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第二章 王族だなんて聞いてない!
「なにも心配することはない。ティファナは俺の妻になるのだからな」
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肌触りのいいシーツの感触を頬に感じて目を開けると、見知らぬ部屋だった。脚の間になにかがはさまっているような違和感を覚えて、手を伸ばしてみたけれどなにもなかった。体がだるく、自分のものではないような、いつもとは違った感覚がある。
眠気の残る意識で、自分がどこにいるのかを考えた。
(えっと……私、なにをしていたんだっけ)
サイラスと会って、手を繋いで森の奥に入った。彼の家は屋敷というより城そのもので、ヴィエホは彼の領地だと教えられた。
(愛人の子どもだから、領地をもらって追い出されたってことよね。それで私は、サイラスがひとりぼっちなんだって思って、ずっと一緒にいるって約束をして、それで……それで)
カッと体が熱くなる。彼に抱かれたのだと思い出して、毛布を頭からかぶって丸くなった。
(なんで、どうして私……外で、なんて)
誰が来るかもわからない屋上の東屋でキスをされ、そのままあの場で彼に貫かれてしまった。体に残る感覚は、彼を受け入れた証拠だ。離れてもなお存在を感じられるほど、たくましく熱かったサイラスを思い出して恥ずかしくなる。
(はじめてが、あんなふうだなんて!)
恋に恋をしていたわけではないけれど、初体験はロマンチックにベッドの上で、月の明るい夜にしっとりとおこなうものだと漠然と考えていた。それなのに、まだ昼にもなっていない屋外で、あれよああれよという間に貫かれて果てるとは。
終わった後の記憶がない。
(たしか、サイラスに俺のものとか言われて、私もおなじことを言おうとして、ええと、そこから……どうなったの?)
ベッドにいるということは、彼に運ばれたということだ。
そろそろと毛布から出て自分をながめる。見たことのないネグリジェを着ていた。誰かに着替えさせられたのだ。
(誰が? というか、つまりそれって、私の裸を見られたってことよね)
サイラスと繋がった後の体を、誰かに拭かれて着替えさせられたなんて、恥ずかしすぎて消えてしまいたい。どうして気を失ってしまったのかと自分を恨み、うめきを漏らした。
(でも、ということは、ここは城の中の、どこかの部屋ってことよね? サイラスはどこに行ったのかしら)
会うのは恥ずかしいけれど、会わなければなにもできない。とりあえずベッドから下りて、あらためて室内を見回してみる。
ずいぶんと広い部屋は、子どもが走り回っても平気なほどだ。ベッドは天蓋付きで、ビロードの房付きの布がかけられていた。ベッド脇のチェストには、ガラスの水差しが置かれている。バルコニーに向かう扉は大きくて、外の景色がよく見えた。バルコニーには丸テーブルとイスが二脚。暖炉の上には銀の燭台と花瓶。その上にバラの絵がかけられていた。暖炉の前にはローテーブルと三人掛けのソファが一脚。
扉がふたつあって、小さく簡素なほうを開ければ、衣裳部屋だった。といっても、服はない。大きな鏡と、衣装をかけるための吊り棒があるだけだ。
(立派だわ)
どの調度も重厚で、鏡の縁やテーブルの脚の細工、暖炉の造りなど、すべてが一流なのだとわかる。しかし、衣裳部屋が空なのに、肌触りのいいシルクのネグリジェはどこから手に入れたのだろう。
ベッドに戻って水差しを取り、グラスに水を注いで飲み干した。ふうっと息を吐いて枕元を見れば、ガウンが置かれていた。羽織ってバルコニーに近づき、昼間にこんな格好で出るのはどうかとためらってから、好奇心には勝てずにガラス戸を開けた。
さわやかな、緑の香りを含んだ風が吹き込んできて、ゆったりと息を吸う。陽光を受けて濃淡の差はあれど、生き生きとしている緑の姿が目にやさしい。
手すりにつかまり目をこらしてみても、ティファナの別荘の姿は見えなかった。
(まあ、そうよね)
森の木々よりも低い建物なのだから、見えるわけがない。それに方角も、こちらであっているのかわからない。
空を見上げて、太陽の位置を確認する。別荘を出たときよりも、ずっと高い位置にある。いまはお昼時くらいだろうかと考えて、息を呑んだ。
「いけない!」
昼までには帰ると、ミセス・ヒギンズに言ってきた。帰らなければ心配をさせてしまう。
室内に戻ってあちこち探してみたが、着ていたドレスは見当たらなかった。外に出て誰かに声をかけるしかない。
(ガウンを着ているから、いいわよね)
