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第3章 私の魅力を味わって

(なにせ、私には武器となるものが何もないもの)

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 * * *

 迎えに来たジュジュの冷ややかな視線の中に、「まあ、いいでしょう」という声が聞こえた気がして、胸を反らせた。メイドごときに軽んじられるいわれはない。こちらは仮にもヴィル国の王族であり、この国の王の妻なのだから。

(もっとも、それを認めてはいないようだけれど)

 晩餐の席で紹介をされれば、否が応でもレーヌの存在を誰もが無視できなくなる。これは踏ん張りどころだと気合を入れて、選んだドレスは白を基調に薄い草色のリボンがふんだんにあしらわれた、清楚で愛らしいものだった。

 ふんわりとしたシルエットに、ひらひらと舞うリボンを見たフェットは、小鳥のようだと絶賛してくれた。自分の白い肌をより際立たせ、ダークブラウンの髪とマッチするドレスと合わせて、アクセサリーはエメラルドを銀の台座に乗せたネックレスとイヤリング。髪はドレスのリボンとおなじ、薄い草色のリボンで結い上げて、顔の輪郭をより華奢に見せるため、サイドを垂らしている。

 セクシーな、体のラインを強調するドレスがないわけではないが、いかにも男受けしそうなドレスよりも、こちらのほうが自分の身に合っていると考えての選択だった。

(私はまだ、色気が足りないわ)

 ロワを誘惑しやすいようにと持たされた、上品でありながら大胆なドレスを着る気にはなれなかった。それよりも楚々とした雰囲気で、相手の警戒を解く。そんな考えで決めたのだが、実質はこういうドレスでないと自分には似合わないとも思っていた。

 異性を誘惑し、視線を引き寄せられるほどの魅力は持ち合わせていないという事実に直面し、落ち込まないための自分への配慮だ。

「いってらっしゃいませ、レーヌ様」

 ニコニコと頭を下げるフェットに、ちらりとほほえみかけてからジュジュの後に続いて広間へ向かう。ざわめく人の声が近づいてくるにしたがって、気負いが緊張に変化した。

(大丈夫よ。しっかりなさい)

 すくみそうになる自分を励まして、背筋を伸ばしてしずしずと進んでいく。目の前に大きな扉が現れ、両側に立っている騎士が開くと重厚な垂れ幕が現れた。その向こうから、人の声が聞こえてくる。

「どうぞ、お進みください」

 この先は自分の敵ばかりだと思うと、止まった足が動かなくなった。ドッドッと心音が響いていなければ、石像になったのではと疑いたくなるほど固まっている。

(パーティーなんて、珍しいことではないわ。子どものころから、何度も経験をしてきたじゃない)

 しかし、それはすべて友好的な相手ばかりが参加しているものだった。自分に危害を及ぼす恐れのある人間は、ひとりもいない。こちらを嫌悪の目で見る疑いのある者だっていなかった。

 ここは、その逆だ。

 好意的とまではいかないまでも、なんの疑いもなくレーヌを受け入れる視線が、ひとつもないと断言してもさしつかえない場所に、踏み込もうとしている。

 罪を犯して、裁きの場に引き出される気分だ。

(迎える人たちは、そんな気持ちなんでしょうけど)

 なんせ自分は、戦争相手国の王族なのだから。

 皮肉な笑みが頬に浮かんだ。すると足が動いて、体が前に移動した。勇気を得たわけではなく、半ばヤケクソな気分だった。どうにでもなれ、という感覚で垂れ幕の切れ目を開いて会場に入る。

 登場したレーヌに、近くに立っていた婦人の視線が注がれた。ニッコリすると、目をしばたたかせた婦人は隣の初老の男性にヒソヒソと声をかける。すると様子に気づいた別の女性がレーヌを見て、隣の女性の袖をつついた。

 水面に広がる波紋のように、レーヌを中心としてヒソヒソ声が広がっていき、視線が集まってくる。レーヌはほほえみを絶やさずに、その場に立ち尽くした。好奇や嫌悪など、さまざまな感情を乗せた目に観察されている。背中に冷や汗が浮かんだが、笑顔を消すわけにはいかない。害意がないと示し、受け入れてもらわなければ。

(この中の誰かひとりでも、私を信用してくれると助かるのだけれど)

