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3.こっちを向いて、王子様

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 決意をしたはいいけれど、具体的になにをどうすればいいのか。

 介護施設からすこし離れた公園――ただフェンスが張り巡らされているだけの広場で、遊具はないがベンチはある――で、頼子はぼんやりとゲートボールをしている利用者たちをながめていた。

「元気ないわねぇ」

 ゲートボールには参加せず、公園の周囲を散歩してきた利用者のひとり、小柄で見事な白髪の昌代が、よいこらしょっと頼子の隣に落ち着いた。

「ため息ばっかりついて。どうしたの」

「えっ」

「今日はずっと、むずかしい顔をしているわよ」

 フフッと少女みたいに肩をすくめた昌代に、頼子は情けなくなった。

「すみません」

「あやまることなんてないわ。若いころは、いっぱい悩むものだから。悩まないほうが、おかしいわよ。こんなおばあちゃんでも、悩みは尽きないものだもの」

 どう返事をしていいかわからず、とりあえず「はぁ」と答えた頼子の手に、しっとりとなめらかな昌代の手が重なった。

「なにを悩んでいるのか、教えてちょうだい。年寄りだから、人生のアドバイスはお手の物よ」

 茶目っ気たっぷりに片目をつぶられ、頼子は唇をなごませた。

「悩んでいるというか……あの、昌代さん」

「なぁに?」

「昌代さんは、草食男子とか、恋愛に興味のない男の人がどうのって話を、聞いたことがありますか?」

「あるわよぉ。うちの孫も、そうみたいね。彼女を作るよりも、趣味に没頭していたいみたい。ウチの畑を継ぐ気もないみたいだし、お墓はどうなるのかしらねぇ」

 頬に手を当てて眉を下げた昌代が、「それで」と憂いから切り替える。

「それが、頼子ちゃんのため息の原因? 好きな人が、そういう人ってことかしら」

 直截に問われた頼子は、ごまかす余裕もなく首肯してしまった。ええいままよと、遠まわしに相談してみる。

「なんと言いますか……オタクなんじゃないかなぁって、思っているんです。かわいい女の子の絵ばっかり描いていて、彼女もいないらしくって、そういうものに興味がありそうなそぶりはなくって」

 ふんふんと、昌代は垂れたまぶたの奥で瞳をかがやかせる。

「昔は彼女がいたらしいんですけど、もう何年もいないみたいで」

「単に、出会いがないだけなんじゃないかしら? ほら、いまは昔みたいに、世の中がのんびりしていないじゃない。若い人たちは仕事がいそがしくって、なかなか出会いの場がないんでしょう」

 テレビでそんなことを言っていたわと、昌代は自分の言葉を確信しているのか、ひとりでうなずいている。

「そう……かもしれません」

(こういう場所なら、よけいよね)

 頼子のほかに、結婚適齢期と呼ばれる年齢層の女性はあまり見かけない。けれど、まったくいないわけじゃない。弘毅が手伝いに行く先で出会う可能性はゼロではないし、年寄はなぜだか「結婚はしないのか」と、独身者の世話を焼きたがる。どこからどう探してきたのか、年齢的に合いそうな相手を見つくろって、こんな相手がいると紹介してくる。

(私も、まだここに来て間もないのに、いくつかそんな話をもらったもんなぁ)

 利用者の方々は人がいいのか、世話をするのが好きなのか、それともその両方なのか。頼子が独り身で相手もいないと知ると、隣町にこんな男がいるだの、どこそこの息子はどうだなどと打診してきた。本気なのか冗談なのかわからずに、それらすべてを頼子はあいまいに受け流しているのだが。

「出会いがなかったら、紹介されたりしますよね」

「するわね。都会の人はどうかわからないけれど、田舎の人間はせっせと世話を焼きたがるものだから。なんていうか、ヒマなのよね。それと、私たちの若いころとおなじように、したいっていうか」

「昌代さんの若いころ、ですか」

「そう。私たちの若いころは、紹介されてのお見合いが普通だったのよ。だれかが釣り合う相手を見つけて、紹介をして、それで結婚をするの。恋愛結婚もなかったわけではないけれど、すくなかったわねぇ」

「そうなんですか」

「そう。――ああ、話がそれちゃったわね」

「いえ」

「それで……頼子ちゃんが気にしているのは、この集落の人なのかしら?」

「えっ」

 頼子が目をまるくすると、昌代はウフフと愛らしく小首をかしげた。小柄な昌代は、若いころは美人というよりかわいい系だったろうなと思わせる、人好きのする無垢な気配を内包している。きっとこんなふうにされたら、男の人は彼女に夢中になっただろうなと頼子は思った。

「この集落の人だったら、だれかから世話をされていそうだけれど、そんな気振りもないってことなのね」

 うーんと考えはじめた昌代に、頼子はあわてた。

「そんなに真剣に考えていただかなくても、大丈夫です。私の問題ですし、そうと決まっているわけではないというか、話があっても好みじゃなかったとか、そういうことかもしれないですし」

