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第2章 甘いささやきに、うろたえている場合じゃない

「服の中の肌の色は、どんなだろうって思っていたの」

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 * * *

 商店街の庇の下には、色とりどりの野菜や果物、肉や魚が並んでいる。その間に、すぐに食べられるものを売っている店や、飲み物の店が点在し、それを抜ければ布や細工物などが並ぶ界隈に変わった。

 しっかりと手をつないでいなければ、はぐれてしまいそうなほど人が多い。その中を、ロワはスイスイと慣れた足取りで泳ぐように進んでいる。かと言って、店をながめる余裕がないわけではない。レーヌが興味を示せば、声をかける前に立ち止まり、気が済むまで待っていてくれた。

 商店街を抜けて広場に出れば、屋台のワゴンが憩う人々の邪魔にならない程度の距離を置いて、ポツリポツリと点在している。そのうちのひとつに近づいたロワがドリンクを購入し、中央の噴水の縁に座るよう誘われた。

 ちらほらと、座って飲食をしている人の姿がある。それを物珍しくながめつつ、彼の敷いてくれたハンカチの上に腰を下ろしたレーヌは、ドリンクを受け取って口をつけた。スッキリとした酸味が舌にやさしく、のど越しもいい。柑橘系のジュースだとほほえんで、空を見上げた。

「今日は、なにかのお祭りなの?」

 空は高く青々と輝いている。ふんわりとした雲の姿がそこここに浮かんでおり、親しみを感じられた。

「いや。特別な日ではないぞ」

「そうなの?」

 意外だと、まばたきをして彼を見ればうなずかれた。祭りでもないのに広場には屋台のワゴンがいくつも出ている上に、商店街があれほどにぎわっているなんて。

(城下町に、それほど出かけた経験があるわけではないけれど、それでも私の国では、こんんなに人が行きかったりしていなかったわ)

 人口が多いのだ。それに誰もが笑顔を浮かべて、楽しそうにしている。ほがらかな気配に満ちた広場を見渡して、こっそりとため息をついた。この光景だけで、この国がどれほど豊かで満ち足りているのかがわかってしまった。

(お父様や大臣たちが、この国を欲しがっている理由がよくわかるわ)

 そして、諸国から一目置かれている理由も。

 それを統治しているのが、隣でニコニコしている男だと思うと、奇妙な気がした。こうして隣に座っていても、威厳というか、威圧感をまったく感じない。

 彼はたしかに美丈夫だ。体躯は立派だし、見目もいい。存在感がある。それなのに、圧倒される心地にはならないのが不思議だった。

 チラチラと通りすがりに、彼に目を向ける女性が後を絶たない。中には、隣にレーヌがいるというのに、あからさまな熱視線を送ってくる女性もいた。

 気がついていないはずはないのに、ロワは意に介するふうもなく受け流している。あきらかにレーヌよりも肉感的な美女であっても、ロワはまったく意識を向けない。それがどうにも拍子抜けなようでいて、誇らしくも感じられた。

 彼が気にかけている女は、自分だけだ。

 そんな実感が、お腹のあたりをくすぐってくる。クスクスと笑いたくなる体を抑えて、道行く女性とロワの視線をこっそりうかがう。

 彼は、どの女性にも興味を引かれた様子は見せない。かわいらしい女性や、セクシーな美女、クールなタイプや癒し系の女性など、通りがかる女性はさまざまなのに、そのどれにも意識を向ける気配はなかった。

(少しくらいなら、誰かに視線を向けてもよさそうなものなのに)

 彼の好みを探るいい機会だと思ったのだが、ロワはわずかも興味を示さない。どうしてなのかと彼の横顔を見ると、笑顔で問う目を向けられた。

「どうしたんだ?」

 素直に聞くのも、妙な気がする。だが、気になってしかたがない。

(フェットに探ってくれるよう、頼んではいるけれど)