 フェットほど気軽に無心に協力をしてくれとは言わないが、それに近い相手が貴族の人間で欲しかった。使用人と貴族では、集められる情報は違ってくる。この国の政治にかかわっている階層が、ヴィル国についてどう考えているのかを知りたかった。

 さらし者になった気分で、レーヌはじっと立ちすくんでいた。どこに行けばいいのか、どうすればいいのかと会場を見回しても、答えは見つけられなかった。

 会場には白いクロスのかけられたテーブルが並び、さまざまな料理が並んでいる。部屋の隅にはソファやイスが並べられ、テーブルも据えられていた。レーヌが来るより前に、すでに歓談ははじまっていたようで、そこここに飲みかけのグラスや、料理の乗った小皿が散見された。簡単な晩餐の会、というロワの言葉通り、気楽な夕食会という風情だった。

 通常の晩餐であれば、自分の席は決まっている。そちらのほうが落ち着いていられただろうか。

(だけど、それだと会話をする相手が限定されるわ)

 立食形式のパーティーなら、晩餐会よりも大勢の貴族たちを誘えるし、貴族たちも気楽に参加ができる上に、自由に交流が可能だ。それを狙って、ロワはこの形式でレーヌを紹介すると決めたのだろうか。

(夜中にこっそり城に上がった花嫁だから、この程度でいいと考えたのかもしれないわ)

 自嘲に口の端がゆがんだとき、近づいてくる男が視界に入った。人好きのする笑みを浮かべた相手は、四十半ばといったところか。立派なひげを蓄えた顔は四角く、笑顔でなければガンコな印象を受けていただろう。体は大きく、いかにも軍人という雰囲気だ。

 わずかに身構えると、うやうやしく手を取られた。

「ひさしぶりにお目にかかります。と言っても、そちらは覚えてはいないでしょうがな」

 割れ鐘のようにガラガラとした、大きな声に面食らう。

「ええと、あなたは」

「終戦協定の調印式に参列しておりました。この国の軍師長プログレと申します」

 ぎこちなくうなずけば、身をかがめた彼に手の甲にキスをされた。

「こちらの王に嫁ぐと決断なされたこと、我ら軍人は大変よろこばしいと受け止めておりますよ」

「それは、なぜでしょう?」

「なぜ? 娘はかわいいものですからな。それが孫を産めば、さらにかわいい。そこに攻め込もうという考えは、浮かばないからですよ。これで私らの仕事も、楽になるというものです」

 豪快に笑われて頭が真っ白になった。背筋を支えていた緊張が吹っ飛んで、倒れそうになる気持ちをなんとか立て直す。

「あの、ええと」

「失敬。若い娘さんに、そんな話は失礼でしたな。まあ、とにかく晩餐の席を楽しもうではありませんか」

 剣ダコのある大きな手に背中を押されて、導かれるままにテーブルの傍に行く。使用人の運んできた銀のトレイの上から、グラスをふたつ取ったプログレに勧められるままに口をつけると、酒ではなかった。

 視線でそれを告げると、不器用なウインクをされる。気持ちがほぐれて、作り笑いではない笑顔になれた。味方ができた気分になったが、それに甘えてはいけないとゆるみかけた気持ちを引き締める。

(相手は軍人だもの。私を憎んでいるかもしれないわ)

 なぜなら部下を殺されているだろうからだ。

「あの、プログレ様」

「どうぞ、プログレ……と。そちらは、曲がりなりにも王妃様であらせられますからな」

 最上の皮肉だと鼻で笑いそうになった。深夜、誰の目にもつかないように、王の寝室に連れていかれる王妃など、聞いたこともない。

(私を辱めようとして、声をかけたに違いないわ)

 気を許して、失敗をするときを待っているのだ。ほぐれた気持ちを硬くして、レーヌは何食わぬ顔をした。

「それでは、プログレ。どうして私に声をかけたの? あなたからすれば、私は憎むべき対象でしょう」

「これは、手厳しい」

 ピシャリと額を叩くしぐさは、道化を演じているのだと受け止める。こんなに気安く、陽気な態度をしてくる相手がいるわけがない。

「数か月前までは争っていた相手だから、憎くてしかるべしと考えておられるのですな。ですが、いやはや、こう言っては失礼ですが、剣を持ったことのない深窓の令嬢らしいお言葉ですな」

