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第七章

神に愛される人

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 一通り試合を観戦した中で特に印象的だったのは、ブラジルの流星野郎シルヴァのプレイと、車椅子バスケ史上、間違いなく三本の指に入る試合だろうと言われた、カナダ対アメリカ戦であった。

 その時のウチらの目は、一人のプレーヤーの動きに魅入っていた。
 カナダのセンタープレーヤー、ノア・アンダーソン。
 素人目にもハッキリわかる程、動きが群を抜いていた。
 ターンを一回するだけで、場内から、スゲェ、というどよめきが漏れる選手は多分彼だけだろう。
 彼もシルヴァと同じく、膝から下が無く、そして左右交互に車輪を廻す。
 だが、機関車などと、そんな生易しいものではない。
 スピードはシルヴァと同等以上だが、体の大きさが違う。二回りは違うだろう。
 そのスピードとパワーを生かし、ディフェンスを蹴散らしゴール下に突進する。あれは全てを焼き払うまるでミサイルや。
 加えて正確なシュート。
 その攻撃力は、「事実上の優勝決定戦」と言われたこの試合でも、カナダチームの得点の六〇%を叩き出した事で証明されている。
 アメリカチームは、大きな星条旗を掲げての入場。
 打倒カナダ、打倒アンダーソン。
 今までの試合でアメリカチームが、ここまでナショナリズムを剥き出しにして入場して来た事はなかった。
 この試合がいかに激しい物になるかを予感させるシーンだ。
 しかしアンダーソンは、圧倒的な力と技で跳ね返す。
 二人、三人の執拗なマークを振り切り、次々とシュートを決めていく。
 前半を終えて25対17。
「アメリカは奴一人にやられているな」
「しゃあけど、このままでは済まんで。見てみぃ、真ん中に小っこいのがおるやろう。奴がアメリカの司令塔なんやけど、一人一人に細かく指示しとるやろ。あれはアンダーソンの動きの分析が終わった証拠や。後半は、逆に奴、エリック・バーバーの、エリック・パスが炸裂すんで」
「エリック・パス?」
「昔、マジックジョンソンっちゅう、NBAのスーパースターがおったんやけど、彼を彷彿とさせるそうや。その名前を文字って、ウチが付けた。それと、メッチャむかつくんやけど、人を小馬鹿にした様なポーズもな」
「人を小馬鹿にしたポーズ?」
 予想通り、後半はアメリカがアンダーソンの動きを封じる。
「おい、あいつ、あんな小っこいのにあの化け物を一人で止めてるじゃねぇか!」
「ああ、上手いポジショニングやな。車椅子の特性をようわかっとるな」
 第3クォーター終了間際、アメリカは同点に追い付く。そしてついに逆転した。
 バーバーが勝ち誇った様に、カナダベンチに向かって人差し指でこめかみをトントンと叩いて見せる。
「あれか、人を小馬鹿にしたポーズって」
「な、挑発的やろ?バスケは頭でやるんだぜ、とでも言わんばかりや」
「まあな。野球であんなポーズしたら、次の打席は死球を狙われるだろうな」
 第4クォーターに入り、さらにアメリカがリードを拡げる。
 バーバーからのパスを、ポイントゲッター、スミスが確実にゴールへ運ぶ。
「アメリカの郵便配達人や。ヘンリー・メッセンジャー・スミス。派手さはないけど、フリースローも含めて奴のシュート成功率は八割以上…」
「あのさあ、いちいち選手に適当なニックネームを付けて遊ぶのはやめろよ。つーか、何でそんなに詳しいんだよ!」
「パンフレットに載っとるで。ええやないか。それに奴らは、いずれあんたのライバルになるんやで。この方が忘れへんやろ?」
 しかし、バーバーの疲れが見え始めた第4クォーター5分過ぎから、カナダが、アンダーソンが反撃する。
「奴はポイント1・0やからな。元々スタミナ面は弱いんやないかな。今までよう持ちこたえたほうや」
 アメリカは、バーバーをベンチに下げる。
 代わりに、ウィリアム・ウィーラーがコートに入る。頭に、何故か日の丸の鉢巻きをしての登場だ。
「もちろん、ニックネームは、ウィウィ…」
「もう、いいって!」
 それに伴い、スミスがベンチに下がる。
「おい、何であいつまで下がるんだよ?」
「さて、そろばんや。車椅子バスケはポイント制や。え~御破算で願いましては。14・0点から、1・0点のバーバーが下がりました。今13・0点です。ウィーラーは3・0点です。これで16・0点です。ベンチに下がったスミスは4・0点です。これで12・0点です。さて、次は何点までの選手がコートに入れるでしょうか?」 
「2点!」
「お、御名答~。良く出来まちたねぇ~」
「バカにしてんのか?」
「まあ、そういう事や。代わりにクラス1・0の選手がおればええんやけどな。仮におったとしても、ポジションが違ったらあかんしな」
 ベンチが頭を使う所である。
「エースと司令塔が抜けて大丈夫なのかよ」
「さあな。ただこの布陣が、バーバーが抜けた時のベストメンバーなんやろう。残り4分。4点差を守りきれるか。お手並み拝見やな」
 双方マイボールを確実にゴール。4点差のまま残り1分でカナダがアメリカボールをカット。2点差にして、残り30秒で、再びカナダがボールを奪う。
 3ポイントなら逆転。残り時間から見て、そのまま試合は終わるだろう。
 アンダーソンが3ポイントラインで止まり、シュート体勢に入る。
 しかし一瞬躊躇した後、ゴール下でフリーになっていた「ドクター」ことケーシー・スコットにボールを繋ぎ、彼がそのままシュート… 
 ボールが、リングの上で気を持たせる様にクルクルと回転したのち、リングの内側にポトリと落ちたと同時に、延長戦突入を告げる第4ピリオド終了のブザーが場内に鳴り響いた。 
 
