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第一章 父親の賭けのせいで、貧乏令嬢になっちゃった
「俺の領地って……ヴィエホはサイラスの領地なの?」
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* * *
ベッドに収まって、藍色の闇に沈んだ天井を見上げる。天蓋のないベッドで眠るのは、この別荘を訪れなくなって以来だ。王都の屋敷のベッドは両手を広げても余りあるくらいに広く、天蓋からはレースが垂れ下がっていた。そこになにか星空を思わせる飾りをつけたいと考えていたけれど、それを父親に告げることはできないままでいる。
(私からお父様に、なにかを言うなんてこと、あったかしら)
記憶にない。そもそも、父親と会話をした記憶さえ皆無に等しいのだから、頼みごとをするほどの親しみを持っていない。向こうもそうなのではないか。
(娘という名の血筋、かぁ)
サイラスの言葉が頭の中で巡っている。会話の最中はさほど気に留めなかったのに、いまになってものすごく気になってきた。
(貴族の娘は、家のために存在するなんて話を聞いたことがあるけれど、みんな、けっこう楽しそうに自分を謳歌しているわ)
同年代の、王都で知り合った娘たちを次々に思い浮かべる。誰もが奔放に己を生きていると見えたのは、気のせいだったのか。表面だけしか見えていなかったのか。
(ああ、でも……そうだわ)
ひとりだけ、誰だったか、過激なことを言っていた娘がいた。
――私、お父様に婚約者を決められる前に、自分で恋人を作ってしまうの。そして大切なはじめてを、彼に与えてしまうのよ。だって、たった一度しかないのよ? それくらい自分の好きな人に捧げたいわ。
初体験についてキッパリと言い切った彼女には、尊敬のまなざしが集まっていた。その時はそれほど興味を引かれなかったが、彼女の言っていることはつまり、サイラスが言っていたことと繋がるのだろう。
(はじめて、かぁ)
脳裏にサイラスの笑顔が浮かんで、胸が熱く苦しくなった。キュンとしたのは心臓だけではなくて、下腹部も似た反応をする。
(なに、これ)
奇妙な感覚におちいった腹部を両手で抱きしめて、目を閉じる。いったい私はどうなってしまうのだろうと考えて、考えてもしかたがないことだと、湧き上がりかけた不安を抑えた。
(くわしいことがわからないのに、あれこれ心配したってしかたがないものね)
これから、ここでどう過ごすのかを考えよう。久しぶりの村の様子は、どうなのか。十年近くも離れていたのだから、かなり変わっているだろう。それとも、時の流れが止まったかのように、なにも変化していないのか。
(あの、森で目を閉じていた時みたいに、時間の流れが王都とは違うのかもしれないわ)
子どものころに見ていた、なつかしい景色を大人になったサイラスと歩くのは、きっと楽しい。
(あれ? ちょっと待って)
なにかがおかしい。なにか、見落としていることがある。
身を起こして首をかしげ、ベッドから下りて窓に近づいた。カーテンを開ければ月明りがまぶしいほどに降り注いでくる。窓を開けて夜気を頬に感じつつ、思考をめぐらせた。
(サイラスと私は身分が違うのに、どうしてふたりで出かけていても、誰もなにも言わなかったのかしら)
王都の屋敷で使用人の子どもと親しくしていたら、身分をわきまえた行動をと注意をしてきたミセス・ヒギンズが、サイラスについて文句を言ってきた記憶はない。
(ほかに遊び相手がいなかったから、大目に見てくれていたってこと? それとも、サイラスは庶民ではないのかしら)
記憶の中をさぐってみても、彼の服装は常に簡素なパンツとシャツ姿だった。平気で木登りをしたり、川や湖に入ったりしていた彼から、貴族らしい雰囲気は見いだせない。
(子どもだったってことを考慮しても、貴族っぽくはなかったわ)
青年となった彼の言葉遣いには、庶民とは違った気配を感じたが、それだけだ。彼は相変わらず簡素なズボンとシャツ姿で、気取った様子もなく木の根元に腰かけた。
(それは私もおなじだけれど)
どうにも腑に落ちない。サイラスはいったい、何者なのか。当然のように受け止めていたが、彼が戻っていくのは森の奥だ。夕闇が迫ろうというのに森の奥に入っていくのだから、家はそちらにあるのだろう。
(猟師の小屋は森の中にあるものだから、サイラスは猟師の子どもなのかしら)
ワクスヒル家の食卓に上がる肉のすべてを、サイラスの家族が狩猟しているのだとしたら、ミセス・ヒギンズも身分のことをうるさく言わずにいるのでは、なんてことは――。
(ないわね)
即座に可能性を否定して、窓枠に肘をついて頬杖をつく。
(いったい、何者なの?)
急に得体の知れない存在となった幼馴染の正体を、いますぐに知りたくなったけれど、こんな時間に出かけるわけにもいかなくて、みぞおちのあたりがモヤモヤした。
星々の光は湖の湖面にちりばめられて、キラキラと踊っている。とてもキレイで幻想的な光景なのに、どこか不気味さを感じるのはサイラスのせいだ。
(明日、何者なのか聞いてみよう)
どうして森の奥に帰るのか。なぜミセス・ヒギンズが共にいてもとがめないのか。疑問をすべて解消すれば、目の前の景色は夢のように美しく、魔法の国にいるような感覚を与えてくれる。
(子どものころ、何度も夢想したみたいに)
窓から見える景色と、物語の情景を重ね合わせて遊んでいた。そのくらい、王都とは別世界だと思っていた。
(ある意味、いまでも別世界だけれど)
そうではないことを知ってしまった。それでも夢を見ていたいと思うのは、まだ自分が子どもだからだろうか。
(社交界デビューをして、立派なレディと言われて、恋の相手を探そうって誘われて……それでも私、まだまだ子どもってこと?)
