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第十話
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咲良が病院から戻った後、亜利沙の母親から連絡があった。軽く記憶の混乱があるそうだが、身体機能に異常はないそうだ。念のため、明日検査を行うということだった。
咲良は医者に事情を説明したが、「脳機能の一時的な混乱」だろうとされた。
(でも、あれは何だったんだろう……)
今も脳裏に残る機械的な声。考えても答えは出ない。本人に聞いても、また同じように混乱し、倒れてしまうかもしれない。亜利沙が復帰したら様子を見ながらそれとなく探りを入れてみようと、咲良は思った。
(とりあえず)
今は他にやるべきことがある。
(水澤凛……)
彼女に接触しなければならない。
(でも、どうやって?)
高校の授業が終わるのはどう考えても小学校より遅い。校門で待ち伏せをする案はバツだ。
(いざとなったら、早退しなきゃいけないかな……)
ベッドの中でそんなことを考えているうちに、眠気でまぶたが落ちていく。
「―この先に未来はない。進めば全てを失う」
耳につく声を聞きながら、咲良の意識は遠のいていった。
朝食の前に、自分の遺影が飾られた仏壇に線香をあげる。これが咲良の朝の日課の一つだ。はじめは違和感があった。でも、あのとき確かに失われたものがある。咲良自身の体もそうだが、純麗が意識を入れ替えた人物、河合あんずの意識もきっと消えてしまった。それを思うと、この行為にも意味があるのではないかと思い始めていた。
立ち上がる前に、仏壇をチラ見する。そこには二つの遺影があった。姉が家で撮った写真と、高校に入学したとき、母親が撮ったものだ。どちらも控えめながら微笑んでいた。これらの写真が撮られたとき、自分はおそらく幸せだったのだろう。
(まだ、何も知らなかったから……ううん、何も知らないのは今も大して変わらないか)
中学の時に友達はいたが、高校では入学して間もなくあの事件が起きた。だから、話をするクラスメイトはいても、仲の良い友人はいなかった。クラスメイトの顔もよく覚えていない。純麗とは違う学校だったため、今さら会いに行くこともない。
(今いるここが私の居場所)
そう心の中で言い聞かせた。戻ってこない過去に見切りをつけるために。
「おっはよう!」
妙に明るい声が登校したばかりの咲良の耳に届いた。
「おはよう」
遙香はおそらく元気づけようとしてくれているのだろうと思って、あえて触れないでおく。
「亜利沙、大丈夫かなぁ」
と、思ったら向こうから触れてきた。
「たぶん、大丈夫だよ。亜利沙は、強いから」
「うーん、確かに。学校にいるときはモブだけど、本当はあんな性格だしねぇ……」
本人がいない所で酷い言いようだ。
(亜利沙は気にしなさそうだけど)
割と自分がストレートにものを言う亜利沙は、他人が何かを言ったところでそれほど気にしないだろう。もちろん、悪意がない場合においてだが。
「明後日には復帰できるんだっけ?」
「うん、おばさんはそう言ってた。またよろしくって」
「じゃ、それまで咲良を独り占めじゃ……」
わしゃわしゃと両手を怪しく動かして近寄ってきた遙香。
「うん」
既に別の考え事をし始めていた咲良は、素っ気なく返した。
「ひ、ひどい……! 最近私に対して当たりきつくなってない!?」
涙目の遙香を放っておいて、咲良は水澤凛に会うためにはどうしたらいいか考える。
(と言っても、亜利沙が帰ってくる前にけりをつけたいかなぁ)
病み上がりの彼女を巻き込みたくはない。
(今日考えていい方法思いつかなかったら、明日最後の手段を使おう)
軽く決意をしたところで。
「つーかまえた」
声がすぐそばでしたと思った瞬間。
「がっ……」
首を掴まれた。
「咲良!」
遙香は思わず本当の名を呼ぶ。
「ちょっと、咲良に何してんの! 離してっ」
首を掴んできたクラスメイトの男子は、しがみつく遙香の腕を振りほどき、両手で咲良の首を締め上げる。
(間が悪い……)
観察という名の下、二年になってもクラス替えが行われず、隔離されていたこのクラス。そのスクールカウンセラーの常駐を学校がやめたばかりだったのだ。
咲良はすでに自分の首を絞める男子生徒が、今まで何度も彼女を襲ってきた彼らだと気づいていた。
(苦しい……)
もがく彼女の瞳に映るのは男子生徒のニヤけた顔。
(息……が……お姉ちゃんは……)
助けを求めて純麗の姿を捜すが、彼女は教室にはいなかった。
(いつもは……もう来てる時間なのに……)
とことん運が悪い。
(もう……だ……)
意識が持っていかれそうになったその時。
ドカッ。
男子生徒が突然横にふっ飛んだ。
「かはっ……」
床に落とされた咲良の肺に酸素が供給される。
「お、お前は……どういうことだ……?」
男子生徒が驚愕の表情を浮かべる。
「な、なぜ二人いる……?」
しかし、彼の言葉は咲良の耳に入ってこない。
目の前には赤いランドセルを背負ったままの少女がいた。一度だけ見た。その顔はやはり忘れることはできなかった。黒い髪に、黒い瞳。
「……水澤、凛ちゃん?」
そう、男子生徒を蹴り飛ばしたのは水澤凛だった。
咲良は医者に事情を説明したが、「脳機能の一時的な混乱」だろうとされた。
(でも、あれは何だったんだろう……)
今も脳裏に残る機械的な声。考えても答えは出ない。本人に聞いても、また同じように混乱し、倒れてしまうかもしれない。亜利沙が復帰したら様子を見ながらそれとなく探りを入れてみようと、咲良は思った。
(とりあえず)
今は他にやるべきことがある。
(水澤凛……)
彼女に接触しなければならない。
(でも、どうやって?)