他人の城をガウン姿でうろつくのは気が引けるが、しかたがない。胸元がはだけないよう、しっかりと掻き合わせて扉に向かうと、ノックがされた。あまりにもタイミングがよすぎて、飛び上がりそうになる。
ふたたびノック。
心を落ち着かせて「はい」と声をかけると、遠慮がちに開かれたドアの向こうにミセス・ヒギンズの困惑顔が現れた。
「ミセス・ヒギンズ? どうしてここに」
「こちらから、お嬢様がいらしていると連絡をいただきまして……詳しい説明もまだ、いただいてはいないのですが。ともかく、ドレスをお着替えになって、昼食の席へいらしてくださいませ」
ミセス・ヒギンズの手には、ドレスがあった。素直にうなずいて、着せられながら問う。
「いったい、どういうことなの?」
「私もまだ、詳しくうかがってはいないのです。ただ、これからお嬢様は、こちらのお城に住まわれるので、すべての荷物を運び入れるようにと使者が来まして」
「ええっ?」
「使用人もすべて、こちらで雇うことになったと説明をされたのですが、どういうことなのか把握しきれてはいないのです」
「それ、お父様は知っているの?」
ドレスのリボンを留め終えたミセス・ヒギンズが、困り顔で頬に指を当てる。彼女のこんな表情は、めったに見られない。常にテキパキとすべての仕事をこなしてきたミセス・ヒギンズでさえ、困惑をしているのだ。
「とにかく、お嬢様。お食事の席へいらしてください。その時に、説明をいただけるかと思いますので」
「そうね。ああ、でも場所がわからないわ」
「私がご案内いたします」
ふたりで部屋を出て、食堂を目指した。天井の高い石造りの廊下のそこここに、絵画や流麗な絵柄の陶器などが飾られている。自分の屋敷よりもずっと立派な城内を進んで食堂に到着すると、たっぷりと生花の飾られたテーブルの向こうにサイラスがいた。
「おはよう、ティファナ。よく眠れたか?」
「ええ……えっと、サイラス。なんだか私、よくわからないのだけれど」
満開の花を思わせる笑みで近づいてきた彼に手を引かれ、奥の席へ案内された。イスを引かれて腰かければ、斜め前の席にサイラスが落ち着く。すると控えていた使用人がグラスに淡いクリームがかった液体を注いだ。
サイラスに手のひらで勧められ、口をつけると甘味の奥にほんのりと酸味を感じるジュースだった。
「口に合えばいいのだが」
「おいしいわ」
満足げに口の端を持ち上げたサイラスが手を軽く上げると、昼食会がはじまった。サラダやスープ、パンやメインの蒸し魚は、どれもこれもおいしかった。うれしそうに食べながら、こちらの様子をうかがわれて笑みを返す。
(質問のきっかけが、つかめないわ)
問いたいことがハッキリとしているのに、切り出せなくてモヤモヤしているとデザートが運ばれてきた。
甘く煮た果物を乗せた、指でつまめるほどのサイズのタルトが三つ。濃い紫はブラックベリー、赤いものはラズベリー、黄色いものはオレンジだ。
「どれも、城の森で採れたものだ」
得意気なサイラスにほほえんで、タルトをつまむ。どれもおいしく、合わせて出されたハーブティーとよく合った。
「このハーブティーも、お城で採れたもの?」
「そうだ。城の庭では、さまざまなものを育てている。この土地は豊かだからな。多くの植物が育ち、それを求めて鳥や獣がやってくる」
にこやかなサイラスの表情には、暗い影など一片も見られなかった。彼はここの生活に満足をしているらしい。
(だけど、笑顔でいるからしあわせだとは限らないわ)
笑顔で接していながら、陰で嫌っていたなんて話を社交場で耳にしたことがある。もしかしたらサイラスは、さみしさをごまかす術を身に着けているのかもしれない。
(だって、あんなに情熱的に私を求めてくれたんだもの。さみしかったに違いないわ)
思い出して赤くなると、問う目を向けられた。聞くならいまだと口を開く。
「あのね、サイラス。さっき、私がここに住むと言われたって、ミセス・ヒギンズから聞いたのだけど」
「俺と共にあるのなら、そうなるだろう? そうと決まれば、早い方がいいと思ってな。すぐに使者を出して、来てもらった。荷物なども追ってこちらに運ばれる。王都にある君の荷物のことは、ええと……御者の……なんと言ったか」
「ミスター・ヒギンズ?」
「そう、彼に案内を頼んで、こちらの人間を王都に行かせた。夜には必要なものが揃っている」
しれっと言われて、めまいがした。
「そんなこと、勝手にしてもいいの?」
「どういうことだ」
「私、事情がよくわかっていないんだけど、お父様が賭けに負けたから、王都の屋敷から出て行かなくちゃいけなくなったの」
「そう言っていたな」
「だから、勝手に荷物を持ち出したりしてもいいのかなって……それに、別荘を引き払ってここに住むって、お父様や、そちらのお父様にも連絡をしたほうがいいんじゃない?」
