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 * * *

 カタリと物音がして、壮太は二度寝から目を覚ました。ぼんやりとした頭で「いまは何時だ」と時計に目をやる。時刻は十時四十八分。なんて中途半端な時間なんだ。朝と呼ぶには遅いけれども、昼とも呼べない時間。腹は減っているが、ベッドから出る気になれなくて、壮太はゴソゴソと寝返りを打ち、はたと動きを止めた。

 視界の端に、なにか赤くて大きなものが映った。壮太の部屋にある赤いものは、服しかない。しかし服は衣装ケースのなかだ。赤いものがあったのは、台所。ベッドのある部屋と襖で区切られた、三畳ほどの狭いスペースにあった。

(泥棒?)

 まさかこんな学生がほとんどのマンションに、泥棒なんて入るわけがない。オートロックもあるし、ここは五階だ。しかし、となりのマンションの外階段から、こちらの外階段に飛び移れば、侵入できないこともない……かもしれない。

 どんどん悪い方向に思考が向いて、壮太はドキドキしながら視線を台所に向けた。襖はいつも、開けっ放しにしてある。

 間違いなく、赤色のものはそこにあった。背中が見える。身長は壮太よりすこし高いくらいだろうか。横幅は壮太の倍、とまではいかないが、壮太よりもおおきかった。といって、太っているというわけではない。見えている腕はみっしりとした筋肉に覆われていて、背中もがっしりとしている。腰は締まっており、尻はキュッと上向きでちいさく、動くとときどきエクボが見えた。

(って、なんで尻のエクボが見えるんだよ)

 見知らぬ男が台所に立っていることよりも、尻のエクボが見えていることを壮太は気にした。困惑しすぎて、問題のちいさな部分にツッコミを入れて落ち着こうとしているのかもしれない。

 音を立てないように慎重にベッドから出た壮太は、男を観察した。鼻歌が聞こえてきそうなほど、機嫌のいい雰囲気で作業をしている。そういえば、いい香りが台所から漂ってくる。どうやら料理をしているらしい。

(食材なんて、冷蔵庫にあったっけ)

 冷凍チャーハンとか、買い置きのジュースとか、マヨネーズとか。その程度しか冷蔵庫には入っていなかったはずだ。それなのに鼻に触れる匂いは、味噌汁の香りだった。

(なんで?)

 いったいどこから味噌を調達してきたのか。赤色のティーバックを履いた男がレンジを開けた。どんぶりを取り出してテーブルに置いたときに、目が合った。

「あっ」

 あわてて隠れようとした壮太に、男はニッコリした。

「おはよう、壮太。朝食には遅いが、昼食にはちょっとはやい中途半端な時間だね」

 ニッコリとした男の親し気な態度に、壮太はポカンとした。知り合いだっただろうかと、男をまじまじと見つめる。

 クッキリとした目鼻立ちに、引き締まった眉。唇には柔和な笑みが浮かんでいる。さわやかなスポーツ青年を演じているイケメン俳優以外で、こんな笑顔が似合う人間を壮太は知らない。つまりこの男は、たくましい系のイケメンだった。

 どっしりと太い首。プロレスラーのように盛り上がった胸筋。引き締まったウエストと、無駄な脂肪のない尻。ぶ厚い太ももと、しなやかなふくらはぎ。

 体のラインがはっきりとわかるのは、彼の服装が体型を隠すものではなかったからだ。

 バニーガールを思わせる、胸筋の谷間をたっぷりと見せつけるデザインの、真っ赤な燕尾のベスト。ブーメランタイプのパンツ。首には鈴と木の葉のついたファーのチョーカー。左の二の腕に、おなじデザインの腕輪がある。手首は腕輪なのか、ブラウスの襟部分だけがあった。ウエストには黒色のガーターベルト。その先につられているのは、緑色の刺繍とファーで飾られたニーハイソックス。

 巨乳美女がこの恰好をしていれば、最高に興奮するだろうなというエッチな服装の男の頭には、根元に赤いリボンのついたトナカイの角があった。黒く長い髪をまとめて、うまく留め具を隠している。

