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第二章 王族だなんて聞いてない!

「なにも心配することはない。ティファナは俺の妻になるのだからな」

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 肌触りのいいシーツの感触を頬に感じて目を開けると、見知らぬ部屋だった。脚の間になにかがはさまっているような違和感を覚えて、手を伸ばしてみたけれどなにもなかった。体がだるく、自分のものではないような、いつもとは違った感覚がある。

 眠気の残る意識で、自分がどこにいるのかを考えた。

(えっと……私、なにをしていたんだっけ)

 サイラスと会って、手を繋いで森の奥に入った。彼の家は屋敷というより城そのもので、ヴィエホは彼の領地だと教えられた。

(愛人の子どもだから、領地をもらって追い出されたってことよね。それで私は、サイラスがひとりぼっちなんだって思って、ずっと一緒にいるって約束をして、それで……それで)

 カッと体が熱くなる。彼に抱かれたのだと思い出して、毛布を頭からかぶって丸くなった。

(なんで、どうして私……外で、なんて)

 誰が来るかもわからない屋上の東屋でキスをされ、そのままあの場で彼に貫かれてしまった。体に残る感覚は、彼を受け入れた証拠だ。離れてもなお存在を感じられるほど、たくましく熱かったサイラスを思い出して恥ずかしくなる。

(はじめてが、あんなふうだなんて!)

 恋に恋をしていたわけではないけれど、初体験はロマンチックにベッドの上で、月の明るい夜にしっとりとおこなうものだと漠然と考えていた。それなのに、まだ昼にもなっていない屋外で、あれよああれよという間に貫かれて果てるとは。

 終わった後の記憶がない。

(たしか、サイラスに俺のものとか言われて、私もおなじことを言おうとして、ええと、そこから……どうなったの?)

 ベッドにいるということは、彼に運ばれたということだ。

 そろそろと毛布から出て自分をながめる。見たことのないネグリジェを着ていた。誰かに着替えさせられたのだ。

(誰が? というか、つまりそれって、私の裸を見られたってことよね)

 サイラスと繋がった後の体を、誰かに拭かれて着替えさせられたなんて、恥ずかしすぎて消えてしまいたい。どうして気を失ってしまったのかと自分を恨み、うめきを漏らした。

(でも、ということは、ここは城の中の、どこかの部屋ってことよね? サイラスはどこに行ったのかしら)

 会うのは恥ずかしいけれど、会わなければなにもできない。とりあえずベッドから下りて、あらためて室内を見回してみる。

 ずいぶんと広い部屋は、子どもが走り回っても平気なほどだ。ベッドは天蓋付きで、ビロードの房付きの布がかけられていた。ベッド脇のチェストには、ガラスの水差しが置かれている。バルコニーに向かう扉は大きくて、外の景色がよく見えた。バルコニーには丸テーブルとイスが二脚。暖炉の上には銀の燭台と花瓶。その上にバラの絵がかけられていた。暖炉の前にはローテーブルと三人掛けのソファが一脚。

 扉がふたつあって、小さく簡素なほうを開ければ、衣裳部屋だった。といっても、服はない。大きな鏡と、衣装をかけるための吊り棒があるだけだ。

(立派だわ)

 どの調度も重厚で、鏡の縁やテーブルの脚の細工、暖炉の造りなど、すべてが一流なのだとわかる。しかし、衣裳部屋が空なのに、肌触りのいいシルクのネグリジェはどこから手に入れたのだろう。

 ベッドに戻って水差しを取り、グラスに水を注いで飲み干した。ふうっと息を吐いて枕元を見れば、ガウンが置かれていた。羽織ってバルコニーに近づき、昼間にこんな格好で出るのはどうかとためらってから、好奇心には勝てずにガラス戸を開けた。

 さわやかな、緑の香りを含んだ風が吹き込んできて、ゆったりと息を吸う。陽光を受けて濃淡の差はあれど、生き生きとしている緑の姿が目にやさしい。

 手すりにつかまり目をこらしてみても、ティファナの別荘の姿は見えなかった。

(まあ、そうよね)

 森の木々よりも低い建物なのだから、見えるわけがない。それに方角も、こちらであっているのかわからない。

 空を見上げて、太陽の位置を確認する。別荘を出たときよりも、ずっと高い位置にある。いまはお昼時くらいだろうかと考えて、息を呑んだ。

「いけない!」

 昼までには帰ると、ミセス・ヒギンズに言ってきた。帰らなければ心配をさせてしまう。

 室内に戻ってあちこち探してみたが、着ていたドレスは見当たらなかった。外に出て誰かに声をかけるしかない。

(ガウンを着ているから、いいわよね)

