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第3章 私の魅力を味わって

「そうではなくて、その、なんというか、男として、と言えばいいのかしら」

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「い~い、ですねぇえ! 王様とお妃様が、庶民デートだなんて」

 城にもどったレーヌは、乞われるままにフェットにどんなことをしたのか告げた。といっても、商店街を歩いて、パンケーキを食べた部分だけだ。

 留守番をしてくれていた彼女には、彼女が持っていても違和感のない価格の髪留めを土産に買っていた。それをしっかり握りしめ、夢見心地な顔つきでニコニコしているフェットは、ロワとレーヌが階段を下りていったあと、こっそりと隠し階段に蓋をして、ジュジュが様子を見に来てもいいように、バルコニーにいかにもレーヌがいる風を装うために、窓からチラリとドレスの裾を見せる細工をしてくれていた。

「ロワ様に、命じられていたんです」

 おそらくレーヌの様子を誰も見には来ないだろうが、念のためにと指示をされていたらしい。おとなしくなさっていますと答えれば、それ以上は追求されないと踏んでのことだったらしく、それでもフェットは不安と秘密の工作をしている興奮とで落ち着かなかったと言った。

「ロワの姿が見えなくっても、不審には思われなかったの?」

「それは、ひとり集中してやりたいことがあるから、と伝えておいたそうです。ロワ様の部屋には、寝室の清掃のためにほかのメイドが入りましたが、きちんとこちらの部屋をつなぐ扉には鍵をかけておきましたから、確かめられても大丈夫でしたよ!」

「そうなの。ありがとう」

 やはり警戒をされているのだと、気持ちが沈む。だが、それも当然だ。こちらも信用をしていないのだから。

「あちらの部屋とつなぐ扉の鍵は、まだ持っている?」

「もう、ロワ様にお返しいたしました。私が持っていると知られたら、問題ですからね」

 それもそうだと納得し、移動してバルコニーに出る。さきほどまで自分がいた場所をながめるが、夢を見ていた気がした。

 景色を目に映しながら、心に残る街での光景を見つめる。にぎわう商店街と、笑顔で行きかう人々。のんびりと過ごした噴水のある広場。ロワに向けられる女性たちの視線。

 チリリと胸がわずかに焦げて、あれっと手を当てる。焦げた部分がくすぶって、淡い痛みを覚えた。それと同時に、ロワには降嫁した姉のほかに兄弟はいないと言われたことを思い出す。

――父上がお隠れになられてからは、王族は俺ひとりだ。

――俺が子を成さなければ、降嫁した姉が王族に復帰するか、甥か姪が王族として立つしかなくなる。あるいはほかの、王族の血を受け継ぐ貴族の誰かから、養子を取るか、だな。

 寒気を覚えて自分を抱きしめる。腕をさすっても、寒気はちっともおさまらなかった。

「レーヌ様、どうかなされましたか?」

「なんでもないわ。ちょっと、慣れないことをしたから、疲れたのかもしれない。なにか、あたたかい飲み物を用意してくれる?」

「もちろんです! すぐに戻りますから、お待ちくださいね」

 はりきった様子の彼女が出て行くのを見送って、細く長く息を吐く。手すりから離れてイスに腰かけ、丸テーブルに頬杖をついてぼんやりと視界をにじませると、思考に沈んだ。

(これはきっと、武者震いだわ。私が子どもを産めば、それだけロワの関心が私に向くし、その子が王位につけば、ヴィル国の王家の血がこの国を支配することになるんだもの)

 それを父王や大臣は見越していたのか。そこまでレーヌも考えているものと思って、送り出してくれたのか。

 わからない。

 わからないが、そうなるためにはやはり、彼の寵愛を一身に受けなければならない。

(ロワは、女性にもてるわ)

 彼がどれほど魅力的な容姿をしているのか、しっかりと確認した。ただ座っているだけで、女性の視線を引き寄せてしまう。隣にレーヌがいるにもかかわらず、あからさまな誘いの目をした女性もいた。

 自分の容姿に自信があるらしいその人は、豊かな胸と細い腰を見せつけるようなドレスを着ていた。けっして華美ではないが、雰囲気がとても華やかだった。堂々としていて、大輪の花を思わせる艶冶な姿を思い出せば、腹の底がムカムカした。それと同時に、河原の石を呑み込んだような重たい不快感も覚える。

 そっと自分の体を見下ろして、ささやかな胸に手を添えた。彼の手に包まれたとき、ぴったりとおさまってしまった小ぶりな胸に吐息を漏らす。あの女性の乳房なら、彼の手からはみ出てしまうかもしれない。そちらのほうがロワの好みであったら、どうしよう。

(私では、物足りないと思われてしまったら?)

