凪の潮騒

水戸けい

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 耳に触れた声に、ゾクリと腰が震えた。腰を抱いていた宗也の腕が離れ、足の力が抜けた私はストンとへたり込む。横を宗也が通りすぎ、足音が遠ざかっていく。けれど私は少しも動けないまま、放心したままで昇る朝の光を浴びていた。

 魂を抜かれるとは、こういうことをいうのだろうか――。

 肌が朝日にあたたまりはじめて、ようやく私は正気を取り戻し立ち上がった。自分に、何が起こったのかがわからない。取り落とした網を拾えば、蛸がうねうねと足を動かしている。ずいぶんと長い時間、座り込んでいたような気もしたけれど、蛸のイキがいいままなので、それほどの時間では無かったらしい。

「宗也、か」

 つぶやき、村に向かって歩き出す。男たちが沖に向かって舟を出すのが見えて、足を早めた。まだ暗闇ともいえる時間に私が海に入るのは、誰よりも早く行けば良いものを手に入れられるからだ。その上、他のものが出そろう前に売り渡せば、調理の時間を長くとれるので食卓に少し手の込んだものを出せると、武家や公家が少し高値だったとしても買い取ってくれる。

 女一人で生きていくには、それくらいしなければならないことを、私は父様を海で失ってから、身を持って知った。

「よぉ、伊佐! 待っていたぜ」

 家の前まで来ると、幸正が手を上げて声をかけてきた。艶やかな光沢のある褐色の肌に、盛り上がった筋肉。それが、見た目通りに逞しく、見た目よりもずっと柔らかいことを知っている。

 ふと、宗也のことが頭をよぎった。幸正の半分ほどしかないように見えた体躯で、私を引き寄せ抱きしめた力強さと、唇の柔らかさに足が止まる。

「どうした、伊佐」

「なんでもないよ」

 大きな体を折って顔を覗いてくる幸正に、虫を払うように手を振って家に入る。土間で足をすすいで、手ぬぐいで拭いている横に、幸正が座った。

「今日の収穫だよ」

 渡せば、受け取り確認をした幸正が、懐から銭を取り出し板間に置いた。

「誰よりも早く手に入るのは助かるが、そろそろ危ないことは、やめたほうがいいんじゃねぇか」

 時折、思い出したように言ってくる言葉は、耳にタコが出来るほど聞いている。そのたびに、私が返す言葉は変わらない。

「他に、どうやって生きていけって言うのさ」
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