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最終章

宝石の時間②

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トイレから戻った純さんが、バンダナの下のうなじの辺りをボリボリと掻きながら、どうなってる?と言い、画面に目をやる。
 今、後半が始まった所ですと答え、ウチも画面を見る。
「あのカナダに一点差で食らい付いているとは、あっぱれだよ」
 しかし早速アンダーソンに決められ、これで三点差になる。
 トイレから戻った純さんが、バンダナの下のうなじ辺りを掻きながら、どうなってる?と言い、画面に目をやる。
 今、後半が始まったところですと答え、ウチも画面を見る。
 「あのカナダに一点差で食らい付いているとは、あっぱれだよ」
 しかし早速アンダーソンに決められ、これで三点差になる。
 「しかし、凄いな。あのアンダーソンは」
 まさに金メダルをかけて闘うにふさわしい相手だ。ウチはターンオーバーで攻撃に転じるテレビ画面の日本チームに、聞こえるはずのない声援を送った。
 その声援が届いたのか、哲坊が同点に追い付く3ポイントを決める。
 「ウォー!」
 会場は、蜂の巣をつついた様な大騒ぎになった。
 いける、いけるぞ。
 あちこちから声が飛ぶ。
 日本は、プレスディフェンスを仕掛ける。
 8秒ギリギリで、マルコがインターセプトから速攻でランニングシュートを決める。
 「ヨッシャー!」
 再び日本リード。
 流れは完全に日本だ。
 たまらず、カナダベンチはタイムアウトを取る。
 「ふ~っ」
 ウチらも、思わず息を付く。
 「互角だな。この試合、好プレーで掴む流れも大事だが、ミスと一瞬の油断が勝負を決めるな」
 純さんが缶ビールを開けながら呟いた。見ると既に数本空になっていた。
 「純さん、車でしたよね!?」
 「今日はここに泊まる。大丈夫だ」
 「いや、ウチ宿泊許可出した覚えはないんですけど…ベッドも無いですよ」
 「ここ(車いす)で寝る。心配ない」
 「あきませんって!ずり落ちたりしたらどうするんですか!!」
 「でも、もう飲んだからなぁ…」
 テレビの画面は、コーチの短い指示を終えて、円陣を組んでいるカナダチームを映している。
 「1、2、3、CANADA!」
 円陣が解かれ、両チームが再びコートに戻って来た。
 純さんの予想通り、強引にゴールを狙いに行きファウルを貰う様な「おとり」にも釣られず、双方落ち着いて相手の攻撃を防ぐディフェンス重視のフォーメーション。その厳しいマークを掻い潜って、アンダーソンが同点ゴールを決める。
 第3クォーターを終わって30対30。
 ありふれた言葉だけど。
 泣いても笑っても、あと10分。
 このまま食らい付いていけば、本当にいけるかも。
 会場をもの凄い期待感が支配している。
 しかしカナダが先にリードを奪うと、一度もリードを明け渡す事無く、終盤に差し掛かった。
 この試合運びは、さすがに三連覇中だ、と思う。
 会場も先程のムードとは一変し、一同じっと画面に見入っている。
 特に谷口は、全く身動きをしない程だ。
 そしてカナダが1点のリードを保ったまま、ついに残り30秒を切った。
 ワンショットで逆転。とにかく、ワンショット。
 哲坊の3ポイントをおとりにして、昴とマルコが空いたスペースに飛び込むという攻撃に、カナダは細心の注意を払っていた。
 スペースを狭くして二人を閉め出し、哲坊には必ずワンマーク付けて、3ポイントを打たせない様にした。
 日本チームは、一か八かの賭けに出た。
 二郎さんが、絶対自由にしてはいけないアンダーソンのマークを解除して彼をフリーにし、自らゴールエリアへ飛び込んだ。この瞬間、カナダディフェンスは誰にパスが行くのか混乱した。
 一瞬の隙を付いて同じくスペースに飛び込んだ哲坊へ、バレーボールで言うワンハンドレシーブの様に、自分へのパスを絶妙に角度を変えて弾いた二郎さんからのラストパスが通った!
 慌てたカナダディフェンスが、痛恨のシュートファウルをしてしまった。しかも相手はショットの名手、哲坊だ。
 予想出来なかったのも無理はない。この攻撃パターンは今まで一度も本番では披露した事がない。

 「おおー、坂本、阿吽の呼吸で良く反応したな。ナイスファウルだ」
 純さんが哲坊のプレイを褒めているが、ホンマにそうや。いつ打ち合わせしたんやろ?

 そういえばあの時の…

 (「練習200%、本番100%って言うけど、色んな意味があるんだよな」)

 あの時、昴と二郎さんが話している横で、黙々と3ポイントの練習をしていた哲坊の姿が浮かんで、ウチはちょっと思い出し笑いをした。

 (「いやいや、盗んでねぇよ。たまたまだよ、たまたま。病気とかじゃないのか?」)