 ゾワッと鳥肌が立った。自分の持っているもので、勝負をするしかないとはわかっていても、ロワに視線を投げていた女性たちの姿がまぶたにチラつき、ついつい自分と比べてしまう。

 ある人は豊満な乳房をしていた。別の人はスラッとした勝気そうな美人だった。清楚な雰囲気の、おっとりとした愛らしい人もいれば、快活そうな娘もいた。

 そのどれもが、自分よりもずっと美しく、かわいらしく思えてきて落ち込んでしまう。想像以上に前途多難だと、頭を抱えかけたところでフェットが戻ってきた。

「おまたせしました、レーヌ様」

 ワゴンを押して、ニコニコとやってくるフェットの、はつらつとした明るさも魅力的だ。彼女はロワに惹かれてはいないのだろうか。

「ハーブティーをご用意しました。これを飲むと、落ち着きますよ」

 花の香りのするお茶は、匂いは甘いが味はさっぱりとしていた。茶請けに砂糖漬けの花びらが置かれている。それをつまんでフェットを見ると、笑顔のままで疑問の目を向けられた。

「ねえ、フェット……その、あなたはロワを、どう思う?」

「どう、ですか? うーん。とてもすてきな王様だと思いますよ」

「そうではなくて、その、なんというか、男として、と言えばいいのかしら」

 歯切れ悪く問えば、屈託なく答えられた。

「とてもハンサムですね。かっこいいと思います。背も高いし、体もがっしりしているし、さわやかですし。なにより、笑顔が最高です。やさしくて、あったかい気持ちになれます。私、王様ってもっとこう、まぶしすぎて目が潰れるんじゃないかとか、神様みたいに近づけない、やさしいけれど怖い存在なんだって思っていたんですけど、近所のお兄さんみたいで、親しみやすくてホッとしました」

 聞きたいこととは少し違うが、彼女の感想に軽く同意する。

「そうね。それで、異性としては、どうかしら。やっぱり、魅力的に見えている? 身分を気にしないで、ロワを見た感想を教えてほしいの」

 うーんと顎に指を当てて、空に視線を向けて考えるフェットの返事を、固唾を呑んで待った。

「王様じゃないロワ様って、すごく難しいですけど……もしもロワ様が牛を追ったり、荷物を担いだりしていたら、ときめいていたかもしれません」

「それで、声をかけようと思う?」

「どうでしょう。かっこいいなぁとは思いますけど、そこまでは……あ、もしかして、町でなにかありました?」

 ニヤニヤされて、居心地が悪くなる。視線をずらすと、大丈夫ですよとなぐさめられた。

「ロワ様は、レーヌ様のことが大好きですから。心配することなんて、ないですよ」

「どうして、そう言い切れるの?」

「だって、レーヌ様のことを大切にしているじゃないですか」

「それは、私がヴィル国の王族だからだわ。あなたにはわからないかもしれないけれど、人質のようなものなのよ。あるいは、奴隷と言い換えてもいいわ。この国と私の国は戦争をして、こちらが負けたの。終戦の条件として提示された賠償金の支払い義務はあるけれど、国としてはそのまま。この国の属国になったっておかしくないのに、それ以上を求められはしなかったわ」

「はぁ」

 いまいちピンときていないフェットにイライラしながら、説明を続ける。

「表向きは属国にしてはいないけれど、終戦の条約を破られないために私を差し出せと言ったのよ。私は自分の国を守るために、ロワに愛されなくてはいけないの。そしてロワは、私の国がふたたび襲ってこないように、私を大切に扱う必要があるんだわ」

 本当は彼を夢中にさせて手玉に取り、自国に有利な政治をさせることが目的なのだが、そこまで話せるわけがない。ただ、ロワが無心にレーヌを愛していると思い込んでいるらしい彼女の目を覚まさせたかった。重責に耐えかねたモヤモヤを吐き出したいだけの、単なる八つ当たりかもしれない。

