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第1章 キュンキュンさせてみせなくちゃ

(ううん、違うわ。きっと作戦よ。彼、ハンサムだもん。こうやって女を手玉に取ってきたんだわ)

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 しずしずと顔をうつ向けて、城へ向かう橋を渡る。あたりは暗く、ぼうっとオレンジ色の淡い輝きが、ゆらゆらと揺れていた。

 浮かび上がる足元の石畳を踏みしめて、レーヌは不安と緊張を胸に夜の道を、純白のドレスとヴェールをまとって進んでいく。

 彼女を取り囲んでいるのは、武装をした騎士たちだ。彼らは無言でレーヌを守り、彼女を見ようともしない。

 やがて城門に到着し、重たい扉が開かれる。それこそが運命の開ける音だと、レーヌは唇を固く結んだ。

 ここまで彼女を取り囲んできた騎士たちは、城門の内側には入れない。ここから先は、ひとりだけの戦場になる。婚姻を通じて、相手国の内情を探るという戦場に。

(かならず、成し遂げてみせるわ)

 決意を固めて、数ヶ月前までは敵国だったアンピールの城内へ踏み込んだ。

 この国の騎士に守られ、しずしずと歩みを進める。深夜の城内は静まりかえっており、足音が異様に響いた。自国の城とはくらぶべくもない立派さに、よくもこの国に攻め込もうと思ったものだと、父王や国の重鎮たちの顔を思い浮かべた。

 騎士たちが止まり、上品なメイドの先導に変わる。メイドに連れられて、広い部屋へ案内された。数人のメイドが待機している。

「こちらで、身の検査をさせていただきます」

 丁寧だが、有無を言わせない態度だった。

(私が武器を隠し持っていないか、用心しているのね)

 うなずいてヴェールを外し、ドレスを脱いだ。下着もすべて脱ぎ捨てて裸体になると、ひとりのメイドがランプをかかげた。

 ランプの明かりにレーヌの全身が浮かび上がる。オレンジの光を受けた肌は、しらじらと輝いた。なめらかな女のラインを恥じることなく見せると、手が伸びてきた。結い上げたダークブラウンの髪をほどかれ、隠しているものはないか探られる。

「申し訳ありませんが、ベッドで這っていただけますか?」

 屈辱的な格好だが、ここで抵抗をして台無しにしてはならない。ベッドに這うと、メイドたちに尻の谷を開かれ、秘所を確認された。

「っ、う」

 ちいさくうめいても、確認の手はゆるまらない。歯を食いしばり、拳を握って恥辱に耐えた。

 ようやく解放されて、手を引かれて立ち上がる。

「こちらは、これからレーヌ様の部屋となります」

 深く頭を下げたメイドに手を引かれ、裸のままちいさな扉に連れていかれた。

「この先が、ロワ様のお部屋です」

(いよいよ、ご対面ということね)

 夫となるアンピエールの王、ロワ。彼の信用を勝ち取り、籠絡して自国に有利な条件を呑ませることが、心身を賭けた一大任務だ。

 メイドはノックをしてから、扉に鍵を差し込んだ。カチリと軽い音がして、扉が開かれる。見える景色は、夜の藍色に染まった広い部屋だった。頭を下げたメイドに送り出され、扉をくぐると鍵を閉められた。逃げられないように、という用心なのか。

 胸元で指を組み、ランプの明かりもない室内を、そろそろと歩く。足裏にひやりとした床の冷気が吸いついて、足首からふくらはぎへと這い上った。不安が募ってきたところで、ベッドの脇にたたずんでいる人影を見つけた。

「ロワ……様?」

  振り向いた彼は、照れくさそうな笑みを浮かべて両腕を広げた。ズボンのほかは、なにも身につけていない彼の、たくましく盛り上がった胸筋が影を作り、彫刻のようにはっきりとした陰影を作ってている。短く刈られた髪とあいまって、精悍さが際立っていた。

 立ち止まって、まじまじと彼を見る。申し訳なさそうにほほえみながら、どっしりとした足取りで近づいて来た彼の腕に包まれて見上げると、目が細められた。切れ長の、けれどおおきな目が、柔和な気配をかもしている。琥珀色の瞳は、魅惑的に揺れていた。