高校の授業が終わるのはどう考えても小学校より遅い。校門で待ち伏せをする案はバツだ。
(いざとなったら、早退しなきゃいけないかな……)
ベッドの中でそんなことを考えているうちに、眠気でまぶたが落ちていく。
「―この先に未来はない。進めば全てを失う」
耳につく声を聞きながら、咲良の意識は遠のいていった。
朝食の前に、自分の遺影が飾られた仏壇に線香をあげる。これが咲良の朝の日課の一つだ。はじめは違和感があった。でも、あのとき確かに失われたものがある。咲良自身の体もそうだが、純麗が意識を入れ替えた人物、河合あんずの意識もきっと消えてしまった。それを思うと、この行為にも意味があるのではないかと思い始めていた。
立ち上がる前に、仏壇をチラ見する。そこには二つの遺影があった。姉が家で撮った写真と、高校に入学したとき、母親が撮ったものだ。どちらも控えめながら微笑んでいた。これらの写真が撮られたとき、自分はおそらく幸せだったのだろう。
(まだ、何も知らなかったから……ううん、何も知らないのは今も大して変わらないか)
中学の時に友達はいたが、高校では入学して間もなくあの事件が起きた。だから、話をするクラスメイトはいても、仲の良い友人はいなかった。クラスメイトの顔もよく覚えていない。純麗とは違う学校だったため、今さら会いに行くこともない。
(今いるここが私の居場所)
そう心の中で言い聞かせた。戻ってこない過去に見切りをつけるために。
「おっはよう!」
妙に明るい声が登校したばかりの咲良の耳に届いた。
「おはよう」
遙香はおそらく元気づけようとしてくれているのだろうと思って、あえて触れないでおく。
「亜利沙、大丈夫かなぁ」
と、思ったら向こうから触れてきた。
「たぶん、大丈夫だよ。亜利沙は、強いから」
「うーん、確かに。学校にいるときはモブだけど、本当はあんな性格だしねぇ……」
本人がいない所で酷い言いようだ。
(亜利沙は気にしなさそうだけど)
割と自分がストレートにものを言う亜利沙は、他人が何かを言ったところでそれほど気にしないだろう。もちろん、悪意がない場合においてだが。
「明後日には復帰できるんだっけ?」
「うん、おばさんはそう言ってた。またよろしくって」
「じゃ、それまで咲良を独り占めじゃ……」
わしゃわしゃと両手を怪しく動かして近寄ってきた遙香。
「うん」
既に別の考え事をし始めていた咲良は、素っ気なく返した。
「ひ、ひどい……! 最近私に対して当たりきつくなってない!?」
涙目の遙香を放っておいて、咲良は水澤凛に会うためにはどうしたらいいか考える。
(と言っても、亜利沙が帰ってくる前にけりをつけたいかなぁ)
病み上がりの彼女を巻き込みたくはない。
(今日考えていい方法思いつかなかったら、明日最後の手段を使おう)
軽く決意をしたところで。
「つーかまえた」
声がすぐそばでしたと思った瞬間。
「がっ……」
首を掴まれた。
「咲良!」
遙香は思わず本当の名を呼ぶ。
「ちょっと、咲良に何してんの! 離してっ」
首を掴んできたクラスメイトの男子は、しがみつく遙香の腕を振りほどき、両手で咲良の首を締め上げる。
(間が悪い……)
観察という名の下、二年になってもクラス替えが行われず、隔離されていたこのクラス。そのスクールカウンセラーの常駐を学校がやめたばかりだったのだ。
咲良はすでに自分の首を絞める男子生徒が、今まで何度も彼女を襲ってきた彼らだと気づいていた。
(苦しい……)
もがく彼女の瞳に映るのは男子生徒のニヤけた顔。
(息……が……お姉ちゃんは……)
助けを求めて純麗の姿を捜すが、彼女は教室にはいなかった。
(いつもは……もう来てる時間なのに……)
とことん運が悪い。
(もう……だ……)
意識が持っていかれそうになったその時。
ドカッ。
男子生徒が突然横にふっ飛んだ。
「かはっ……」
床に落とされた咲良の肺に酸素が供給される。
「お、お前は……どういうことだ……?」
男子生徒が驚愕の表情を浮かべる。
「な、なぜ二人いる……?」
しかし、彼の言葉は咲良の耳に入ってこない。
目の前には赤いランドセルを背負ったままの少女がいた。一度だけ見た。その顔はやはり忘れることはできなかった。黒い髪に、黒い瞳。
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そう、男子生徒を蹴り飛ばしたのは水澤凛だった。
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