 やはり自分をバカにするつもりだったのだと身構える。

(どんなことを言われても、堂々としておかなくては)

「いいですか、王妃様。戦とは政治の道具です。憎くて戦うわけではなく、国を守るため、豊かにするためにするものなのですよ。それはそちらの兵士とて、おなじことかと。一個人の憎しみなど、政治に介入させてはならないものなのです」

 きれいごとだと目元を険しすれば、うんうんと首を動かされた。

「納得できないのも、無理がないことですな。たしかに個人的感情をかんがみれば、王妃様の言い分も理解できます。ですが、我ら軍人は、そのような考えを持たぬよう訓練をされておりますのでね」

 本当にそうだろうか。だとしたら、なぜ居並ぶ貴族たちは自分を遠巻きにながめ、ヒソヒソと話をしているのかと問いたくなるのを、グッと堪えて「そうなのですね」と会話を閉じる。

「理解していただけたようで、なによりです」

 親切ごかして、こちらを無知な女とあなどっているのだ。いまに見ていなさいと、心の中で黒い炎を燃え上がらせる。

(かならず、ロワを夢中にさせて、私をあなどったことを後悔させてみせるから)

 不慣れなレーヌを気遣って、エスコートをしているつもりでいるらしいプログレが、あれこれと料理を勧めてくる。耳に届くささやきは「立派ですこと」とか、「王に取り入りたいだけだろう」とか、どこか嘲笑まじりのものばかりだった。彼はあまり好かれてはいないらしいとわかって、だからこそ自分に声をかけてきたのだと納得した。

(地位はあるようだけど、人望はないみたいね)

 そんな男が軍師長を務めている国に敗北したのかと、自国の軍を頼りなく思った。

(だけど、国土や国力を比較すれば、善戦したとも言えるわ)

 こんな男が軍師長だったからこそ、国境付近で戦線が膠着していたのだとも言い換えられる。彼と過ごしていても、利益はなさそうだ。ほかに自分に話しかけてきそうな人は、見当たらない。

(考えようによっては、使えるかもしれないわ)

 利益はないと思ったが、もしかすれば人望がないゆえに取り入ろうとして、あれこれと情報を提供してくれる可能性もゼロではない。気は乗らないが、ガマンをして彼の相手をしておくのも悪くはないかもしれない。

(なにせ、私には武器となるものが何もないもの)

 使える者は、ひとりでも多く欲しい。選り好みができる状況ではないのだ。この際、しかたがないかとプログレの相手をするため、顔を上げたレーヌの耳に「ロワ様だ」という声が飛び込んだ。

 * * *

 いつもの、すこし困ったように眉を下げた笑みを浮かべて登場したロワに、自然と視線が吸い込まれた。

 たっぷりと襟元や袖口にレースのついたシャツに、体にぴったりと添うジャケットを着ている。青地に金糸で刺繍のされたジャケットは、彼によく似合っていた。ズボンとブーツに包まれた長い足を動かして、まっすぐに近づいてくる。

「やあ、遅くなってしまった。すこし、書類の処理に手間取ってしまったんだ。――プログレに相手をしてもらっていたのか」

 頭を下げたプログレがしゃべる前に、「ありがとう」と言ったロワに腕を取られて、広間の奥に連れていかれる。

 皆の視線がやわらかくなっていた。

 それだけロワは信頼されているのだと、ひしひしと感じられる。彼は誰もが認め、愛されている王なのだ。

「遅くなってすまない。今日は、よく集まってくれた」

 朗々と響く声に、貴族たちが耳をかたむけている。尊崇の視線の中に、うっとりとした目があることに気がついた。若い娘だけでなく、年配の婦人も熱っぽい視線をロワに向けている。そこにレーヌの存在は映っていなかった。文字通り、眼中にない状態だとわかった。

 不快なざわめきとドロドロとした感情が、みぞおちのあたりにわだかまる。腕を掴む彼の手に手を重ねれば、ロワの柔和なまなざしがレーヌに向けられた。湧き上がりかけた暗い感情がなだめられ、誇らしい気持ちが生まれた。彼はここにいる女性の中で、自分だけにほほえみかけているという自負が、スッと背筋に当てられる。

「ここにいるレディが誰かを、知っている者も少なくないだろうが、改めて紹介をさせてもらおう。彼女が俺の妻、レーヌだ」
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