初恋のチェリーシード

水戸けい

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「俺でヌいたりしてたのか」

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「ずっと寝っ転がってるわけにもいかないからさ。動く練習もしときたいんだ」

「えらいわねぇ。でも、無理はダメよ。なにかあったら、すぐに連絡してきなさいね」

「わかってるよ。なんかあったら、遠慮なく助けてくれって言うな」

「そうしてちょうだい。それじゃ、和くんが帰ってきたら、すぐに行かせるわね」

「うん」

 それじゃあと手のひらで示してミックスナッツをカゴに入れ、悟はレジに向かった。

(さあて。カズはおとなしく俺んとこに泊まりに来るか……な)

 行きたくない理由は母親に説明しづらい。渋っても、結局は来ることになるはずだ。

(なにを話すか、きちんと考えておかねぇとな)

 ニヤニヤしながら、悟は会計を済ませて家に戻った。


 インターフォンが鳴った。

「はいはーい」

 返事をしながら玄関に向かい、ドアを開けると和臣がムスッと立っていた。手にはビニール袋とボストンバックがある。ニヤリとして、悟は「入れよ」と和臣を招き入れた。

「一週間は入院しているんじゃなかったのかよ」

「ヒマだからな」

「そんなんで、勝手に退院して大丈夫なのか?」

「勝手じゃねぇよ。ちゃんと手続きはしてある。言ったろ? 店の厨房に立つって」

 和臣の眉間にシワが寄った。

「料理担当の俺がいなけりゃ、飯が出せないだろ」

「ケガ人がそんなことを気にしなくていいんだよ」

「気になるって」

「なんで」

「おまえの夢の一歩だからな」

 台所に入りかけた和臣が止まった。

「ずっと、店をやりてぇって言ってたじゃねぇか」

 和臣の手からボストンバックを取って床に落とし、なあっと顔を見ようとすると、そっぽを向かれた。

「悟の夢じゃないだろ」

「まあ、そうだけどな」

 ひょいと和臣はビニール袋を持ち上げて、テーブルに乗せた。

「リクエストどおり、ミートパイとアップルパイ。それと晩御飯が入ってるから」

「だと思った」

 悟はニヤッとした。

「おばさんのことだから、飯も作ってくれるだろうなと思ってさ。なんも作ってなかったんだよ」

 さっさと食おうぜと身振りで伝えた悟に、やれやれと首を振って和臣が食器棚から必要なものを出す。勝手知ったる自然な態度で準備を進める和臣の姿を視界に入れつつ、悟はイスに座った。タッパーがテーブルに並び、取り皿が置かれる。箸が出されて、お茶の用意がされるのを悟は待った。

「あ。米は炊いてあるぞ」

「ん」

 声をかけると、和臣は茶碗にご飯を盛って悟の前に置いた。湧いた湯を急須にそそいだ和臣が、急須と湯呑をテーブルに乗せて席に着いたところで、悟は「いただきます」と箸を取った。

 ボソボソと和臣も「いただきます」と言って手を合わせ、食べはじめる。

 じっと様子を観察する悟の目には、和臣がひとりで重苦しくなっていると映った。

(さて。どう切り出すかなぁ)

 酒が入ってからのほうが、口の滑りがよくなるかもしれない。

 そう考えて、食事が終わるまでは無言を通した。

 茶をすすって食事の終わりとし、指先で冷蔵庫を叩く真似をしながら「酒、取ってくれよ」と悟が言うと、和臣は目が合わないようにうつむき加減で席を立った。

「ほら」

「おう」

 発泡酒の缶を受け取った悟の、空になった食器を和臣が片づける。シンクに運んだそれらを洗う和臣の後姿をツマミに、悟は発泡酒にチビチビと口をつけた。

「おまえも呑めよ」

 洗い物を終えた和臣に声をかければ、いらないと答えられた。

(呑まないんなら、シラフで話をするしかねぇな)

