鷹村商事の恋模様

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それから

安定のこと

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「お疲れ様です」
残っている人がほとんどの課。
私の退勤の声に、まばらに返事がある。
ここに属しているのに、課員ではない私。

総務課内の経理部に所属している私、秋本あきもと 紗枝さえ
営業以外の経理関係を一手に担っている。
しかし、この部は1人しか存在していない。
4年前に1人になってしまった。

それでも定時で上がれるのは、ここ5年変化はない。
そこで響く私のスマホ。
今年から加わった、新しいアフタールーティーン。

『お疲れさま、紗枝さん』
『今日も、一緒に帰れる?』

同じ課にいるのに、しれっとした顔をしている新社会人。
スマホを操作しながら、課の人間と話す横顔をちらりと見る。
総務課の人達は、他の課に比べても上がりは早い。
日中の業務が多いから。
だけど、ささやかに事務処理や、明日への引継ぎなどで10分程度は過ぎてしまう。
それを知っているけれど、17:00ぴったりに上がる私。

『大丈夫です』
いつも通りの返信を送り、私は退室する。
「失礼します」
変わらない動きをしながらも、少しドキドキしているのは私がまだ女性だという証明になるのだろう。

会社の外に出て、慣れた道を歩く。
最寄り駅まで、歩いて10分もかからない。
地元では、そこそこ大きな株式会社。
評価も高い方で、勤務自体もブラックとは程遠い。
5年務めた実感でそう思う。

会社の回りが栄え始めたのは、多分ここ10年くらい。
私が高校生の時に、駅が開通した。
そのことで、会社の回りに付随するテナントや飲食店などが増えた。
ぼんやりと思い出しているのは、5年以上前とリンクすることが増えたから。

「お疲れ、紗枝さん」
後ろから声をかけられ、思わず足を止める。
数分しか差がないけれど、足が長いのか歩くのが早いのかすぐに追いつかれる。
それでも、会社の外に出たことで少しだけ緊張は解けた。

「お疲れ様、岡田君」
私の言葉に、少しだけ唇を尖らせる分かりやすい子。
見慣れた表情は、あの頃と比べるとしっかりと成長している。

「良いでしょ?仕事外では名前で呼んでいるんだから」
呆れたように言う私に、慣れたように「手は?」というマイペースな子。
「電車から降りた後ならね?」
変わらない私に「ちぇー」と言うのも変わらない。

岡田おかだ しゅう君。
私と地元が同じ。
でも、年齢差が5つあるから接点はないはずだった。
こうやって、社会人になっても繋がるのは少し予想外だった。
あれこれと考えていると、不意に繋がれる手。

「岡田君?」
最寄り駅に着いてからって言ったはずなのに。
「良いでしょ?紗枝さん、ボーっとしてるから」
悪びれた様子もない表情に、溜め息をつくけれど振り払うことはしない。
この距離感に慣れている自分にもまた、溜め息をついてしまった。

彼は、お付き合いしている年下の男の子だ。
色々と思うことはあるけれど、付き合いが長いからだろう。
些細なことは、ほとんど気にならなくなった。

並んで駅に着き、改札を通る。
「今度こそ、降りた後ね?」
「うん、分かった」
改札を通る時は、流石に手を外してくれる。
通りにくいから、当たり前か。

言い聞かせた私にも、素直に返事をする彼。
「早く着かないかな?」
「何かあったっけ?」
ワクワクした言い方に、何か予定があったのかと首を傾げる。

「岡田君は違う」
また少しだけ頬を膨らませる顔に、苦笑してしまった。
そこまで慕われる何かをした記憶はない。

彼との出会いは、もう何年になるのか?
親戚母方の伯母から、「少しだけ、勉強とか見る時間ある…?」と言われたことが始まりだったはず。
近所に、高校受験する子がいると言われたことがきっかけだった。

その時の私は20歳、大学生だった。
もう高校受験なんて忘れかけているので、本格的には見れないと言ったけれど…。
伯母とご近所さんで、あれよあれよと決まってしまった家庭教師。
報酬と言う名目のお小遣いに惹かれて、結局引き受けたんだっけ。