 他人の城をガウン姿でうろつくのは気が引けるが、しかたがない。胸元がはだけないよう、しっかりと掻き合わせて扉に向かうと、ノックがされた。あまりにもタイミングがよすぎて、飛び上がりそうになる。

 ふたたびノック。

 心を落ち着かせて「はい」と声をかけると、遠慮がちに開かれたドアの向こうにミセス・ヒギンズの困惑顔が現れた。

「ミセス・ヒギンズ? どうしてここに」

「こちらから、お嬢様がいらしていると連絡をいただきまして……詳しい説明もまだ、いただいてはいないのですが。ともかく、ドレスをお着替えになって、昼食の席へいらしてくださいませ」

 ミセス・ヒギンズの手には、ドレスがあった。素直にうなずいて、着せられながら問う。

「いったい、どういうことなの?」

「私もまだ、詳しくうかがってはいないのです。ただ、これからお嬢様は、こちらのお城に住まわれるので、すべての荷物を運び入れるようにと使者が来まして」

「ええっ?」

「使用人もすべて、こちらで雇うことになったと説明をされたのですが、どういうことなのか把握しきれてはいないのです」

「それ、お父様は知っているの?」

 ドレスのリボンを留め終えたミセス・ヒギンズが、困り顔で頬に指を当てる。彼女のこんな表情は、めったに見られない。常にテキパキとすべての仕事をこなしてきたミセス・ヒギンズでさえ、困惑をしているのだ。

「とにかく、お嬢様。お食事の席へいらしてください。その時に、説明をいただけるかと思いますので」

「そうね。ああ、でも場所がわからないわ」

「私がご案内いたします」

 ふたりで部屋を出て、食堂を目指した。天井の高い石造りの廊下のそこここに、絵画や流麗な絵柄の陶器などが飾られている。自分の屋敷よりもずっと立派な城内を進んで食堂に到着すると、たっぷりと生花の飾られたテーブルの向こうにサイラスがいた。

「おはよう、ティファナ。よく眠れたか?」

「ええ……えっと、サイラス。なんだか私、よくわからないのだけれど」

 満開の花を思わせる笑みで近づいてきた彼に手を引かれ、奥の席へ案内された。イスを引かれて腰かければ、斜め前の席にサイラスが落ち着く。すると控えていた使用人がグラスに淡いクリームがかった液体を注いだ。

 サイラスに手のひらで勧められ、口をつけると甘味の奥にほんのりと酸味を感じるジュースだった。

「口に合えばいいのだが」

「おいしいわ」

 満足げに口の端を持ち上げたサイラスが手を軽く上げると、昼食会がはじまった。サラダやスープ、パンやメインの蒸し魚は、どれもこれもおいしかった。うれしそうに食べながら、こちらの様子をうかがわれて笑みを返す。

(質問のきっかけが、つかめないわ)

 問いたいことがハッキリとしているのに、切り出せなくてモヤモヤしているとデザートが運ばれてきた。

 甘く煮た果物を乗せた、指でつまめるほどのサイズのタルトが三つ。濃い紫はブラックベリー、赤いものはラズベリー、黄色いものはオレンジだ。

「どれも、城の森で採れたものだ」

 得意気なサイラスにほほえんで、タルトをつまむ。どれもおいしく、合わせて出されたハーブティーとよく合った。

「このハーブティーも、お城で採れたもの?」

「そうだ。城の庭では、さまざまなものを育てている。この土地は豊かだからな。多くの植物が育ち、それを求めて鳥や獣がやってくる」

 にこやかなサイラスの表情には、暗い影など一片も見られなかった。彼はここの生活に満足をしているらしい。

(だけど、笑顔でいるからしあわせだとは限らないわ)

 笑顔で接していながら、陰で嫌っていたなんて話を社交場で耳にしたことがある。もしかしたらサイラスは、さみしさをごまかす術を身に着けているのかもしれない。

(だって、あんなに情熱的に私を求めてくれたんだもの。さみしかったに違いないわ)

 思い出して赤くなると、問う目を向けられた。聞くならいまだと口を開く。

「あのね、サイラス。さっき、私がここに住むと言われたって、ミセス・ヒギンズから聞いたのだけど」

「俺と共にあるのなら、そうなるだろう? そうと決まれば、早い方がいいと思ってな。すぐに使者を出して、来てもらった。荷物なども追ってこちらに運ばれる。王都にある君の荷物のことは、ええと……御者の……なんと言ったか」

