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第4章 降参するしかないみたい

「おそらく、マーマレードに媚薬がしこまれていたんだろう」

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 レーヌの考えを聞こうともせずに、父王と大臣たちは相談をして、結論を出した。話し合いはすぐに終わった。横で聞いていたレーヌは、自分がすべきことを理解した。

(私は、国のために体を差し出さなければならないのね)

 受諾の連絡をしてから、嫁入りの手続きや準備をする間に、凍りついた想いはさらに冷たさを増していった。ただひとりの従者もつけられず、人目につかないように城に入れと告げられて、怒りすら覚えた。しかしこれが外交なのだと諭されて、冷えた想いは粉々に砕けた――はずだった。

 そっと胸に手を当てて、疼く心を噛みしめる。はじめて彼を見たときに覚えた胸のときめきは、消えてはいなかった。父王や大臣たちに言われた言葉に隠されて、押さえつけられていただけだ。ロワに名を呼ばれ、手を取られ、抱き寄せられてキスをされるたびに、育ってしまった。

 もう、ごまかすことなんてできやしない。

 だったらせめて、想いを抱えてズルいことをしよう。自分の望みと託された任務の両方をまっとうできるのだから、気に病む必要はない。

「私も、そう思ったわ。あんなに丁寧で個人的なことが書かれている手紙は、条約に関係ないって」

 ロワの顔が明るくなった。ズキズキと罪悪感に痛む心に顔をゆがめれば、頬を包まれた。

「レーヌ? どうしたんだ、そんな顔をして」

「私、あなたが好きよ」

 伝えれば、涙がこぼれた。息を呑んだ彼の頬に手を伸ばし、頬を撫でる。

「はじめて、あなたの姿を見たときに、なんて凛々しい人なんだろうって思ったの。とてもステキな人だと思ったわ。遠いあこがれと言えばいいかしら? そんなふうに、思っていたの」

「レーヌ……よかった。それじゃあ、俺に少しは想いをかけてくれていたんだな」

 感激と安堵をにじませるロワの唇を撫でて、目を伏せる。

(彼を、私のものにしなくちゃいけない)

 貴族の娘たちが彼と会っていたのなら、悠長にしている場合じゃない。そのうちの誰かにロワの気持ちがかたむいて、外交のためだけのうわべの愛情を注がれる存在になるわけにはいかない。

(なりたくない)