大人とか子どもとか、よくわからない。結婚を許可される、恋のひとつもしていておかしくない年齢だけれど、実感がちっとも湧かなかった。
(大人になったって思う瞬間って、あるのかしら)
ミセス・ヒギンズに質問をしてみようか。
(あの人は、生まれてからずっと大人って感じがするけど)
それでも娘時代はあったはずだと、十八歳の彼女を想像しようとしたティファナは、まったく想像できなくて顔をしかめた。
* * *
動きやすい、裾丈がふくらはぎまでのドレスを着て、ブーツの紐をしっかり結ぶ。今日はサイラスに森の奥を案内してもらうつもりで、ティファナは身支度を整えていた。
朝食の後に散歩をしたいから、お茶とお菓子を用意してと伝えてある。久しぶりの場所を、思い出を抱きしめながらそぞろ歩きたいのだと言えば、王都の屋敷を追い出されたショックを癒したいのだとミセス・ヒギンズに受け取られ、ほかの使用人たちも同情的なまなざしで、承知いたしましたと頭を下げた。
(そんなに大げさなことなのかしら)
不安にかられている使用人たちとは違って、そのことについては楽観的な気持ちでいる。賭けで財産を失ったといっても、借金ができたわけではないのだから、なんとかなると考えていた。
(本やおしゃべりでは、借金を負ったら大変って話はあったけれど、財産を失ったら困るなんてことは言われていなかったし)
なにより、昨夜のサイラスの言葉――血筋のことや、貴族院に関する話から、そう悪いことにはならない気がしていた。
(ワクスヒル家の血筋は価値があって、お父様は王様とお話ができる立場なのだから、きっと助けてくれる方がいるわ)
財産を失っても住める別荘があって、使用人もいるのだから大したことではないのだろう。
(それよりも、サイラスのことよ)
彼がいったい何者なのか。そちらのほうが気になって、父親のことは後回しだった。
部屋を出て階下に行けば、バスケットに焼き菓子とお茶の入った陶器の瓶。木のカップがひとつ入っていた。若い使用人がそれを持ってついて来ようとしたので、受け取って「ひとりでいたいの」とまつ毛を伏せて、傷心をよそおう。
「あまり、遅くなりませんように」
ミセス・ヒギンズの心配そうな表情に内心で謝罪しながら、しおれている風を演じたままうなずいて外に出る。
不安につつまれている使用人たちの雰囲気を、カラッと乾かしてしまいそうなほどの上天気に目を細め、別荘の脇を回った。
(迎えに来るって言ってくれたけれど、何時とは言っていなかったわ)
昨日、再会した場所で待っていれば来てくれるだろう。そう思って裏側に行くと、サイラスはすでにそこにいた。裏手の薪割り用の切り株に腰かけて、ぼんやりと空を見上げている。
足音に気がついた彼は立ち上がり、まぶしそうな笑顔を浮かべて片手を持ち上げた。
「おはよう、ティファナ」
「おはよう、サイラス。いつから待っていたの?」
「ついさっき、来たところだ。あまり早くても、迷惑だろうからな」
「迷惑だなんて」
だけど、彼の姿が誰かの目に留まらないでいてほしいとは思っていた。ひとりで出かけると言ったのに、おなじ年頃の青年とふたりで森に入るなんて、村の人はなんとも思わないかもしれないが、使用人たちは眉をひそめるはずだから。
「まずは、どこを案内しようか」
ひょいと籠を当然のように持たれる。見下ろしてくる彼のまなざしがやさしくて、ふんわりと心がふくらんだ。太陽の光をたっぷり浴びた毛布のように、ほかほかとした気持ちを抱えて森に顔を向ける。
「森の中を散策したいわ。できれば、サイラスの家を見てみたいのだけれど」
遠慮がちに望めば、キョトンとされた。
「俺の家?」
「イヤなら、いいのよ。無理強いをするつもりはないわ。ただ、いつも森の中に帰っていくでしょう? 昨日だって。それで、どこに住んでいるのかなぁって気になったの。だって、日暮れの森の奥に行くんだもの。不思議に思って当然だわ」
「俺を、獣の化身かなにかだとでも思ったのか」
からかうような口調に、肩をすくめる。
「私、そんなに子どもっぽい想像をするように見えるかしら」
「想像に子どもも大人もないだろう。夢を見られることは、悪いことではない」
はぐらかされた気がしたけれど、そこはいま重要ではない。
「それで、どうなの。私を案内してくれる?」
「歩くが、かまわないか」
「そのつもりで、お茶を用意させたのよ」
なるほどとうなずいたサイラスに、自然に手を握られてドキリとする。彼にとって自分は幼い少女のままなのだろうかと、わずかに不満を浮かべたが、単に森の中ではぐれては危険だというだけかもしれない。
(私、女として見られたいの?)
森に入れば、さらさらと降り注ぐ木漏れ日がサイラスの髪や頬、肩などに不思議な模様を躍らせる。光の模様は流れて消えて、また現れては途切れることがない。
「どうした」
「え?」
「じっと見ているだろう。なにか、妙か?」
「ううん。面白いなぁって、思っていただけよ」
「なにがだ」
「木漏れ日が」
ほほえみかければ、不思議そうな顔をされたが追求はされなかった。サイラスは視線を前に戻して、森の中を迷いのない足取りで進む。ふたりだけの世界だと、目を細めて周囲を見れば、濃淡のある緑が生き生きと広がっていた。
おとぎの国に迷い込んでしまったようだ。
草木の香りは昨日とはわずかに違っていた。植わっている植物の種類が違うのか、天候のせいなのか。ふんわりとやさしげな香りが充満している。体も心もやわらかく浮き立って、足取りが軽くなった。
「楽しそうだな」
「久しぶりだから」
「森は好きか?」
「そうね……いまは、好きだわ」
「いまは?」
「夜は、怖そうだから」
「そうだな。夜の森は、人の領域ではないからな」
なごやかな雰囲気に包まれて歩き、時折こうして思い出したように会話ができる。長い期間、会っていなかったのに、まるで昨日もこうしていたように接していられるなんて、深いところで繋がっているみたいだ。
身を包む空気に満足をして、ニコニコしながら歩いていると、木々の向こうにきらめくものを見つけた。
「もうすぐだ」
導かれて森を出れば、大きな池が広がっていた。
「わ、ぁ……すごい」
別荘の窓から見るのとは、まったく違った水辺の景色に目を見張る。うっそりと生い茂った樹木が、水面をのぞき込むように枝を伸ばしている。まるで水鏡に映る己をながめているようだ。空と木々を映した池は清らかで、近づいてみれば魚の泳ぐ姿も見えた。ところどころに大きな葉が浮いているのは、スイレンだろうか。奥に桟橋があり、ボートがもやわれている。
池の奥には、石造りの大きな屋敷があった。というよりも、城と呼んだほうがいいかもしれない。居館には塔が併設されており、城壁の上部にはのこぎり形の狭間がついていた。ティファナが王都で住んでいた屋敷よりも、ずっと大きい。
立派な城の威容にポカンとしていると、手を引かれて門に連れていかれた。
門の上には張り出した小さな出窓から顔をのぞかせた男に、にこやかに「おかえりなさいませ」と声をかけられた。
「客人がいると奥に伝えてくれ」
響きのいいサイラスの声にうなずいた男が引っ込み、門が開かれる。手入れの行き届いた門についている紋に目を止めたティファナは、あやうく悲鳴を上げそうになった。
二頭のペガサスが棹立ちになり、たわわに実ったブドウを求めている紋は王家のものだ。
(ここって、王家に繋がるお城なの?)
だとすれば、立派な造りであるのもうなずける。しかしなぜ、森の奥に城があり、サイラスは「おかえりなさい」と迎え入れられたのか。
(どうなっているの?)