 こんなトンチキな格好を、喜々としてする知り合いはいない。

「ええと……どなたさまですか」

 なんとなく正座をして、壮太は聞いた。男はうれしそうに目を細める。

「サンタクロースだ」

「はぇ?」

 間抜けな声を出した壮太を、サンタクロースと名乗った男は手招いた。おそるおそる近づいた壮太は、男がテーブルに乗せたどんぶりを見ておどろく。

「筑前煮?」

 スーパーでよく見る煮物だ。作ったことはないし、作り方も知らないが定番の煮物という認識はある。

「腹が減っているだろう。とりあえず顔を洗ってくるといい」

 壮太は言われるままに、台所と玄関の間にある浴室に入って、洗面台で顔を洗った。鏡を見て、頬をつねる。しっかりと痛いが、夢ではないという確証は持てなかった。

 台所に戻ると、ご飯の支度が整っていた。どんぶりにあった筑前煮は小皿に取り分けられていた。味噌汁とご飯と煮物。そこに出汁巻きが添えられて、壮太はボウッとそれをながめた。

「さあ、食べよう」

 ぼんやりしたまま席に着き、箸を取る。いただきますと手を合わせて箸をつけた料理は、どれもおいしかった。

(こういう料理のできる彼女が欲しいなぁ)

 家庭的で、和食が得意な女性が壮太の理想だった。おしゃれな洋食よりも、ほっこりとした和食の似合う黒髪の日本女性。そしてふだんは清楚でありながら、床の上では大胆かつ淫らにセクシーに……なんて、エロ漫画や小説のなかでしかいないとわかっているのに、そんな相手を夢見てしまうお年頃の壮太は、得体の知れない男の手料理に舌つづみを打ちながら、理想の妄想を繰り広げていた。

「はぁ、ごちそうさま」

「おそまつさまでした」

 姿に似合う響きのいい声で返事をされて、壮太は我に返った。奇妙な男はいそいそとお茶を淹れて、壮太に湯呑を差し出す。受け取った壮太は茶をすすりながら、洗いものをはじめた男をながめた。

 料理もお茶も、とてもおいしい。お茶はほんのりと甘みを感じられる、舌に心地いい温度だった。たのしげに食器を片づける男の恰好は、エロ漫画なんかにありそうなサンタクロース姿。ただし、美女あるいは美少女という前提ありきの恰好だった。

「ていうか、なんでサンタクロースなのに、トナカイの角と首輪がついてんだよ」

 つぶやいた壮太に、男がニッコリと振り返った。

「それは、この私がサンタクロースだからだよ」

「いや、答えになってねぇし」

 すかさず突っ込んだ壮太の顔を、男は腰に手をあてて腰を折り、のぞき込んだ。

「サンタクロースにトナカイはつきものだろう? だが、トナカイを家に入れるわけにはいかないじゃないか。かさばるからね。だから、私がひとりふた役をしている、ということなんだ」

 ツンッと鼻先をつつかれて、壮太は目と口をまるく開けた。アニメなんかで、そういうことを主人公にする美少女ヒロインを見たことはあるが、まさか自分がエロいサンタコスをしたマッチョなイケメンにされる日がこようとは。

 軽い頭痛を覚えて、壮太は頭に手をやった。

「ええと、サンタクロース……さん」

「タクローでいいぞ。長くて呼びにくいだろう?」

「た、タクロー?」

 そこは三田九朗とか、そういう感じではないのかと壮太が片目をすがめると、タクローは腕組みをしてテーブルに上半身を乗せた。胸筋が盛り上がって、谷間がグッと壮太に迫る。

