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第1章 少女が統べる国と嘱託補導員

083 街中の幽霊

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「あれは半年程前のことだ」

 奢りの清酒を手にし、一口だけ味わってからガイオさんが口を開く。

「住宅街での仕事中。俺はそれを確かに見た。間違いなくな」

 彼はその時の光景を細部まで脳裏に思い描こうとしているかのように目を閉じ、そのまま自分に言い聞かせるように告げた。
 しかし、まだ少し声色には逡巡のようなものが感じられる。
 これまで、その話の対価は嘲笑だけだったのだから、さもありなんというところか。
 だから俺は、彼の気を紛らわせるため、少々無作法ながら口を挟むことにした。
 純粋に疑問が湧いたから、というのもあるが。

「あの、話の腰を折るようで何ですが、住宅街での仕事というのは?」
「……何だ。その質問は」

 問いかけとして余りに頓珍漢だったのか、再び不審そうな顔をするガイオさん。
 もしかしたら補導員なら知っていて当然の話なのかもしれない。

 しかし、この職業に住宅街での仕事があるイメージは少なくとも俺の中ではない。
 魔物にしても少女化魔物ロリータにしても、その根源は人間の想像。
 特に、大多数が共通の認識として持つことで存在を確立したそれらは、多くが未知なるものへの畏れや外界の危険に対する警鐘として作られた物語に端を発したものだ。
 基本的に非日常の具現であり、人間のテリトリーである街に生じるとは考えにくい。

 加えて、この世界では街を築く理由の一つとして、それらに対する備えが含まれていることも俺がそう認識している一因と言える。
 街は安全であるというある種の信仰によって、街そのものに魔物や少女化魔物が発生しにくい概念が祈望之器ディザイアードの如く付与されていてもおかしくはない。

 とは言え、例外があるのは彼の言葉からして間違いない。
 後学のため、そこは聞いておきたい。

「すみません。何分まだ新人なもので」
「実力と知識がアンバランスね。……それだけ急激に駆け上がってきた証拠かしら」

 俺の若干言い訳染みた返答に、ガイオさんの隣で蜜酒を静かに飲んでいたタイルさんがそう半ば呆れたように呟く。
 しかし同時に、その声色には若干の警戒心が感じ取れた。
 仕事の競合相手でもある俺に対し、一定の注意を払っているようだ。

「でも、それは大した情報でもないしね」
「ああ。補導員、いや、少女征服者ロリコンにとっちゃ常識の範疇だ」

 タイルさんの言葉にガイオさんは同意し、それから俺の背後のルトアさんを一瞥する。
 補導員事務局の受付をしている彼女なら、普通に知っているような話ということか。

「とは言っても、余り大っぴらに吹聴する類のものでもないんだが…………まあ、いいか。その時、俺が引き受けていたのは通夜の護衛だ」
「通夜の護衛? えっと、通夜と言うと、葬式の通夜ですか?」

 前世のそれを思い浮かべ、何故護衛が必要なのかと首を傾げる。
 確認の問いに二人共首肯したのを見る限り、聞き間違いではないようだが……。

「冠婚葬祭というものは人の感情が集積し易いもの。中でも葬儀は飛び切りだ。故人の心残り、遺族の感情。綯い交ぜになり、ゴーストという形の魔物が生じることがある」
「そうでなくとも、火車っていう魔物が遺体を奪いに来ることもあるからね」

 火車。元の世界では葬式に現れ、遺体を奪う妖怪だったか。
 地域によっては通夜で線香の煙を絶やさないのは、それを防ぐためとも言い伝えられているそうだが……この世界でも似た話があるらしい。
 そうした共通認識によって、そのような魔物が実際に生まれてしまう訳だ。
 つまり、非日常の不可思議な存在ではなく、身近に潜む日常の影の如き存在であれば街中で魔物として発生してもおかしくはない訳だ。
 勿論、魔物全体からすると少数ではあるだろうが。

「その時は故人が顔の広い高名な人物だっただけあって、補導員である俺まで駆り出されたし、実際火車がわんさか湧いてたな」

 わんさかって……嫌な参列者だな。
 もしかしたら悪い意味で高名な人間だったのかもしれない。

「満足したか?」
「ええ」
「なら、話を戻すぞ」

 ガイオさんはそう俺に断ると、最初の逡巡を全て追い出すように一つ深く息を吐いてから再び口を開いた。

「……まあ、そういう仕事の最中だったから、短絡的に幽霊って思い込んじまった部分もあるかもしれない。それの正体が本当に幽霊だったのかは分からない」

 冷静な自己分析に基づく前置きを落ち着いて口にし、それから本題に入る。

「それでも、人間とも少女化魔物とも、魔物とも違う妙なものを見たのは確かだ。しかし、形を思い出そうとすると頭の中が霞みがかっちまう」
「それが余りにも奇妙な存在だったから、ガイオは周りの少女征服者達にも目撃したか尋ね回って、結果頭がおかしくなったって話が広まってしまったのよ」
「結局、特に事件が起きたりした訳でもなかったから尚のことな」