「すまない」

「え?」

「一国の王女に対し、するべき行為ではなかった。さぞ、不快だっただろう」

 正味の謝罪に、この婚姻の方法は彼が望んだわけではないのだとわかった。

「それは、ええ」

 宵闇にまぎれて、盗人のように少人数で城をめざし、メイドに全身を改められて裸身で主人の前に放り出されるなんて、妻になりに来たとは思えない扱いだ。それもこれも、敵国だったヴィルの姫を娶るための、彼の用心だと思ったのだが。

「周囲が色々とうるさくてな。それは、そちらもおなじだったんじゃないか? 人質に来たような心地だったと思う」

「それは、ええ、その」

 人質ではなく、スパイ工作をしに来たのだが、正直に言えるわけがない。答えを濁すと抱き上げられて、ベッドに連れていかれた。

「君のことは、俺が守ろう。窮屈だろうし、嫌な目で見られるだろうが、こらえてほしい」

「数ヶ月前までは、国境を争っていたのですから、しかたがありませんわ。ロワ様も、私をお疑いではありませんか?」

「ロワでいい。窮屈な物言いも不要だ。俺は率直な姿で君と向き合いたいんだ。レーヌと呼んでも、かまわないか?」

「もちろんです……ロワ」

 おずおずと呼び捨てにすると、うれしげに目尻をゆるめられた。ドキリと心臓が跳ねる。

「これから、俺たちは夫婦になる。周囲はあれこれとうるさく言うだろうが、ふたりで過ごす時は、それらを忘れていよう」

 とろける笑みは、本気なのか、こちらを取り込もうとしているのか。

(ほだされてはダメよ)

 これが彼の手口なのかもしれない。油断をさせておいて、こちらの国情を聞き出し、政治戦争で血を流さずに属国にしようと企んでいる可能性もある。

(気を引き締めておかないと)

 ときめく胸を叱咤すれば、唇をかすめ取られた。かすかなキスに照れくさそうにするロワに、キュンとする。なんて純真な笑みを浮かべるのだろう。

(ううん、違うわ。きっと作戦よ。彼、ハンサムだもん。こうやって女を手玉に取ってきたんだわ)

 なびきそうになる自分の弱さを引き締めると、幾度も唇をついばまれた。やわらかな感触は心地よくて、口元がゆるむ。薄く開いた唇の隙間から舌が入り込み、歯の門を開かれて舌をくすぐられた。

「んっ、ふ……ぅ」

 上あごをくすぐられ、頬裏を撫でられると口内がジワリと淡く痺れた。不思議な感覚に肌が泡立ち、ゾクゾクと背筋が震える。大きな手で腕をさすられると、ふわりと熱が生まれて肌が火照った。

(やだ、なにこれ)

 これが性交というものなのか。未知の感覚にとまどっていると、唇が離れた。濡れた琥珀の瞳に見下ろされ、心臓がわななく。どうしてこんなにも気持ちが揺れ動くのだろう。理由のわからない震えに襲われて、見つめ返すことしかできなかった。

「美しいな」

 ほろりと溢れた言葉に目を見張る。ロワの手がこめかみに添えられて、髪を梳かれた。肌がざわめき、全身が真綿に包まれたような心地になる。薄桃色の火照りのヴェールに全身を包まれて、レーヌはドギマギした。

「あの、ええと」

「君との婚儀が決まってから、この日をずっと待ち望んでいた。今日は朝から、ちっとも仕事にならなくてな」

 苦笑されても、返事をしづらい。それだけ待ち望んでいてくれてうれしいと答えるべきか、自分もそうだと伝えるべきか。

(リップサービスのはずよね)

 本心な訳がない。彼もきっと、こちらと似た考えで婚姻の申し出をしてきたはずだから。王族同士の結婚とは、そもそもそういうものだと教育されてきた。物語に描かれているような、恋しい人と結ばれるものではないのだ。

 年若いが辣腕の国王と評判の高いロワが、恋愛に溺れるわけはない。広大で豊かな土地を有するアンピールと友好な関係を築きたい国は他にもある。その中でヴィルを選んだのは、国境のいざこざから発展した戦争を終わらせ、小国とはいえ鉱山などの資源が豊富なヴィルと手を組んでいれば有利だと考えてのことのはず。

(そもそも、正妻だって言われていないし)