 様子を見ながら切り出すか、それともスッパリ言ってしまうか。

 悩む悟の前に、コーヒーを淹れた和臣が座った。

「なあ」

「ん」

「なんで」

「なにが」

 モジモジと言いにくそうにしてから、和臣が小声で叫ぶ。

「俺とふたりきりで、怖くないのかよ」

「はぁ? なんで怖くならなきゃならねぇんだ」

 だって……と言いにくそうに和臣が答える。

「俺は……その、悟を襲っただろ。だから、さ」

「また俺を襲うつもりでいるのかよ」

「それは」

 目を泳がせる和臣に、これ見よがしにため息をついた悟は冷蔵庫を顎でしゃくった。

「呑んだほうが話しやすいか?」

「いい、いらない」

「ふうん」

 グビリと発泡酒をあおって、悟は和臣を観察した。和臣は居心地悪そうにしている。

「おまえはさ、俺んとこに泊まるのに抵抗はないわけ? おばさんに言われたとき、ゴネなかったのか」

「それは……まあ、来づらいけど理由は言えないだろ。悟を襲ったから、行きたくないなんてさ」

「そりゃ、そうだわな。息子が俺を犯したなんて知ったら、ひっくり返りそうだしな」

 わずかに顎を引いた和臣が上目遣いになる。

(やっと俺を見たな)

 心の中でニヤリとして、けれど顔は平常のまま悟はなにげなく話を続けた。

「まあ、そんなわけで。俺が治るまで世話を頼むわ」

「イヤじゃないのか」

「イヤなら頼まないっての」

「なんで」

「なにが」

「なんで、イヤじゃないんだ。悟は俺に襲われたんだぞ?」

「襲われたなぁ。ったく。あの後しばらく、ケツになんか挟まってるみたいでムズムズしたぞ」

 あっけらかんと返事をした悟に、和臣はポカンと言葉を忘れる。

「まさかケツを掘られる日がくるとは、想像もしてなかったぜ。しかも相手がカズだなんてな」

「うっ」

 赤くなった和臣がモゴモゴと口を動かす。

「なんだよ。言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ」

 悟がニヤつくと、和臣は険しい目をして唇を尖らせた。

「なんでそんな、飄々としているんだよ」

「なんで怒られなきゃならねぇんだ。俺はおまえの被害者だぞ? いつから、そんなヤツになったんだ」

 鼻の頭にシワを寄せて顎を持ち上げた悟は、腕を組んで和臣を見下ろした。口を堅く結んだ和臣が背中をまるめる。

「だいたい、どういう了見で俺を抱いた」

「どういう了見って……それは」

「俺に惚れてんのか」

 率直に問うと、和臣の満面が朱色に染まった。

(あたりか)

 予測はしていたが、まさかそんなと疑ってもいた。

「いつからだ」

「え」

「いつから、俺に惚れてた」

「それは……わからない」

「わからないだぁ?」

「気がついたら、そうだったんだよ」

 拗ねる和臣に、悟は片手を額に当てて、つるりと自分の頭を撫でた。

 沈黙が訪れる。

 どうしようかと悟は考えた。

 和臣が沈黙をどうこうする気配はない。

「オヤジとオフクロが死んだときのこと、覚えてるか」

 ふっと和臣のまつ毛が揺れた。

「あれから何年だっけか。……あんとき俺は駆け出しの料理人で、連絡が着たのは仕事中だったんだよな」

 なつかしいなぁと言外に響かせて、悟はやわらかなまなざしを和臣に向けた。心がやわらかくあたたかなものに包まれる。

「すぐに帰らせてくれって言ったら、店長は渋い顔してさ。遺体の確認をしたら、すぐに戻って働けとか言われて……とんでもねぇよな」

 ハハッと立てた悟の笑い声は湿っていた。

「しばらく休みたいって言ったら、店に迷惑かける気かって怒鳴られてさぁ。カチンときて、辞めてやるって制服を叩きつけて……後で聞いたら、おまえがいろいろ後処理をしてくれたんだってな。中学生だったのに、俺よりしっかりしてたよなぁ」

 その時の礼を言っていなかったと、悟は思い出した。

「あんときは、ありがとな」

「別に……俺はなにも」

「なにも、じゃねぇだろ。俺がまた戻れるようにって、店に言いに行ってくれたんだろ」

「なんにもならなかったけどな」

 ブスッとした和臣に、悟は頬を笑み歪ませた。

「店長にタンカを切ったんだってな」

「あいつが胸クソ悪いヤツだったからだよ」

「違いねぇ」

 両親を失った悟は、病気で看護をしなければいけないのならともかく、死んだのなら葬式のほか休む理由はないだろうと言われた。和臣もおなじことを言われたらしく、プツンと切れて大声でケンカを売ってきたらしい。そのあげく「こんな店で働かせるものか」と叫んだと、当時の仕事仲間から聞いて笑った。

