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第1章/

第27回:日曜日、守と初江

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 僕の姿を認めた中村初江先輩は、今日の良く晴れた青い空の様な笑顔で手を振りながら、駆け寄って来た。
「おはよう、守君。今日はよろしくね」
 その姿は、部長然としたいつものしっかり者のイメージとは違い、どこか可憐な印象を持たせる。
「おはようございます、先輩。今日はどうします?」

『日曜日は10時半頃に水の宇宙船の上で待ち合わせで良いかな?』
 金曜日に先輩から送られて来たメッセージにはそれだけが書かれていて、僕もそれに『それで良いですよ』と返して終わったので、これから何をするのかは分からない。
 一応、周りのお店とかは調べて来たけど。

「今日は、君と栄をブラブラしたいと思ってさ」
 僕の問いに先輩は、空を見上げて笑って答えた。
「ブラブラ、ですか」
「うん、ブラブラ。さしずめ、銀ブラならぬ栄ブラってところかな?」
「良いですね、栄ブラ。天気も良いですし」
 ……語呂は悪いけど。
 それなら、お店の情報は一旦忘れてしまうとしようか。
 僕も先輩に倣って、突き抜けるような青空を見上げて笑った。

 エレベーターで上がって来て地上14mに在るこの回廊からでは、周りのビルは頭位しか見えず、テレビ塔が特にその存在感を表している。

   ▽▽▽

 待ち合わせをしたこの“水の宇宙船”は、中区栄に在る施設、“オアシス21”の1区画。
 インスタ映えするとかで人気になり、数年前には『海外からの旅行者が選ぶ日本のインスタ映えする観光地』だとか云うランキングで2位になったりと、『何もない』と言われる名古屋の中でも、際立った存在だ。
 因みにこの名古屋に何も無いと云うのは、抑々名古屋圏(注:名古屋県では無い)に住む人々が、有って当たり前のその魅力に気づいておらず、発信出来ていないからだと僕は思っている。
 これは、例の後ろ向きの時期に捻くれた視線でニュースを見ていた僕の持論だ。
 実際に子供の頃に周りの大人の人に訊いた時も、10人中10人、考えた末に「何も無い」と返して来た。
 それにしても、飼育種類日本一の昨日行った東山動植物園や、延べ床面積日本一の名古屋港水族館を擁している時点で、何も無い筈が無いんだけど。
 少なくとも動物園と水族館に関しては、名古屋人の“普通”のレベルは高いのだと思われる。

 この水の宇宙船がインスタ映えするのは主に夜景であり、昼間は爽やかな雰囲気を醸し出している。
 これがまた先輩の雰囲気と合っていて、その笑顔の魅力を一層引き立てている。
 ただ、施設全体の老朽化も進んでいるらしく、2027年にリニューアルする予定だともニュースでやっていた。どうなるんだろうか。

   △△△

「うん、良い天気で良かったよ。ま、栄なら天気が愚図ついても大丈夫かと思って、ここに決めたんだけどね。そろそろ梅雨に入ってもおかしくないし、天気予報も微妙だったし」
 水の宇宙船の空中回廊を並んでのんびりと歩きながら、先輩はそう言って楽しそうに笑った。
 普段部活中のジャージや稽古着で見慣れている先輩の余所行きの私服姿に、変にドキドキして仕舞う。
 服の事には詳しく無いから何て言う名前かは分からないけど、空色を基調とした、上着とスカートのツーピース。ストラップの長い、小さな黄土色のポシェットをたすき掛けにしている。
 少し高いヒールを履いている様で、いつもは僕を少し見上げる先輩の目が、丁度僕のと同じ高さに来ている。
 この辺りには日本有数の地下街が有って、栄なら大体地下を通ってどこにでも行けるし、慣れていない僕は、地図を見ても迷う自信が有る。
「そうですね。雨が降ったら、地下街を冷やかせば良いですしね」
「うん。でも、どうせなら外でのデートがしたかったし、晴れて良かったよ」
「そ、そうですね……」
 その口から改めて『デート』と言われ、顔が熱くなって吃ってしまった。
 先輩はそんな僕を見て、クスリと口元を緩ませる。
「で、でも先輩、どうして僕と?」
「君の事をもっと知りたかったからだよ?」
「ぼ、僕の事を?」
「うん、君を。……それに、私達に残されている時間は多くは無いからね」
 先輩はそう言って、寂しさを顔に滲ませた。
 ……そうか。
 先輩は3年生だから、その内に引退して受験勉強に集中しなければいけないし、まだ6月に入ったばかりとは言え、1年も経たない内に卒業してしまう。
「本当は、君と云う人間を知る為にもっと早く誘いたかったんだけど、勇気が出なくてさ」
「……そ、そうだったんですか……。でも、どうして急に?」
「だから、“急”では無いんだってば。……うん、1番の切っ掛けはね……。ほら、この前見せたメッセージを魅森から貰った時に、『魅森だけズルい!』って思っちゃったからかな?」
 ……先輩、普段とのギャップが有り過ぎるそこの回想を、全力演技でして来るのはズルいです。
 昨日ミモも同じ言い方をしていたのは、やっぱり幼馴染って事なんだろうな。
「そうそう。昨日の、魅森とのデートはどうだったのかな?」

