた。
 
 女がそれに答える前に、男の唇が音を殺した。返答を拒むように、唇をねっとりと嬲られ―――女はゆっくりと堕ちていく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時を少し遡り――日本という国に、一人の社会人がいた。
 
 労働はクソ。
 そんな一言ともに、今日も退勤する。
 疲れた。しんどい。辞めたい。
 でもお金は欲しぃぃぃぃ!
 
 務め人として死んだ魚の目になりながら、今日も仕事をこなした。
 帰ったらビール飲もう。
 ……ついでにコンビニイーツも買おう。
 最近高いけど。
 
 社会の荒波に揉まれ、上司に叱られ、毎日残業をこなし、ある意味荒れた生活を送る社会の歯車として社会人生活を送っていた。
 そんな私には、前世の記憶があった。
 前世。
 あまりにも空想じみたその言葉に、どうか引かないで欲しい。
 いや、その記憶があると言っても、悪魔の証明なので難しいのだが――。
 ともかく、私には前世の記憶がある。それも、巷で聞く過去の歴史の中で生きていたという訳では無い。
 そう――私にはこことは違う世界の、異世界で生きた記憶があった。
 
 
 そこで貴族として生まれ、後宮に入り、皇帝の妃として迎え入れられ、
 やがて皇妃となった。
 夫たる皇帝は、私をひどく寵愛した。彼は私を愛してくれた。私も彼を愛していた。
 
「お前が、いつかいなくなってしまわないかと恐ろしい」
 赤い瞳を不安げに揺らしながら、キスを降らしてくれた。
 それに私は、笑って答えるのだ。
「正夢にならないよう、貴方のお傍にいますから」
 
 そう。
 幸せだった。
 けれど幸せとは、いつまでも続かないものであって――。
 
 私は呆気なく死んだ。
 毒を盛られた。遅延性の毒。
 後宮では昔から暗殺がよくあったから――驚きはなかった。
 そう。
 私が、それに引っかかってしまっただけだ。
 運が悪い、いや、気付かなかったのだから自業自得と言えるかもしれない。
 毒を飲んで、解毒が間に合わず――そのまま死んでしまった。
 死の直前、断末魔のような、皇帝の叫びが聞こえたような気がした。
 
 
 そうして気付けば、この世界に生まれ変わっていた。地球という惑星の日本という国に。
 流れるように第二の人生を生きて、持って生まれた記憶を恨んだこともあった。
 常識も何もかも違う世界で――慣れるのに20年かかった。今では、立派な社会の歯車として働いている。
 ぼんやりとしていると、前世の記憶に引きずられることはよくある。
 
 そもそも、この記憶は本物なのか。
 異世界の記憶なんて、おかしいと。
 本当は、私の思い込みではないか。
 私は、
 本当に――『  』だったの?
 ふとした瞬間、自分が分からなくなる。
 私はどちらの私なんだろう。ただ私が思い込んでいる偽物なのか。
 異世界の記憶なんて、私の記憶にしかない存在を、どうやって証明すれば良いのか。
 私はワタシじゃないみたい。
 
 ……愛された記憶があるからなのか、この世界での恋愛事にどうも興味もわかない。
 ――ああ、まだ私はあちら側に未練があるのか。
 前の記憶に想いを馳せる度に、複雑な感情が胸の内を焦がす。
 もう戻れないのに。そんな喪失感に沈むのが嫌で、振り切ろうとしているが、どうも上手くいかない。
 おまけに、前世から引き継いだ美貌のせいで、何かと男から粉をかけられやすい。
 ……ナンパされることはしょっちゅうで、うんざりしている。
 人混みの中をぬけ、信号が赤になる。横断歩道が青になり、歩道を渡る。
 
 もし、戻れたら。
 ――わたしは、きっと戻ることを願うだろう。
 
 そう思いながら、ふと顔を上げる。
「――危ない!!」
 そんな一言が耳に入った刹那、
 
 
 凄まじい衝撃が体に走ると同時に、
 意識が途切れた。
 
 
 私の二度目の人生は、呆気なく終わった。
 
 
 
 
 声がする。
「おーい」
 若い男の声だ。
「きみ、大丈夫ー?」
 誰? 私、生きてるの?
「いや、君は死んだよ」
 その一言に目を開こうとして、意味が無いことに気付く。
 次々と感じる違和感。
 視界がない。音もない。呼吸もしてない。重力を感じない。視界がないから何も見えないのか――いや、そもそも身体が無いということに気付く。
 ……なるほど、私は死んだらしい。
 身体がないのに、意識はある。
 なんとも奇妙な感覚。そもそも、声が出ない。音が出ない。
 生命がない。
 常人ならば発狂しそうな筈なのに、何故かひどく冷静だった。
 この、何も無い感覚は、ああ、一度目の死に似ている。感覚が消えうせて、最後には無になったあの時の。
 一度経験して、感覚が壊れたのだろうか。
 尽きない疑問。しかしその前に、この声の主は誰だろうか。
「おっ、やっとかぁ。早速だけど、君は死にました!」
 死んだ。なるほど。ここは?
「確かに君は死んだよ。ここは、そうだなぁ。あの世とこの世の境目って所かな」
 あなたは?
「僕? 僕はねぇ、君たちが言う神様ってやつかな」
「で、きみにおねがいがあるんだけど。あ、拒否権は無いよ」
 ちょっ、待っ、
「君の世界の夫―――今は狂皇なんて呼ばれてるらしいけど」
「君が死んじゃったから、今日まで僕に向けてずっと恨み言ってるからねぇ」
 え? ……え?
「アイツ、下手に神の血なんて継いでるから、僕まで届いて煩いんだよね」
「あんまりにも煩いから、黙らせたくて――君を探してたんだよ」
 
 わたしを、探してた?
 あのお方は、そんなに私の死を悲しんでいたのか。いや、それよりも、狂皇って……? 
 
 疑問は増えるばかりだったが、神と名乗るソレは、無駄話を好かないようで、一方的に告げた。
 
「まぁ、面倒くさいから説明は省く。兎も角、死んだ君の魂を見つけたから、ちょうどいいし、君の転生前の――生まれ故郷に帰してあげるよ。それできっとアイツも黙るだろうし」
 
 私――帰れるの? あの世界に?
 地球では無い、――あの人と過ごした世界に。
 
「肉体は今の君の姿でね。作り直すの面倒だし。どうせ同じ顔と似た体付きだろ。あ、ちなみに、地球に転生する前の君の身体はもう荼毘されてるから。死者蘇生は厳禁だし、新しい体に放り込むね」
「一刻も早く、この生霊――怨霊じみた恨み言ともおさらば出来ると思うと、感無量だよ本当に」
「確かに君の肉体はぐちゃぐちゃだけど、まあ治せるからいいか。身体も綺麗にしてあげる。服は、まあ少し変えさせてあげる。
 場所は……適当な場所と時代に落とすね。あ、君が死んだ後の、アイツがいる……そんなに歳取ってない位にね。面白そうだから」
 
 嬉しい……嬉しいけど……! もう少し、説明というものが欲しい。
 狂皇ってどういう――、
 
「あ、質問は一切受け付けないから。早く解放されたいんだよ~ごめんね~、まぁ、頑張ってね……多分ここで死んどいた方がいいくらい、面白い扱いになると思うけど」
 
 そう神様は笑いながら、パチンとなにかの音を鳴らした。
 同時に、私の意識が揺らいでいくのを感じる。
 
 あ、私――本当にあの世界に行くんだ、なんて考えた瞬間――
 
 何もかも闇に飲み飲まれた。
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