わけがわからないまま手を引かれて、連れていかれたのは屋上の広場だった。東屋のような簡素な屋根つきの小屋がある。そこに導かれて周囲を見わたせば、木々と空ばかりの景色だった。
「えっと……サイラス?」
「遠慮をすることはないぞ、ティファナ。ゆっくりとくつろぐといい」
(くつろぐといい、って言われても)
どうして城の屋上でピクニックまがいのことをすることになったのか。
(サイラスの家を見たいって言って、そうしたらここに連れてこられて)
ポットやカップを持った使用人たちが現れて、東屋の真ん中にしつらえらえているテーブルにクロスを敷くと、茶会の準備を整えて去って行った。誰もがうやうやしくサイラスに頭を下げたということは、ここは彼の所有する城なのだろうか。
(貴族らしい恰好をしている姿なんて、見たことがなかったけれど)
この場所では必要がないから、動きやすい服装でいただけかもしれない。とすれば、ミセス・ヒギンズが彼の身分を知っていて、ティファナと遊んでいてもとがめなかったことに説明がつく。
「ティファナの用意してくれたものと、これとでは食べきれぬかもしれぬな」
屈託なく笑う彼に手招かれて、隣に腰かける。手ずからカップにお茶を注いでくれる所作は、慣れている者の動きだった。もしも家紋が彼の出自を表すものだとしたら、他人に茶を注ぐなどしないはず。
(この屋敷の主の世話係とか、最高位の使用人なのかしら)
それなら、門番や使用人たちが頭を下げる理由になる。主が不在だから、己の城のように振舞っているのかもしれない。
(きっとそうだわ)
うんうんと自分の考えに納得をして、カップに手を伸ばす。お茶はすこし苦味があって、甘いお菓子にピッタリだった。たっぷりとジャムを乗せたクッキーを口に運ぶサイラスは、少年みたいな顔をしている。顔中でおいしいと示す彼にほほえんで、おなじようにジャムをたっぷりクッキーにつけて食べた。
「おいしい」
「この森で取れたキイチゴを使っているんだ」
「へぇ」
「森は多くの恵みをもたらしてくれる。俺は、この領地が好きだ」
「領地?」
そういえば、ヴィエホは誰の土地なのだろう。別荘があるからワクスヒル家の領地とは限らない。親しい相手あるいは任務のために、領地の一部を借りて別荘を建てることもある。
「そうだ。俺の、領地だ」
「えっ」
「ん?」
おどろけば、疑問の表情を向けられた。
「俺の領地って……ヴィエホはサイラスの領地なの?」
「そうだ。俺が生まれたときに、父上がくださった。王都から近く、けれど要所とは言い難い鄙びた土地ではあるが、そこがいいと申されたと聞いておる」
「ええと、それじゃあ私のお父様は、サイラスの領地を借りて別荘を作ったの?」
「なんだ。なにも知らぬのか。なにかあった場合にと父上に頼まれたティファナの父君が、城からほど近い場所に別荘を建てたのだ。まあ、これといった問題もなく、あそこに泊まったことがあるのはティファナだけだったがな」
快活な笑い声を聞きながら、眉間にシワを寄せた。頭の中で父親と親しい貴族たちの顔を思い出してみるが、誰もサイラスに似ていない。子ども同士が過去に遊んでいたのなら、そんな話題が出てもよさそうなものなのに、そんな話は一切振られたことがなかった。
「どうした、ティファナ」
「お父様にそんなことを言うのであれば、あなたのお父様と私のお父様は仲がいいのよね。だけど私、サイラスのお父様を知らないわ。ううん、お父様のことだけじゃない。サイラスがヴィエホの領主だってことも、知らなかったの」
ふうんと鼻を鳴らして、サイラスはさして興味もなさそうにお茶を口に含んだ。
「子ども同士の遊びに、大人の関係や思惑など必要ないと考えて、伝えなかったのだろうな」
「でも……何年も会っていない間に、互いの子どもはどうしているのか、なんて会話があっても不思議はないでしょう? 社交場でサイラスについて話しかけてくる方はいなかったわ。自分の子どもと遊んでいた相手に、声をかけないなんてことがあるかしら」
社交界デビューをしてから、サイラスの姿を見た記憶もない。たまたま彼と会う機会がなかったのかもしれないが、親同士が子どものことを頼み頼まれる間柄ならば、なにかそれっぽい交流があってもよさそうなものなのに、社交デビューを控えたティファナへの祝いの品や手紙の中に、サイラスのことを思い出させるようなものはひとつもなかった。
「ねえ、サイラス。あなたの家の名前はなに? 私、知らないうちにあなたの親に失礼なことをしていたのかもしれないわ。社交場で挨拶もせずに、すれちがっていたかもしれない」
「その心配はないから、気にしなくともいい」
「気にするわよ。社交場で、あなたの姿を見かけなかったけど、ご両親とは会っていたかもしれないでしょう。だってお父様に、自分の息子の領地に別荘を建ててくれなんて、頼むくらいの仲なんだもの」
唇をすこし尖らせて、強い口調で言えばニヤニヤされた。隠しごとを含んだ笑みに、頬をふくらませる。
「どうして、そんな笑い方をするの」
「いや。俺は、幾度もティファナの姿を見ていたのだがな」
「えっ……いつ? それなら、声をかけてくれればよかったのに」
「声をかけられる状態ではなかったのだ」
「多くの女性に囲まれていたとか、そういうこと?」
彼が着飾っていたのなら、きっと女性の目を惹くだろうと、嫉妬に似た感情を浮かべつつ問えば、いいやと首を振られた。
「父上や兄上の影に隠れて立っていた、と言えばいいのか。腹違いの兄が後を継ぐと決まっておるのだ。そのため、俺はあまり表に出ぬ。面倒なことにならぬようにな。特定の女性に声をかけて、無用な憶測を飛ばされれば、困るのはティファナだ」
「それは、まあ……勝手にいろいろな噂を流されるものだって知ったけれど、それでも挨拶くらいはしてほしかったわ」
「俺の身分を知って、態度を変えられたら困ると思ったのだ」
「態度を変えなきゃいけない身分なの? お父様やお兄様の影に隠れてって言ったけれど、遠慮をしなくちゃいけない立場ってことよね」
「そうだ。俺は、正妻の子ではないからな」
わずかに伏せられたまつ毛の奥で、空色の瞳がさみしげに揺れる。罪悪感に襲われて、彼の手を強く握った。
「だから、ここに領地を与えられて、追われたのね。家督は兄が継ぐから、こちらで満足しろという意味で。それで、あなたのお父様は男友達の私のお父様に、あなたのことを頼んだんだわ。ねえ、そうなんでしょう? それなのに、お父様ったらサイラスのことをほったらかして、鉱山の別荘から帰ってこなかったのね」
なんて人だと腹を立てると、抱きしめられた。背中がしなってサイラスの体にぴったりと寄り添う。乳房がたくましい胸筋に押されてつぶれ、互いの性別を意識させられた。
「ありがとう、ティファナ。だが、俺は問題ない。遊び相手として、ティファナを別荘に連れてきてくれたこと、感謝をしている」
吐息のような声音に胸をわしづかまれて、彼の広い背に手を伸ばして抱きしめ返した。
(きっと、さみしい日々だったに違いないわ)
生まれてすぐに領地を与えられたということは、赤子の時に王都の屋敷から追い出されたのとおなじことだ。将来の家督争いを憂えてのことだろうが、それにしてもひどすぎる。
「お母様は、どうなされているの?」
「いまは、別の男の正妻として暮らしている」
「ええっ? その家に養子に入ったりはしなかったの」
「血の問題だな。ティファナも知っているだろう? 男親の血が家を継ぐ条件となる。息子という形にはなるが、扱いは居候だ」
つまり女の連れ子は養子にはなれても、家督は継げないということだ。連れ子として家に入れば、サイラスはその家の正式な息子でもなく使用人でもないという、中途半端な立ち位置になる。義父と母親の間に男児が生まれなかった場合は、男系の血筋の男児を養子にして家督を譲ることになる。
どちらにしても日陰の人生を歩み続けなければならないのだとしたら、いっそのこと領地を与えて独り立ちさせたほうがいい。そうサイラスの父親は考えたのかもしれない。
(だけど、生まれてすぐにだなんて……せめて、物心がつくころまでなら。というか、お母様の再婚は、いつだったのかしら。赤ちゃんのサイラスを捨てて、別の人の妻になったの? サイラスは、ずっとひとりで、こんなに大きなお城で生きてきたっていうの?)