 そういえばあの子、盗み聞きは得意やったな…

 テレビの画面が、頭を抱え天を仰ぐカナダベンチのコーチをアップで映す。
 逆に静かだった会議室会場は、一気に熱を取り戻した。
 残り時間10秒でのフリースロー。
 1本決まれば、時間からみておそらく延長戦。
 2本とも決めれば、金メダルだ。
 哲坊の普段の力なら、間違いなく二本決まる。
 彼はそのシュート力で代表に選ばれたのだから。
 だがこんな大事な時に、谷口が突然席を立った。
 「何や、トイレか?ハーフタイムに済ませときいや、そんなもん」
 「いえ、ちょっと電話を掛けて来ます」
 「仕事か?残り10秒やで。そんなん後にしいや。この大事な時に何を言うとんねん」
 「いえ、仕事ではないのですが、ちょっと、スカウトの方に…」
 えっ!?
 「自分、プロに行きます。ですから、プロ志望届を出します、と電話を…」
 彼が面映そうにつぶやいた。
 
 哲坊の1本目のショットが決まった。これで、同点。
 
 「あとフリースロー1本と、残り10秒や。それも待てんのか」
 「はい!」
 憑き物が落ちた様な表情で、言い切った。 
 「そうか。良かったな。がんばりや!」
 ウチは勢い良く右手を差し出した。
 谷口は、かすれる様な声で、有り難うございます、と言いながら、晴れ晴れとした笑みを浮かべ、大きくて、でも思った程にはごつごつしていない両手で、しっかりとうちの手を握り返して来た。
 「一秒でも早く、行っておいで…」
 ぺこり、と頭を下げると、失礼します、と言い、小走りで出口へと向かった。
 その後を青葉ちゃんが、やはりウチにぺこりと頭を下げて、追い掛ける。
 ウチは顔がニヤけるのを抑えながら、再びテレビに視線を移した。
 
 谷口の決断を祝うかの様に、哲坊から放たれた2本目のフリースローは、リングに全く触れる事なく、ストンとリングの内側を通過した。

 「決まったーーー!坂本哲也のゴールデン・ビューティフル・ショット!」

 「シャッー!!」

 会場とテレビの実況はこの日一番の絶叫と、まるでハイタッチの様に車椅子がぶつかり合う音とに包まれた。


 
 
 「日本男子車椅子バスケットボールチームの皆様、まずは銀メダル、おめでとうございます」
 「全然、めでたくな~い!」
 翌日に行われたメダリストのインタビューを、青葉ちゃんと病院のロビーでぼんやりと見ていた。
 あのあと谷口と二人で会議室に戻って来て、試合、勝ったんでしょう?と嬉しそうに聞く二人に、見ての通りや、とテレビに何度も映されるカナダのホールの逆転シュートを顎で指した。これを見た青葉ちゃんは、がっかり、というより、怒り狂っていた。
 「何で!?ねぇ、江戸さん、何でこうなる訳!?」
 ウチに怒られてもしょうがない。
 
 2本目のフリースローも入れた哲坊は、勝利を確信したガッツポーズを決める。
 もちろんこのガッツポーズは、会議室にいるウチら全員の気持ちでもあった。
 だがカナダは、この一瞬の気の緩みを見逃してはくれなかった。
 残り10秒のフリースローから、アンダーソンが一気に独走する。
 「アホ!坂本、何しとんねん!早よ戻れ!」
 テレビを通して昴の叫び声が聞こえて来る程だった。
 だがさすがのアンダーソンも焦ったのか、このイージーシュートを外してしまう。
 これで救われた、勝った、と思った所に、いつもアンダーソンのプレイをサポートし続けて来たホールがリバウンドをシュート。
 残り〇秒で奇跡の逆転。
 がっくり床に崩れ落ちる、事は出来ないが、昔のサッカーの「ドーハの悲劇」の時の様な喪失感が、コートの哲坊達と、会議室のウチらを襲った。
 コーチ達が、必死で審判にアピールをしている。
 恐らく、タイムオーバーではないのか、アンダーソンが外した時点で、試合は終わっていたのではないのか、という内容だと思う。
 カナダベンチで、ゴールドカップの時とは対照的に、ホールが笑顔で皆にもみくちゃにされている様子が画面でアップになる。
 その後、しばらくして小田ちゃんから電話があった。
 「…」
 ウチはただ、電話の向こうでこの子がすすり泣くのを黙って聞いていた。
 数分後、小田ちゃんが初めて口を開いた。
 「負けたの、哲也君のせいじゃないですよね?最後、哲也君が迷惑を掛けたんじゃないですよね?」
 ウチは答えた。
 「当たり前やないか。哲坊が悪い訳でも、誰が悪い訳でもない。あの子らはよう頑張った。ただ向こうが一枚上手やっただけや」
 とは言ったものの、哲坊のトランジションが遅れたのは否めない。ただここまで引っ張って来たのもあの子や。ここで誰かのミスとか責めるのは違う。
 だから、とウチは続けた。
 「電話を切ったら、ウチらの分まで、精一杯の拍手をしたってや。テレビの画面から、あんたの拍手の音が聞こえるくらいな。頼むで」
 しばらく動けなかった日本チームが、よろよろとベンチに戻る姿を画面は映していた。
 昴に肩を抱かれた哲坊は、子供の様に号泣していた。
 そして偶然にもカメラが、スタンディングオベーションで、ウチとの約束通り目一杯の拍手をしている小田ちゃんの、満面の笑顔のままぽろぽろ泣いている表情を捕らえていた。
 ウチも釣られて目を拭った。
 手の甲にぽとりと落ちた涙が、ふわふわとした固まりのままするりと床に落ち、もろいガラス細工の様に壊れた。その欠片は、まるで宝石の様やった。
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