「ミスター・ヒギンズ?」

「そう、彼に案内を頼んで、こちらの人間を王都に行かせた。夜には必要なものが揃っている」

 しれっと言われて、めまいがした。

「そんなこと、勝手にしてもいいの?」

「どういうことだ」

「私、事情がよくわかっていないんだけど、お父様が賭けに負けたから、王都の屋敷から出て行かなくちゃいけなくなったの」

「そう言っていたな」

「だから、勝手に荷物を持ち出したりしてもいいのかなって……それに、別荘を引き払ってここに住むって、お父様や、そちらのお父様にも連絡をしたほうがいいんじゃない?」

 ちょっと考える顔になってから、サイラスは破顔した。

「まあ、大丈夫だ。なんとかなる」

「なんとかって」

「なにも心配することはない。ティファナは俺の妻になるのだからな」

「つ……っ!」

 ニコニコされて、口をつぐむ。

(そうだ。私、ずっと一緒にいるって言ったんだもの。そういうことに、なるわよね)

 はじめての相手と結ばれるというのは、あこがれでもあった。それが初恋の相手であれば、なおさら歓迎すべき状況だ。しかし、どうにも腑に落ちない。

「ねえ、サイラス。私、あなたの家名を聞いていないわ。昨日、ワクスヒル家はその、貴族の中でも発言権があるということを聞いたけれど、賭けで財産を失っているのよ? その家の娘を妻にするなんて、いくら愛人の子どもだとしても、あなたのお父様はどう思われるかしら」

 血筋も大切だが、財産だって重要だ。父親の賭けの内容を詳しく知らないまま、サイラスの申し出をよろこんで受け入れるわけにはいかない。

「俺を案じてくれるのだな」

 手を握られて、ドギマギする。まぶしいものを目にしたように、目を細めてほほえむサイラスの視線が面映ゆくてうつむけば、手の甲にキスをされた。

「俺は、ティファナと過ごせるのなら、どのようなことでも受け入れ、挑むつもりだ。俺のそばにいると言ってくれた君を、悲しませることはしない。だから、なにも心配せずに、ただ笑って過ごしていればいい。幼いころのように、睦まじく暮らしていこう。この、自然豊かな領地で」

「サイラス……それは、とてもありがたいのだけれど、なにも知らないままでいるのはモヤモヤするの。私を心配してくれるのなら、質問に答えて? あなたの父親は誰なの」

 母親違いの兄がいるとはいえ、彼が家督を継ぐことになる可能性はゼロではない。彼の父親の跡目ではなくとも、親戚筋の家へ養子に入って当主となる場合だってある。貴族社会の構造はまだ勉強中で、各家の交流状況を詳しく知っているわけではないが、サイラスがどこの誰の息子であるのかくらいは知っておきたい。

(本当は、母親のことも知りたいけれど)

 それは彼の両親の名誉のために、聞かないでおいたほうがよさそうだ。もっとも、ウワサ好きな社交界では、彼の出自を知っている人物が少なからずいるだろうが。

「そうか。言ったことがなかったか」

 首をめぐらせて、サイラスは部屋の片隅にたたずんでいるミセス・ヒギンズを見た。視線を追って顔を向ければ、ミセス・ヒギンズは気まずそうに眉を下げている。眼鏡のレンズに邪魔をされて表情はよく見えないが、全身の雰囲気から心情が手に取るように伝わってきた。

(知っていたんだわ)

 サイラスが何者なのか、彼女は知っているのだ。彼を庶民と思っていたのは自分だけだと知って、恥ずかしくなった。

「あの、サイラス様」

 おずおずとミセス・ヒギンズが声を出す。

「かまわぬ。俺をおもんぱかってのことだろう。一応、俺の存在は公然の秘密ということになっておるからな」

 公然の秘密とは、秘密でもなんでもないのではと思いつつ、子どもであれば口に出してはならないことの判断がつかなくて、別荘地で遊んでいた相手の話を誰彼かまわず言ってしまうから、秘密にされていたのだと理解する。

(そのくらい、サイラスの父親は重要な人物ということなんだわ)

 にわかに緊張を覚えて背筋を伸ばし、まっすぐにサイラスを見た。

「教えて、サイラス。あなたの父親は一体、誰なの?」

 声が硬くなってしまった。真剣なまなざしを真正面から受け止めたサイラスが、天気の話をするような、なにげない口調で答えを口にした。

「俺に家名はない。この国が家名と言えば、わかりやすいか? 俺の父は国王。俺は、この国の第二王子、サイラスだ」

 門にあった紋章を思い出して、クラクラする。彼はウソを言っていない。

(そんな……王子様だったなんて)

 衝撃の強さに、ティファナはテーブルに突っ伏してしまった。
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