わなわなと肌が震える。怒りとも悲しみともつかぬものに突き動かされて、しっかりと彼を抱きしめると耳元でささやいた。
「私がいるわ、サイラス。私が傍にいてあげる。だからもう、寂しくなんてないからね」
いくら森が好きだといっても、人恋しくもなるだろう。同年代の子どもと遊ぶことも、なかったに違いない。貴族らしくないと感じた彼の振る舞いも、貴族と接することなく過ごしていたせいだろう。
「ティファナ」
呆然とした響きに心が震えて、想いのすべてを腕に込めて抱きしめる。自分になにができるかわからないけれど、彼の傍にいることだけはできる。
「俺と、いてくれるのか。ずっと……これからも?」
「ええ、いるわ。ずっといる。私、サイラスといるわ。ひとりぼっちになんて、させやしないから」
「ああ、ティファナ」
吐息のような感嘆とともにキスをされた。ここが城の屋上であることなど忘れて、目を閉じてキスを受ける。はじめてのキスであるということすらも忘れて、ただ彼の唇と切ない息だけを感じていた。
「んっ、ん……ふ、ぅ……んっ、んんっ」
唇を舌でなぞられて、開くようにと促された。流れのままに口を開けば、口内に舌が入り込み、探索される。舌先で上あごをくすぐられると、ムズムズして鼻から甘い息が漏れた。それを吸うように唇をおおわれて、太ももを持ち上げられる。彼の膝にまたがる格好になると、ドレスの裾がめくれた。そこに大きな手のひらが入り込み、尻をわしづかまれる。ビクンと背筋を跳ねさせれば、彼の唇がずれて顎にキスをされた。
「ふあっ」
尻の谷を撫で上げられて、ゾクゾクする。粟立つ肌に吸いつかれると、胸が苦しくなった。伝わったはずもないのに、サイラスの手はドレスのリボンを解いて胸元をゆるめ、やわらかな双丘を取り出した。
「あっ」
あらわになった乳房の頂に舌を伸ばされ、ちいさな悲鳴を上げる。チロチロと舌先でくすぐられれば、奇妙な感覚に見舞われた。胸の芯や肌に、波紋のように揺れながら広がる感覚は、未知のものだった。恐怖はないが、とまどいが生まれる。
「サイラス……っ、あ、は」
胸先と舌でたわむれる彼の頭を抱きかかえると、見上げられた。剣呑な気配のある熱視線に貫かれ、心臓が跳ね上がる。
「ひっ、ぁ……っ、ん……ふ、うう」
尻にあった手が奥に伸びて、後ろから女の園をまさぐられた。秘裂をショーツの上からなぞられると、ムズムズして落ち着かない。じっとしていられなくなって、無意識のうちに動いた尻が、刺激をねだるような恰好になってしまった。
「は、ぁ……あっ、んぁ……はっ、ああ……く、ぅんっ」
甘える子犬みたいな音が、自分の喉からあふれ出る。それが不思議で、恥ずかしくて、逃げ出したいのに、もっとしてほしかった。
「は、ぁ、サイラス……んんっ、ぁ、ああ」
ぷっくりとふくらんだ乳首をコリコリと甘噛みされれば、指で撫でられている秘裂が疼いた。自分の体のどこもかしこも、ひとつに繋がっているのだと教えられる。
「ティファナ……俺のものになれ……俺の傍にいてくれるのだろう?」
「んっ、は、ぁ……あっ、サイラス、あっ、ああ」
生まれてはじめての感覚に意識がしびれて、思考ができなくなっている。彼の唇が乳房から離れれば、刺激の失せた濡れた乳首が不満を訴えるように震えた。
「んっ、んぅ……ふっ、ぁ」
ねだるようなキスをされて、愛おしさが湧きおこる。なにがなんでも彼の傍にいるのだと、決意に似た想いに駆られてキスを返すと、腰を持ち上げられた。ショーツの脇から入り込んだ指に肉の花弁を開かれて擦られれば、蜜壺から液がトロリとあふれ出た。
「ふ、ぁ……んんっ、ぁ、ふ……ぁ、ううっ」
自分の体が自分のものではなくなっていく感覚におののきながら、サイラスにすがりつく。キスをされてキスを返して、体の奥をまさぐられた。
「は、ぁう……く、ぅうんっ、ぁ、ああ……サイラス」
頭の芯がぼうっとするのに、体の奥はハッキリと存在を主張している。殻に似たものがひび割れていく錯覚に陥って、天を仰ぐと高く広い空が視界いっぱいに映された。
(私、羽ばたける)
ふいに浮かんだ言葉の直後、硬く熱いもので刺し貫かれた。
「あっ、あぁああああ――っ!」
頭の先まで貫かれたような衝撃に、喉を開いて叫びを上げる。火傷に似た痛みが腹部から全身に広がったかと思うと、ズキズキとしたものに変わった。
「は、ぁ……ああ、あ……あっ」
息苦しくて、口を大きく開けるのにうまく呼吸ができない。
「くっ、ティファナ」
苦しげなうめきにうつむけば、眉間にシワを寄せたサイラスがいた。獰猛な笑みをひらめかせる彼の瞳が、熱に潤んでいる。恋しくなってまぶたに唇を寄せれば、喉にキスを返された。顔中にキスをしあって唇を重ねて、ゆっくりと口内を味わわれていると、苦しさが紛れてきた。引いた痛みの先にある圧迫感がなんであるのか、理解をするほどに落ち着いたティファナは胸をあえがせながら、サイラスの唇に噛みついた。じゃれつくようなキスを返され、突き上げられる。
「あっ、はあぁ……あっ、ああんっ、あ、ああ」
律動に揺さぶられて舞う金色の髪が、陽光を含んできらめく。サイラスのすこし硬い茶色の髪に、ティファナの金色の髪が重なった。彼の肩に手を乗せて、突かれるままに揺れるティファナの乳房にサイラスの顔がうずまる。彼の頭を抱きしめて、隘路を擦る熱杭にとろける奥から湧き上がるものを、嬌声に変えて放ちながら想いを強くふくらませた。
「ああっ、あ、はぁ……あんっ、あっ、く、ぁあんっ」
「はぁ、ティファナ」
熱っぽい呼び声に心がギュッと絞られる。全身で彼を抱きしめ、甘えさせている心地になって、いつしかティファナは自分から体を動かし、彼を隘路で撫でていた。
「ふ、ぁう、んっ、ああ……あっ、サイラス、ああっ、あ、ああ」
「ティファナ、ああ……情熱的だな……んっ、もう……保ちそうにない」
なにが保ちそうにないのか、初体験のティファナにわかるはずもない。けれど、自分に対してはなにもガマンなんてしなくていいと思う。本能が、彼が堪えているものを欲しがっていた。
「んっ、いい……から、大丈夫……サイラス」
「ティファナ……っ、ああ……んっ、く」
抱きしめてくる彼の腕がこわばり、全身が震えたかと思うと胎内が熱いものに叩かれた。
「ひっ、ぁあ、あああぁああっ!」
注がれた熱波に目の奥がチカチカして、高い悲鳴を上げながら体を震わせる。胎内から大量の液があふれ出て、包んでいるサイラスをたっぷりと濡らした。
