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第二話 怪我を負った少年

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「ルーアはいるか!?」
 そう叫ぶ声が聞こえたのは夜空を火球が貫いた次の日の正午過ぎ。声の主はラザックだった。
 ルーアとミンが慌てて外に出て行くと、ラザックが見知らぬ少年を抱えていた。
「どうしたんだい、その子!?」
 ルーアが驚くのも当たり前だ。少年の衣服は赤黒く染まっている。
「話はあとだ! 応急処置はしたが……ベッドに運ぶから手伝ってくれ!」
「分かったわ! ミン、レングさんを呼んできておくれ」
「うん!」
 ミンが急いで医者のレングを呼んでくると、彼は患部に薬草を当てて言った。
「止血はしているようだが、出血がひどいな。熱も出ている」
 少年は呻き声と共に大量の汗をかいていた。ミンは心配そうに少年を見つめて聞く。
「助かるんですか?」
 その質問には答えず、無言で処置を続けるレングの様子が、少年の容態の難しさを物語っている。
 ミンはただ、両手を組んで祈った。
(神のご加護がありますように……)

 手当てが終わったのは一時間後。
「できることはやった。しばらくは汗を拭いてやって、夜から脇の下と足の付け根に水を含ませた布をあてがうといい。薬も置いていくから朝昼晩と飲ませてやりなさい。何かあればすぐに私を呼びなさい」
 レングはそう言い残して帰っていった。

「ううう……」
 深夜になって呻き声で起きたミンは、母親のベッドから起き上がると、ランタンに火をつけて少年の様子をうかがった。汗が額を伝っていたのでふき、ぬれた布も交換してやると呻き声は収まった。
 しばらく起きていることにしたミンは、彼をまじまじと見た。歳は十五、六くらいだろうか。今は着替えているが、当初は異国の装束を纏っており、顔立ちもここら辺に住む者とは少し違うようだ。黒く短い髪に、瞳も黒。遙か東方に似たような特徴を持つ民族がいると聞いたことがあるが、どうだろうか。
 父親から聞かされた話だと、帰る途中で大きな穴を見つけ、近寄ってみると得体の知れない器が転がっていたそうだ。気になって近づき、取っ手のようなものを回して扉を開くと、中に大けがをした少年がうずくまっていたという。
(あなたは……)
 ミンの脳裏にはなぜだか昨日夜空に流れた火球が思い出されていた。


「……起きた!」
 異国の少年が運び込まれてから四日後、彼は目を覚ました。
「母さーん、目を覚ましたよ!」
 ミンが声をかけると、ルーアが駆け寄る。
「良かったわ。このまま目が覚めないかと思っていたから」
 ルーアが安堵の声を上げる。彼女が少年の体を支えてやると、彼は何事かをしゃべった。
「××××××」
 どうやら異国の言葉のようで、内容は分からない。
「困ったわね、言葉が通じないみたい」
 悩むルーアを横目に、ミンが身振り手振りでコミュニケーションを図ろうとする。
「こ・こ・大・丈・夫?」
 ミンが自分の脇腹を指さすと、少年は己の同じ箇所を見て触れる。
「××っ」
 触った瞬間、苦痛に顔を歪めた。
「見た感じ、痛みはあるようだけど意識しなければ大丈夫なようね。数日は安静にさせときましょう……ミン、バター茶をあげて」
「はーい」
 多くは食べられないだろうが、何か与えなくてはならない。バター茶は脂肪分が多いため、栄養にはなるはずだ。
「どうぞ」
 ミンがバター茶の入ったカップに両手を添えて、少年に与えようとすると、彼は待ったというように片手で制した。
 彼はそのままバター茶の匂いを嗅ぐ。
「大丈夫だよ。これは、バ・タ・ー・茶。毒じゃないから」
「ば・つあ・ちゃ?」
「バター茶」
「ばたーちゃ」
「そ、どうぞ」
 ミンが再度カップを傾けると、今度は大人しく飲み始めた。しかし、だんだん彼の顔が渋くなっていく。
「あはは。外から来た人にはクセがあるらしいからね。よし、えらいえらい」
 ミンは笑いながら、なんとか全てを飲みきった少年の頭を撫でた。
「?」
 少年は困惑顔だ。
「そうだ、私はミンっていうの。ミ・ン」
 自分を指さしながら名前を教える。
「み・ん?」
「そう、ミン! あなたは?」
 ミンが少年を指さすと彼はためらいがちに名乗った。
「……アド」
 名前を聞いてミンは笑顔になる。
「アドっていうんだね! じゃあアドは……どこからきたの?」
 しかし、出所を問う質問に彼は俯いた。
「どうしたの?」
 彼は首を横に振るだけで何も言葉を発しない。
「んー……ま、言いたくないなら無理に聞かないよ!」
 彼が何も話さないのは何か事情があるのだろうと、ミンは話題を変えた。
「その怪我じゃしばらくは動けないだろうから、ゆっくりするといいわ。動けるようになったら、リハビリついでにこの辺のこと色々紹介してあげるから」
 もっとも、彼に言葉は通じていないだろうが。


