頭がいいのか悪いのか

水戸けい

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「そっちの息子じゃねぇよ。体にくっついているムスコのほうだ」

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「ごっそさん」

 満足げに腹をさすった恭平は、誠に笑いかけた。うれしそうに目を細めた誠は、食器を手にして立ち上がる。

「洗ってきますね」

「のんびりすりゃあいいのに」

 笑みを深めるだけで答えずに、誠は台所へ立った。恭平は誠が食器を洗う背中を見るともなしにながめつつ、しみじみとこぼした。

「惜しいなぁ……」

「なにか、言いましたか?」

「惜しいっつったんだよ」

「惜しい?」

「誠が女だったら、放っておかねぇのになぁ」

 本気とも冗談ともつかぬ口調で言葉を投げる。

「…………男に興味はありませんか」

「ねぇなぁ」

 タバコを取り出し、テーブルにトントンと打ちつけて葉を詰める。

「チカンに遭って、ちょっとイイなと思ったりもしませんでした?」

「あー」

 タバコをくわえて火を点けて、天井に視線を向けると思い出しつつフゥッと紫煙を吐き出した。くゆる煙とヌかれた欲を重ねた恭平は、無感動な声で答える。

「そうだなぁ。ヤられるとも思わなかったし、欲しがられてるとも思わなかったからなぁ。……だから、そういうこたぁ考えなかったな。ただ扱かれて、ヌかれたって事実を感じただけで」

「改めて、そういう認識を持って振り返ってみると、どうですか」

「んー?」

 どうしてそんな質問をされるのかとの疑問も持たずに、恭平は言われるまま記憶に想像を織り込ませてみた。

「うーん?」

 眉間にしわを寄せて考えてみるも、実感をともなう妄想にまで行きつかない。細く長い煙を吐き出していると、誠がビールの入ったグラスをちゃぶ台に置いた。

「おっ」

 恭平の声が弾む。ビールの横に、ナッツの入った小皿も置かれた。

「気が利くじゃねぇか」

 タバコを灰皿に置いた恭平は、さっそくビールに手を伸ばした。

「ぷはー。昼間っから飲む酒はうめぇな!」

「よろこんでもらえて、よかったです」

「ったく、本気でもったいねぇなぁ……誠ぉ」

 下唇を突き出して、恭平は誠のおだやかなほほえみをうらめしげににらんだ。

「わざわざビールをグラスに入れてよお? つまみまで小皿で出してくるなんざ、気が利きすぎだろ。女なら、ぜってぇ口説いてんのになぁ」

 ああ、もったいねぇとぼやくと、誠は眉尻を下げて小首をかしげた。

「あー、ほんっと惜しい! キレイな顔でそういう恰好されるとよぉ、グッとくるじゃねぇか。……ま、誠が女だったら、こんなふうに俺の部屋に上がり込んだりしてねぇか」

 クックッと喉を鳴らすと、誠に顔を寄せられた。

「もしも僕が女なら、本気で好きになってくれました?」

「そりゃあ、なるだろう。料理もうめぇし気も利くし、口うるさくもねぇし」

 グビリとビールで喉を潤し、恭平はニヤリとした。

「見てくれも申し分ねぇからな」

「料理は……普通だと思いますよ?」

「そこがいいんだよ、そこが。普通にうめぇってのが一番なんだ。妙に凝ったモンを作られたり、店みてぇな味を出されると飽きるんだよな。――元の女房は料理の腕はよかったんだけどよぉ、ちっとよすぎるっつうか、凝り性っつうのか……家庭の味って感じがしなくてな。そういうモンを求めて外で飯を食ったら、女房からすりゃ腹が立つわなぁ。けど、こっちからすりゃあ、しゃれた飯じゃなくって普通の味噌汁と白米とおかずってのがいいんだよ。そっからまぁ、なんやかんやといろいろあってサヨナラよ」