「けど、俺のせいで料理人の道をあきらめたんだろ」

「そんなふうに思ってたのか」

「違うのか」

「違ぇよ」

「じゃあなんで、料理人に戻らなかったんだ」

「うーん……なんでだろうなぁ」

 両親をいっぺんに亡くして無気力になっていた悟は、仕事を探す気が起きなかった。そんなとき、見かねた友人から紹介されたのが、いまの仕事だった。

 それだけだった。

 いまの職場は居心地がよく、そのままズルズル続けているだけで、料理人を辞めたという意識は微塵もない。

「カズ」

「なんだよ」

「おまえさ、俺と約束したから店をやりてぇのか」

「急になんだよ」

「いいから、答えろよ」

 ムズムズと唇を動かしてから、和臣はぶっきらぼうに「そうだよ」と答えた。

「なんだと思ってたんだ」

「おばさんがケーキだなんだと作るから、それでだと思ってた」

「それがなんで、さっきの質問になるんだよ」

「思い出したからだよ」

「なにを」

「おまえとのいろいろをだよ」

「なんだそれ」

 ニヤニヤする悟に、和臣がけげんに片目をすがめる。

「おまえのおかげで、俺はこうやって生きていられるんだなって、しみじみしてんだよ」

「えっ」

「俺が調理師免許を取ったのは、カズが店をやるって言ってたからだよ」

「は?」

「進路面談の前の日にさ、なりたいもんがなんもねぇなって困ってたらよ、おまえがケーキだかなんだかを作ってきてさ。おまえは進路どうすんだって聞いたら、店を開くために製菓学校に行くって答えたからさ。そんなら俺も調理師免許を取ろうかって、進路を決めたんだよな」

「なんだよ、それ。逆だろ? 俺はおまえが料理人になるっつって、いっしょに店をやるかって言ったから、だから」

「そこなんだよな」

 悟はガリガリと後頭部を掻いた。

「俺はおまえに影響されて、調理師免許を取ったと思っていたんだけどよ。おまえは俺と約束したから、いまの学校に進路を決めたって思ってんだろ」

「悟が言ったんじゃないか。飯しか作れないから、菓子は俺に作らせて店をやるって」

「おまえが菓子は作るっつったんだよ。いつだったか、俺が飯しか作れねぇっつったら、そんなら菓子は自分が作るから店をしようって」

 疑いのまなざしに、まあいいやと悟は言い合いを終わりにする。

「とにかく、はじめはどうだか互いにあやふやになっちまってるけど、影響しあってなんだかんだで店をやろうって夢に行きついてんだよな。俺も、おまえもさ」

「悟も?」

 意外だと、和臣の声が跳ねた。

「おう」

 ゆったりと背もたれに肘を乗せた悟は、とっておきの話だと表情で示した。

「遺産相続したってのに、俺がいっつも貧乏な理由を教えてやろうか」

 どういうことだと和臣の眉根が寄った。

「おまえが店を持つときの資金として、保険金とかぜんぶ取ってあるんだよ」

 どうだと胸を張った悟は、和臣が大よろこびするものと予想していた。けれど現実は、キョトンとまばたきをされただけだった。

「なんだよ。もっとなんかこう……あるだろ。ふさわしいリアクションがよ」

 拍子抜けした悟が文句を言っても、和臣は目をまるくしたままでいる。

「なんか反応しろよな」

「いや……だって、え?」

「え? じゃねぇよ。信じてないのか」

 ちょっと待ってろと、悟は立ち上がった。ギプスの足をひきずる悟に「信じるからいい」と和臣が立ち上がる。

「そうか? 通帳を見たら実感が湧くぞ」

「どこに置いてるのかは知らないけどさ。その足で取りに行くのはめんどうだろ」

 まあなと言いつつ、悟は渋った。

「なんだよ」

「本当に信じてんのか? 俺が貯金してるって」

 ジト目で悟が確認すると、和臣は半眼になる。

「まあ、ちょっと疑ってはいるけどな。――でも、なんつうの? その……いくら保険金があったのかは知らないけどさ。ヤケになって散財しているところは見てないし、でかい買い物もしてないし。だから、あるんだなって納得してる」