 延長戦は5分で行われる。
 アメリカチームはバーバーとスミスが復活。
 カナダは、アンダーソンが出ずっぱり。
 だがそんな疲れを感じさせない圧巻プレイを、アンダーソンはこの延長戦で見せ付けた。
 前半からアメリカが優位に試合を進める。
 カナダも追いすがるが、アメリカが常に1点のリードを保ったまま後半へ。
 そして、残り時間1分でアメリカがカナダのオフェンスボールを奪う。ここで決められたら3点差。
 時間的にほぼ勝ち目は無くなる。
 しかたなく、カナダはファウル・プレイに出る。
 アメリカのオフェンスを止めて、フリースローの失敗にかける。
 アメリカに与えられたフリースローは2本。
 しかし、カナダチームの願いも虚しく2本ともスミスが見事に決める。
 これで3点差。
 残り30秒。
 ここでウチらは信じられない光景を目にする。
 味方からのパスを受けたアンダーソンが、マークの一瞬の油断を突いて、あっという間に3ポイントラインに到達すると、先程とは違い、何の躊躇もなくシュートを放つ。
 リングに全く触れる事の無い、ビューティフルショット。
 それが決まると、絶叫に近い歓声が場内を揺るがした。
 残り時間20秒での出来事だった。これで同点。
 ふと哲坊を見ると、震えている様だった。
 自分も車椅子。
 彼も車椅子。
 しかし哲坊には、自分とは全く違う、もっと崇高な存在の様に感じられたのではないだろうか。
 ノア・アンダーソン。
 彼のあまりにも圧倒的なプレイは、哲坊の琴線に大いに訴え掛けた様だ。
 そして試合は再延長戦に突入した。
 サッカーや野球以上に激しく得点を取り合うバスケットボールでは延長になるだけでもまれな出来事である。
 車椅子の重さは約7キロから10キロある。
 一般の車椅子よりは軽量とはいえ、これだけの重りを操りながらプレイするのだから、体力の消耗はかなり激しい。
 しかしアンダーソンの動きは落ちない。
 アンダーソンからホールへ絶妙なラストパスが出た。奴の動きはホンマに変幻自在やな。
 アメリカはたまらずファウルで動きを止める。
 フリースローは、パスを貰った際にファウルを受けた方のジェフ・ホール。フリースローの名手である。
 1本目、届かず。
 2本目、全く届かず。
「あかん、やばい!」
 ウチは思わず立ち上がった。
 哲坊も彼の異変に気が付いた様だ。
「ああ、感覚を失くしているな。交代した方がいいな」
 いわゆる「イップス」の状態。
 極度の緊張からか疲れからか、頭と体の動きがバラバラになっている。
 しかしベンチは彼を変えようとしない。
 ホールがベンチに向かって手でバツを作り、交代してくれ、の合図を送っているにも関わらず、だ。
「何で代えないんだ?」
「さあ、わからん。もしかしたら5人のポイント合計が、オーバーするのかもしれんな。でもこのままやと、ファウルゲームの的にされるで」
 ホールはファウルゲームの標的にされた。彼にボールを回さない、という手もあるが、カナダチームはその選択をしなかった。あくまで5人で闘う構えの様や。
 その度にフリースローを外す。
 それでもベンチは動かない。
 そうこうしているうちに、アメリカがついに逆転した。
「カナダは奴と心中するつもりかよ」
「理由は分からへんけど、どうやらそうみたいやな。ただもし今彼が交代してカナダが負けたら、彼は自分を責める事以外何も残らへんやろう」
「でもこのまま出続けて負けたら、もっと自分を責めるんじゃないのか?」
「確かにな。でもそればっかりやないんとちゃうかな」
 アンダーソンが、鬼神の如く駆け上がる。
 カナダの壁、と呼ばれるジョン・クックが、チャージングスレスレの激しいプレイでアンダーソンを助ける。