「は、ぁあ……あっ、あ、ああ」
衝撃の余韻に震えていると、そっと横たわらされた。おおいかぶさってきたサイラスの唇に目じりをぬぐわれて、涙をこぼしていたのだと知る。
「はぁ……あ……サイラス」
寝ぼけたような声が出た。サイラスは慈しみをたっぷりと含んだ瞳を細めて、満ち足りた顔をしている。彼をなぐさめられたのだとわかって、ホッとしたら自然と頬が持ち上がった。
「俺のティファナ……いま、この瞬間から、君は俺のものだ」
「サイラス」
あなたも私のものなのよ、と言いたいのに唇が動かない。泥の中に沈み込むように、意識がズブズブと沈んでいく。視界がかすんで、彼の笑顔がぼやけてしまった。
(もっと、笑顔を見ていたいのに)
まぶたを上げていられない。気だるさに連れ去られるまま、ティファナは意識を手放した。
ベッドに収まって、藍色の闇に沈んだ天井を見上げる。天蓋のないベッドで眠るのは、この別荘を訪れなくなって以来だ。王都の屋敷のベッドは両手を広げても余りあるくらいに広く、天蓋からはレースが垂れ下がっていた。そこになにか星空を思わせる飾りをつけたいと考えていたけれど、それを父親に告げることはできないままでいる。
(私からお父様に、なにかを言うなんてこと、あったかしら)
記憶にない。そもそも、父親と会話をした記憶さえ皆無に等しいのだから、頼みごとをするほどの親しみを持っていない。向こうもそうなのではないか。
(娘という名の血筋、かぁ)
サイラスの言葉が頭の中で巡っている。会話の最中はさほど気に留めなかったのに、いまになってものすごく気になってきた。
(貴族の娘は、家のために存在するなんて話を聞いたことがあるけれど、みんな、けっこう楽しそうに自分を謳歌しているわ)
同年代の、王都で知り合った娘たちを次々に思い浮かべる。誰もが奔放に己を生きていると見えたのは、気のせいだったのか。表面だけしか見えていなかったのか。
(ああ、でも……そうだわ)
ひとりだけ、誰だったか、過激なことを言っていた娘がいた。
――私、お父様に婚約者を決められる前に、自分で恋人を作ってしまうの。そして大切なはじめてを、彼に与えてしまうのよ。だって、たった一度しかないのよ? それくらい自分の好きな人に捧げたいわ。
初体験についてキッパリと言い切った彼女には、尊敬のまなざしが集まっていた。その時はそれほど興味を引かれなかったが、彼女の言っていることはつまり、サイラスが言っていたことと繋がるのだろう。
(はじめて、かぁ)
脳裏にサイラスの笑顔が浮かんで、胸が熱く苦しくなった。キュンとしたのは心臓だけではなくて、下腹部も似た反応をする。
(なに、これ)
奇妙な感覚におちいった腹部を両手で抱きしめて、目を閉じる。いったい私はどうなってしまうのだろうと考えて、考えてもしかたがないことだと、湧き上がりかけた不安を抑えた。
(くわしいことがわからないのに、あれこれ心配したってしかたがないものね)
これから、ここでどう過ごすのかを考えよう。久しぶりの村の様子は、どうなのか。十年近くも離れていたのだから、かなり変わっているだろう。それとも、時の流れが止まったかのように、なにも変化していないのか。
(あの、森で目を閉じていた時みたいに、時間の流れが王都とは違うのかもしれないわ)
子どものころに見ていた、なつかしい景色を大人になったサイラスと歩くのは、きっと楽しい。
(あれ? ちょっと待って)
なにかがおかしい。なにか、見落としていることがある。
身を起こして首をかしげ、ベッドから下りて窓に近づいた。カーテンを開ければ月明りがまぶしいほどに降り注いでくる。窓を開けて夜気を頬に感じつつ、思考をめぐらせた。
(サイラスと私は身分が違うのに、どうしてふたりで出かけていても、誰もなにも言わなかったのかしら)
王都の屋敷で使用人の子どもと親しくしていたら、身分をわきまえた行動をと注意をしてきたミセス・ヒギンズが、サイラスについて文句を言ってきた記憶はない。
(ほかに遊び相手がいなかったから、大目に見てくれていたってこと? それとも、サイラスは庶民ではないのかしら)
記憶の中をさぐってみても、彼の服装は常に簡素なパンツとシャツ姿だった。平気で木登りをしたり、川や湖に入ったりしていた彼から、貴族らしい雰囲気は見いだせない。
(子どもだったってことを考慮しても、貴族っぽくはなかったわ)
青年となった彼の言葉遣いには、庶民とは違った気配を感じたが、それだけだ。彼は相変わらず簡素なズボンとシャツ姿で、気取った様子もなく木の根元に腰かけた。
(それは私もおなじだけれど)
どうにも腑に落ちない。サイラスはいったい、何者なのか。当然のように受け止めていたが、彼が戻っていくのは森の奥だ。夕闇が迫ろうというのに森の奥に入っていくのだから、家はそちらにあるのだろう。
(猟師の小屋は森の中にあるものだから、サイラスは猟師の子どもなのかしら)
ワクスヒル家の食卓に上がる肉のすべてを、サイラスの家族が狩猟しているのだとしたら、ミセス・ヒギンズも身分のことをうるさく言わずにいるのでは、なんてことは――。
(ないわね)
即座に可能性を否定して、窓枠に肘をついて頬杖をつく。
(いったい、何者なの?)
急に得体の知れない存在となった幼馴染の正体を、いますぐに知りたくなったけれど、こんな時間に出かけるわけにもいかなくて、みぞおちのあたりがモヤモヤした。
星々の光は湖の湖面にちりばめられて、キラキラと踊っている。とてもキレイで幻想的な光景なのに、どこか不気味さを感じるのはサイラスのせいだ。
(明日、何者なのか聞いてみよう)
どうして森の奥に帰るのか。なぜミセス・ヒギンズが共にいてもとがめないのか。疑問をすべて解消すれば、目の前の景色は夢のように美しく、魔法の国にいるような感覚を与えてくれる。
(子どものころ、何度も夢想したみたいに)
窓から見える景色と、物語の情景を重ね合わせて遊んでいた。そのくらい、王都とは別世界だと思っていた。
(ある意味、いまでも別世界だけれど)
そうではないことを知ってしまった。それでも夢を見ていたいと思うのは、まだ自分が子どもだからだろうか。
(社交界デビューをして、立派なレディと言われて、恋の相手を探そうって誘われて……それでも私、まだまだ子どもってこと?)