 笑いながら訊いて来た先輩に、前日のミモとの東山動植物園での事を話して聞かせた。
 因みにミモも、翌日の今日僕と先輩がデートする事を先輩の口から聞いて知っていたらしく、「1度知りたがりモードに入ったはっちゃんは五月蠅いからね。今日の事を訊かれたら、話しちゃって良いよ」と言ってくれている。
 ……はっちゃん。……“初江”っていう名前からだろうけど、これ程イメージと違う徒名あだなは存在するのだろうか。

 粗方話した後に、家に帰ってからことりと麻実がついて来ていた事を知ったと云うオチまで話すと、先輩は楽しそうにお腹を抱えて笑った。
 学校ではほぼ毎日部活で顔を合わせているけど、今日の先輩は、いつもよりも何だかキラキラしていて、ドキドキしてしまう……。
 その時爽やかな一陣の風が吹き抜け、先輩の髪をサラサラと靡かせた。
「ちょっと風が吹いて来たかな。そろそろ下に降りようか?」
「はい」
 僕が頷いたのを見ると、先輩は踵を返して、後ろ手に鼻歌を歌いながらエレベーターに向かって歩き出した。
 少しして、慌てて、その後を追い掛ける。
 ……何故だろう。今日は特に、中村初江先輩の一挙手一投足に、魅了されてしまう。
「守君、今日の私はどうかな?」
 先輩は軽やかに振り返りながらそう言って、笑った。


「ところで、今日は誰かしらついて来たりはしていないよね?」
「……はは、まさか」
 先輩の話に、返した笑いは、酷く乾いた物になった。
 若しそうなら、僕の今までのデートは、全部誰かの監視付きと云う事になる。
 ……嫌だな、そんな青春。
 上ではそんな影は見かけなかったけど、通路の見晴らしは良くて隠れる場所も無いし、居るとすればエレベーターを降りた所か。
「……ねえ、守君。喉は乾いている?」
「いえ、特には」
「そう。じゃあこのまま緑の大地に行って、もうちょっと散歩しない?」
 先輩が言った“緑の大地”とは、芝生広場や桜や紅葉等が植えてある、地上階の憩いの空間の事。
 ……うん、今日みたいな天気の良い日は、気持ちが良いだろうな。
「良いですよ、先輩。そうしましょう!」
 先輩に笑顔を向けると、何故か先輩は微妙な表情をしている。
「……えっと、先輩? どうしました?」
 不思議に思って訊くと、先輩は詰まらなそうに顔を寄せて来た。
「ねえ、守君。今日は、デートなんだよね?」
 近い。
「せ、先輩、急にどうしたんですか」
 顔が一気に熱くなり、思わず顔を逸らして訊ねる。
「守君? それだよ、それ」
「え? どれですか?」
 ……、とは何の事ですか?
「私達は今、学校を離れて、2人切りの世界に居るんだよ」
「えっ?」
 さっきから先輩が何を言いたいのかがピンと来ず、訊き返しているだけになってしまう。
 それなのに、『2人切りの世界』だとかのワードには反応してドギマギしまう自分が口惜しい。
「だからさ。私達は、学校とは関係の無い街の中で、お互いに個人と個人としてデートしているんだよ? それとも君は、これを部活の先輩の職権乱用とでも思っているのかな?」
「……あっ」
「フフ、私の言いたい事は分かったかな? さて。そんな時には、何て呼べば良いと思う?」
 先輩は楽しそうな笑みを浮かべ、僕の胸を肘でグリグリとして来た。
「じゃ、じゃあ、…………中村さん…………」
「えーっ?」
 意を決して呼んでみたけど、先輩は詰まらなそうに口を尖らせた。
 解かりはしても、照れ臭くて日和っちゃったんですってば。
「守君は、家の名前を気にする人だったのかな? おおロミオ! 貴方はどうしてロミオなの?!」
 ふと体を逸らした先輩は、ジュリエットのセリフを本息ほんいきそらんじて、その後に僕をチラリと見て来た。
 モンタギュー家と、キャピュレット家。
 美浜家と、中村家。
 ……分かりましたよ。
「じゃあ行こう、初江」
「うん、守!」
 差し出した僕の手を、先輩せんぱ……初江は愛おしそうな目で見詰めてから、そっと掴んだ。

 今日は“初江の彼氏”と云う役を演じる。……と云う事にすれば、照れで話が進まなくなる事も無いだろう。

 …………うん、夜に思い出してベッドの上で悶絶する事なんて考えない。
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