 カナダのもう一人のポイントゲッター、ジャック・ゲレーロが、皆で作ったチャンスを丁寧に決める。
 ホールのアクシデントをフォローしようと、チームが一丸となった。
 10点差は、あっという間に5点差まで縮まった。
 残り時間30秒で、再びホールに2本のフリースローが与えられた。
 1本目、大きくゴールから逸れた。
 2本目。ホールが、再延長戦に入り6本目のフリースローを放った。
「おーっ!?いけっ!」
 ウチらはボールを後押しした。
 だがゴールにはほど遠いボードの左上に当たり跳ね返ったボールは、無機質にコートで転々と弾んだ後、アメリカのスローインの為バーバーに渡された。
 結局5点差のまま試合は終了した。
 試合後、ベンチの中で項垂れるホールに声を掛ける者はいなかった。いや、掛けられなかったというべきか。
 せいぜい彼の背中をぽん、と叩く程度で、皆引き上げて行く。
 最後に残ったアンダーソンが、ホールの肩を抱きながら何か話しかけている。
 そして、ぽん、とホールの背中を叩き、彼が帰ろうとした時、素晴らしいプレイを見せてくれたスーパースターに対して、大声援が贈られた。
 軽く観客席に手を振ってから、彼は会場を後にした。
 そして一人残されたホールが、ようやく支度を始める。
 支度を終えて、会場を出ようとした瞬間、今大会一番の大きな拍手に会場が包まれた。
 ホールはそれに答える事無く、静かに会場を後にした。
「なあ、もしあんたがホールやったら、やっぱり代えて欲しいか?」
 誰もいなくなったコートをじっと見つめていた哲坊に、尋ねてみた。
「えっ?ああ悪い、何?」
 さっきの興奮からまだ覚めていない様だ。小田さんは心配そうに哲坊を見つめている。
「さっきの試合や。あんたやったらどっちがええか、って聞いたんや」
 この場面でのウチにしては珍しく、突っ込み口調ではない、穏やかな調子でもう一度尋ねた。
「ああ、代えて欲しいかって事?あの場面ではやっぱり代えて欲しいと思う。だって明らかに自分が足を引っ張っている訳だろ?まずチームが勝つ事が優先だからな。それに、仮に負けたとしても、この方がショックは小さいと思う。ただ…」
「ただ、何や?」
「ショックは小さくて済むけど、でもそれは小さな傷が残るだけだと思う。最後までプレイした方が、出来なかった自分を凄ぇ責めて落ち込んで、傷が大きいとしても、後になって振り返った時に良かったと思えるんじゃないかな。わかんないけど、そんな気がするよ」
 競技である以上、勝つ事はとても大事である。
 その為に苦しい練習を重ねているのだから。
 しかしカナダの監督は、勝利よりホールを選んだ。
 チームメイトも、この選択に異論を挟む者は人いなかった。
 ホールはその信頼には応えられなかった。
 だが結果は関係無く自分を信じてくれた仲間の思いやりは、今後のホールをより成長させる糧になると考えていたのだろう。もっともカナダ国内の世論は炎上かも知らんけど。
「いや、もしかしたら監督は勝つ為にホールを選んだのかもしれへんな。それだけ奴のプレイは何度もチームを救ってきたんやろう」
 事実、フリースローが決まらなくても、アンダーソンのプレイを一番助けていたのはホールだった。
 ポイント2・0の彼は、アンダーソンの様には動けない。
 だが、どれほどアンダーソンがスーパーマンの様な動きをしても、相手を一人で全てかわす事は出来ない。
 哲坊が何かを見付けた子供の様に言った。瞳がキラキラしとる。
「そうか、野球と同じだな。誰かが一番偉い、という訳ではなくて!」
 
 ホールも、そして哲坊もまた、もしかしたら神に愛される人なのかもしれない、と思った。
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