高校は女子高、大学も福祉系を専攻する子が多いことで女子の比率が多かった。
私は経理系を専攻したけれど。
それでも女子が圧倒的に多かった。
そんな私に、急に男子中学生。
行って驚いたのは、お互い様だった。

いくら子どもと思っても、ドキドキしたのは隠しきれなかった。
女の子がいると思っていた私と、男性家庭教師が来ると思っていた岡田君。
あ、もう岡田君じゃないか、愁君で良いんだ。
お互いに、思い込みからの驚きで、思わず固まった瞬間だった。
その出会いから、はや7年?

隣にいる愁君は変わらない。
電車に乗ると、自分でも気が抜ける感じがする。
私の中で、会社近くでは頑なに名字呼びを課している。
窓の景色を見ていると、少しだけ近い距離で腕が振れる。
もう、腕が振れただけでは、ドキドキはしない。

安定した距離感。
「どうしたの?」
「改めて、毎日紗枝さんと同じ会社で嬉しいって思って」
何だろう、この可愛い子は。
頬を染める愁君に、私も素直に頷いた。

嬉しい。
トクトクと感じる鼓動は、そう私に伝えている。
「要がさ?」
愁君が告げる名前は、愁君と同じく総務課に配属された、愁君と同い年の女性社員だ。
意識してなのか無意識なのか、愁君が要さんの名前を出す時は何かしら提案がある時だ。

「友成さんと、会社でも一緒にいるの良いなぁって…」
…。
「うん、それで?」
「会社でも、もう少し一緒にいられない?」
愁君の言葉は、入社してから形を変えて何回か言われていた。

でも、分かるんだなぁ。
それは、公私混同になりそうなリスクがある。
「理由があるならね?」
だから私はそう繰り返す。
案の定、何も言わない愁君。

「理由は…思いつかないけど」
「じゃあ、思いついたらにしようか?」
「友成さんとかに聞いても良いの?」
「お任せするよ」
言う私に、愁君はまた「ちぇー」と小さく言った。

会社の最寄り駅から2駅。
こうやってぽつりぽつりと話していると、すぐに到着する距離。
ドアが開いて降りようとすると、急に繋がれる手。
驚いたけれど、やっぱり振り払うことはなかった。

「ねえねえ、紗枝さん?」
「なあに愁君?」
応える私に、愁君は満足そうに頷く。
「どうしたの?」

「これで、いつも通り」
「そうなの?」
意識の中では、変わっていないつもりなんだけどなぁ。
気持ちの問題ではなく、呼び方の問題なんだ。

愁君との考え方は、やっぱり違うことが多い。
だけど、それが面白い。
無理に理解してもらうことではない。
お互いに丁度良い距離感を保てている、と自分では思っている。

「夜ご飯は?どうする?」
愁君の問いかけに、何も予定はなかったことを思い出す。
「食べて行く?」
だから、聞き返す。
「紗枝さんの家で?」

愁君の言葉に、少し悩む。
「…何時に帰るの?」
気になるのはそこだけだ。
私は最寄駅からすぐの所に、アパートを借りて1人暮らしをしている。

駅から遠いことで、通うことが難しいと思ったから。
少しずつ貯金をして、ようやく3年前にアパートを決めた。
喜んだのは、愁君の方だった。
アパートに来れば、一緒に過ごせるから、という理由だ。

そんな愁君は、未だに実家暮らしだ。
愁君の家は、私の実家よりも駅から近い。
通い慣れた私のアパート。
でも、愁君が長居をするのなら、話は違ってくる。
愁君は、当たり前のように私のアパートに来ようとする。

「愁君は、何時にお家に帰るの?」
もう1度確認する。
そんな私を見下ろしながら、上目遣いをするあざとい彼。
「泊まっちゃダメ?」
「…週末なら良いよっていつも言ってるよね?」
「ちぇー」