ちょっと考える顔になってから、サイラスは破顔した。
「まあ、大丈夫だ。なんとかなる」
「なんとかって」
「なにも心配することはない。ティファナは俺の妻になるのだからな」
「つ……っ!」
ニコニコされて、口をつぐむ。
(そうだ。私、ずっと一緒にいるって言ったんだもの。そういうことに、なるわよね)
はじめての相手と結ばれるというのは、あこがれでもあった。それが初恋の相手であれば、なおさら歓迎すべき状況だ。しかし、どうにも腑に落ちない。
「ねえ、サイラス。私、あなたの家名を聞いていないわ。昨日、ワクスヒル家はその、貴族の中でも発言権があるということを聞いたけれど、賭けで財産を失っているのよ? その家の娘を妻にするなんて、いくら愛人の子どもだとしても、あなたのお父様はどう思われるかしら」
血筋も大切だが、財産だって重要だ。父親の賭けの内容を詳しく知らないまま、サイラスの申し出をよろこんで受け入れるわけにはいかない。
「俺を案じてくれるのだな」
手を握られて、ドギマギする。まぶしいものを目にしたように、目を細めてほほえむサイラスの視線が面映ゆくてうつむけば、手の甲にキスをされた。
「俺は、ティファナと過ごせるのなら、どのようなことでも受け入れ、挑むつもりだ。俺のそばにいると言ってくれた君を、悲しませることはしない。だから、なにも心配せずに、ただ笑って過ごしていればいい。幼いころのように、睦まじく暮らしていこう。この、自然豊かな領地で」
「サイラス……それは、とてもありがたいのだけれど、なにも知らないままでいるのはモヤモヤするの。私を心配してくれるのなら、質問に答えて? あなたの父親は誰なの」
母親違いの兄がいるとはいえ、彼が家督を継ぐことになる可能性はゼロではない。彼の父親の跡目ではなくとも、親戚筋の家へ養子に入って当主となる場合だってある。貴族社会の構造はまだ勉強中で、各家の交流状況を詳しく知っているわけではないが、サイラスがどこの誰の息子であるのかくらいは知っておきたい。
(本当は、母親のことも知りたいけれど)
それは彼の両親の名誉のために、聞かないでおいたほうがよさそうだ。もっとも、ウワサ好きな社交界では、彼の出自を知っている人物が少なからずいるだろうが。
「そうか。言ったことがなかったか」
首をめぐらせて、サイラスは部屋の片隅にたたずんでいるミセス・ヒギンズを見た。視線を追って顔を向ければ、ミセス・ヒギンズは気まずそうに眉を下げている。眼鏡のレンズに邪魔をされて表情はよく見えないが、全身の雰囲気から心情が手に取るように伝わってきた。
(知っていたんだわ)
サイラスが何者なのか、彼女は知っているのだ。彼を庶民と思っていたのは自分だけだと知って、恥ずかしくなった。
「あの、サイラス様」
おずおずとミセス・ヒギンズが声を出す。
「かまわぬ。俺をおもんぱかってのことだろう。一応、俺の存在は公然の秘密ということになっておるからな」
公然の秘密とは、秘密でもなんでもないのではと思いつつ、子どもであれば口に出してはならないことの判断がつかなくて、別荘地で遊んでいた相手の話を誰彼かまわず言ってしまうから、秘密にされていたのだと理解する。
(そのくらい、サイラスの父親は重要な人物ということなんだわ)
にわかに緊張を覚えて背筋を伸ばし、まっすぐにサイラスを見た。
「教えて、サイラス。あなたの父親は一体、誰なの?」
声が硬くなってしまった。真剣なまなざしを真正面から受け止めたサイラスが、天気の話をするような、なにげない口調で答えを口にした。
「俺に家名はない。この国が家名と言えば、わかりやすいか? 俺の父は国王。俺は、この国の第二王子、サイラスだ」
門にあった紋章を思い出して、クラクラする。彼はウソを言っていない。
(そんな……王子様だったなんて)
衝撃の強さに、ティファナはテーブルに突っ伏してしまった。
眠気の残る意識で、自分がどこにいるのかを考えた。
(えっと……私、なにをしていたんだっけ)
サイラスと会って、手を繋いで森の奥に入った。彼の家は屋敷というより城そのもので、ヴィエホは彼の領地だと教えられた。
(愛人の子どもだから、領地をもらって追い出されたってことよね。それで私は、サイラスがひとりぼっちなんだって思って、ずっと一緒にいるって約束をして、それで……それで)
カッと体が熱くなる。彼に抱かれたのだと思い出して、毛布を頭からかぶって丸くなった。
(なんで、どうして私……外で、なんて)
誰が来るかもわからない屋上の東屋でキスをされ、そのままあの場で彼に貫かれてしまった。体に残る感覚は、彼を受け入れた証拠だ。離れてもなお存在を感じられるほど、たくましく熱かったサイラスを思い出して恥ずかしくなる。
(はじめてが、あんなふうだなんて!)