 そうかと悟はイスに尻を戻した。

「けど、それがあれば俺に金を借りなくてもよかっただろ」

 和臣も席に戻る。

「言っただろ。あの金は、おまえが店をやるための資金だって。そんで、すぐに軌道に乗るもんでもねぇし。その間の生活費とかもいるだろうから、定期預金? なんだ。給料が振り込まれたら、勝手にいくらか定期預金に回されて、解約するか満期になるかしねぇと使えなくなるやつも、してたんだよ」

「なんで」

「さっき説明したろうが」

「いや……そうじゃなくって。なんでそこまで」

 うーんと悟は首の後ろに手を当てた。

「なんでだろうなぁ……なんか、カズがうらやましかったのかもしれねぇな」

「うらやましい?」

「まっすぐに夢を追いかけてるのがさ、すげぇなって気持ちもあった。こうだって、はっきり説明はできないんだけどよ……なんつうか、おまえの夢に乗っかったっつうのかな。おまえは違うって言うかもしんねぇけど、おまえがいっしょに店をやろうって言ったとき、なんとなくそれもいいなって思ったんだよ。したいことなんてない俺からすりゃあ、ガキのたわいない希望でも、きっちり夢を持ってるってことがうらやましかったんだよな」

「それは……俺は料理ができる悟はすごいって思って。でもケーキとかは作れないっていうから……だから俺がデザートを作ったら、いっしょに店ができるなって。だから」

 うんうんと首を動かし、悟は手のひらを和臣に向けた。

「つまり、あれだ。俺とおまえの夢は、いつのまにかひっついちまっていたってわけだ。ガキの夢なんざコロコロ変わるもんだから、俺は本気にしていなかった。けど、おまえはガキの素直さっつうの? そういうもんで俺と約束をしたって思った。それをずうっと抱えているなんて、すげぇよなぁ」

「それは悟が調理師免許を取るって言ったから」

「俺はおまえがアレコレ作っては持ってきて、夢を――ああ、まあいいや」

「まあいいって、なんだよ」

「堂々巡りだからだよ。グダグダ言ったってしかたねぇだろ。つまりは昔の、約束にもならねぇ約束を、なんだかんだで守るためにアレコレやってきたってことだ。お互いにな」

「まあ……結論を言えばそうなるか」

「そのために、俺は金を置いておいた」

「それで?」

「それで……ええと、なにを言いたいんだったか」

「なんだそれ」

 鼻先で和臣があきれる。えーと、と考えた悟は、そうそうと膝を打った。

「カズは俺を抱きたかったのか」

「は?」

 いきなり飛んだ話題についていけない和臣をよそに、悟はテーブルに肘を乗せて前にのめった。

「どうなんだ」

「どうって……それは」

 目を泳がせる和臣に、悟はさらに身を乗り出す。

「俺でヌいたりしてたのか」

 赤くなった和臣の耳が答えだった。

「ふうん。そうか……そうだったのか。なるほどなぁ」

 なにが「なるほど」なのか自分でもわからないままに、なるほどなるほどとつぶやいた悟は考え込んだ。

「……気持ち悪いだろ」

 うめいた和臣が身を縮める。

「うーん」

 悟は考えた。そして思い出す。

「あのさ。おまえ、翔太とシたことあるのか?」

 和臣の額に険しさが漂う。

「ないのか」

「悟は、翔太とどういう関係なんだ」

「俺の質問に先に答えろ」

「…………どうもこうも、趣味の関係なだけだよ」

「前に、翔太はやめとけとか言ってたよな。ありゃ、どういう意味だ」

「悟は男に抱かれるなんて、想像もしたことないだろ」

「ねぇな」

「だからだよ」

「は?」

「翔太は自分より体格のいい、男らしい相手を抱くのが好きなんだ」

 いまいましそうに視線を床に落として吐き捨てる和臣に、悟は首をかしげた。

「おまえだって、そうだろうが」

「俺は悟だけなんだよ」

 ブスッと放たれた言葉に悟はあっけに取られ、和臣は「あ」と口をまるくした。

「俺だけ?」

 和臣がテーブルに突っ伏して頭を抱える。

「俺をヤッたときにキレてたのは、嫉妬してたからか」

「……」

「翔太に取られる前に、自分が取るみてぇなことを言っていたよな。てことは、俺のケツは未経験だってわかってたってわけだろ? それで、あの状況で俺の反応を考えりゃあ、翔太とはなんもねぇってわかるだろ」