大人とか子どもとか、よくわからない。結婚を許可される、恋のひとつもしていておかしくない年齢だけれど、実感がちっとも湧かなかった。
(大人になったって思う瞬間って、あるのかしら)
ミセス・ヒギンズに質問をしてみようか。
(あの人は、生まれてからずっと大人って感じがするけど)
それでも娘時代はあったはずだと、十八歳の彼女を想像しようとしたティファナは、まったく想像できなくて顔をしかめた。
* * *
動きやすい、裾丈がふくらはぎまでのドレスを着て、ブーツの紐をしっかり結ぶ。今日はサイラスに森の奥を案内してもらうつもりで、ティファナは身支度を整えていた。
朝食の後に散歩をしたいから、お茶とお菓子を用意してと伝えてある。久しぶりの場所を、思い出を抱きしめながらそぞろ歩きたいのだと言えば、王都の屋敷を追い出されたショックを癒したいのだとミセス・ヒギンズに受け取られ、ほかの使用人たちも同情的なまなざしで、承知いたしましたと頭を下げた。
(そんなに大げさなことなのかしら)
不安にかられている使用人たちとは違って、そのことについては楽観的な気持ちでいる。賭けで財産を失ったといっても、借金ができたわけではないのだから、なんとかなると考えていた。
(本やおしゃべりでは、借金を負ったら大変って話はあったけれど、財産を失ったら困るなんてことは言われていなかったし)
なにより、昨夜のサイラスの言葉――血筋のことや、貴族院に関する話から、そう悪いことにはならない気がしていた。
(ワクスヒル家の血筋は価値があって、お父様は王様とお話ができる立場なのだから、きっと助けてくれる方がいるわ)
財産を失っても住める別荘があって、使用人もいるのだから大したことではないのだろう。
(それよりも、サイラスのことよ)
彼がいったい何者なのか。そちらのほうが気になって、父親のことは後回しだった。
部屋を出て階下に行けば、バスケットに焼き菓子とお茶の入った陶器の瓶。木のカップがひとつ入っていた。若い使用人がそれを持ってついて来ようとしたので、受け取って「ひとりでいたいの」とまつ毛を伏せて、傷心をよそおう。
「あまり、遅くなりませんように」
ミセス・ヒギンズの心配そうな表情に内心で謝罪しながら、しおれている風を演じたままうなずいて外に出る。
不安につつまれている使用人たちの雰囲気を、カラッと乾かしてしまいそうなほどの上天気に目を細め、別荘の脇を回った。
(迎えに来るって言ってくれたけれど、何時とは言っていなかったわ)
昨日、再会した場所で待っていれば来てくれるだろう。そう思って裏側に行くと、サイラスはすでにそこにいた。裏手の薪割り用の切り株に腰かけて、ぼんやりと空を見上げている。
足音に気がついた彼は立ち上がり、まぶしそうな笑顔を浮かべて片手を持ち上げた。
「おはよう、ティファナ」
「おはよう、サイラス。いつから待っていたの?」
「ついさっき、来たところだ。あまり早くても、迷惑だろうからな」
「迷惑だなんて」
だけど、彼の姿が誰かの目に留まらないでいてほしいとは思っていた。ひとりで出かけると言ったのに、おなじ年頃の青年とふたりで森に入るなんて、村の人はなんとも思わないかもしれないが、使用人たちは眉をひそめるはずだから。
「まずは、どこを案内しようか」
ひょいと籠を当然のように持たれる。見下ろしてくる彼のまなざしがやさしくて、ふんわりと心がふくらんだ。太陽の光をたっぷり浴びた毛布のように、ほかほかとした気持ちを抱えて森に顔を向ける。
「森の中を散策したいわ。できれば、サイラスの家を見てみたいのだけれど」
遠慮がちに望めば、キョトンとされた。
「俺の家?」
「イヤなら、いいのよ。無理強いをするつもりはないわ。ただ、いつも森の中に帰っていくでしょう? 昨日だって。それで、どこに住んでいるのかなぁって気になったの。だって、日暮れの森の奥に行くんだもの。不思議に思って当然だわ」
「俺を、獣の化身かなにかだとでも思ったのか」
からかうような口調に、肩をすくめる。
「私、そんなに子どもっぽい想像をするように見えるかしら」
「想像に子どもも大人もないだろう。夢を見られることは、悪いことではない」
はぐらかされた気がしたけれど、そこはいま重要ではない。
「それで、どうなの。私を案内してくれる?」
「歩くが、かまわないか」
「そのつもりで、お茶を用意させたのよ」
なるほどとうなずいたサイラスに、自然に手を握られてドキリとする。彼にとって自分は幼い少女のままなのだろうかと、わずかに不満を浮かべたが、単に森の中ではぐれては危険だというだけかもしれない。
(私、女として見られたいの?)
森に入れば、さらさらと降り注ぐ木漏れ日がサイラスの髪や頬、肩などに不思議な模様を躍らせる。光の模様は流れて消えて、また現れては途切れることがない。
「どうした」
「え?」
「じっと見ているだろう。なにか、妙か?」
「ううん。面白いなぁって、思っていただけよ」
「なにがだ」
「木漏れ日が」
ほほえみかければ、不思議そうな顔をされたが追求はされなかった。サイラスは視線を前に戻して、森の中を迷いのない足取りで進む。ふたりだけの世界だと、目を細めて周囲を見れば、濃淡のある緑が生き生きと広がっていた。
おとぎの国に迷い込んでしまったようだ。
草木の香りは昨日とはわずかに違っていた。植わっている植物の種類が違うのか、天候のせいなのか。ふんわりとやさしげな香りが充満している。体も心もやわらかく浮き立って、足取りが軽くなった。
「楽しそうだな」
「久しぶりだから」
「森は好きか?」
「そうね……いまは、好きだわ」
「いまは?」
「夜は、怖そうだから」
「そうだな。夜の森は、人の領域ではないからな」
なごやかな雰囲気に包まれて歩き、時折こうして思い出したように会話ができる。長い期間、会っていなかったのに、まるで昨日もこうしていたように接していられるなんて、深いところで繋がっているみたいだ。
身を包む空気に満足をして、ニコニコしながら歩いていると、木々の向こうにきらめくものを見つけた。
「もうすぐだ」
導かれて森を出れば、大きな池が広がっていた。
「わ、ぁ……すごい」
別荘の窓から見るのとは、まったく違った水辺の景色に目を見張る。うっそりと生い茂った樹木が、水面をのぞき込むように枝を伸ばしている。まるで水鏡に映る己をながめているようだ。空と木々を映した池は清らかで、近づいてみれば魚の泳ぐ姿も見えた。ところどころに大きな葉が浮いているのは、スイレンだろうか。奥に桟橋があり、ボートがもやわれている。
池の奥には、石造りの大きな屋敷があった。というよりも、城と呼んだほうがいいかもしれない。居館には塔が併設されており、城壁の上部にはのこぎり形の狭間がついていた。ティファナが王都で住んでいた屋敷よりも、ずっと大きい。
立派な城の威容にポカンとしていると、手を引かれて門に連れていかれた。
門の上には張り出した小さな出窓から顔をのぞかせた男に、にこやかに「おかえりなさいませ」と声をかけられた。
「客人がいると奥に伝えてくれ」
響きのいいサイラスの声にうなずいた男が引っ込み、門が開かれる。手入れの行き届いた門についている紋に目を止めたティファナは、あやうく悲鳴を上げそうになった。
二頭のペガサスが棹立ちになり、たわわに実ったブドウを求めている紋は王家のものだ。
(ここって、王家に繋がるお城なの?)
だとすれば、立派な造りであるのもうなずける。しかしなぜ、森の奥に城があり、サイラスは「おかえりなさい」と迎え入れられたのか。
(どうなっているの?)