 本人に質問するのが一番だ。

「魅力的な女性から、視線を向けられてもちっとも気にするふうがないから、気づいていないのかしらと思ったの」

「ん? ああ」

 参ったなと言いたげな顔で頬を掻かれて、キュッと心臓が甘く絞られた。自分よりもずっと背が高く、たくましい肉体をしている青年に向ける感情ではないと思うのに、いまの彼にピッタリの形容詞は“かわいい”だった。

「気がついていないわけじゃないんだ。その、居心地が悪いというか……いちいち視線を返すのも、妙だろう? 目が合っても気まずいだけだしな」

「そうかしら? どの視線も好意的なものだったわ。あなたに興味があるのよ。視線が合えば、話をしてみたいって思うのではなくて?」

「いやぁ、うん……まあ、そうなるんだろうが」

 歯切れ悪く言いながら、視線を泳がせる彼をながめて返事を待つ。彼はしきりに「参ったな」などとつぶやいて、首の後ろを撫でたりしつつ、目じりを赤くした。

「どうしたの」

「うん……会話をするくらいなら、別に問題はないんだ。俺も民の生の声を聞けるのは、ありがたいからな。だが、そういうことではなく、ああ、その……恋愛に関する誘いの場合が多いんだ」

 当然だろうと心の中で深くうなずく。客観的に見ても、ロワはとてもセクシーでさわやかな青年だ。清潔感のある短めの黒髪。引き締まった眉。やわらかな雰囲気を持つ、切れ長で大きめの瞳。スッと通った鼻筋に、引き締まった頬から顎にかけてのライン。首はどっしりとしていて、肩幅は広い。シャツを盛り上げている胸筋と、袖に包まれていてもわかるほど、力強い二の腕。

「移動しようか」

 立ち上がった彼は、長身であるのに威圧感を与えない、柔和な雰囲気をまとっている。伸ばされた手を掴み、立ち上がったレーヌはなおも彼を観察した。

 肌は健康的な褐色だ。日焼けをしていない、服の中の地肌の色は暗闇だったので、よく見えなかった。瞳は琥珀色。トロリとしたハチミツに似た色合いの目は、そのまま甘い視線を向けてくる。感情にともなって、それが濃く深い色に沈んでしまう場合もあると知っていた。いまは太陽の光を浴びて、キラキラと明るい色をしている。

「俺の顔に、なにかついているか?」

 頬から顎にかけてを撫でた指は長く、節くれだっている。その手がどれほど熱く、力強いのかは身をもって教えられた。

「服の中の肌の色は、どんなだろうって思っていたの」

 ギョッとされたが、レーヌは自分がとんでもない発言をしたとは認識していなかった。みるみるロワの耳が赤くなっていく。それをながめながら、やはり彼の地肌は褐色なのだろうかと考えた。

「日に焼けていない、地肌の色はどうなのかなって考えていたのよ。私、あなたのことをもっと知らなければならないから」

 彼を夢中にさせなければならない。ひとり祖国を後にして、大勢の人々の期待を背負って来たのだから。自分の運命を嘆くほど子どもではないが、戦争がなければ平穏な日々を過ごして、貴族の誰かと縁組をし、次代の王を授かって国母となり、自分の国で生涯を終える。

 なんとなく、そんなふうに過ごすのだと考えていたレーヌにとって、アンピールの王女になれという父王からの言葉は衝撃だった。ぼんやりとしていた意識に、桶で冷水をかけられた気分になった。

 呆然としている間に、父王や大臣たちから説明を受け、説得をされ、断る道などないのだと思い知らされ、勢いに呑まれて承諾していた。そこからは姿をチラリと見ただけのロワを手玉に取るための、男女の性についての勉強がはじまり、実感をともなわないまま送り出された。

 覚悟を決めていたはずなのに、動揺をしてしまったのがその証拠だ。

(私はもう、国に戻ることはできない)