「……」

「おい、カズ」

 テーブルの下で脚を蹴ると、うううと和臣がうなった。

「返事しろよ。つうか、女装してんのに抱きたい側なのか」

「そうだよ」

 観念した和臣が、満面を真っ赤にしたまま顔を上げた。

「俺は悟をずっと抱きたかったんだ。そんな相手に世話を頼むなんて、自分から据え膳になるってことだってわかってんのか?」

「そうか。そうなるのか」

「そうなるんだよ」

 恨めしげな和臣の視線を、悟は一笑に付した。

「笑いごとじゃないだろ」

「いやぁ……そうだよなぁ。二十代とかヤりたい盛りだしなぁ。目の前に食いたい相手がいたら、つらいよなぁ。風呂の世話なんて、それこそ拷問だよな」

 ニヤニヤと口をゆがめた悟は、優位者のまなざしで顎を持ち上げた。

「わかってんなら、別のやつに頼めよ」

「翔太とか?」

 キッとにらみつけられ、おっとと悟は両手を上げた。

「怖ぇ怖ぇ」

「冗談にもほどがある」

「悪かったよ。てか、俺が遠慮せずに頼めるのは、カズしかいねぇんだ。それはわかってんだろ?」

 口をつぐんで顔を背けた和臣を、ちょっとこっちに来いと悟は手招いた。ためらう和臣に、いいからはやくとキツめにうながす。

「なんだよ」

「いいから。ここに立て」

 テーブルをまわった和臣が、落ち着かない気振りで悟のイスの横に立った。

「来たぞ」

 ふてくされる和臣の腹を、悟は軽く叩いた。

「おまえちょっと、俺にキスしてみろ」

「はぁ?」

「いいから」

「なんで」

「したくねぇのかよ」

「したいよ」

「なら、いいだろ」

 ほらと悟が顔を上げると、和臣は左右に視線を揺らしながら悟の肩に手を置いて身をかがめた。

「ほんとに、いいんだな」

「おう」

 ぎこちなく顔を近づけた和臣の、緊張で硬くなった唇が悟の口をかすめる。

「したぞ」

「そんなもんでいいのか」

「え」

「なんかこう……もっと、あんだろ」

「もっとって、なんだよ」

「泣きながら俺をヤッたくせに、ガキの遊びみてぇなキスで満足なのかって聞いてんだよ」

 つまんねぇヤツだなと悟が鼻を鳴らすと、肩に触れていた和臣の指が硬くなった。緊張に上下した和臣の喉仏を見ながら、悟はニヤリと余裕を見せる。

「妄想してたことを実現していいっつってんだ。さっさとやれよ、意気地なし」

「どうなっても知らないからな」

(どうなるかを知りてぇんだよ)

 ニヤニヤしている悟の心境は複雑だった。男に抱かれるなんて、想像するだけでも怖気が走る。しかし和臣には嫌悪も怒りも感じていない。どういうことかを見極めたくて、悟は彼を挑発していた。

(ヤッちまったもんは消せないからな。きっぱりすっぱり覚悟を決めて、どんなもんかと見極めて。そんで……そっから先は、そんとき考える)

 まっすぐな和臣のことだから、ひとりで悩んで気持ちにケリをつけていたに違いない。それが翔太のせいで崩れた。

(女装姿を見せることが、なにかのきっかけになるかもしれねぇって思ってたのかもしんないが)

 自分の趣味を理解してもらいたかったからか、あわよくばという気持ちがあったからか。それともたんに、店をやると約束をした相手に知らせずカフェをするのは気が引けたのか。

(どれでもいいや)
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