 ズルいことをしてでも、彼に求めてもらう。どうあっても彼に抱かれなければと、頬にある彼の手をそっと外して、カップを持った。

「せっかくのお茶が、冷めてしまうわ」

 もっと彼に媚薬を飲んでもらわなければ。抱かれたという事実を作って、自信を持ちたい。

 物足りない顔をしながらも、ロワはお茶に口をつけた。もっともっと、マーマレードを食べてほしい。焼き菓子かパンがあれば、お茶よりも大量に彼に食べてもらえるのに。

「お茶請けに、なにか持ってこさせましょうか」

「いや、いい」

 立ち上がりかければ、腕を掴んで引き止められた。彼の目が潤んでいる。ドキリとして、媚薬の効果が出てきたのかと期待した。

「プログレのところで、俺が何をしていたのか、聞かされはしなかったか?」

「あなたが忙しいらしいことは聞いたわ。貴族たちからの招きが、引きも切らなかったのですってね」

「そうだ。無下にするわけにはいかない。政治向きのこともあった」

「個人的な話もしたのね? 麗しい令嬢を紹介されたのでしょう。そう聞いたわ。新しい妻についての意見は、政治向きのことなのかしら」

「レーヌ」

 苛立った声に、ごめんなさいと口先だけで謝罪する。

「大丈夫よ。誰でも考えつくことだわ。私が王妃であるのは不満だと思って、当然だもの。それよりも、自国の信頼できる血筋のいい貴族の娘のほうが、安心だものね」

「俺は、そんなつもりは」

「いいのよ。わかっているわ。私はヴィル国の王女よ? 何も知らないわけではないの」

 苦渋に顔をゆがめたロワの眉間のシワに、指先を当てて撫でほぐすと笑いがこみ上げてきた。

「どうして、笑っているんだ」

「あなたはどうして、そんなに難しい顔をしているの?」

「決まっているだろう。俺は、何を言われようともレーヌのほかは愛さない。迷惑をしているんだ」

「うれしいわ。だけど、王としての立場を考えれば、ひとりでも多く、子どもを宿す可能性の高い女性と関係を持たなくてはいけないわよ」

「レーヌ!」

 心にもない言葉に、ロワが苛立ってくれるのがうれしい。彼を試している自分が悲しくて、みじめだった。

 ふうっと苛立ちを抜くように、ロワが深く長い息を吐いた。

「俺が彼等の招きを受けていたのは、少しでも早くレーヌを国民に紹介できるようにしたかったからだ」

「え?」

 しっかりと腕を握られ、目の奥をのぞき込まれる。透明な光を帯びた琥珀の瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。

「俺がいかにレーヌに惹かれているか、説得をしていた。レーヌのほかに、心を動かされる女性はいないと伝えていたんだ。ヴィル国の鉱山資源を目当てに結婚をしたと、ほとんどの者が思っている。そう考えられないようにと配慮をしたつもりが、そうできていなかった。――もっと地盤を固めて、レーヌが安心して過ごせるようになってから、迎える気でいた。だが、了承の返事を受ければ、待ちきれなくなってしまったんだ。だから、あんなことになって……すまない、レーヌ」

 深く頭を下げられて、とまどう。これも演技だと思いたいのに、胸が詰まって冷めた思考ができなかった。

「ロワ」

 後頭部にそっと触れる。彼は微動だにしない。本気なのだと伝わってくる。

(うそ……そんな、どうして)

「だって、私のことなんて、なにも知らなかったでしょう? 調印式で、私の姿を見ていないはずよ。それなのに、どうしてそこまで私を想ってくれているの?」

 理由がない。それを求めれば、ロワの顔が持ち上がった。照れ笑いを浮かべている。キュンとしながら、彼の唇が動くのを見つめた。

「城の中を散歩していたんだ。そのときに、レーヌを見かけた。庭の片隅で、のんびりと過ごしていた。膝の上に犬の頭を乗せて、歌を歌っていたな」

 ほほえみは、思い出を見つめていた。

「調印式の前日のことだ。メイドが呼びに来て、レーヌはほがらかな笑顔でなにかを言っていた。それから楽しげな足取りで犬とたわむれながら、メイドとともに行ってしまった」

 日課の散歩をしていた時だろう。お茶の時間の前に、城の庭を散策していた。城で飼っている犬とたわむれ、草木の匂いを楽しんで、疲れたころにメイドがお茶の用意ができたと呼びに来る日常の一部を、ロワが見ていた。

「気になって、後を追ったんだ。こっそりと」

 彼の目じりが柔和に下がった。

「なんて愛らしい人だろうと、視線が吸い込まれて離れなくなった。あれは誰だと案内役の騎士に問えば、ヴィル国の王女だと答えられた。婚約者はいないと知って、うれしくなった。膝にまとわりつく犬に向ける笑顔を、こちらに向けてほしいと望んだ。ひと目で、これほど心を動かされたのは、はじめてだった」

 しみじみと語るロワの目は、レーヌへの愛情に満ちている。肌が震えて、熱い気持ちがこみ上げた。

「はじめてレーヌに触れた夜、怖くてたまらなかった。うれしくて、どうにかなってしまいそうだった。言葉では言い尽くせないな……もっと、吟遊詩人のように、多くの言葉を紡げられればいいんだが」