 前に進むしかないのなら、彼のどんなささいなことでも覚えて、考えて、行動をしなければならない。

 そんな思いにとらわれているレーヌは、ロワの瞳にチロリと淫靡な炎がよぎるのを見落とした。

「それなら……見てみるか?」

 普段よりわずかに低い、くぐもった声になっている。それを変とも思わずに、自分の考えに沈んだままで答えた。

「できれば、明るいところで確認したいわ。あなたのことを、もっとよく知るために」

 わかったと言うが早いか、ロワはレーヌの手首をつかんだ。あっと思う間もなく、引かれるままに足を動かして、人々の間をスイスイと滑るように渡っていく。

 どこに連れていかれるのかと考える余裕もなく、どうして彼はこんなに急いで歩いているのかと、小走りになりながら大きな背中をながめた。

 やがて彼は薄暗い路地に入ると、並んでいる建物のひとつに入った。清潔なたたずまいの、間口の狭いそこは、入ってすぐにちいさなカウンターがあった。

「開いているか」

「どの部屋でも、いまなら選び放題ですよ」

「それなら、一番日当たりのいい部屋を」

「わかりました」

 カウンターは相手の顔が見えないように、板が張られていた。カウンターテーブルとの接地面に、腕を出し入れできる程度の小窓がある。そこからニュッと腕が出て、鍵が置かれた。

「代金を、どうすればいいのかわからないんだ」

「ご利用は、はじめてで?」

「ああ」

 答えたロワのうなじが真っ赤になっている。どうして彼は頭に血を上らせているのだろう。なにか、怒らせるようなことでも言ったかと不思議に思っていると、彼はポケットから金貨を一枚取り出して、カウンターテーブルに乗せた。鍵を出した手が金貨を掴み、ロワがカギを握る。

「最上階の、奥の部屋です」

「ありがとう」

 お金を払ったということは、ここは店だ。だが、なんの店なのかわからない。彼に手を引かれるままに階段を上り、三階の一番奥の部屋に連れていかれた。鍵を開ける彼の指が、わずかに震えているように見える。

「さあ」

 ドアを開かれうながされ、中に入ると簡素な寝室があった。さんさんと窓から日差しが入り込み、部屋中を照らしている。ベッドはレーヌの知っているものよりも幅は狭いが、人がふたり寄り添って眠れる程度のサイズはあった。チェストの上にはカップがふたつと、水差しが置いてある。紐が釣り下がっていて、その下にカードが置かれていた。手に取って見れば、ドリンクや焼き菓子、簡単な料理の名前と値段が記載されている。紐を引けば注文を聞きに店の者がやってくる、ということだろう。

 不思議な場所だと窓に近づき、外をながめた。広大な土地が広がっている。ここから見えるすべてが、ロワの治める国なのだ。あの地平線の向こうも、ずっと。

(そういえば私、国にいるときに自分の国がどこまでなのかって、景色を見ながら考えたことなんて、なかったわ)

 地図で、自国と近隣諸国の位置や広さを確認したことはあるが、実感を持って勉強をしてはいなかった。地図上で見たアンピールの広さを思い出せば、吐息が漏れた。自国の五倍はあろうかという広大で豊かな土地。山もあり、平野もあり、豊かな湖があちらこちらにあると記されていた。

(私の国は、山ばかり)

 だからこそ鉱山資源が豊富で、小国でありながら軍事力が強く、他国から侵略されることもなく存在し続けられていた。たしか、そんなふうに教師に教えられた気がする。

(その代わり、農作物は作りづらい)

 まったくできないわけではないが、輸入に頼っている部分は大きかった。だからこそ父王をはじめとした政治をつかさどっている大臣たちは、豊かなアンピールを欲しがったのだ。

(戦争の理由は、国境の小競り合いだって聞いたわ。つまり、民が生きるために、土地を求めたから争いになったのよ)

 父王や大臣たちの言葉は、ひいては国民の望みであるのだ。気を引き締めたレーヌの背中に、わざとらしい咳払いがかけられた。

「どうしたの、ロワ」

「うん、いや……俺の地肌の色を知りたいと言っただろう? だから、それを見せようと思ったんだ」

 照れながら、言いにくそうにするロワに目をまたたかせる。

(街中で脱ぐわけにもいかないから、ここに連れて来たのね)