     ◇ ◇ ◇

 意識をすると脇腹がズキズキと痛む。ここはどのあたりだろうか。
 起きた時に最初に見た少女は自分より年下のようだった。彼女はミンと名乗った。髪は茶色、瞳は深い青色。人当たりが良さそうで、いつも笑顔だ。どういう訳か、彼女の両親……いや、ここの者たちは全員、瞳が薄い茶色をしている。つまり、おかしいのは彼女の方だ。
(ハーフ……または養子?)
 しかし、両親の特徴も受け継いでいるように思える。
(……そんなことはどうでもいいか)
 今は他に心配事が山ほどある。自分を助けてくれたのはミンたちで、身の安全はある程度保証されているが、帰る手段がない。自分がいる場所は瞳に埋め込まれたチップで分かるだろうから、救助待ちということになる……。
(来てくれるのか?若造一人のために)
 にもかくにも原住民とのコミュニケーション手段を確立して、シップに戻って通信ができるか確認しなければならない。
(……それにしてもバター茶は不味かったな)
 何とも言えない味を思い出して、再び眠りに入るアドであった。

     ◇ ◇ ◇


「この子たちがモイ。主にミルクを取ってるの。すごく大人しいから、すぐに仲良くなれると思うよ」
 でっぷりとした大きなモイを指さして、ジェスチャーを交えながらゆっくり説明するミン。アドはフンフンとうなずいている。彼の来訪から一週間ほどがたち、怪我の具合も良くなってきたようだ。
 アドは今、カルタの人々と同じ衣装を纏っている。ラザックのものは少し大きかったので、ジルからイクシャのお下がりを借りてきた。
「こっちがユックルで、これもユックルの毛でできてるんだよ。それから、あれがポルラン、その奥がオリー。ポルランの方がいっぱい荷物を運べて、オリーの方が足が速いんだけど、両方とも移動に使うの」
「ゆっくる……ぽるらん……おりー……」
 容姿はミンより年上に見えるが、一生懸命覚えようとする姿に思わずミンは微笑む。
 と、そこへ声がかかった。
「ミン? もしかして、その人が運び込まれたっていう……」
 声をかけてきたのはメナリだった。
「うん、アドっていうの」
 メナリはまじまじとアドを見る。
「なかなか綺麗な顔してるじゃない。まぁ、イクシャほどじゃないけど」
「いくしゃ……?」
 聞こえてきた単語にアドが反応すると、ミンが心臓の形を作って教える。
「イクシャはメナリが片思いしてる相手なの」
 アドは納得したようにうなずいた。どうやら、ハート型は万国共通らしい。
「ちょっと、何変なこと教えてるのよ!」
 メナリが唇を尖らせて言う。
「ごめんごめん、でもアドは真面目だからばらしたりしないよ」
 そういうミンは笑っており、本当かどうか怪しい。
「いい? 絶対に秘密よ!」
 メナリはアドに顔を近づけて人差し指を縦に置きながらそう言った。
「じゃあ私は用があるから行くわ」
「うん、また」
 ミンとアドが手を振る。
 しかし、何かを思い出したようにメナリが戻ってきた。再びアドに顔を寄せた彼女は彼にしか聞こえないようにヒソヒソと小声で話す。
「ずいぶんミンと仲がいいようだけど、この子は相当手強いわよ。大人っぽいというか、達観してるというか……そう、婆臭ばばくさいのよ。いつもニコニコしてるけど本心がどこにあるか分からないわ。今のあなたはいいとこ弟って感じね。まぁ、頑張りなさい」
 アドは彼女が何を言っているのか理解できなかったが、とにかく頷いておいた。それに満足したのか、今度こそメナリは去っていった。
「アド、メナリと何話してたの?」
「ミン、『ばばくさい』?って」
「あはは、メナリはひどいなぁ」
 あっけらかんと笑う彼女の笑顔に、アドは若干の違和感を覚えた。それが何だったのか分からないが、これがメナリの言っていたことと関係があるのかもしれない。
「そろそろお昼にしよっか」
 ミンはそう言うと、何事もなかったかのようにカムとチーズを取り出した。