 いいえと視線を絡めたまま、首を振る。彼の瞳は雄弁に語ってくれている。どれほどレーヌを焦がれているのかを。

 震える唇で「ロワ」と呼べば、かすめるようなキスをされた。額を重ねて見つめ合う。

「愛しているんだ。誰よりも……こんなふうに、軟禁状態で過ごしてもらいたいわけじゃない。俺の力不足のせいで、嫌な思いをさせてしまって、すまない」

 彼の気持ちがわかっただけで、充分だ。ロワは政治的な考えなど一切なしに、求めてくれている。これ以上に何を望めばいいのだろう。

「ロワ、私」

 すべてを彼に告白しよう。

 そう覚悟を決めたとき、ロワの顔が奇妙に歪んだ。

 * * *

「ロワ?」

 ちいさくうめいたロワが離れる。胸のあたりを握りしめ、眉根を寄せて肩を丸める彼は、とても苦しそうだ。

(媚薬が効いているの? だけど、媚薬って性欲が増すものでしょう。苦しむなんて、おかしいわ)

 もしや媚薬と偽って、毒薬がしこまれていたのではないか。

 ゾワリと悪寒に襲われて、弾けるように立ち上がった。

「医者を呼ぶわ!」

「いや、大丈夫だ」

「でも、具合が悪いのでしょう?」

「医者は、いらない……大丈夫だ」

「大丈夫って顔をしていないわ」

 扉に向かおうとすれば、腕を掴まれた。

「放して!」

「そういうものじゃない」

 何が言いたいのかわからなくて、焦燥に駆られた。

「体が熱いだけだ」

「熱があるのね?」

「いや……その……そういうものではなくて」

 気まずい顔でお茶に視線を流したロワが、まいったなとつぶやく。

「プログレの策略か」

「えっ?」

「おそらく、マーマレードに媚薬がしこまれていたんだろう」

 苦々しく片頬を持ち上げたロワを見ていると、レーヌの体もポッポッと熱くなってきた。

「あっ」

 自分を抱きしめてソファに座る。いたわる視線の案じ顔を向けられて、逃げ出したくなった。

「巻き込んでしまったな」

「何に?」

「おそらく、プログレは自分の地位を守るために、レーヌと俺の仲を取り持ちたいんだろう。軍師長とはいっても、政治的な発言力は弱いんだ。戦争では力を発揮しても、それがなくなれば権力の外に置かれる。自分の人望に不安も持っているはずだ。平和になれば、別の誰かが自分の位置に据えられる。貴族の娘が俺と結ばれれば、その可能性は高くなる。そう考えたに違いない」

 当たらずとも遠からずな考察に舌を巻く。

「すまない」

 首を振り、手を伸ばす。彼に触れれば、指先にピリッと電流が走った。口の中がカラカラに渇いて、キスが欲しくてたまらない。

「ロワ」

 熱っぽく呼んで近づけば、顔を逸らされた。

「どうして」

「いまは、普通の状態じゃない」

 苦しそうに息を荒らげているロワの額に、汗がにじんでいる。琥珀の瞳は濁り、茶色く沈んでいた。

「ロワ」

「離れてくれ」

 首を振り、抱きしめると息を呑まれた。逃すまいと胸に彼の顔をうずめる。硬い黒髪に頬を寄せれば、後悔が押し寄せてきた。

(私は、なんてことを)

 肌がわななき、体の芯が火照っている。腹の底が脈打って、熱くたぎっていた。警戒をして、ほんの少しお茶に入れて飲んだだけで、これなのだ。自分の倍は入れていたロワは、どれほど苦しくてつらいだろう。

「レーヌ」

 グッと押しのけられて、抵抗するも彼の力にはかなわなかった。肩で息をしながら胸筋を激しく上下させ、のろのろと立ち上がって去ろうとする彼の袖をつかむ。

「しましょう。お互い、このままでは苦しいままだわ」

 息を乱して誘えば、彼の目が鋭く光った。

「あっ」
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