 それらが積もり積もって、あの荒れ様だった訳か。

 魔物としてのゴーストと、いわゆる幽霊は別ものと考えるべきだろう。
 前者は攻撃が通るRPG的な存在で、後者は攻撃が通らない正に霊的な何か。
 普通に物理的に干渉してくるゴーストがいるから尚のこと、物理的な干渉が不可能な程に思念の蓄積が少ない幽霊を恐れる者は馬鹿にされてしまうに違いない。

「タイルさんも目撃されたんですか?」
「ええ。戦闘中でガイオ程ハッキリとは見てないから、大分曖昧だけど」
「けど、他の目撃談はないと」
「……そうだな」

 俺の確認に頷くガイオさん。
 これまでの話を総合すると一つの可能性が出てくる。
 確証を得るため、もう少し質問をするとしよう。

「その時、複合発露エクスコンプレックスを使用してましたか?」
「当然だ。葬式の邪魔にならないように、迅速に処理しなければならないからな」
「身体強化系で第六位階相当の複合発露をお持ちの方は他には?」
「…………いや、いなかったな」

 一つ一つの質問の意図を探るようにしながら、ガイオさんは答える。
 それを受けて俺は「成程」と口の中で呟いた。

「何か分かったのか?」
「はい。……俺が調査している事件の犯人は、認識操作系の複合発露を有していると考えられています。勿論、第六位階です」

 その言葉にハッとしたように目を見開くガイオさんとタイルさん。
 どうやら、それだけで俺と同じ考えに至ったらしい。

「つまり、俺が目撃したのは認識操作系の複合発露を使用した犯人で、身体強化のおかげで何とか認識することができたってことか」
「身体強化系じゃない少女征服者達が認識できなかったのも説明がつくわね」

 腑に落ちたような表情と共に、互いの顔を見て言い合う二人。
 正誤はともかく、それらしい理屈を耳にして少しは気が楽になったようだ。

「それでガイオさん。ソイツの動向を覚えてる限りでいいので教えて下さいますか?」
「ああ。と言いたいところだが……ある家に入ったことは覚えているんだが、その家がどこにあるのか思い出せないんだ。仕事場の近くだったのは間違いないが――」
「……それを全く思い出せなかったことも周りから馬鹿にされた原因の一つだったけれど、そう考えるとこれも認識操作されてた可能性が高いわね」

 十中八九そうだろう。
 だが、その時の仕事場がどこなのかについては、守秘義務に抵触する可能性があるので聞かないでおく。ヒメ様に聞けば、調べてくれるだろうし。
 うん。割と有益な情報を得られた気がするな。

「ルトアさん、もう一回――」
「あ、分かりました!」

 立てた人差し指を見せながら軽く振り返って口を開くと、全て言い終わる前にルトアさんはリヴェスさんのところに向かった。
 意図が伝わったことに小さく頷き、そんな彼女の背中から視線を戻す。

「お二人共、ありがとうございました。もう一杯、奢らせて下さい」
「ああ、いや、こっちこそ感謝する」
「少しは留飲が下がったよ。つまり、私達を馬鹿にした奴らこそ、実力不足だったんだって分かったからね」

 なら、よかった。商売のつもりはないが、双方に利益があって。
 俺としても喜んで貰えたなら、情報収集以上に価値があったと思える。

「では、俺はこれで。解決の暁には、貴方がたの名誉回復も上に依頼しますので」

 清酒と蜜酒が来たのを見計らって、彼らのテーブルから離れる。

「ルトアさんも、ありがとうございました。おかげで少し進展したと思います」
「いえいえ! お食事をご一緒できて嬉しかったです!」

 二人で話しながらリヴェスさんのところに戻って彼女に挨拶し、それからガイオさん達への奢り分も含めて会計を済ませて店を出る。
 一先ず目的は果たせたと言っていいだろう。後は職員寮に帰るだけだ。

「あ、そうそう。ルトアさん」

 ただ、その前に。
 情報収集とは全く関係ないが、気になっているところを一つ。

「事務局の外でまで、言葉遣いに気をつけなくてもいいですよ?」

 表情や行動は友達っぽい感じなのに、口調だけ慇懃なのは何とも違和感があった。
 もう帰り道なのに今更だが、余り形式ばられるのも距離があるようでモヤモヤする。

「お気遣いありがとうございます! でも、私は普段からこんな感じですから!」

 そんな俺の言葉に対し、ルトアさんは嬉しそうにしつつも申し訳なさそうに答えた。
 ……古いつき合いらしいリヴェスさんにもずっと丁寧語だったし、性格的な問題か。
 こんなことを言いながらも俺は俺で丁寧語だしな。
 まあ、そういうことなら強制するのは好ましくない。とは言え――。

「なら、せめて名前だけでも。様づけはちょっと」

 こればかりはむず痒くて敵わない。

「……分かりました! では、外ではイサク君と!」
「はい。ありがとうございます」

 これはこれで少し気恥ずかしいが、様づけよりは余程いい。

「じゃあ、イサク君。帰りましょうか」

 そして早速、呼び方を変えてくれるルトアさん。
 そんな彼女の弾んだ言葉に俺は頷いて応じ、それから俺達は情報収集に区切りをつけてホウゲツ学園行きのバスもどきメルカバスに乗ったのだった。
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