恋に恋をしていたわけではないけれど、初体験はロマンチックにベッドの上で、月の明るい夜にしっとりとおこなうものだと漠然と考えていた。それなのに、まだ昼にもなっていない屋外で、あれよああれよという間に貫かれて果てるとは。
終わった後の記憶がない。
(たしか、サイラスに俺のものとか言われて、私もおなじことを言おうとして、ええと、そこから……どうなったの?)
ベッドにいるということは、彼に運ばれたということだ。
そろそろと毛布から出て自分をながめる。見たことのないネグリジェを着ていた。誰かに着替えさせられたのだ。
(誰が? というか、つまりそれって、私の裸を見られたってことよね)
サイラスと繋がった後の体を、誰かに拭かれて着替えさせられたなんて、恥ずかしすぎて消えてしまいたい。どうして気を失ってしまったのかと自分を恨み、うめきを漏らした。
(でも、ということは、ここは城の中の、どこかの部屋ってことよね? サイラスはどこに行ったのかしら)
会うのは恥ずかしいけれど、会わなければなにもできない。とりあえずベッドから下りて、あらためて室内を見回してみる。
ずいぶんと広い部屋は、子どもが走り回っても平気なほどだ。ベッドは天蓋付きで、ビロードの房付きの布がかけられていた。ベッド脇のチェストには、ガラスの水差しが置かれている。バルコニーに向かう扉は大きくて、外の景色がよく見えた。バルコニーには丸テーブルとイスが二脚。暖炉の上には銀の燭台と花瓶。その上にバラの絵がかけられていた。暖炉の前にはローテーブルと三人掛けのソファが一脚。
扉がふたつあって、小さく簡素なほうを開ければ、衣裳部屋だった。といっても、服はない。大きな鏡と、衣装をかけるための吊り棒があるだけだ。
(立派だわ)
どの調度も重厚で、鏡の縁やテーブルの脚の細工、暖炉の造りなど、すべてが一流なのだとわかる。しかし、衣裳部屋が空なのに、肌触りのいいシルクのネグリジェはどこから手に入れたのだろう。
ベッドに戻って水差しを取り、グラスに水を注いで飲み干した。ふうっと息を吐いて枕元を見れば、ガウンが置かれていた。羽織ってバルコニーに近づき、昼間にこんな格好で出るのはどうかとためらってから、好奇心には勝てずにガラス戸を開けた。
さわやかな、緑の香りを含んだ風が吹き込んできて、ゆったりと息を吸う。陽光を受けて濃淡の差はあれど、生き生きとしている緑の姿が目にやさしい。
手すりにつかまり目をこらしてみても、ティファナの別荘の姿は見えなかった。
(まあ、そうよね)
森の木々よりも低い建物なのだから、見えるわけがない。それに方角も、こちらであっているのかわからない。
空を見上げて、太陽の位置を確認する。別荘を出たときよりも、ずっと高い位置にある。いまはお昼時くらいだろうかと考えて、息を呑んだ。
「いけない!」
昼までには帰ると、ミセス・ヒギンズに言ってきた。帰らなければ心配をさせてしまう。
室内に戻ってあちこち探してみたが、着ていたドレスは見当たらなかった。外に出て誰かに声をかけるしかない。
(ガウンを着ているから、いいわよね)
他人の城をガウン姿でうろつくのは気が引けるが、しかたがない。胸元がはだけないよう、しっかりと掻き合わせて扉に向かうと、ノックがされた。あまりにもタイミングがよすぎて、飛び上がりそうになる。
ふたたびノック。
心を落ち着かせて「はい」と声をかけると、遠慮がちに開かれたドアの向こうにミセス・ヒギンズの困惑顔が現れた。
「ミセス・ヒギンズ? どうしてここに」
「こちらから、お嬢様がいらしていると連絡をいただきまして……詳しい説明もまだ、いただいてはいないのですが。ともかく、ドレスをお着替えになって、昼食の席へいらしてくださいませ」
ミセス・ヒギンズの手には、ドレスがあった。素直にうなずいて、着せられながら問う。
「いったい、どういうことなの?」
「私もまだ、詳しくうかがってはいないのです。ただ、これからお嬢様は、こちらのお城に住まわれるので、すべての荷物を運び入れるようにと使者が来まして」
「ええっ?」
「使用人もすべて、こちらで雇うことになったと説明をされたのですが、どういうことなのか把握しきれてはいないのです」
「それ、お父様は知っているの?」