そうね、騙されません。
泊まるのは、禁止していない。
だけど、愁君がアパートに居続けるのは流石に私が気まずい。
愁君の親御さんに、後ろめたい気持ちがあるから。

私の方が年上なのに、何でしっかりしていないんだろうって。
そう思われちゃう。
気にしすぎかもしれないけれど…。

「父さんは、まあうるさいけど。母さんは、まあ通常通りかな?」
「それでもね?」
「はいはい、じゃあ明日の仕事に差し支えがない時間に帰るから、良いよね?」
「…愁君が、明日の朝辛くないなら、ね?」

自分でも甘いと思う。
呆れてしまう程の甘さだ。
分かっている。
分かっているけれど、愁君のおねだりに弱い私。

愁君が好きなので、一緒にいたいと思う気持ちは本当だ。
愁君がいることが日常になって、ぎこちない関係から過ごしやすい環境に慣れるまで。
そのくらいの年数を過ごして来た自覚がある。
だけど、このままで良いのかという不安もある。


「どう思う?友成君」
「俺に聞くの?相手間違えてね?」
「だって、お互い年下の恋人を持つ者同志でしょ?」
「俺はまだ違う」
まだ、その意地張っているの?長いなぁ。
ラウンジで一緒になった姿に、思わず呼び止めていた。

「また、無駄な意地を…」
呆れたように言う私。
「無駄とか言うな。つーか秋本こそ、最低とか思ってるんだろ?」
急に変わった話題に、思わず肯定する。

「うん、だって光ちゃんを泣かせたんでしょ?最低」
「最低で結構」
可愛い後輩をいじめた疑惑。
明るくて、誰にでも人懐こい2年目の社員を泣かせたとか。
総務課でも、何人かが言っていた。
一気に友成君の株が急降下した。

でも、それは当日のみ。
だって、すぐに同情に取って変わったから。
天下の本部長、倉橋さんに睨まれたとなったら…ね?
その後、友成君の態度も変わらなかったことと、話題の光ちゃんが気にしていないなら、と鎮火したようだ。

「それに、男性陣には痛いしっぺ返しがあったんでしょ?最低だと思うのも本心だけど、素直に同情するわ」
「俺はまだ良い方かな?真理には何も響いてなかったし」
要さんのことを思い出したのか、少しだけ優しい顔をした。
「え?そうなの?要さんて、大物ね?」

「姉御は、しばらくプチ家出したらしいぞ?」
「え?何で?」
「高橋のこと売るみたいにした、東田課長に腹立てて?」
さらっと言ったけれど、結構修羅場じゃないそれ?
私に言って良い情報?

「…口が軽いわ」
「お前から、どこにも漏れないから良いだろ?」
友成君のどこか面白がる様子に呆れる。
経理部が1人しかいないことを馬鹿にしているのよね?
暗に友達がいないと言われたようだわ。
失礼ね、日常会話する社員くらいいるわよ。

「流石、本部長に呼び出されて怒られた2トップね?悪びれる様子がないもの」
「…反省は十分したよ?でも、真理が俺のことを見限らないなら、もう面白かしく生きるのはやめようかなって」
「良い教訓になったわけね?」
「まぁな」
「あなたも本当に要さんだけが中心ね?そっくり…」
お互いを想うベクトルも熱量も。

でも、そんな私に友成君が緩く否定する。
「鈍いんだろ?俺に関して、情報が麻痺してるとしか思えない」
友成君の言葉に、少しだけ恨む気持ちが生まれる。
「そこまで想われておいて、何が不満なの?」

私の言葉に、友成君が意外そうな顔をした。
「…秋本って、そういうこと言うんだ?」
「そういうことって?」
「人の人間関係に、というかほら、この微妙な状態に?」

「そりゃ、新人で高額ローン組むような人の気持ちは理解できないわね」
大人げなく、さっきの仕返しのように言ってしまった。
案の定、友成君は嫌そうな顔をした。
「…余計なこと言うなよ?」
「言うわけないでしょ?個人のローン情報なんて」
「そうじゃなくて、真理に口を滑らすなよ?」