 アンピールほどの国の王なのだから、妻は数人いてもいい。むしろ血を絶やさないために、妻は複数いるほうが安心だろう。自分の他に、有力な国から妻を迎え、その相手を正妻に据えるつもりではないか。そうなる前に彼を虜にしてしまわなければ。

「浮かない顔だな」

 頬を撫でられ、ギクリとする。考えが顔に出てしまったのか。

「こんな嫁入りでは、無理もない。もしかして、俺が他に妻を娶るのではないかと心配をしているのか?」

 まっすぐに答えづらい質問をされても困る。

「安心してくれ。俺は、他の誰も迎えるつもりはないから」

「でも」

「大丈夫だ。そのために俺は励むよ。レーヌとの婚姻を、皆に認めさせてみせる。その暁には、きちんと国を挙げての式をしよう。だから、しばらく待ってくれ」

 これも彼の作戦なのか。女のよろこびそうな言葉を繰り出し、気持ちをほぐして油断をさせる罠。それにしては、彼の目は澄みきっている。

(きっと彼ほどの人なら、悲しい顔をしながら残酷な決断ができるんだわ)

 彼の年齢は二十四だと聞いている。王に就任したのは十六歳。その若さで大国を支配してきたのだから、女を騙すなんて赤子の手をひねるより簡単にやってしまうに違いない。

(予想はしていたけど、手強い相手のようね)

 だからこそ、気を引き締めてかからなければならない。ここは、か弱い女になっておくほうがいいだろう。

「ロワ様……ありがとうございます」

「さっき、言ったろう? 俺のことは、ロワと呼び捨てにしてくれないか」

「ロワ」

「そうだ、レーヌ」

 ささやきを口に注がれて目を閉じる。唇を確かめるような、淡く執拗なキスに心臓が熱く痛んでふくらんだ。彼の大きな手のひらに頭を包まれ、撫でられる。耳たぶを軽く引かれ、首筋をくすぐられて身をよじると、ロワがクスクスと息を揺らした。

「信じられないな。腕の中に、君がいるなんて」

 うれしげな声は、昔から焦がれていた相手だと言われている気がした。

 そんなはずはない。

 彼と会ったのは、戦争締結の儀式のときに、一度だけ。こちらは無言で父王の背後に控えていただけで、顔を伏せていた。互いに視線を合わせたこともなければ、言葉を交わしもしなかった。そんな状況で見初められたと考えるほど、容姿に自信は持っていない。

 ちょうど和平調停に頃合いな、婚姻相手にふさわしい年頃の娘がいると思われただけだ。

(そうだわ。この言葉はすべて、国同士の条約を前提にしているのよ)

 自分自身に向けられているものではない。背後にある国を、彼は見ている。そう考えるのに、なぜかロワの言葉は心に深く沁み渡る。

「レーヌは、俺を好いているのではなく、国のために渋々こちらに来てくれたのかもしれないが、それを後悔させないだけのことをするつもりだ。いや、つもりではなく、そうすると約束しよう。だから、レーヌ。俺の妻になると誓ってくれ」

 懇願の声音に笑いたくなった。これほど演技がうまい人だったとは。心の奥が震えて、目頭がじんわりと熱くなるほど、ロワの言葉は胸に迫った。うっかりとほだされてしまいそうだ。

「ずるいですね。私は、あなたの妻になるほかに道はないのに、そんなことを言うなんて」

 うっかりと本音を漏らしてしまった。ここは従順にうなずいておくべきなのに、なんてことを言ってしまったのかと焦る。

「ああ、そうだな……そうだ。俺は、圧倒的優位な立場にありながら、それを忘れてしまっていた。すまない」

 立派な体躯と凛々しい顔つきからは想像もできないほど、弱々しい声に驚く。低すぎず、高すぎない彼の声は世の中に揉まれ汚されていない、無垢な少年の心を残す青年になったばかりの男のようだ。十六の歳から大国を揺るぎなく統治してきた王の声とは思えない、やさしさと気遣いに満ちた声音に心が揺らぐ。

(しっかりしなくちゃ。私の返答を、駆け引きの言葉だと思われたから、こんな返事をされたんだわ)

 手強い相手だ。わずかな気のゆるみも許されない。

「抱いてください」

 とにかく、彼と肉体関係を結んで、自分の虜にしてしまわなければ。男は下半身の本能に弱いものだと、出立前の勉強で覚えた。とにかく欲情に訴えて、意のままにできるほど魅惑する。駆け引きは、そこからすればいい。