ドレスのリボンを留め終えたミセス・ヒギンズが、困り顔で頬に指を当てる。彼女のこんな表情は、めったに見られない。常にテキパキとすべての仕事をこなしてきたミセス・ヒギンズでさえ、困惑をしているのだ。
「とにかく、お嬢様。お食事の席へいらしてください。その時に、説明をいただけるかと思いますので」
「そうね。ああ、でも場所がわからないわ」
「私がご案内いたします」
ふたりで部屋を出て、食堂を目指した。天井の高い石造りの廊下のそこここに、絵画や流麗な絵柄の陶器などが飾られている。自分の屋敷よりもずっと立派な城内を進んで食堂に到着すると、たっぷりと生花の飾られたテーブルの向こうにサイラスがいた。
「おはよう、ティファナ。よく眠れたか?」
「ええ……えっと、サイラス。なんだか私、よくわからないのだけれど」
満開の花を思わせる笑みで近づいてきた彼に手を引かれ、奥の席へ案内された。イスを引かれて腰かければ、斜め前の席にサイラスが落ち着く。すると控えていた使用人がグラスに淡いクリームがかった液体を注いだ。
サイラスに手のひらで勧められ、口をつけると甘味の奥にほんのりと酸味を感じるジュースだった。
「口に合えばいいのだが」
「おいしいわ」
満足げに口の端を持ち上げたサイラスが手を軽く上げると、昼食会がはじまった。サラダやスープ、パンやメインの蒸し魚は、どれもこれもおいしかった。うれしそうに食べながら、こちらの様子をうかがわれて笑みを返す。
(質問のきっかけが、つかめないわ)
問いたいことがハッキリとしているのに、切り出せなくてモヤモヤしているとデザートが運ばれてきた。
甘く煮た果物を乗せた、指でつまめるほどのサイズのタルトが三つ。濃い紫はブラックベリー、赤いものはラズベリー、黄色いものはオレンジだ。
「どれも、城の森で採れたものだ」
得意気なサイラスにほほえんで、タルトをつまむ。どれもおいしく、合わせて出されたハーブティーとよく合った。
「このハーブティーも、お城で採れたもの?」
「そうだ。城の庭では、さまざまなものを育てている。この土地は豊かだからな。多くの植物が育ち、それを求めて鳥や獣がやってくる」
にこやかなサイラスの表情には、暗い影など一片も見られなかった。彼はここの生活に満足をしているらしい。
(だけど、笑顔でいるからしあわせだとは限らないわ)
笑顔で接していながら、陰で嫌っていたなんて話を社交場で耳にしたことがある。もしかしたらサイラスは、さみしさをごまかす術を身に着けているのかもしれない。
(だって、あんなに情熱的に私を求めてくれたんだもの。さみしかったに違いないわ)
思い出して赤くなると、問う目を向けられた。聞くならいまだと口を開く。
「あのね、サイラス。さっき、私がここに住むと言われたって、ミセス・ヒギンズから聞いたのだけど」
「俺と共にあるのなら、そうなるだろう? そうと決まれば、早い方がいいと思ってな。すぐに使者を出して、来てもらった。荷物なども追ってこちらに運ばれる。王都にある君の荷物のことは、ええと……御者の……なんと言ったか」
「ミスター・ヒギンズ?」
「そう、彼に案内を頼んで、こちらの人間を王都に行かせた。夜には必要なものが揃っている」
しれっと言われて、めまいがした。
「そんなこと、勝手にしてもいいの?」
「どういうことだ」
「私、事情がよくわかっていないんだけど、お父様が賭けに負けたから、王都の屋敷から出て行かなくちゃいけなくなったの」
「そう言っていたな」
「だから、勝手に荷物を持ち出したりしてもいいのかなって……それに、別荘を引き払ってここに住むって、お父様や、そちらのお父様にも連絡をしたほうがいいんじゃない?」
ちょっと考える顔になってから、サイラスは破顔した。
「まあ、大丈夫だ。なんとかなる」
「なんとかって」
「なにも心配することはない。ティファナは俺の妻になるのだからな」
「つ……っ!」
ニコニコされて、口をつぐむ。
(そうだ。私、ずっと一緒にいるって言ったんだもの。そういうことに、なるわよね)
はじめての相手と結ばれるというのは、あこがれでもあった。それが初恋の相手であれば、なおさら歓迎すべき状況だ。しかし、どうにも腑に落ちない。