 フンフンと真剣な顔つきで聞いていたフェットは、左右の人差し指を突き出して、それをフラフラと動かしながら聞いた話を整理した。

「つまり、レーヌ様がロワ様を大切にするのは、自分の国が脅かされないためで、ロワ様がレーヌ様を大事にするのは、戦争がまた起こらないようにするためってことですか?」

「まあ、そうね……そういう理解でいいわ」

 彼女からすれば、政治などさっぱり理解ができない話に違いない。そう判断したレーヌは、ざっくりとした彼女の確認を肯定した。

 うーんと眉間にシワを寄せた彼女に、承服しかねる視線を向けられる。

「言いたいことがあるのなら、遠慮なく言ってちょうだい」

「本当に、そうなんですかねぇ」

「なにが?」

「ロワ様は、本当に、心の底から、レーヌ様のことが好きだと思うんですけど」

「どうしてそう思うの?」

「だって、今朝のお忍びデートのために、昨夜はほとんど寝ないで、午前中に考えていたって言い訳の準備をしていらしたんですよ」

「えっ?」

「せいさく? が、どうのっておっしゃっていました。よくわからないんですけど、あれこれ考えていたんだぞっていう証拠を、いっぱい用意しておいたんですって」

 せいさく、とは、政策だろう。

「どうして、そんなことを知っているの?」

「お茶を用意しているときに、チラッと偉い人っぽい方とロワ様がお話ししているところを見たんです。そのときに、今朝まとめたものがどうのこうのってしゃべっていたんで、あれって思ったんですよ。そうしたら、偉いっぽい人がどこかに行かれたから、ロワ様に聞いてみたんです。もちろん、こっそりとですよ?」

 本人に聞いたのだから間違いないと言いたげに、胸を反らされる。

(それだって、あやしいものだわ)

 言葉通りに受け取ってはいけないと思うのに、心の端にポッとあたたかな火が灯った。ハーブティーを飲んでそれを消そうとしても、火はしっかりと燃えていて、いっこうに消えそうにない。

(本当に昨夜、眠らずに午前分の仕事をしていたという証拠はないもの)

 誰も彼が昨夜、どうしていたのかを知らないのだから。

 それでも、昨夜は彼の部屋に呼ばれて行くことも、彼がこちらに来ることもなかったなと考える。やはりフェットの報告どおり、彼は自分を連れ出すために、アリバイ工作として政策を考えて用意をしていたのだろうか。

(たまたま、私のところに来なかっただけかもしれないわ)

 毎夜、ベッドで絡まなければならないわけではないのだし、彼からの呼び出しがなかったことを気にかけもしなかった。

 視線を、ふたりの部屋をつなぐ扉に向ける。あれはこちらからは開けられない。ロワ側からでないと、開かない。夜、こっそりと刃物を持ったレーヌが忍び寄り、寝込みを襲うとも限らないと考えているから、鍵がかけられているのだ。

(だけど、私は隠し通路を知ったわ)

 あれには鍵がなかった。場所さえ手紙にしたためて知らせれば、ロワを暗殺できる。だいたいの場所は覚えた。あとは城の見取り図が手に入れば、きっちりと隠し通路の位置を国に知らせて、ロワを――。

(いいえ、ダメよ)

 急いで考えを振り払う。そんなことをすれば国内が紛糾する。真っ先に疑われるのはレーヌだし、城内を制圧できるほどの数をひそかに潜入させるのは難しい……はずだ。

(軍事のことは、よくわからないけれど)

 そういったことは父王からも大臣たちからも言われなかったのだから、ロワを殺すという作戦を立てる必要はない。つまり、隠し通路の情報は父王に伝えなくてもいい。

 なぜかホッとしている自分に気づくと、口内に苦いものが広がった。

(私の身の安全を脅かす策を考えなくていいからよ。ロワのためを思ってのことではないわ)

 言い訳をすれば、さらに苦々しい気持ちになった。

「ああ、そうでした、そうでした。ロワ様から言伝があったんですよ」

 ポンッと手のひらを打ち合わせたフェットの声に、考えに沈んでいた意識が浮上した。

「今日の夕食は、気軽な晩餐の会をするから、必要なものがあれば何でも言ってくれ、だそうですよ」

 ガタンと音を立ててイスから立ち上がる。驚くレーヌに、フェットも目を丸くした。

「それって……どういうこと?」

「どう、と言われましても。そのまんまじゃないですか? 晩餐って、お食事会のことですよね。レーヌ様のことを、ほかの方々に紹介するってことじゃないですかね」

 のほほんとした返事を受けて、レーヌは急いで衣裳部屋に飛び込んだ。

「レーヌ様?」

 もしもこの国の貴族の娘たちがやってくるなら、誰よりも人の目を――ロワの視線を引き寄せる姿でいなければ。

 勢い込んでドレスを選ぶレーヌの耳には、フェットの「やっぱり、ロワ様のことが大好きなんですね」という声は届かなかった。
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