 なるほどとうなずいて、ニッコリした。

「ありがとう、ロワ。私、あなたのことを何も知らないから、もっともっと、たくさん知りたいなって思ったのよ」

「俺も、もっと俺のことをレーヌに知ってもらいたい」

 ぬくもりをにじませた表情に、心がとろける。うっとりしかけて我に返り、首を振った。

(しっかりするのよ、レーヌ! たしかにロワはハンサムで、さわやかだわ。道行く女性が熱い視線を送るくらい、魅力的だってことは認めるけれど、私が彼の虜になっちゃダメなのよ。彼が私に執着をするようにさせなくちゃ)

 気を取り直して、深呼吸をする。

「教えてくれる? ロワのこと」

「ああ」

 短く答えた彼は、おもむろにシャツを脱いで上半身をあらわにした。

 * * *

 シャツに隠されていた彼のたくましい裸体に、レーヌの視線が吸い込まれる。服の上からでも充分すぎるほどにわかってはいたが、見事な肉体美だった。盛り上がった胸筋は小ぶりな女性の胸ほどもあり、腹筋は見事に割れている。脇腹から腰へのラインは直線と直線を見事に融合させて、なめらかだった。肌は褐色。日にさらされているところと比べれば、わずかに薄い色をしているが、レーヌの肌と比べればずっと濃かった。小麦色と言えばいいのだろうか。

(すごいわ)

 騎士の鍛錬を見学したことはあるが、これほど目を惹く肉体はなかった。視線が離せない。初夜のときも、すばらしい筋肉の持ち主だとは思ったが、自分の運命に意識が向いていたので、じっくりと注視する余裕はなかった。

 まじまじと見ていると、触れたくなった。

 何かに操られているかのように腕を持ち上げ、そっと胸筋の上に指を乗せる。少し力を入れれば指先はわずかに沈んだが、女性の乳房のようにやわらかくはない。どっしりとした弾力に押し返されて、指は沈まなかった。

 そのまま指を滑らせて、鎖骨をなぞって胸筋の形を確かめる。下方にポッチリとついている色づきに指を滑らせると、クニッと突起が動いた。ほうっと熱い息を漏らして、両手で胸筋を下から支えるようにする。グッと押し上げると、わずかに持ち上がった。親指の付け根に乳首がひっかかり、存在が強調される。とても気になって、外側を手のひらで撫でながら親指でくすぐるとツンと硬くふくらんだ。

「っ、う」

 かすかなうめきが聞こえて、胸が大きく上下する。息づいている肉体がうっすらと赤みを帯びて、レーヌの肌が粟立った。

(すごい……なに、これ)

 手のひらが熱い。肌に吸い込まれたように、離せなかった。手を滑らせて脇腹に触れ、腰までのラインを確かめると腹筋の溝に指を滑らせ、ヘソに触れた。

 そんな動きを不規則に繰り返していると、ロワの息が乱れはじめた。それに呼応して、レーヌの息も上がってくる。夢遊病者のように彼の見事な肉体を手のひらで味わっていたが、それだけでは物足りなくなって、顔を近づけ胸筋の谷に舌を伸ばした。

 心臓のあたりを舐めて、舌先をつけたまま顔を動かす。色づきを舌先で転がすと、じわんと舌に甘美な刺激が走った。もっともっとそれを味わいたくて、舌で突起とたわむれていると、レーヌの胸の先が淡い痺れに襲われた。ムズムズする自分の突起をなぐさめるように、目の前のロワの尖りを舌先であやす。

「ぅ、ん……はぁ、レーヌ」

 ハッとして顔を上げると、上気した頬で困惑気味に目を潤ませたロワがいた。じっと見下ろしてくる表情は艶やかで、色っぽい。征服欲と庇護欲をない交ぜにしたような、奇妙な感覚が湧き起こる。
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