春に落ちる恋

32

　支店の地下駐車場に、京極さんの運転する車は音もなくすっと停車した。
　俺は重い腰をさすりながら、シートベルトを外し助手席から降りる。
「野々原。腰大丈夫か？」
「お陰様で絶不調です」
　京極さんが心配そうに俺の腰に手を回す。
「支店まで、だっこしていこうか？」
　京極さんがエレベーターのボタンを押しながら真面目な顔で言う。
「神谷さん、びっくりして顎外れちゃいますよ」
　俺はそう言いながら来たエレベーターに乗り込んだ。
　コートのポケットに両手を突っこんで、壁に寄り掛かる。

「怒ってんのかよ」
　隣に並んだ京極さんがちょっとびびった風に問う。
「怒ってませんけど、疲れました」
　俺はため息をつくと、京極さんの肩に持たれかかった。
　京極さんがそんな俺の頭を優しく撫でた。

　エレベーターが地上につき、支店の入口に向かうと、そこには一人の女性が立っていた。
「君、もしかして木曽さん？」
　京極さんが聞く。
「はい、木曽　真(キソ　マコト)って言います。今日からお世話になります」
　そう言ってぴょこんと目の前の女性が頭を下げた。
　二重の瞳に綺麗に揃ったカールしたまつげ。
　コーラルピンクの口紅が良く似合っていて、オレンジ色のチークからは溌溂とした雰囲気を受ける。特別な美人というわけではないが、彼女が笑うとその場がぱっと明るくなるような子だなと感じた。

「寒い中、待たせてすまない。まさか、こんな早く来ると思っていなかったから」
　京極さんが珍しく慌てたように鍵を取り出す。
「気にしないでください。何だか緊張で早く目が覚めちゃって……。家でじっとしていても落ち着かないから、こんな時間、まだ誰もいないって分かってたのについ出社しちゃったんです。逆にごめんなさい」
　京極さんが扉を開けると、頭を下げた彼女が俺の前を通って支店に入る。
　ふんわりと甘いお菓子みたいな香りがその場に漂った。

「俺がここの支店長の京極だ。よろしくな。変な時期に異動してきてもらって悪かったな」
「いえ。私、京極さんがこの地域で売り上げトップだって聞いてから、ずっと一緒に働いてみたいなあって思ってたんです。だから今回の異動、私にとってはラッキーでした」
　圧倒されるような美形である京極さんを前にしても、木曽さんは臆することなくはきはき話す。京極さんもそう言われて一瞬驚いたものの、少しだけ嬉しそうに目尻を下げた。
「そうか。それは光栄だな。もうすぐここの事務担当の神谷さんが来るから、彼女から色々教わって、早く戦力になってくれよ」

　そう言うと、京極さんは自席にむかった。