わけがわからないまま手を引かれて、連れていかれたのは屋上の広場だった。東屋のような簡素な屋根つきの小屋がある。そこに導かれて周囲を見わたせば、木々と空ばかりの景色だった。
「えっと……サイラス?」
「遠慮をすることはないぞ、ティファナ。ゆっくりとくつろぐといい」
(くつろぐといい、って言われても)
どうして城の屋上でピクニックまがいのことをすることになったのか。
(サイラスの家を見たいって言って、そうしたらここに連れてこられて)
ポットやカップを持った使用人たちが現れて、東屋の真ん中にしつらえらえているテーブルにクロスを敷くと、茶会の準備を整えて去って行った。誰もがうやうやしくサイラスに頭を下げたということは、ここは彼の所有する城なのだろうか。
(貴族らしい恰好をしている姿なんて、見たことがなかったけれど)
この場所では必要がないから、動きやすい服装でいただけかもしれない。とすれば、ミセス・ヒギンズが彼の身分を知っていて、ティファナと遊んでいてもとがめなかったことに説明がつく。
「ティファナの用意してくれたものと、これとでは食べきれぬかもしれぬな」
屈託なく笑う彼に手招かれて、隣に腰かける。手ずからカップにお茶を注いでくれる所作は、慣れている者の動きだった。もしも家紋が彼の出自を表すものだとしたら、他人に茶を注ぐなどしないはず。
(この屋敷の主の世話係とか、最高位の使用人なのかしら)
それなら、門番や使用人たちが頭を下げる理由になる。主が不在だから、己の城のように振舞っているのかもしれない。
(きっとそうだわ)
うんうんと自分の考えに納得をして、カップに手を伸ばす。お茶はすこし苦味があって、甘いお菓子にピッタリだった。たっぷりとジャムを乗せたクッキーを口に運ぶサイラスは、少年みたいな顔をしている。顔中でおいしいと示す彼にほほえんで、おなじようにジャムをたっぷりクッキーにつけて食べた。
「おいしい」
「この森で取れたキイチゴを使っているんだ」
「へぇ」
「森は多くの恵みをもたらしてくれる。俺は、この領地が好きだ」
「領地?」
そういえば、ヴィエホは誰の土地なのだろう。別荘があるからワクスヒル家の領地とは限らない。親しい相手あるいは任務のために、領地の一部を借りて別荘を建てることもある。
「そうだ。俺の、領地だ」
「えっ」
「ん?」
おどろけば、疑問の表情を向けられた。
「俺の領地って……ヴィエホはサイラスの領地なの?」
「そうだ。俺が生まれたときに、父上がくださった。王都から近く、けれど要所とは言い難い鄙びた土地ではあるが、そこがいいと申されたと聞いておる」
「ええと、それじゃあ私のお父様は、サイラスの領地を借りて別荘を作ったの?」
「なんだ。なにも知らぬのか。なにかあった場合にと父上に頼まれたティファナの父君が、城からほど近い場所に別荘を建てたのだ。まあ、これといった問題もなく、あそこに泊まったことがあるのはティファナだけだったがな」
快活な笑い声を聞きながら、眉間にシワを寄せた。頭の中で父親と親しい貴族たちの顔を思い出してみるが、誰もサイラスに似ていない。子ども同士が過去に遊んでいたのなら、そんな話題が出てもよさそうなものなのに、そんな話は一切振られたことがなかった。
「どうした、ティファナ」
「お父様にそんなことを言うのであれば、あなたのお父様と私のお父様は仲がいいのよね。だけど私、サイラスのお父様を知らないわ。ううん、お父様のことだけじゃない。サイラスがヴィエホの領主だってことも、知らなかったの」
ふうんと鼻を鳴らして、サイラスはさして興味もなさそうにお茶を口に含んだ。
「子ども同士の遊びに、大人の関係や思惑など必要ないと考えて、伝えなかったのだろうな」
「でも……何年も会っていない間に、互いの子どもはどうしているのか、なんて会話があっても不思議はないでしょう? 社交場でサイラスについて話しかけてくる方はいなかったわ。自分の子どもと遊んでいた相手に、声をかけないなんてことがあるかしら」
社交界デビューをしてから、サイラスの姿を見た記憶もない。たまたま彼と会う機会がなかったのかもしれないが、親同士が子どものことを頼み頼まれる間柄ならば、なにかそれっぽい交流があってもよさそうなものなのに、社交デビューを控えたティファナへの祝いの品や手紙の中に、サイラスのことを思い出させるようなものはひとつもなかった。
「ねえ、サイラス。あなたの家の名前はなに? 私、知らないうちにあなたの親に失礼なことをしていたのかもしれないわ。社交場で挨拶もせずに、すれちがっていたかもしれない」
「その心配はないから、気にしなくともいい」
「気にするわよ。社交場で、あなたの姿を見かけなかったけど、ご両親とは会っていたかもしれないでしょう。だってお父様に、自分の息子の領地に別荘を建ててくれなんて、頼むくらいの仲なんだもの」
唇をすこし尖らせて、強い口調で言えばニヤニヤされた。隠しごとを含んだ笑みに、頬をふくらませる。
「どうして、そんな笑い方をするの」
「いや。俺は、幾度もティファナの姿を見ていたのだがな」
「えっ……いつ? それなら、声をかけてくれればよかったのに」
「声をかけられる状態ではなかったのだ」
「多くの女性に囲まれていたとか、そういうこと?」
彼が着飾っていたのなら、きっと女性の目を惹くだろうと、嫉妬に似た感情を浮かべつつ問えば、いいやと首を振られた。
「父上や兄上の影に隠れて立っていた、と言えばいいのか。腹違いの兄が後を継ぐと決まっておるのだ。そのため、俺はあまり表に出ぬ。面倒なことにならぬようにな。特定の女性に声をかけて、無用な憶測を飛ばされれば、困るのはティファナだ」
「それは、まあ……勝手にいろいろな噂を流されるものだって知ったけれど、それでも挨拶くらいはしてほしかったわ」
「俺の身分を知って、態度を変えられたら困ると思ったのだ」
「態度を変えなきゃいけない身分なの? お父様やお兄様の影に隠れてって言ったけれど、遠慮をしなくちゃいけない立場ってことよね」
「そうだ。俺は、正妻の子ではないからな」
わずかに伏せられたまつ毛の奥で、空色の瞳がさみしげに揺れる。罪悪感に襲われて、彼の手を強く握った。
「だから、ここに領地を与えられて、追われたのね。家督は兄が継ぐから、こちらで満足しろという意味で。それで、あなたのお父様は男友達の私のお父様に、あなたのことを頼んだんだわ。ねえ、そうなんでしょう? それなのに、お父様ったらサイラスのことをほったらかして、鉱山の別荘から帰ってこなかったのね」
なんて人だと腹を立てると、抱きしめられた。背中がしなってサイラスの体にぴったりと寄り添う。乳房がたくましい胸筋に押されてつぶれ、互いの性別を意識させられた。
「ありがとう、ティファナ。だが、俺は問題ない。遊び相手として、ティファナを別荘に連れてきてくれたこと、感謝をしている」
吐息のような声音に胸をわしづかまれて、彼の広い背に手を伸ばして抱きしめ返した。
(きっと、さみしい日々だったに違いないわ)
生まれてすぐに領地を与えられたということは、赤子の時に王都の屋敷から追い出されたのとおなじことだ。将来の家督争いを憂えてのことだろうが、それにしてもひどすぎる。
「お母様は、どうなされているの?」
「いまは、別の男の正妻として暮らしている」
「ええっ? その家に養子に入ったりはしなかったの」
「血の問題だな。ティファナも知っているだろう? 男親の血が家を継ぐ条件となる。息子という形にはなるが、扱いは居候だ」
つまり女の連れ子は養子にはなれても、家督は継げないということだ。連れ子として家に入れば、サイラスはその家の正式な息子でもなく使用人でもないという、中途半端な立ち位置になる。義父と母親の間に男児が生まれなかった場合は、男系の血筋の男児を養子にして家督を譲ることになる。
どちらにしても日陰の人生を歩み続けなければならないのだとしたら、いっそのこと領地を与えて独り立ちさせたほうがいい。そうサイラスの父親は考えたのかもしれない。
(だけど、生まれてすぐにだなんて……せめて、物心がつくころまでなら。というか、お母様の再婚は、いつだったのかしら。赤ちゃんのサイラスを捨てて、別の人の妻になったの? サイラスは、ずっとひとりで、こんなに大きなお城で生きてきたっていうの?)