「こうだ」
 草原には二人の男が立っていた。
「こう?」
 一人はラザック。もう一人はアド。
「そうだ、そのまま引き絞って狙いをつけるんだ」
 アドが弓を引き絞って矢を放つと、矢は放物線を描いて飛んでいった。何かあったときに身を守れるようにと、ラザックがアールを教えているのだ。
「うん、筋はいいな。少し休憩するか」
 草原に膝をつくと、ラザックはアドに問いかけた。
「アド、君はどこから来たんだ?」
 質問に対して、アドは俯く。
「ああいや、無理に聞こうとかそういうことではないんだ。事情があるのは分かっている。だから、提案があるんだよ」
 アドは不思議そうにラザックを見つめる。彼は、聞き取りだけならだいぶできるようになっていた。人は、異国の言葉は学ぼうとすると覚えにくいが、必要に駆られると驚くほど上達が早い。
「出会ってまだ間もないが、私たちは同じカルタで暮らしている。君はもう家族みたいなものだ。事情が話せるようになるまでこのまま一緒に暮らさないか」
 驚いて目を見開くアド。
「アドが気後れしてしているのは知っている。そのせいで当てもなくカルタを出ていってしまうんじゃないかってミンが心配してたよ」
 ラザックの優しい声にアドの瞳が揺れる。
「めいわく、かかる」
 それを聞いてラザックは笑う。
「家族とはそういうもんだろう。じゃあ、こういう形にしようか。アドはここに住む代わりに仕事をしてもらう。それでいいだろう?」
 しばらく悩んでいたアドだったが、迷った末に了承することにした。
「わかった」
 それを聞いて満足そうな顔をするラザック。
「まぁ、もちろん私たちは家族だと思っているがね? ミンなんかは大喜びだろうな」
 首を傾げるアドを見てラザックはもう一度笑った。


 アヴェロス祭まで二週間を切った日の午後、ミンたちは踊りの練習に励んでいた。
「うん、ウイカもレリカもだいぶ良くなってきたわね。じゃあ、今のを忘れないでもう一回通していくわよ」
 静かに流れ始める楽器の音。ポルランのたてがみを用いたリメスクという弦楽器だ。本番も近いということで、今日は演奏者の青年が一人練習に加わっている。
 楽器の音に合わせて踊る少女たち。ミスをしないように指先まで神経を集中させていく。一年に一度の晴れ舞台だ。失敗などしたくないという思いは全員同じだった。
 中盤の激しい動きを越え、最後は上品に優雅に舞う。
 踊りが終わり、一息つくとメナリが神妙な顔でミンに言った。
「私、今年のアヴェロス祭で上手く踊れたら、イクシャに気持ちを伝える」
 ミンは驚いてしばらくメナリを見つめたが、やがて微笑んだ。
「分かった。じゃあ、絶対成功させないとね」
 ミンが片手をを差し出す。
「応援してる」
 メナリも片手を差し出して二人で手のひらを打ち鳴らした。
「そういえば……あんたんとこのアドはどうなの?」
 突然そんなことを聞くメナリ。
「アド?」
「そうよ。同じ屋根の下で暮らしてるんだから間違いの一つや二つあったんじゃないの?」
「よく分からないけど元気にしてるよ。弟みたいでかわいいし」
 こめかみを押さえて唸るメナリ。
「いい? 言葉がたどたどしいからそうは見えないかもしれないけど、歳は十五、六ってところね」
「十五って言ってたよ」
「そこまで分かってるなら何で気づかないの! 十五って言ったらケダモノよ!」
「ああ、そういうこと」
 ミンは今気がついたというように右手の拳を左手の平に打ち付けた。
「心配しなくても大丈夫だよ。アドは弟みたいなものだし」
「振り出しに戻ったわね……」
 やはり、ミンは(ある意味)手強い、そう思うメナリだった。


     ◇ ◇ ◇

(……おかしい)
 こんなはずではなかった。
 言葉が不自由なせいで年下のミンから弟扱いされてしまっている。でもまぁ、それは生きるために仕方のないことだ。だが、到底納得できないこともある。
「あ、アドだ!」
「ほんとだ、アドだ!」
「こらー逃げるなー」
 近所のジャリボーイたちだ。こいつらだけは解せん。隙あらば家畜の糞を投げつけてくる。しかも素手でだ。
「やめろ、うんこ、やめろ」
 そうこうしているうちに追いつかれそうになる。原住民は体力オバケだ。信じられない。どこからそんな体力が湧き出てくるんだ。
「捕まえろー」
 おい、待て。まさか家畜の糞を触った手で掴もうというのか。それだけはやめてくれ。
「ミン、助けて」
 ミンに助けを求めたが、彼女は少し離れた場所で微笑んでいるだけだった。
(もうこんな所は嫌だ……)
 ミンたち家族には世話になったが、もう頃合いだろう。脱出できるのなら、あまり情も残さない方が良い。どうせ、彼女らはあと数年でいなくなるのだから。

     ◇ ◇ ◇

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