「ねえ、サイラス。私、あなたの家名を聞いていないわ。昨日、ワクスヒル家はその、貴族の中でも発言権があるということを聞いたけれど、賭けで財産を失っているのよ? その家の娘を妻にするなんて、いくら愛人の子どもだとしても、あなたのお父様はどう思われるかしら」
血筋も大切だが、財産だって重要だ。父親の賭けの内容を詳しく知らないまま、サイラスの申し出をよろこんで受け入れるわけにはいかない。
「俺を案じてくれるのだな」
手を握られて、ドギマギする。まぶしいものを目にしたように、目を細めてほほえむサイラスの視線が面映ゆくてうつむけば、手の甲にキスをされた。
「俺は、ティファナと過ごせるのなら、どのようなことでも受け入れ、挑むつもりだ。俺のそばにいると言ってくれた君を、悲しませることはしない。だから、なにも心配せずに、ただ笑って過ごしていればいい。幼いころのように、睦まじく暮らしていこう。この、自然豊かな領地で」
「サイラス……それは、とてもありがたいのだけれど、なにも知らないままでいるのはモヤモヤするの。私を心配してくれるのなら、質問に答えて? あなたの父親は誰なの」
母親違いの兄がいるとはいえ、彼が家督を継ぐことになる可能性はゼロではない。彼の父親の跡目ではなくとも、親戚筋の家へ養子に入って当主となる場合だってある。貴族社会の構造はまだ勉強中で、各家の交流状況を詳しく知っているわけではないが、サイラスがどこの誰の息子であるのかくらいは知っておきたい。
(本当は、母親のことも知りたいけれど)
それは彼の両親の名誉のために、聞かないでおいたほうがよさそうだ。もっとも、ウワサ好きな社交界では、彼の出自を知っている人物が少なからずいるだろうが。
「そうか。言ったことがなかったか」
首をめぐらせて、サイラスは部屋の片隅にたたずんでいるミセス・ヒギンズを見た。視線を追って顔を向ければ、ミセス・ヒギンズは気まずそうに眉を下げている。眼鏡のレンズに邪魔をされて表情はよく見えないが、全身の雰囲気から心情が手に取るように伝わってきた。
(知っていたんだわ)
サイラスが何者なのか、彼女は知っているのだ。彼を庶民と思っていたのは自分だけだと知って、恥ずかしくなった。
「あの、サイラス様」
おずおずとミセス・ヒギンズが声を出す。
「かまわぬ。俺をおもんぱかってのことだろう。一応、俺の存在は公然の秘密ということになっておるからな」
公然の秘密とは、秘密でもなんでもないのではと思いつつ、子どもであれば口に出してはならないことの判断がつかなくて、別荘地で遊んでいた相手の話を誰彼かまわず言ってしまうから、秘密にされていたのだと理解する。
(そのくらい、サイラスの父親は重要な人物ということなんだわ)
にわかに緊張を覚えて背筋を伸ばし、まっすぐにサイラスを見た。
「教えて、サイラス。あなたの父親は一体、誰なの?」
声が硬くなってしまった。真剣なまなざしを真正面から受け止めたサイラスが、天気の話をするような、なにげない口調で答えを口にした。
「俺に家名はない。この国が家名と言えば、わかりやすいか? 俺の父は国王。俺は、この国の第二王子、サイラスだ」
門にあった紋章を思い出して、クラクラする。彼はウソを言っていない。
(そんな……王子様だったなんて)
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✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
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---------------------
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(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
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※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
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