「頼子ちゃんは、その人のことが好き?」

「えっ」

「どうなの」

 ずいっと目の奥をのぞき込まれて、頼子の頬がふわあっと赤くなった。真剣な昌代の目が、ごまかしはゆるさないと告げている。

「す、好きです」

「どのくらい?」

「ええっ」

「どのくらい、好きなの?」

「それは……その、お、王子様なんです」

「王子様?」

「私にとって、ずっと王子様だった人で、いまでも王子様で……ドキドキして、すごく好きで、ずっと思い続けている人なんです」

 言葉にすると、自分の想いが胸に迫った。

(どうしよう……私、弘毅さんがすごく、ものすごく好きだ)

 わかっていたはずの感情が、はずみをつけてふくらんで、パチンとはじけて体の隅々にまで広がっていく。唇を震わせた頼子は、そっと昌代に抱きしめられた。自分よりもちいさな昌代が、とても大きく感じられて泣きたくなる。目の奥がじんわりと熱くなって、深呼吸してそれを堪えた。

(私、どうしちゃったんだろう)

 なぜ泣きそうになっているのか、自分でもわからなかった。

「とても好きな人なのねぇ」

 ポンポンと幼子にするように背中をあやされ、頼子は「はい」とかすれ声で肯定した。

「たぶん、初恋で……それで、いまでもずっと、とっても大好きです」

「そんな人がいるなんて、うらやましいわぁ」

「でも、だから、すごく気になって」

「現実の女の子に興味があるのか、ないのかってことが?」

「そうです」

「確認すればいいのよ」

「確認、ですか?」

「そう」

「どうやって」

「それはね」

 ささやかれた言葉に、頼子はビックリして昌代から体を離した。

「最近は女性のほうが積極的なんでしょう?」

「いえ、でも……そんな、そうかもしれないですけど、私はそうじゃ……ない、です」

「相手が草食なら、こっちが肉食になるしかないじゃない」

 ケロッとしている昌代の無邪気な雰囲気に、濃艶な気配が混ざった。年老いてもなお女性を意識させる昌代に、頼子はクラクラする。

「昌代さん、私」

「数はすくなかったけれど、昔から肉食女子は存在したのよ」

「えっ」

 無言で「それは私」と示されて、頼子は目をパチクリさせた。

「どうしても結婚したい人がいてね。だけど、その人は私なんて眼中になかったの。大人っぽい、美人が大好きだったのね」

 ゲートボールをしている利用者たちに顔を向けた昌代は、遠い目をしてほほえんだ。

「私には別の人との縁談が持ち上がっていてね。相手もそう。私とは違う人と、結婚したがっていたわ」

 息を呑んで、頼子は話の続きを待った。

「だからね、向こうが私を子ども扱いしていることをいいことに、部屋に上がりこんで、迫っちゃったのよ」

 いたずらっぽく歯を見せた昌代に、頼子は前のめりになった。

「迫るって、どうやったんですか」

 興奮の声を抑えた頼子の胸は、緊張と興奮で高鳴っている。荒くなりそうな鼻息をなんとか抑えて問うと、昌代は年季の入った流し目をくれた。

「決まっているじゃない。下半身を、攻めたのよ」

「か、下半身を」

 カァッと頼子の満面が熱くなる。コロコロと笑った昌代に、がんばりなさいと肩を叩かれた。

「が、がんばれって」

「既成事実を作って、逃げられなくさせちゃえばいいのよ」

「そんな、簡単に」

「あら、簡単よ? 頼子ちゃんが、ちょっと勇気を出して行動すればいいだけなんだから」

「ちょっとじゃないです」

「それだけ、気持ちは弱いってこと?」

 グッと頼子の喉が詰まる。深呼吸をして、そっと否定した。

「違います。もうずっと、会えなかった間は思い出すこともあんまりなかったんですけど、それでも再会したら、ずっと好きでいたんだなって思い知らされたくらい、大好きです」

 だったら、と昌代に手を握られる。

「その気持ちを勇気に変えてしまえばいいだけよ」

「できる……でしょうか」

「できるわよ。好きを暴走させちゃえばいいだけなんだから」

「好きを、暴走」

「抱えている気持ちを、一気に噴き出しちゃうの。そうすると、ふだんの自分ではできないことが、あっさりとできてしまうものよ」

「そんなもの、ですか」

「そんなものよ。私はそれで、あの人を手に入れたんだから」

 はにかんで視線を落とした昌代から、しあわせオーラがあふれ出る。うらやましいなと、頼子は昌代の手を握り返した。

「私も、できるでしょうか」

「できるわよ。やって、やれないことはないって言うもの。だけどその人、本人や家系に問題があるとか、そういうことはない?」

「あ、はい。それは、大丈夫です」

(おかあさんの親友の子どもだし、おばさんは私をかわいがってくれているし)

 なにより、思わせぶりに昨夜「現実の女のよさを教えてほしい」と言われたのだから。

(あれは、ひとりごとっぽく私に言ってみたのかも)

 都合のいい解釈だと、警告をする声がある。そして同時に、それを肯定したがる気持ちもあった。

「それなら安心ね。思いっきり、迫っちゃいなさい!」

 力強く後押しされて、反射的にうなずいた頼子は昌代から名言をもらった。

「恋はけっきょく、下心なんだから。しっかりと手に入れていらっしゃい」
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