わなわなと肌が震える。怒りとも悲しみともつかぬものに突き動かされて、しっかりと彼を抱きしめると耳元でささやいた。
「私がいるわ、サイラス。私が傍にいてあげる。だからもう、寂しくなんてないからね」
いくら森が好きだといっても、人恋しくもなるだろう。同年代の子どもと遊ぶことも、なかったに違いない。貴族らしくないと感じた彼の振る舞いも、貴族と接することなく過ごしていたせいだろう。
「ティファナ」
呆然とした響きに心が震えて、想いのすべてを腕に込めて抱きしめる。自分になにができるかわからないけれど、彼の傍にいることだけはできる。
「俺と、いてくれるのか。ずっと……これからも?」
「ええ、いるわ。ずっといる。私、サイラスといるわ。ひとりぼっちになんて、させやしないから」
「ああ、ティファナ」
吐息のような感嘆とともにキスをされた。ここが城の屋上であることなど忘れて、目を閉じてキスを受ける。はじめてのキスであるということすらも忘れて、ただ彼の唇と切ない息だけを感じていた。
「んっ、ん……ふ、ぅ……んっ、んんっ」
唇を舌でなぞられて、開くようにと促された。流れのままに口を開けば、口内に舌が入り込み、探索される。舌先で上あごをくすぐられると、ムズムズして鼻から甘い息が漏れた。それを吸うように唇をおおわれて、太ももを持ち上げられる。彼の膝にまたがる格好になると、ドレスの裾がめくれた。そこに大きな手のひらが入り込み、尻をわしづかまれる。ビクンと背筋を跳ねさせれば、彼の唇がずれて顎にキスをされた。
「ふあっ」
尻の谷を撫で上げられて、ゾクゾクする。粟立つ肌に吸いつかれると、胸が苦しくなった。伝わったはずもないのに、サイラスの手はドレスのリボンを解いて胸元をゆるめ、やわらかな双丘を取り出した。
「あっ」
あらわになった乳房の頂に舌を伸ばされ、ちいさな悲鳴を上げる。チロチロと舌先でくすぐられれば、奇妙な感覚に見舞われた。胸の芯や肌に、波紋のように揺れながら広がる感覚は、未知のものだった。恐怖はないが、とまどいが生まれる。
「サイラス……っ、あ、は」
胸先と舌でたわむれる彼の頭を抱きかかえると、見上げられた。剣呑な気配のある熱視線に貫かれ、心臓が跳ね上がる。
「ひっ、ぁ……っ、ん……ふ、うう」
尻にあった手が奥に伸びて、後ろから女の園をまさぐられた。秘裂をショーツの上からなぞられると、ムズムズして落ち着かない。じっとしていられなくなって、無意識のうちに動いた尻が、刺激をねだるような恰好になってしまった。
「は、ぁ……あっ、んぁ……はっ、ああ……く、ぅんっ」
甘える子犬みたいな音が、自分の喉からあふれ出る。それが不思議で、恥ずかしくて、逃げ出したいのに、もっとしてほしかった。
「は、ぁ、サイラス……んんっ、ぁ、ああ」
ぷっくりとふくらんだ乳首をコリコリと甘噛みされれば、指で撫でられている秘裂が疼いた。自分の体のどこもかしこも、ひとつに繋がっているのだと教えられる。
「ティファナ……俺のものになれ……俺の傍にいてくれるのだろう?」
「んっ、は、ぁ……あっ、サイラス、あっ、ああ」
生まれてはじめての感覚に意識がしびれて、思考ができなくなっている。彼の唇が乳房から離れれば、刺激の失せた濡れた乳首が不満を訴えるように震えた。
「んっ、んぅ……ふっ、ぁ」
ねだるようなキスをされて、愛おしさが湧きおこる。なにがなんでも彼の傍にいるのだと、決意に似た想いに駆られてキスを返すと、腰を持ち上げられた。ショーツの脇から入り込んだ指に肉の花弁を開かれて擦られれば、蜜壺から液がトロリとあふれ出た。
「ふ、ぁ……んんっ、ぁ、ふ……ぁ、ううっ」
自分の体が自分のものではなくなっていく感覚におののきながら、サイラスにすがりつく。キスをされてキスを返して、体の奥をまさぐられた。
「は、ぁう……く、ぅうんっ、ぁ、ああ……サイラス」
頭の芯がぼうっとするのに、体の奥はハッキリと存在を主張している。殻に似たものがひび割れていく錯覚に陥って、天を仰ぐと高く広い空が視界いっぱいに映された。
(私、羽ばたける)
ふいに浮かんだ言葉の直後、硬く熱いもので刺し貫かれた。
「あっ、あぁああああ――っ!」
頭の先まで貫かれたような衝撃に、喉を開いて叫びを上げる。火傷に似た痛みが腹部から全身に広がったかと思うと、ズキズキとしたものに変わった。
「は、ぁ……ああ、あ……あっ」
息苦しくて、口を大きく開けるのにうまく呼吸ができない。
「くっ、ティファナ」
苦しげなうめきにうつむけば、眉間にシワを寄せたサイラスがいた。獰猛な笑みをひらめかせる彼の瞳が、熱に潤んでいる。恋しくなってまぶたに唇を寄せれば、喉にキスを返された。顔中にキスをしあって唇を重ねて、ゆっくりと口内を味わわれていると、苦しさが紛れてきた。引いた痛みの先にある圧迫感がなんであるのか、理解をするほどに落ち着いたティファナは胸をあえがせながら、サイラスの唇に噛みついた。じゃれつくようなキスを返され、突き上げられる。
「あっ、はあぁ……あっ、ああんっ、あ、ああ」
律動に揺さぶられて舞う金色の髪が、陽光を含んできらめく。サイラスのすこし硬い茶色の髪に、ティファナの金色の髪が重なった。彼の肩に手を乗せて、突かれるままに揺れるティファナの乳房にサイラスの顔がうずまる。彼の頭を抱きしめて、隘路を擦る熱杭にとろける奥から湧き上がるものを、嬌声に変えて放ちながら想いを強くふくらませた。
「ああっ、あ、はぁ……あんっ、あっ、く、ぁあんっ」
「はぁ、ティファナ」
熱っぽい呼び声に心がギュッと絞られる。全身で彼を抱きしめ、甘えさせている心地になって、いつしかティファナは自分から体を動かし、彼を隘路で撫でていた。
「ふ、ぁう、んっ、ああ……あっ、サイラス、ああっ、あ、ああ」
「ティファナ、ああ……情熱的だな……んっ、もう……保ちそうにない」
なにが保ちそうにないのか、初体験のティファナにわかるはずもない。けれど、自分に対してはなにもガマンなんてしなくていいと思う。本能が、彼が堪えているものを欲しがっていた。
「んっ、いい……から、大丈夫……サイラス」
「ティファナ……っ、ああ……んっ、く」
抱きしめてくる彼の腕がこわばり、全身が震えたかと思うと胎内が熱いものに叩かれた。
「ひっ、ぁあ、あああぁああっ!」
注がれた熱波に目の奥がチカチカして、高い悲鳴を上げながら体を震わせる。胎内から大量の液があふれ出て、包んでいるサイラスをたっぷりと濡らした。
「は、ぁあ……あっ、あ、ああ」
衝撃の余韻に震えていると、そっと横たわらされた。おおいかぶさってきたサイラスの唇に目じりをぬぐわれて、涙をこぼしていたのだと知る。
「はぁ……あ……サイラス」
寝ぼけたような声が出た。サイラスは慈しみをたっぷりと含んだ瞳を細めて、満ち足りた顔をしている。彼をなぐさめられたのだとわかって、ホッとしたら自然と頬が持ち上がった。
「俺のティファナ……いま、この瞬間から、君は俺のものだ」
「サイラス」
あなたも私のものなのよ、と言いたいのに唇が動かない。泥の中に沈み込むように、意識がズブズブと沈んでいく。視界がかすんで、彼の笑顔がぼやけてしまった。
(もっと、笑顔を見ていたいのに)
まぶたを上げていられない。気だるさに連れ去られるまま、ティファナは意識を手放した。
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※30,000字程度で完結します。
(執筆期間:2022/05/03〜05/24)
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます!
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
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○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。
(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
○雪さま
(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
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