(未経験だけど、味を知って手に入れたと考えた瞬間に、甘くなるものだって教わったし)

 体を差し出す前にアレコレと翻弄する手管もあるらしいが、婚姻が決まってしまっているのだから、素直に身をゆだねなければならないので、その作戦は不可能だ。

 そう考えての発言だったのだが、ロワはゴクリと喉を鳴らして頬をこわばらせた。まずいことでも言ったかと、ヒヤリとする。

「レーヌ……そんなことを言わせてしまって、すまない。せめて精一杯、愛するとしよう」

 やわらかなキスをされ、肩を手のひらでなぞられる。乳房に大きな手のひらが乗り、そっと指を沈められた。

「俺の手に、ぴったりと収まるな」

 うれしげな唇が胸に落ち、乳嘴を軽く吸われる。舌先で色づきの輪郭をなぞられて、プクリと育った中心をくすぐられると、肺がふくらみ喉を伝って、鼻にかかった息が漏れた。

「んっ、ふ……う」

 ゾワゾワと悪寒に似た不思議な感覚が波紋のように広がって、体の芯がとろけてわななく。下腹部がムズムズしはじめ、脚の間がキュンと動いた。

(なに、これ)

 自分の体が意志とは違う動きをしている。困惑してシーツを握ると、胸先の刺激が離れた。ホッとするのに胸の先が物足りなくなる。相反する感覚に眉根を寄せると、頬を手のひらで包まれた。

「そんなに緊張をしないでくれ。と言っても、無理もないと思うが……俺にすべてをゆだねる気には、なれないだろうしな」

 さみしげに琥珀色の瞳が揺れている。ズキリと胸が痛んで、思わず手を伸ばしてしまった。彼の頬に手を添えると、その上に手を重ねられた。手のひらには頬のぬくもり、手の甲には硬い手のひらを当てられて、包まれた右手が熱くなった。

 心が火傷をしてしまいそうだ。

 闇に浮かぶ琥珀の瞳は茶色を濃くして、沈んでいる。気遣う気配に満ちた瞳に魂ごと抱きしめられているみたいだ。

(これも、きっと作戦だわ)

 本気で彼が愛してくれているはずはない。友好関係を築くための演技だと思うのに、心がわななき落ち着かない。抱きしめて、大丈夫だと伝えたくなった。

「あ、私」

 口を開いても、感情はそのまま言葉に変わらなかった。自分の立場と気持ちにうまく折り合いがつけられない。いったい、どうしてしまったのだろう。

(はじめての行為だから)

 たった一度しかない、初体験への覚悟ができていないからだ。身も心も国に捧げると誓って出立をしたのに、こんなところでくじけるわけにはいかない。

「いいんだ。無理はしないでくれ。あんな扱いをされて、花嫁としての気持ちを持てるはずがない」

 彼の体が離れて、頬にあてていた手が浮いて指先が離れる。ベッドから下りたロワは枕元のチェストの水差しを手にして、銀のゴブレットに中身を注いだ。毛布で胸元を隠しながら身を起こすと、それを差し出された。受け取り、彼を見ながら口をつける。水はするりと喉を通り、そこではじめて喉が渇いていたのだと気がついた。

「あの、ありがとう」

 うん、とうなずいたロワの表情は浮かないままだ。口元には微笑をたたえているのに、目元は苦しげに曇っている。

(とてもきれいな目をしているのに)

 もったいない、と沈んだ色の琥珀をながめた。

「心配をしてくれているのか?」

 自分も水を飲んだロワに、ため息まじりに問われた。うなずくと、そうかとつぶやかれる。

 彼の声は床に落ちて、聞こえているのにレーヌには届かなかった。それがとても惜しく感じる。彼の声をこちらに届くように与えられたい。

「ロワ」

 身を乗り出して呼んでみる。ゴブレットを指でもてあそんでいたロワの視線が上がり、レーヌに向けられた。彼の視界に捉えられると、ホッとする。

「私は、あなたの妻になります。だから、妻として扱ってください」

 そうでなければ、よく知らない敵国の王に嫁ぎに来た意味がない。彼に求められなければ、任務が達成できない。なんのために婚姻衣装を身に着けて、コソコソと身を隠すようにして単身この城へ飛び込んだのか。

(すべては、国のため。内側からこの国を支配するためよ)
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