「どうだろう。友成君が真剣に考えてくれないのなら、思わず口が軽くなるかも」
私も友成君のように投げやりになる。
「…俺に、何て言って欲しいんだよ?」
「お膳立てされた言葉が欲しいわけじゃないの。男性として、一緒に暮らすってゴールになっていない?」

「知らねーよ。それこそ、岡田に聞け」
「友成君は、スタートなのに?」
重ねて言う私。
「スタートにしてほしいなら、そう伝えりゃいーじゃん」
やっぱり投げやりな言葉に、聞く相手を間違えたと思った。

私は女子高に通いながら、駅の近くの予備校に通っていた。
コマが被ることが多かったようで、少ない人数の割に顔を合わせることが繰り返された結果話すようになった。
それが、友成君だ。

友成君は元々が優秀だったみたいで、毎週通う私とは違い短期講習しか受けていなかった。
女子に興味のない様子に、浮足立つことがなく接することができる相手だったのを覚えている。
課題のことや、判定結果など。
当たり障りのない会話に、男性に免疫がない私でも臆せず話せる相手。
今思えば、友成君には要さんがいたから、当然と言えば当然のこと。

お互い違う大学の合格判定をもらい、予備校に通うこともなくなった。
だけど、会社の入社式で一緒になったことで数年ぶりに再会を果たした。
知った顔があるのは、単純に心強かった。
その頃の私は、愁君としか男性との接点がなかったから。

そういう意味では、男友達と言える人は友成君以外にいない。
不思議なことに、愁君と要さんは高校・大学が同じだったらしい。
愁君にお招きされた大学の学園祭で、友成君に会った時には驚いた。
その時、友成君の隣にいたのが要さんだ。

愁君と要さんは、中学からずっと進学先も一緒だったらしい。
驚くことに、年齢差が全く同じで数年の付き合いがある関係。
といっても、友成君と要さんは完全な幼馴染だけど。
家もお隣さんとか、漫画のような関係性。

私にとって、安心できる2人の存在。
友成君は、多分要さんが好き。
きっと、両想い。

…なはず。
要さんが、呼吸をするように友成君に好きだと言っているのを聞くと、不思議な気持ちになる。
回りを気にせず、相手に気持ちを伝えられる羨ましさ、そして自分とは立場や関係性が違う歯痒さ。
男性と女性が違うだけなのに、それでも年上がしっかりしていないとその先は破綻しかない。

「友成君のこと、唯一尊敬できたのにな」
「そりゃどーも」
「もう、1千万近いよね?ローンの折り返し辺りには来たんじゃないの?」
「…嫌な奴だな、いちいち」
「違うよ。本当に尊敬しているの。生活まで最小限にして、そこまで注げる気持ちって言うの?」
私は、何をモチベーションにしたらできるのだろうか?

「岡田に、同じこと教えてみるか?」
友成君のニヤリとした表情。
「やめて。やりそうだから」
本当に。
変な所で、友成くんに妙な共感性を見出しているんだから。

友成君が達成しているって言ったら、半ば信じ込んで愁君ならやりそうな気がした。
それこそ、愁君が破綻するのが見える。
だからこそ、私がしっかりしないといけない。
友成君を見ていると、そう戒められる気持ちになる。

彼は経理をしている私に、お給料からギリギリまでローンを組むのはいくらが上限かという話を持ち掛けて来た。
最初は、何を言っているのか良く理解できなかった。
年下の彼女候補、いいやこの場合はお嫁さん候補と暮らすためにマンションの契約をしたいと言ったのだ。
まだお互い22歳で、何を言っているんだろうと共感は全く出来なかったけど。
私の知っているローンの常識は、少なくとも20年ローンとか、15年ローンとか長期の物だ。

それを、彼は実家暮らしの内に、あと5年で形にしたいと言い始めた。
狂気の沙汰としか思えなかった。
予備校時代、あんなに手堅く堅実に生きていると思っていた友成君の意外な一面。
それもこれも、要さんとの未来しか考えていない生き方だ。
羨ましい。

この同期は、色んな意味で私に勇気を与えてくれているのも事実なのだ。
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