 軽快に笑い飛ばすと、誠に瞳の奥をのぞかれた。

「それはつまり、僕の料理は帰ってきたくなる味だと。そう……受け取っていいのでしょうか」

「おう。だから、惜しいっつってんだよ」

 力のこもった誠の視線を受け流し、恭平はビールを喉に流した。

「家でつまみ作ってもらって、一緒にのんびり焼酎とか。――たまんねぇよなぁ」

「すみません、ビールで」

「そういう意味じゃねぇよ。ビール上等。ちっと欲張りすぎちまったな」

 わりぃと恭平が謝ると、いいえと誠が首を振る。

「恭平さんは、そういう生活をしたいんですか。晩酌、というのも夜勤の方からすると変な話になりますが、手料理をアテに家でゆっくりお酒を楽しんでいたいと?」

「うん。まあ、そうだな。そういう生活ができりゃあ、しあわせだよなぁ。……まあでも、だからっつって、これから嫁さんを探そうなんざ思わねぇよ」

「どうして?」

「若い誠にゃ、わかんねぇかもしんねぇがな。なんつうか、めんどくせぇんだよ。ひとりの気楽さもすっかり身になじんじまってるってのもあるし。これから結婚してガキを育ててって気力も湧かねぇんだよな。まあ、遠くにボンヤリと浮かんでいる、欲しくはねぇけどあこがれはする夢みてぇな感じかなぁ。あったらいいとは思うけどよぉ、手に入れるためにどうこうしようってぇほどのことじゃねぇんだよ」

「それは、前の奥さんとの失敗を気にしているとか、未練があるとか、そういうことですか?」

「ハッハッ! 未練なんざ、これっぽちもねぇよ。お互い納得ずくでの離婚だったからな。向こうは再婚しているし、アイツだって俺に再婚すりゃあいいって言ってくるぐれぇだから、お互いに未練もなぁんもありゃしねぇ。まあ、元気なムスコを使いてぇって欲ならあるが、そのために結婚するってのも妙な話だしな」

「お子さんは、娘さんひとりじゃないんですか?」

「そっちの息子じゃねぇよ。体にくっついているムスコのほうだ」

 ニヤリと片頬だけを持ち上げると、なるほどと誠が目じりを赤くする。

「妻は必要ないけれど、恋人または愛人は欲しい、ということでしょうか」

「愛人ねぇ」

「違うんですか?」

「違うなぁ」

 しみじみと顎をさすりながら、恭平はうなった。

「あー、その……なんだ。俺の部屋を片付けてくれたヤツが、大家のバァさんじゃなかったらって話だがよ。そいつが俺を好きだっつって、俺の世話を焼いて暮らしてぇって言ってきたら、再婚するかもな」

「えっ?」

「まあ、そういう感じっつうのか。俺もうまく言えねぇんだけどな。信念があって独身でいるわけでもねぇし。機会があったらまぁ……俺と一緒になりてぇって奇特なヤツがいたら、受け入れてもかまわねぇかなってぐれぇの、やんわりとした感じなんだよ」

 ふむ、と考える顔で誠が視線を落とす。

(わかんねぇだろうなぁ)

 真剣に考え込んでしまった誠をツマミに、恭平はビールを飲み干してタバコを指に挟んだ。

「ストーカーが怖いとかは、思わないんですか?」

「ん?」

「だって、大家さんでなければ、勝手に恭平さんの部屋に上がり込んで、あちこち好きに触っているんですよ? つまり鍵を持っているってことで……合鍵を渡している相手がいるんですか?」

「いねぇよ」

 フウッと煙を、誠にかからないように天井へ向けて吐き出す。

「それじゃあ、どんな相手かわからないじゃないですか。恐怖を感じないんですか?」

「うーん。襲われたわけでも、脅されたわけでもねぇしな。それどころか、部屋をキレイにしてくれて、足りねぇモンを買い足してくれてんだぜ? まあ、俺の世話をしようって理由がサッパリわからねぇってところは、怖いっちゃあ怖いけどよ。悪意は感じられねぇからな」

「どんな容姿の相手かもわからないのに、告白されたら受け入れるんですか」

「見た目がどうとか、贅沢を言えるツラをしているわけじゃねぇからな。誠みてぇにキレイな顔してんなら、つり合いがどうとか考えるのかもしんねぇけどよ」

 ケラケラ笑って、恭平はタバコの煙を深く肺腑に吸い込んだ。

「その相手に襲われたら、怖いと思いますか?」

「そりゃあ、まあ、怖いだろうな」

 答えながら紫煙を吐き出す。

「そうですか。――怖いですか」

 平坦に響いた誠の声がたわんで、恭平は「あれっ」と目をしばたたかせた。

「なんだ、これ」

 自分の声が頭蓋の中でウワンと響き、視界が揺れる。このままでは倒れると認識して、タバコの火をどうにかしないと、と考えたところで頭の奥が重くなり、体が眠りに誘われてフワリと浮かぶ。

「まこ……」

 彼の名を最後まで呼ぶことができずに、恭平の意識は黒い闇へと流された。
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