「サンタ・クロウとか考えたんだろう? それでも問題はないんだが、クロウは苦労に通じるからね。タクローのほうが今風だし、いいかと思ったんだ」

「今風でもないと思うけど」

「細かいことは気にするな」

 おでこをツンッとされて、壮太は額を撫でた。タクローは機嫌よく食器を洗い終えると、掃除をはじめた。

「あのさ」

「なんだい?」

「さっきから気になっていたんだけどさ。あんたがいま持っているものとか、座っていたイスとか、味噌とか食器とか。俺ん家には、なかったものだよな」

 わざわざ運び込んできたのか。というか、どこから侵入してきたんだと、壮太は浮かぶ疑問を小出しにして問おうと、手はじめにタクローの手に握られているハタキを指さした。

「ああ、これは袋から取り出したんだ」

「袋」

 そうだと言って、タクローが台所の隅に置いている白い袋に視線をやった。サンタクロースの顔が刺繍してあるその袋は、たしかにおおきいがイスが入るほどではない。

「なんでも、いま欲しいものが取り出せるんだ」

 そんな夢のような袋があるはずないと思いつつ、壮太は「へえ」と答えた。危ないヤツの扱いは、慎重にしなければならない。いきなり否定をしたら、どんな行動に出られるかわかったものではない。

「なんで、あんたはここに来たんだ」

「あんたじゃなくて、タクローだよ? 壮太」

 ウインクとともに注意をされて、壮太は頬をひきつらせた。

「ええと……タクローは、なんで俺の家にいるんだよ」

 その疑問はもっともだなと納得をしたタクローが、掃除をしながら返事する。

「壮太が願ったんだろう? 神社で盛大に、魂のほとばしりを感じるほどの力強さで」

「俺が、盛大に?」

「そうだ」

 手慣れた様子でテキパキと掃除をするタクローに感心しながら、壮太は考える。

(神社で願いなんて……したな)

 顎に手をあてて、壮太は昨夜のことを思い出した。バイト帰りにひとりさみしく夜道を進んでいると、たのしく過ごしていた客たちの姿が脳裏をちらついた。

 せつなくなった壮太は、ときどき立ち寄ってはひとり言をこぼしている神社で、溜まったモヤモヤを吐き出すことにした。うらさみしい真っ暗な境内に入り、なにがクリスマスだと毒づいた記憶がある。そして賽銭を投げ入れて、欲望まるだしの、決してかなわないであろう願いを向けたのだ。

 神様が本当にいるというなら、ムチムチ巨乳のエロくて家庭的な恋人をプレゼントして欲しい。手料理を味わって掃除をしてもらって、体のケアまでバッチリしてくれる、かいがいしくて見た目もいい、エロ漫画みたいな相手をクリスマスプレゼントによこしてくれ……と。

 具体的に、どんな格好なのかも言った気がするが、あまりよく覚えていない。クリスマスに神社でプレゼントを要求するのはとてもおかしい。それをわかっているから、欲望のままに身勝手であり得ない願いを伝えられたのだ。

「その願いが聞き届けられたから、私はいま、ここにいるということだね」

 壮太は盛大に頭を抱えてテーブルに突っ伏した。たしかに願った通りの恰好をした、ムチムチ巨乳の見た目がいい相手かもしれない。料理もうまいし、掃除だってテキパキとこなしている。

 だが、なぜ男なのだ。

(たしかに、女の子がいいとは言ってない)

 言ってはいないが、そこはわかってくれてもいいんじゃないか。神様の基準は人間の基準とは違うのか。違うんだろうな。違うから、こんなことになっているんだ。

 チラリと横目でタクローをうかがった壮太は、どうせなら性別も言えばよかったと後悔した。いくら夢でも、これではあんまりだ。たしかに要求通りだが、性別が違う。そこは重要なポイントだろうがと心のなかで神様に文句を言っても、タクローにチェンジを突きつけられるとは思えない。

(つまりタクローは、神様が俺によこしたクリスマスプレゼントってことなのか)

 クリスマスの朝、枕元にプレゼントが届く。たしかに台所はベッドの枕の先にある。間違いではない。間違いではないのだが……性別が大間違いだ。

(チェンジ、って言ったら、交代になる……なんてことはないよなぁ)

 どうしたもんかと、壮太は部屋の隅々まで丁寧に掃除をするタクローをながめた。
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